第7章 寝ぐせ姫の最初の一個 (5)
予報どおり夜通し降り続いた雪は、一成がみつきのマンションへ行く道にも分け隔てなく降り積もっていた。すでに小さな子供の足跡や、道端に出来た雪だるまのためにところどころアスファルトが覗いていたけれど、屋根や木々を覆い隠す雪はまだ白さを残したまま朝日に煌いていた。一成は黒い革靴のつま先で雪を掻き分けるように足を進めながら、白い吐息が立ち昇っていく青い空へ視線を投げた。一成でさえも心沸き立つ雪の白さは、当然みつきの心も躍らせているはずだ。みつきのマンションの前に出る角を曲がった時、一成は予想通りにみつきが植え込みに向かって何かごそごそと蠢いていることに小さく吐息を付いていた。
「なにやってんだ…あいつは…」
降り積もった雪に足音が消えるのをいい事に、一成は雪に夢中になっているみつきの背中に声をかけた。
「おい、何やってんだよ」
「うひゃぁっ」
みつきの反応は一成の予想を上回り、その絶叫がエントランスに響いた事に一成は逆に驚かされた。みつきは驚きのあまり作っていた雪うさぎを取り落とし、一成を振り向いたその瞳には恨めしさが顔をのぞかせていた。
「ごめん、みつき…そんなに驚くとは…」
「カズのバカ…せっかく沙紀ちゃん作ってたのに…」
「沙紀…?」
「そだよぉ…おっきい雪だるまがカズ、ちっちゃいのが私、で、最後に沙紀ちゃん雪ウサギ作ってたのに…」
一成は植え込みの前に並んでいる二つの雪だるまと、その傍らにただの雪くれとなった沙紀を見つめた。
「もぉう…カズのせいだかんね、ちゃんと沙紀ちゃん作り直してよぉ」
「なんだよ…たかがウサギだろ」
雪ウサギが沙紀だといわれても似ても似つかない、一成はみつきに泣きつかれるまま文句をいいつつ手早く雪ウサギを一つこしらえる。こんな短時間でも雪に触れてひんやりとした手を温めながらどうだと一成がみつきを振り向いた。
「うわ、カズ、うまいね~」
たかが雪ウサギにうまいも下手もあるものか、一成はそう思いながらもみつきが手放しで自分を褒めたたえるしぐさに気をよくして胸をそらせた。
「まあな、みつき、お前の雪だるまが見劣りするな」
「む~」
「むくれんなよ、ほら、行くぞ」
一成はみつきの赤くなった指先と雪と同じくらい冷え切った手をとると顔をしかめた。
「お前、どんだけ雪触ってたんだよ」
「ん?ちょとだよ…?」
「ちょっとって冷え方じゃねぇだろ。手袋どうした」
「んとね…これ作ってたら濡れちゃったんだよね…」
ぐっしょり濡れた手袋をみつきは一成にひらひらと振って見せた。それはぎゅっとしぼると水滴が滴り落ちるほど濡れそぼっていて、みつきは固く絞った手袋をカバンの隙間に挟み込んだ。手袋の半分ほどをカバンから覗かせて乾かすつもりなのだろう、一成はみつきの浅はかなたくらみに大きく吐息を付いてその手をとった。
「まったくお前はこんなに冷たくなるまで遊んでるなんて…手袋なくて大丈夫なのか?」
「だいじょぶじゃないけど、こうすればいいんだもん」
みつきはそうすることが当然のようにつないだその手をするりと一成のコートのポケットへ滑り込ませた。ポケットの中でみつきの小さな手が一成の手に包まれて、みつきはそのあたたかさに微笑んだ。
「やっぱカズってあったかいね」
「っば、ばかやろ…俺がつめてぇだろ」
一成は口では強く抵抗しながらもその実、指先だけをうごめかせただけでその動きを止めていた。みつきは一成の微かな抵抗に小さく微笑むと、一成の腕にそっと頭をもたれかけた。
「だってカズの手あったかくて、つないでると気持ちいいんだもん」
「俺の手がつめてぇって言ってんだろ」
「こうしてればすぐあったかくなるよ?だいじょぶ」
