濡れ衣と警戒心
香箱座りの猫に似た雲が1つ浮かぶ、快晴に近い青空。降り注ぐ柔らかな陽光に瞼を刺激され、俺は穏やかな気持ちで目覚めた。
起き抜けに日向でまどろむ猫のような欠伸をし、屈伸運動を繰り返す。
吹き抜ける風に、水の匂い。
近くに川か沢があるはず。背嚢を背負い、風が吹き込んでくる方向へ数分ほど歩くと、大人の足で4歩ほどの横幅がある川があった。
歩きながら服や背嚢を脱いでいき、全裸で川へ。耐冷で冷たさを感じない真冬の川の水と石けんで体を清め、服も同様に洗う。
自分以外に清潔を付与できないのは不便だけど、こういう作業は意外と嫌いじゃない。
濡れた服と石けんにそれぞれ速乾性と凝固性を付与し、服の白さと石鹸の乾き具合に満足、したり顔で頷く。
「それはそうだけどさ……」
満足のため息を吐く俺の耳に、ふと人の声が飛び込んできた。振り向いた俺の目に、底の深い容器を手にした数人の男女が映る。
何かを議論しながら近づいてきた彼らも俺に気づき、その場で一斉に足を止めた。
まずい、この川は生活に使われているのかと考え、かつ自分が全裸であることに非常の気まずさを感じた俺は、顔を歪めながら低く唸り、ほうぼうに跳ねた髪をガシガシとかく。
「きゃーっ!!」
栗毛の少女と母親らしき中年女性が両手で顔を覆い、鋭く叫んだ。
これはまずい、ものすごく面倒くさいことになると、俺は大慌てで服を着ようと立ち上がる。
「アンタ、川で体を洗ったの? ちょっと……もう……勘弁してよ!」
中年女性が大股で近づき、大事な部分を片手で隠しながら慌てて服を拾い集める俺の目の前で大股を開いて立ち、腰に丸い手を当てて続ける。
「この川の水はねえ……そう、使っている人もいるんだよ! アンタの汚い垢とか何とかをみんなで共有しろって? え? まさか、小便なんてしていないでしょうね?」
ドスのきいた声。迫力満点で圧力をかける女性に、どうにか服を着終えた俺は素直に事情を説明した。
自分が旅人であること、数日ぶりに水浴びできそうな川を見つけたので、何も考えずに使ってしまったことまでを伝え、そこから反撃に転じた。
「で、でもですね。自由に使えない川なら看板か何かでそう教えておくべきじゃないですか? 僕のような旅人は内情なんて知らないんですよ」
「はいぃ? アンタさ、なに言ってんのよ? この森に入るとき、事務所で管理隊に説明されたでしょ!」
なるほど。どこかに管理事務所があったのか。まあ確かにそれが当然か。
壁があると飛び越えたくなるのは、国府から逃げ出したかった幼少期の影響だろうか。
女性の言葉から事態を察知し、俺は渋い顔でぼりぼりと頭を掻くが、それでも旅人である自分への説明が足りないからこうなるのだと、言わずにはいられなかった。
「いえいえ、僕はあの防護壁を越えたので、事務所は通ってません。第一、そういう決まりがあるなら県に入るときにしっかり伝えてもらわないと……」
意地を張っていたが、俺の声には少しずつ張りがなくなり、言い終えたころにはとてもバツが悪くなっていた。
分が悪すぎる。
中年女性は論戦に決着をつけんとばかりに俺へ理詰めで迫り、すぐに何も反論できなくなった俺が頭を下げる形になった。
「最初からそうやって素直に謝りなさいよ。壁を超えたなんて嘘ついちゃってさ。てか、ここは旅人が来るところじゃないし。今すぐ出て行ってよ」
俺は薄い唇を真一文字に結び、背嚢を背負う。
周囲を取り囲む県民たちの目に明確な敵意を感じながら、県民たちが来た道へと早足で歩き出した。
曲がり角にさしかかったとき、俺は猫のようにするりと竹藪へ。竹に身を隠し、聴力を付与。
300メートルほど離れた川で水を汲んでいると思われる県民たちの声に耳を澄ます。
「──なあ、あのガキだけどさ。あれ強念士だろ。あんなに幼いのに、なんか……線も細いのに、鎧みたいな筋肉だし、体じゅう傷だらけだったし。さらっと防護壁を跳び越えてきたとか言ってたしよ? 猫みたいな顔してやがるけど、実は危ないヤツなのかも。今からでも管理隊に通報したほうがよくないか?」
「アタシも同じこと考えてたよ。あんなのが街をうろついてちゃ、あたしたちの運気が下がっちまう。……ほら、当たりを引いちまったら……ねぇ。アンタは通報についてどう思う?」
「私もふたりに賛成だな。ここは早く切り上げるかな……おい、悪いが急いでくれるか!」
おやおや、これは話の流れがよくない方向に向かっているな。俺は嫌な予感に眉根をひそめる。
所在を知られているこの森から離れて街に戻り、俺の固有強念のひとつである、隠密を付与して人に紛れたほうがいいかもしれない。
とはいえ、県としての自分への対応の悪さの理由の一端だけでも耳にできないかと粘るが、彼らはそそくさと水汲みを終えてしまった。
各々が重い容器を抱え、ほんの数分しか関わっていないはずの俺の悪口をぺらぺらとまき散らしながら、苦々しい顔をした本人が潜む竹藪の前を横ぎっていく。
色々言われているが、主には、運気が落ちる、という懸念のようだ。
何だそりゃ。みんなで盛大な賭けでもしているのか。
結果、彼らの口から欲しい情報は出てこなかった。宿もなく、旅人に対する県民の態度もどこか冷たい。
この県は自分のような旅人を快く思っていないような気がしてならない。
それとも、自分が蛍石士であることが多少なりとも関係しているのだろうか……?
いずれにせよ、まずは街に戻ろうかとも考えたが、県令に会うからには、遅かれ早かれ管理隊と一悶着することになるよな。
だったら、人が少ないここで対応したほうが面倒な事態にならないかな。
できるだけ多くの人と会え、というテイワズからの指令が頭をよぎったが、どうせ、後で街には行くんだし。
そう考え直し、県民たちが通っていった道にあぐらをかいて座り込み、背中を重点的に伸ばす屈伸運動をしながら、管理隊の到着を待つことにした。




