第7章 寝ぐせ姫の最初の一個 (6)
雪の白さに彩られた古めかしいレンガ造りの校舎には似つかわしくないような浮かれた空気が、そこかしこから漂ってくる。外は真冬の寒さを知らしめるような雪景色だというのに、校内はまさに春の訪れのごとき様相を呈していた。
(-いい加減にしてくれ…)
あちこちで浮き足立つ生徒の振りまくピンク色の景色に、一成は反吐が出る思いだった。みつきの予測どおり、一成は一日あわただしく過ごしていた。授業の終わりと同時に部室に走りチャイムと同時に教室に立ち戻る、するとその度に教室の机の上には色とりどりの甘い包みが山と積まれていた。理数系のクラスの9割が男子であることだけが救いだ、一成は山と積まれた包みを無造作に抱えてゴミ箱へ放り投げた。
(―すげぇな、森…)
(―噂には聞いてたけど、ほんとに捨てるんだ…)
(―つ~か、あんなに食えねぇもんな)
(―俺なんか母ちゃんからの一個しかねぇぞ)
一成の背中を見つめながら囁かれる同級生の声音の中に、羨望と同時にねたましさが込められてしまうのは致し方ないだろう。聞こえないとでも思っているのだろうか、一成は嫌でも耳に届く様々な思惑をすべて跳ね除ける様に、どかりと机に腰掛けた。
(―早く帰りてぇ…)
一成はその望みどおり最後の授業を終えるとすぐに部室に向けて走り出した。教師の挨拶もそこそこに駆け出したにもかかわらず、それでも何人かの女生徒が廊下で待ち構えていたのを振り切った。
「カズ先輩っ…」
勇気を振り絞った見知らぬ呼び声に、一成は足を止めるどころかそのスピードを速め、後ろ手に部室の扉を閉めてようやく息をついた。昼休みに片付けたはずの包みがまた部室の入り口に山を作っていたけれど、今不用意に扉を開けるわけには行かない。一成は扉の向こうで一成が出てくるのを手ぐすね引いて待ち構えているだろう集団の気配を察して、疲れ切った足取りで窓際へ足を進めた。
(―みつき…)
朝の時点ではまだ真っ白だった中庭も、今はもう生徒たちに踏み荒らされ見る影もない。お昼にみつきが元と作った雪だるまが、太陽に溶けかけ不恰好な角度に曲がっていた。溶け始めた雪に汚れた中庭、歪んだ雪だるまが自分の心を映し出していた。
(―みつき…)
朝一緒に登校したばかりだというのに、多忙な一日の終わりにみつきに会いたくてたまらなくなっていた。昼休みに中庭から手を振っていたみつきがそこに会いに来てくれないかと一成は泥雪の中にみつきの姿を探してため息をついた。
「は~、おわたおわた」
みつきは少し長引いた数学の教科書をしまいながら、首をこきこきと左右にまげて腕を伸ばした。お昼までに白い紙袋の中身を配り終えたみつきはその袋をたたみながら傍らで白い包みを大事そうにカバンにしまう元に微笑んだ。
「元ちゃんのチョコ、おばさんの手作りだからおいしいよ」
「え…」
白い包みの中身をみつきの手作りと確信していた元は、驚愕と切なさに複雑な表情を浮かべていた。みつきはきっと作ってくれると思っていた。それが100%義理でもいい、一成に作ったその残りでもよかったのに、元は手にした包みへ視線を落とし苦笑いを浮かべていた。
「そか…じゃあ安心だな」
「だよ、安心安心。あたしも一個食べたけど、さすがおばさんだったよぉ」
みつきは昨日つまみ食いしたチョコレートの味を思い浮かべながら至福の笑みを浮かべていた。元はそれを見つめながら一成へのチョコレートは作ったのか、それともなにか他に特別なものをあげたのか、いろんな思いが交錯するまま口を開いた。
「カ…カズ先輩のは…?あ…あげたのか?」
みつきは机に教科書を、カバンに大事そうにゲーム機をしまいながら、元の問いかけに微笑んだ。
「うん、あげたよ~、昨日ね」
「昨日…?」
「うん、だって今日は会えそうになかったもん。先に渡しておいてよかったよぉ。カズってすごいんだね」
いまさらながらのみつきの感嘆と、その残酷な言葉の意味合いに元はますます落胆を隠せない。けれどその落胆は事の成り行きを小耳に挟んだ女子の嬌声に一気に震えあがった。
「早瀬さん、ずるい」
「え…?」
いつもなら一成の会話をしていても咎められることなどない。いつもジュースを買ってもらったり、クリスマスに腕時計を貰ったこともみな知っているはずだ。みつきはいつにない同級生のとげとげしい口調に思わず顔を強張らせていた。
「カズ先輩にチョコもらってもらったんでしょ?」
「えと…んと…」
言いよどむみつきのそぶりが肯定となって女生徒の間をこだましていく。これまでずっとうらやましく思いつつも、誰も口に出来なかった鬱憤が今日という特別な雰囲気に高まりすぎているようだった。気付けば同級生のみならず、一成を探して校内を彷徨っていた女生徒達がみつきの周りを取り囲むようにわいわいと口をそろえてみつきを攻め立て始めていた。
「ずるい~」
「いいな~いいな~」
「うらやましぃぃ」
「なんで早瀬さんばっかり」
「カズ先輩ひどいっ」
そうして口々に言いたい放題言葉を募らせていくと、そのうちの誰かが呟いた言葉に皆が大きく同意を示した。
「みつきから渡してもらえばいいんじゃない?」
みつきはその声音が慣れ親しんだ千秋のものと酷似していることに信じられない思いで目を見開くと、集団の中ほどで見慣れたポニーテールが揺れている事に胸を締め付けられる思いだった。
(―千秋ちゃん…?)