みつきはポケットの中で一成の指に指を絡ませ、寄り添うように歩き出した。足元に雪が積もりいつも以上に歩きにくいのに、こうくっつかれてはいつまでたっても学校に着かないだろう。一成はしかめた眉と呆れたため息がみつきへの愛おしさに包まれ緩んだ事に気付かないまま、そっと傍らのみつきへ視線を向けていた。
(―かなり早めにでてよかった…)
一成はそんな思いを胸に、白い吐息が形を崩すのを楽しみながら歩くみつきを見つめ、そのポケットに広がるぬくもりがいつまでもみつきの手を温めなければいいと思っていた。するとその一成の慈しむような視線の中で、みつきが何かを思いついたように顔を上向け楽しそうに口を開いた。
「そだ。あとで、元ちゃんと雪合戦しよ」
「雪合戦…?あんまくだんねぇことしてると怪我するぞ」
「いいじゃん、雪合戦。元ちゃんと今日のお昼でもかけよかな」
手袋が乾かなければいい、みつきと楽しげに雪合戦する元は許せないとばかりに一成は元への憤りを込めてポケットの中のみつきの手をきゅっと握り締めた。
「昼飯食う時間なくなるぞ」
「え~、じゃあ、違うの賭けよ」
「みつき、子供みたいなことするな」
「もう、カズは怒りんぼだね。いいじゃん、楽しいもん、元ちゃんと雪合戦」
元とだから楽しいのか、一成はそんなヤキモキした思いを口にしそうになって慌ててその口を閉じた。けれど、言い繕った言葉はそれ以上にやきもきした感情にあふれてしまっていた。
「雪合戦なんておもしろくねぇよ」
思わず子供のように口を尖らせた一成の雪を溶かしていきそうな言葉の熱はみつきには届かなかったのか、みつきは残念そうにしょぼんと肩を落として口を開いた。
「カズも出来たらいいのにな…カズは今日忙しいんだよね?」
「なんだよそれ、別に忙しくねぇけど雪合戦はしねぇ」
「え~うっそだぁ。だって千秋ちゃん言ってたよぉ。部室の前には何回片付けてもすぐにチョコが山盛り置かれるって。カズ、しばらくチョコ食べ放題だね、いいなぁ」
何がうらやましいのか、チョコだけでなく押し付けがましい女達の企みなど一成にはただ迷惑なだけだ、一成はみつきの微笑みを軽くねめつけて口を開いた。
「欲しいなら好きなだけ持ってけ。俺はいらねぇ」
一成は今日という日が世の中にあるのが気に入らないとばかりに口を尖らせた。けれどみつきはそんな一成の視線を追いかけて、困ったように眉根を寄せて首をかしげた。
「ん~、でもみんなカズにってあげてるものだもん、あたしが食べたらみんながっかりしちゃうよぉ。カズ、ちゃんともらってあげなよ、ね?」
「やだね」
「なんでぇ、あたしのはもらってくれたじゃん」
「うっ、うるせぇなっ。いいから少し急ぐぞ。お前がちんたらしてっから時間がなくなる」
一成はぶちぶち言い続けるみつきの手をぐいっと引っ張って足を速めた。欲しいものはもう何も無い、つないだこの手が離れなければ一成はそれだけでいい。一成は小さくみつきが待ってと口にするまでやや強引にみつきの手を引きながら、みつきが小走りになっていた事に気付かなかった。
「悪い、みつき…」
「ううん。だいじょぶ…」
みつきは立ち止まって息を整えると、また一成の手を嬉しそうにとって軽くステップしながら歩き出した。その足取りの軽快さに、今度は一成がついていくのが精一杯になる。
「おい、みつき…おい」
「カズ、楽しいね。あたしカズがいてくれてよかった」
みつきは一成を軸にくるりと回ると戸惑うばかりの一成を覗きこむように微笑んだ。その瞳はまっすぐに一成の瞳を捉え、一成はその瞳になんの企みもないことに胸を弾ませた。
「そうか…そうだな…」
みつきがいるだけで今日というこの日も乗り越えていける、学校につく頃にはあたたまったみつきの手はポケットから外に出ていたけれど、寒風に素手をさらしながら二人は手をつないで歩いていく。校門をくぐり多くの生徒のまなざしを受けながら、そこに何が待ち構えているかも知らず二人は冬枯れた桜並木を校舎に向かって歩いて行った。




