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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第3章 寝ぐせ姫と鬼王子
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第3章 寝ぐせ姫と鬼王子(5)

 一成はみつきを捕まえたその教室で、みつきと差し向かいで座っていた。一成から逃れようと無駄な抵抗を続け体中のエネルギーを使い果たしたみつきは、しゃくり上げながらもうつろな瞳を冷たいリノリウムの床に向けていた。


「みつき…俺はなにもお前に今すぐ学校を辞めろと言ってるわけじゃないんだ。本当だったら今回の結果だけでも連れ戻されるところを、良太さんがお前の兄貴に掛け合ってくれたんだろ、分かってるのか?」


 みつきのうつろな瞳が何を捉えているのか一成には分かりかねたけれど、そこに漂う哀愁についつい一成の荒々しさが抜け落ちていた。いつもは元気に跳ねている寝癖も、今日は心なしかうな垂れているように見える。


「なぁ、みつき…この間の約束、一個だけ言うこと聞くってやつ、覚えてるか?」


 一成が努めて優しい声音で語り掛けると、ようやくみつきは真っ赤な瞳で一成を見つめてうなずいた。


「覚えてるよ…だから逃げてたんだもん…」

「だろうな…ったく、お前は俺が何を言うと思ったんだ?」


 一成はみつきの必死の抵抗に浮いた汗と涙を拭いながら、口を尖らせるみつきに苦笑を浮かべた。


「カズは意地悪だもん…やな事いうでしょ」

「意地悪って…お前な…やだろうがなんだろうが約束は約束だ、だろ?」

「う…」


 一成の言葉の正当性の前に言葉に詰まったみつきをこれ以上責めつけるのは一成としてもさすがに酷なことに思えた。一成は小さな溜め息とともに、これ以上は無理だろうというほどうなだれきったみつきの頭へぽんっと手を乗せた。


「ほんとはお前にどんな罰をくれてやろうかすげぇ考えたんだ。けどな良太さんに何度も頭を下げられて俺は決めた。お前にこの先もう二度と赤を取らせないように、俺がお前の勉強を見ることにした。お前は俺の言うことを聞いて俺の補習を受けること、それをお前が赤を取ったペナルティにする」


 一成はそこまで言うとみつきの顔が複雑な表情を浮かべたのを少しおかしそうに見つめていた。みつきの表情は嬉しくて悲しいような、救われたあとに奈落に落とされたようなそんな中途半端な失意を表していた。


「どうだ喜べ、俺様の補習なんざそうそう受けられないぞ?」


 みつきは意地の悪い微笑みを浮かべる一成の顔をまじまじと凝視し、自分の中の天秤で激しい葛藤を推し量っているようだった。一成は様々な計算を足りない頭でめぐらせるみつきを見つめながら、みつきがたどり着くべき結果は一つだけだと確信していた。それでもみつきは思いのほか長い時間迷ったあげく、小さくつぶやいた。


「わかった…」

「厳しく行くからな、ちゃんとついてこいよ。いいな、分かったか」

「おてやらかわに…お願いします」

「お手柔らかにだろ。お前成績悪すぎんだから、手は抜けねぇ」


 一成はみつきの哀願を即座に却下すると、また泣き顔に変わりそうなみつきを促して歩き始めた。放課後の廊下は人気が無く、一成はみつきが逃げ出さないようにみつきの手を引きながら歩いていく。みつきは涙の跡の残る頬を拭いながら、歩幅の広い一成に追いていかれないように必死に足を速めていた。


「カズ…あの…今日の数学の課題なんだけど…」

「はあ?課題?」

「あの、元ちゃんと出された課題…」

「ああ…」


 一成は足を止めてみつきを振り向いた。えへっと、照れ笑いするみつきを見れば、何を言いたいのか一成にはすぐに分かった。


「まさか…それを手伝えとか言うなよ」

「だってぇ、すっごいむつかしいんだよ」

 みつき得意のおねだりの視線、そこには先ほどの涙がまだ残っていて、一成はこの目に勝つことを早々に諦めると、小さく舌打ちを洩らしみつきを引く手に力を込めてマイスナに向かって足を速めた。



 元は帰宅するとすぐに机に向かってはみたけれど、その手は全く動かない。問題が難しすぎるだけでなく、元の頭の中をある思いが巡り巡っていくからだった。


(―やばいな…俺…ほんとに惚れちゃってんのかも…)


 今にして思えばみつきと出会った入学式の日、あのときが元に訪れた運命の分かれ道だったとしか思えない。元は課題を早々に諦めてベッドに勢いよく体を沈めると、初めてみつきに出会ったその日のことを胸に思い描いていた。


 入学式の入場を待つ講堂の外、中等部時代の友人の多くとクラスの離れてしまった元は、ただ物憂げに時をつぶしていた。気心の知れた友人達との別れ、それが新たな出会いの始まりだと思えば儚げな花びらの演舞も高揚感に変わるはずだ、元がそんな風に前向きに考えてみても物悲しさは拭えなかった。


元が小さな溜め息まじりに儚い薄桃色の花弁を目で追っていると、その花びらが見知らぬ少女のくせっ毛にふわりと舞い降りた。元がその少女にその事を報せようかどうか一瞬躊躇ちゅうちょしていると、その子が突然誰にともなくつぶやいた。


「う~、なんか緊張するなぁ…」


 丸顔の頬を紅潮させ軽く口を尖らせたくせっ毛の少女、同年代とは思えない幼い容姿に元は新たな出会いの出鼻をくじかれた思いだった。けれど言葉通りに緊張を隠さないその声は、彼女の素直な心根を元に感じさせていた。


「あのさ、花びら…ついてるぞ」


 彼女はその声に元を振り仰ぐと、元が指し示したあたりに手をあてた。しかし彼女の子供のような小さな手は全く見当外れの場所に伸び、元はその鈍くささにあきれたようにため息をついた。


「ほら…」


 元は面倒くさそうに彼女の髪から桜の花弁を取り除き、小さな手のひらにそれを落とした。すると彼女はまるでその花びらが宝物であるかのように大切に包み込むと、元に向かって微笑んで、そしてもう一方の手を迷うことなく元に差し出した。


「ありがと。あたし、早瀬みつき。みつきでいいよ、よろしくね」


 春風に舞う桜の花びらの中、みつきの屈託の無い微笑みが元の物悲しさを一瞬で吹き飛ばしていた。


「俺は坂田元。元でいいぞ。よろしくな」

「元ちゃんだね、よろしく」


 あまり馴染みのない握手に元はとまどいつつも、みつきの無邪気な微笑みにほだされて気がつけば差し出されたその手を握り返していた。そうしてその子の笑顔につられるように微笑み返した元は、ようやくその時になって思い当たっていた。


(―あれ…?この子、カズ先輩と一緒にいた…?)


 そうして思い当たってから目の前の少女のあまりに幼いそぶりに、その事実が事実であったのかそこから疑いたくなった。一体この子はなんなのか、得体の知れない少女の出現に考えを巡らせすぎた元は、入学式の入場の最中、みつきより先に講堂の椅子に足を引っ掛け転ぶという醜態をさらした。みつきは元ちゃんもあたしと一緒だと笑っていたけれど、助け起こしてくれたその手はとても柔らかくとてもあたたかかった。


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