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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第2章 寝ぐせ姫と桜の木
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第2章 寝ぐせ姫と桜の木(5)

 一成が洋平の嫌な勘ぐりにすっかりへそを曲げながら校舎を後にしたとき、校門へとつづく桜並木の入り口にみつきが佇んでいるのを目にとめた。この時期の桜並木は枝振りも立派な満開の桜が、穏やかな春風に薄桃色の花弁を舞い散らせ、なんとも神秘的な美しさを誇っている。一成でさえもしばしその目を奪われるほどの光景に、ホースの先に出来た虹に涙するようなみつきが感動しないはずが無い、一成はそんな風に思いながら、ただ一点を見つめ続けるみつきの肩に手を伸ばした。けれどその手はみつきの背中に漂う言い知れない寂寥に、行き場を失いさまよった。


(―みつき…?)


 声をかけるには少し気後れがして、かといって無視して通り過ぎるにも気が引ける、そんなみつきの気配に一成は逡巡していた。いつもと違うみつきの姿に一成が二の足を踏めずにいると、みつきの口から小さな呟きが漏れ聞こえた。


「…いいな」

 うっかりしていたら聞き逃してしまうほどの囁きが一成の体を驚愕に包み込んだその時、二人の間を一陣の風が吹きすぎた。瞬時に巻き起こった桜吹雪が一成の視界を奪う中で、一成はみつきの言葉が聞き間違いであるような気さえした。

 たった一言、その短い言葉の中には、みつきが何かを切望する苦しい思いに満ち溢れていた。先日聞かされたみつきの亡き父親への強い思慕の念、その時にも似たような思いを垣間見せていたけれど、あの時見せたみつきの悲しみと、この場で見せたみつきの思いは似て非なるものであることを、一成は感じずにはおれなかった。


 一体何を見て呟いたのか、一成は改めてみつきの視線を追いかけ、そうしてようやく気がついた。みつきの視線は桜ではなく、その満開の桜の下で微笑みながら幸せそうに写真を撮り合う家族の姿に向けられていた。その光景を見つめるみつきはその場にたった一人で佇んでいた。昨日までみつきの入学式に何を着ていくか、さんざん悩んでいたはずの良太の姿が見当たらない。


(―良太さん…来れなかったのか…?)


 そのことにようやく思い至った一成が、みつきの視線の意味に考えを巡らせていると、みつきは小さく首を振りうなだれながら歩き出した。まるで全てを諦めたように校門に向かうその小さな背中に、一成はたまらず声をかけていた。


「写真…撮ってやるよ」


 みつきは一成の声に足を止め、そして一成を振り仰いだ。そんなみつきの瞳に自分がどう映っているのか、一成は少し複雑な表情を浮かべながらみつきに向かって手を差し出した。


「写真、撮ってやる。カメラ貸せよ、持ってんだろ?」


 一成は気恥ずかしさを隠すように、出来る限りぶっきらぼうに手を差し出した。みつきは戸惑いながら一成の手と一成の顔を何度も行き来しながら、やがて嬉しそうに顔をほころばせ小さく一成の名を呼びながらその胸に飛びついた。


「カズはやっぱりお父さんだね、すごいよ」


 みつきは一成から体を離すと、誇らしげに微笑んだ。一成はまっすぐに自分を見つめるみつきから少し顔を背けると、差し出した手と同じくらいぶっきらぼうな声音を出した。


「何言ってんだ、ほら貸せよ」

「あ…でも携帯しかないんだよ」


 一成はみつきが携帯を差し出しながら申し訳なさそうに眉根をひそめるのに、小さく吐息を洩らした。


「じゃあ、携帯で我慢しろ」

 一成は顔を曇らせたみつきが握り締めている携帯を奪うように手にとると、桜並木に向かってさっさと歩き出した。


 一成の見る限りみつきはこういうイベント事には一番に盛り上がり方々で写真を撮るようなタイプだった。こういうときにこそ自分を父親呼ばわりして、写真を撮れだのなんだのと甘えてしかるべきなのではないかそんな風にも思っていた。

 けれどみつきは一成が声をかけるまでうらやましげに家族連れを見つめるだけで、誰を頼ることなく諦めていた。あそこで自分が声をかけなかったならどうしていたのか、そんなことを考えれば考えるほどなんとなくやりきれない思いがして、一成がつい黙り込んでいるとその一成のニットをみつきの小さな手がくいくいと引き下げた。


「カズ?どしたの?」


 みつきの問いかけに一成がはっと物思いから覚めると、そこには少し不安げに瞳を曇らせたみつきが自分を覗き込んでいた。


「いや…なんでもない…そういえば、良太さんはどうしたんだ?」

「ん~…叔父さんはね、春香さんのお腹痛くなっちゃったから病院に行ったの」

「病院…そうか…」

「うん、でももうだいじょぶだってさっきメールあったよ」

「そうか…」


 一成はみつきの視線を遮るようにその頭に手を乗せるとそのくせっ毛をくしゃりと崩した。


「ああ、やめてよぉ、せっかく寝癖直したんだよ」


 みつきは一成の手に乱された頭をかばって後ずさると、ぴょこりと勢いを取り戻したクセ毛を手ぐしでどうにかしようと躍起になった。その姿が小さな子猿の毛づくろいのように見えて、一成はたまらず吹き出した。


「カズ、なに笑ってんの」


 一成はみつきに咎められると浮かんだ笑いをごまかすように軽く咳払いし、また少し癖の出たみつきの頭に軽く手を乗せた。


「なんでもない…気にすんな」

「気になるよぉ」

「悪いって、ほんとになんでもない」


 みつきのしぐさが子猿みたいだったと正直に言えばどうなるか、火を見るよりも明らかな事実に、一成はおかしさの残る顔を引き締めて桜並木を眺め渡した。


「で、みつき、どこで撮るんだ?」


 みつきは一成の言葉に毛づくろいをしていた手を止めると、その瞳を輝かせ一成の腕を強く引きつけた。


「あのね、実は朝から目ぇつけてた木があるんだよ」


 みつきの変わり身の早さに一成はあきれた吐息を洩らしたけれど、そこには安堵の息も同時に込められていた。みつきはそんな一成の腕を引きながら、嬉しそうにこっちこっちと飛び跳ねて目当ての桜を目指して走り出した。


「ちょっ…ちょっと待て、ちゃんと行くから、走るな」


 一成はみつきの小さな腕に引かれるままみつきの小さな背中を追いかけた。



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