第2章 寝ぐせ姫と桜の木(4)
洋平は部室のソファにだらしなく寝そべりながら一成がニットを着込み早々に帰り支度をする姿を眺めていた。いつもならば帰宅する生徒の波が落ち着くまで時間をつぶす一成が今日はやけに早い時間に帰ろうとしている、その事に小さく首をかしげ洋平が一成のニットを軽く引き下げた。
「ねぇ、カズなんで言ってくんなかったわけ?」
「なんのことだ?」
「だから、みつきちゃんのこと。天変地異が起こるかもしれないんだから、早めに言ってくれないと困るって言ったじゃん?春休み中波乗り行くって言ってたのは知ってたけど、まさかあんな子供みたいな子が目当てだったわけ?」
信じられない、洋平の言葉の後にはそんな言葉が続きそうな響きを持っていて、一成はまるで沙紀をバカにされたときのような憤りを覚えた。けれど、ここで洋平の挑発に乗っては今朝の二の舞だ、その一心で一成はどうにか喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「だいたいおかしいと思ったんだよねぇ、LIvRAに誘っても休み中一回も行かなかったしさ…あ~あ、やっぱあん時逃げればよかったのかなぁ」
洋平は物憂げな表情を浮かべつつ、一成を覗き見るように意味深な視線を上見せた。一成はそんな洋平の態度にうんざりしたようにため息をつくと、重苦しい思いでカバンを取り上げた。
「あのな、何度も言ってるだろ、みつきはそういうんじゃない、だからお前にも言わなかっただけだ。LIvRAだったら今度行く、それでいいだろ」
一成が吐き捨てるように言い放ち部室の扉に手をかけたとき、その手は洋平の言葉に動きを止めた。
「またまたぁ、そんな事言いながらちゃっかり待ち合わせなんかしちゃってるくせに」
「ま、待ち合わせなんかしてねぇっ」
「そうやってすぐむきになっちゃうとこがますます怪しいねぇ」
洋平の冷やかしに色をなして声を荒げる一成が面白いのだろう、洋平の左端の口角がくっと上がって一成を刺激する。一成はまたしても洋平のペースに翻弄されていることを悟ると、軽い咳払いでその場を仕切りなおし口を開いた。
「今日はEdgzに行くだけだ」
「…勇次さんとこ?なんで」
勇次の経営するEdgzは街中から一本奥まった街角にあるシルバーアクセサリーの店だ。勇次が手がけたアクセサリを中心にした品揃えがなかなかに評判を呼んでいる、知る人ぞ知る店だった。洋平も何度もLIvRAで顔を合わせている勇次の店に行くことを咎められ、一成はきょとんとした表情で自分を見つめる洋平を冷たく一瞥した。
「お前にいちいち説明しなきゃ俺はEdgzに行っちゃいけないのか」
「そんなことも無いけどさ…カズのことなら何でも知っていたいっていう乙女心じゃん?」
洋平が一成に向かってソファの上でわざとらしくしなを作り盛大に瞬きして見せると、一成は心底気味悪そうに体を震わせた。
「気持ちわり…鳥肌たった…」
そんな風に当然の反応を見せる一成に、洋平はまんざらでもなかったのか眉根を寄せると口を尖らせた。
「ひどいなぁ、カズ、僕の友情に鳥肌たてないでよね」
「友情ぉ?」
「友情だよ、友情。さて、じゃあ僕も一緒にEdgz行こっかな」
「お前も…?なんで?」
「何でって、勇次さんとこ行くならLIvRAにも行くんでしょ、どうせ」
いつものパターンじゃん、洋平はそう言うとさっさとカバンを手繰り寄せたけれど、一成はその洋平の行動を制するように静かに口を開いた。
「LIvRAには行かないぞ。勇次も最近忙しいみたいでな、調整に出しただけなのにだいぶ時間がかかった。注文が立て込んで遊ぶ暇がねぇってこぼしてたから、今日も無理だと思うぞ」
一成はそう言いながら今は何もない左手の手首を証拠のように掲げて見せた。そこにはいつもシルバーのブレスレットがはめられていた。勇次が父親の店を継ぐと決めた頃、本格的に手がけた最初のブレスレットを一成にプレゼントしてくれたものだ。
『あんまりうまくないけどな』
勇次が照れくさそうに渡してくれたそのブレスレットはいまでは一成の体の一部のように馴染んでいた。
「ああ、例のブレスレットか…な~んだ。じゃ、僕はもうちょっと寝てからかえろ~っと」
一成の行動に一気に興味を失った洋平がカバンを放り投げた。まるで勇次の心づくしをバカにするような洋平の豹変ぶりに、一成は顔をしかめて怒鳴りつける。
「もういいだろ、俺は行くっ」
洋平は一成が足音高く廊下を遠ざかっていくのを耳にしながら、またごろりとソファに横になった。
「おこりんぼだねぇ、カズは」
浩一郎はどっちもどっちだと思いながら、ちらりと洋平を見ただけでまた手にした雑誌に目を落とした。
「ね、浩、どこだったら安全だと思う?やっぱ地球の反対側かな?」
「ん?何の話だ?」
浩一郎は最新の政治経済の特集から目を離さずに相槌程度にそう聞き返したが、洋平はその雑誌を浩一郎からもぎ取って、ソファの上で跳ねるように力説した。
「だから、天変地異だよ。カズがまるでナイト気取りで女の子守ってさ、カズとか呼ばれてんだよっ?これは一大事だと思わないわけっ?」
「洋平、人の読んでるものを横から掠めるのはやめろ、いつも言ってるだろう」
浩一郎は洋平に取り上げられた雑誌を奪い返すと、またぱらぱらとめくりなおした。
「それから、カズのこともあんまりからかうな。お前の言うようにすごいことだとは思うけどな、そこまで騒ぐつもりもカズの幸せを茶化すつもりも、まして壊すつもりも無い」
浩一郎は目当てのページを探し当てると、最後は洋平にきつくお灸をすえるように一睨みし、また雑誌へ視線をおとした。洋平はつれない浩一郎の態度に少し口を尖らせると、今度はソファにうつぶせてだらしなく腕をぶらつかせた。
「ちぇっ、浩は大人だね」
浩一郎はすっかりふてくされてしまった様子の洋平に小さくため息をつくと、雑誌の端から視線だけを覗かせて少し微笑んだ。
「洋平だってうれしいんだろ、本当は」
「嬉しくないよ。カズがおとなしくなったらつまんないじゃん」
口を尖らせぼやく洋平に、浩一郎は小さくため息をついた。実際浩一郎は一成の変化を喜ばしいと思っていた。いつも頑なに人との過剰な接触を避ける一成が、実に意外な人物に無防備な笑顔を向けていた。幼い頃から一成を知る浩一郎にとって、それは一成の暗闇にさすたった一条の淡い光に思えた。その光はすぐにでも掻き消えてしまうほど儚いものかもしれないけれど、浩一郎はそれにすがってみたかった。一成に差し込む光が彼女によってもたらされたものならば、是が非でも彼女には傍にいてやって欲しい、浩一郎はそんな風にさえ思っていた。
「そうふてくされるな。俺はまだ会ったばかりだけど、彼女との出会いがカズにとってよかったと思えるんだ。お前にもカズみたいにいい出会いがあるかもしれないだろ?」
「そんなのあったりまえじゃん。僕はいつも出会いを大切にしてるんだからね」
「そうだな、大事にしろ」
「ちぇっ、つまんないな…」
洋平は床にたらした指を物憂げに揺らしながら、リノリウムの床の継ぎ目を見つめそうつぶやいた。




