巨大な気配
リビングでは、スポーンが朝食の準備にとりかかっていた。
俺は挨拶のあと、ハンモックの感想について嘘を言い、渋い表情で温かいコーヒーを飲みながら時間をつぶす。
黄金色の朝日が食卓を照らすころには、眠そうな顔の兄弟も顔を出した。
スポーンが用意したワイルドターキーの丸焼き、粉状にしたブルーチーズをまぶした採れたて青野菜のサラダ、チキンブイヨンスープを胃袋に詰め込む。
とにかく美味い。
恐らく少しニヤけていたかもしれないが、報酬のゴル入りの背嚢を背負い、兄妹に見せる意味もこめて、清潔を付与。
髪や服の汚れが消えていく様を、目を見開いて眺める3人に丁寧に出立の挨拶をした。
「あの……まだ早いですし、少しくらいなら、ここにいでもいいんでねえですか」
ホソーイの引き留めを断り、隠密を付与。最後にお礼を言って屋敷をあとにした。ここまで気持ちよく別れられるなんて、俺にしては人間関係を上手くやれたんじゃないか、そう思いながら。
まさに快晴、文句のない冬晴れ。夜露が朝の光を反射、輝く街を微風が巡っていく。
やるべきことを決め、俺の気持ちも自然と晴れていた。懐が温かいのもあるけど。
武器を受け取り、行事が始まるころを見計らい、県に戻る。
隠密で侵入してもいいし、それが難しそうなら、力づくでも構わない。
北門に向かって進む。ソロリの街には、異様な光景が広がっていた。
裸でベランダに立ち、腰に手を当て左右への反復運動をする一家、窓際で枯れた植物にミルクらしき液体を与える少女。外壁が白い家のドアを、黒いペンキで一心不乱に塗りたくる壮年の男性、路端で服を着せられた鳩をしめながらむせび泣いている少年。
どれも、昨日までは見られなかった光景。
これから始まる行事で、よい結果を迎えるための行動ってことか。こんな光景を10か月ごとに繰り返しているのだろうか。
この県は、異常だ。きっと、何かとんでもないことを隠しているはず。
入ってきた南側と同じく、10メートル近い高さの北側防護壁前。青白い顔のケロコンが俺を出迎えた。
「おはようございます、ユルさん。昨日はご足労頂き、どうもありがとうございました」
「おはようございます。ケロコンさん、ずいぶん顔色が悪いですね。もしかして、寝ないで待つように命令されてたんですか?」
「――いえ、蛍石士は県にとって大事なお客様です。何時に来ても対応できるよう、自主的に番をしていたんです」
自主的に、ねえ。とてもそうは思えないけど。
「そうですか。ところで、もう県を出ますので、武器を返してもらえますか?」
ケロコンが指笛を鳴らす。重厚そのものの鉄門が軋みながら左右に開き始め、両脇を針葉樹の森に囲まれた、急勾配の街道が目に入った。
「……わざわざ、県を出てから、ってことですか?」
いちおう聞いたが、このパターンもあるだろうな、とは思っていた。
どうせ、少し離れた場所に武器を置いているとか、そんな感じだろうと。
「はい。大変に申し訳ないですが、あなたに県内で武器を渡すのは危険と判断していますので」
「……ま、いいですけどね。あそうだ、言い忘れてました。滞在中の僕の行動で、何か賠償的なものが発生していた場合ですが、請求は国府長個人へお願いします。国府ではなく、個人宛で」
開いた鉄門の間を歩き、頭上へ向けて朗らかな声を出した俺の紺藍色の髪を、斜面を滑り下ってきた風がふわりと持ち上げる。
「こ、国府長にですか……わ、わかりました。お預かりしていた武器は、その街道を200メートルほど進んだところに置いてあります。今も盗まれたりはしていません。望遠鏡で監視していますので」
鉄門が元の位置に収まろうとする音が背後から響いた。俺はふんと鼻を鳴らし、振り返らずに街道を進み始める。
澄んだ水色が特徴のミスリル製の棍を、背嚢と背中の隙間、肩掛けベルト鞘に。幅広で木目状の模様をもつ短めの刀身が特徴の、ダマスカス鋼製の剣を腰のベルト鞘に納める。
山砂が敷き詰められた街道を5分ほど進み、感覚を付与。
意識を集中させるまでもなく、見られている感覚があった。
予想どおり、望遠鏡か視力付与で、俺の監視を続けているようだ。
街道の分岐路を右に折れ、脇の雑木林に素早く入り込んだ。
視線が途切れた。物理的に見えなくなったので、監視を諦めたんだろう。
開始時間は知らないが、全県民が参加する行事だ。強念で探れば、気づけるはず。
侵入までの時間は、数日ぶりに本腰を入れて体を動そう。ホソーイ兄妹との戦闘をしたくらいじゃ、体が鈍ってしまう。
右に剣、左に根を構え、深呼吸し、脚力、反応、腕力を付与。
左。次に右。瞬く間に左右の木が砕けた。宙に舞う6本の枝を剣で瞬斬し、後ろに向けて棍を突き、背後のナナカマドを粉砕。
体を反転させながら跳び上がり、折れ落ちてくるナナカマドの幹に剣を突き刺し、着地と同時、地面に転がるナナカマドを蹴り飛ばす。
剣を左斜めのイチョウに投げ刺した寸瞬後、表面に煌びやかな陽光を反射させた棍が、剣の刺さる木に穴を穿つ。踏み込みと共にイチョウから剣を抜く。
左斜め後ろの空気を斬り裂き、正面にある名も知らぬ大木の側面に棍を叩き込み、大木を粉砕。
降り注ぐ幹や枝に触れぬよう、風のようにすり抜けた。
「お次、お次」
少し乱れた息を整え、その場で四つん這いになり、肘を限界まで曲げては元に戻す運動を開始。いつもどおりに600回をこなし、小休憩として猫のように伏せて全身を伸ばす。
次、ふくらはぎと太ももの裏を接触させ、すぐに立ち上がる。これを繰り返す運動を300回。乱れた息を深呼吸で整え、もう一度猫のように地面に伏せて長く伸びをし、30分の鍛錬を締めくくった。
感覚と聴力で探るが、ソロリには変化がなかった。
もう1セット、同じ鍛錬を。とも考えたが、行事開始までは、水や燻製肉を食べつつ、体力を温存することを選んだ。
――感覚と聴力の相乗効果で、ソロリに異常な気配を感じたからだ。
このザワつく感覚はなんだろう、県全体を覆う、巨大な何かが蠢く気配……?