みつきは千秋の気持ちを知りながら、それをこれまで深く受け止めたことがなかったことを後悔していた。千秋に限らず、今ここでみつきを攻め立てている女生徒のほとんどが真剣に一成を想っている事、その事実の重さにみつきはようやくこれまでの自分の言動が彼女達をどれだけ傷つけていたか思い至っていた。
「そうよ、早瀬さんからならきっとカズ先輩もらってくれるよね」
今度は誰かも分からないほどひしめき合う集団から上がる声に、皆がそうだそうだと大きくうなずき、ぐいぐいとみつきに詰め寄ってくる。みつきはじりじりと壁際に追い詰められ、その手や胸元や顔先に色とりどりの包みを押し付けられるとその瞳を忙しなく瞬いた。
「あ…あの、こういうのはちゃんとわたしたほうが…」
「だって受け取ってくれないんだもの」
いつもは優しくみつきを助けてくれていた見知った顔ぶれが、いまは殊更険しい表情を浮かべてみつきがおずおずと口にした言葉をきりつけた。みつきは差し伸ばされる数々の腕のシルエットに気分が悪くなりそうだった。けれどみつきの顔色が青ざめても、立ちくらみしそうなほどのめまいに襲われていても誰も気遣う者はいなかった。
「早瀬さんは受け取ってもらったからそんなこと言うのよ」
「そうよ、そうよ。そんな風に言うならカズ先輩ここに連れてきてよ」
「みつきちゃんが頼めば来てくれるよね」
口々に好き勝手に自分の思惑をいい募る集団の恐ろしさ、それは自分勝手な妄想や願望がどんなに理にかなわないことでも、集団で言いたてれば現実となる。それが当然であり正しいことなのだと思わせてしまう点にあるようだ。みつきはそんな集団心理のおそろしさを目の当たりにしながら、どうにもしようがない。徐々に追い詰められたみつきが懸命に堪えていた心のたがが外れてしまいそうだ。気付けばみつきの顔色は青から土気色に変わり始めていた。
「あっ、カズ先輩だっ」
元の声音が廊下から教室に向かってこだましていた。元はみつきが取り囲まれている集団の輪の向こうから遠くを指差し叫んでいた。
「カズ先輩があっちに走っていったぞ」
みつきに詰め寄り色を成していた集団は元の大げさな誘導にまんまと載せられ、甲高い嬌声とともに廊下に走り出した。みつきはあやういところで救い出された安堵感にその場にへたへたと膝を着いた。
「元ちゃん…ありがと…」
「大丈夫か?みつき…?あいつら今日はおかしい。早く帰った方がいいんじゃないか?」
「う…うん…みんな一生懸命なんだね…あたし悪いことしちゃったかな…?」
「何言ってんだ、お前が悪いことなんかあるか。一生懸命やったって受けとってもらえないのはあいつらの問題だろ」
元は自分と彼女達の重なる部分の多さに自嘲しながら、へたり込んだままのみつきの体を助け起こした。元の言葉に励まされ小さくうなずきながらもみつきは彼女達への同情心からか、スカートについた綿埃も払う気配も見せずにしょぼんと肩を落としていた。
「お前が気にする事じゃない。ずっと前からカズ先輩は受け取らない人だったんだから、あいつらだって分かってるはずなんだ。ただお前がカズ先輩と仲がいいのが少しうらやましくて、あんなこと言ってるだけだ。気にすんな」
元が軽くみつきのブレザーやスカートをはたいていると、今度は教室に駆け込んできた慶太の形相にみつきが目を見開いた。
「みつきっ、逃げろっ。あいつら戻ってくるぞっ」
廊下から走りこんできた慶太が血相変えて叫び挙げた。先ほどの集団が元の嘘を悟り、再度みつきのもとに駆け込んでくるという、慶太はすぐには動きそうにないみつきの腕を引っ張ると元を振り向いた。
「元、カズ先輩に知らせろっ」
慶太は言うが早いかみつきを廊下に押し出してその背中を隠すように走り出す。元は慶太がうまいことみつきを逃がしてくれることを祈りながら、集団より一足先に教室を抜け出し一成がいるだろう部室に向けて走り出した。
「いたっ、早瀬さんっ」
元の背中でみつきが集団の視界にとまったことを告げる声が上がっていた。廊下の向こうで慶太が両手を広げて追跡の進路を阻みながら、みつきがおぼつかない足取りで走り出したのが見えた。
(―がんばってくれ、慶太っ)
元は一段飛ばしに階段を駆けあがり、群がる女生徒を押しのけて部室の扉をこじ開けた。転がるように元が部室に駆け込んだとき、そこには一成と浩一郎、晴彦が佇んでいた。




