月明かりと夜の狩人
2月の寒空の下、俺と獣人少女のシルゥは夜風がそよぐ月明かりの荒野で焚き火を囲っていた。
寒空、と言っても俺は基礎的な強念である耐冷を付与しているので寒さを感じないが、向かいのシルゥはボロボロの毛布にくるまっている。
獣人ではあるけど、毛皮に包まれているわけじゃないから、シルゥにとっては寒いんだろうな。
まあ、両耳と尻尾はふっさふさだけど。
で、シルゥは何か考えているんだろう、癖なんだろうが、耳が上下にピクピクと動いてる。
「ねえ、ユル。あたし、たまには焼きたての肉が食べたいよ。そーだ、今日これから狩りに行こうよ!」
そろそろ睡魔に顔を覗き込まれていた俺は、耳と尻尾をピンと立てたシルゥへ、かぶりを振って答える。
「シルゥ、もう0時近いですよ? お腹空いたなら、燻製肉で……」
「もう3日もそれしか食べてない! ユルなら獣狩りなんて一瞬で終わるじゃん。行こうよー」
返答なんてお構いなく、シルゥは俺の手を掴んで駆け出した。俺は火を消すために吐息を付与、10メートル離れた焚き火を吹き消した。
文句を言おうかとも思ったが、こうなったらシルゥは止まらない。
実際、今も全力全開の笑顔で鼻唄まじりに俺の手を強く引いている。
シルゥと出会ってまだ1ヶ月くらいだが、16年生きてきて、彼女のような人は初めてだ。
誰とも分け隔てなく接し、コロコロとよく笑う。なんなら、フォークが落ちただけでも笑うかもしれない。
いや、間違いなく爆笑する。
その距離感を最初は嫌っていた俺も、いつの間にかシルゥに合わせることが楽しくなり始めていた。
1ヶ月前の自分が今の俺を見たら、さぞや驚くと思う。
「ユル、何を食べようっ? はやく食べられそうなのを探して探して!」
獣が多く棲息するビヨン森林に勢いよく突っ込み、辺りをキョロキョロと見回しながら、シルゥが言う。
多分あれ、少しだけヨダレ出てる。
「視力を付与しますけど、シルゥだって夜目が効くでしょ? 耳や鼻だっていいんだし、一緒に探してくださいよ」
「ええー、あたし、ユルに見つけてほしいんだけどなぁー」
渋々ではあるが、シルゥが黙り、大きな両耳が小刻みに上下左右へ動く。
俺も視力、聴力、嗅覚を付与し、針葉樹の脇で周囲の匂いや音に意識を集中。
「あー! いる! 少し先に水場!」
シルゥの耳がピン、と上のほうへ。
どの獣なのか、微塵も情報共有がないけど、そんなことは慣れっこだ。
またもやシルゥに強く手を引かれ、俺は森の木々の合間を縫いながら、枯れ葉や腐葉土が積み重なった斜面を勢いよく駆け上がっていく。
登りきったところで視界が開ける。足元に広がる下りの斜面の先に、金色の月を水面に映す暗色の湖があった。
そのほとりで、4匹の獣が水を飲んでいる。
獣の名前は知らないが、外骨格からすれば、トナカイが獣化したのだろう。
4メートル超の巨体を支える四肢は、太い筋繊維で張り詰めている。耳元まで裂けた顎を持つ双頭、それぞれ2メートルはあろうか、複数に枝分かれした2本の鋭利な角。
1匹だけ離れた位置に立つ、見張り役と思しき個体が、勢いよく斜面を下る俺たちに気づく。
「ヴォォオォー!」
短く低い咆哮で仲間に異変を知らせる。向こうも空腹なんだろう、獲物の発見にブルルンと嘶き、角を構えた4匹が俺たちのほうへ突進。
「わー! 向こうもその気だ!」
シルゥが愉しげに叫ぶ。
名前や等級は知らないが、あの獣たち、シルゥが仕留めるのは難しいような気がするんだけどな。
俺は短いため息のあと、彼女の手を離し、脚力、腕力、剛性を付与。付与の証である琥珀色の閃光が瞬く。
俺は先頭をきって猛突進してくる獣の丸太のような左首に飛びつく。
驚いて止まった獣の背中へ、地面を片足で蹴ってするりと乗り、両腕に力を込め、獣の太首をあらぬ方向にへし曲げる。
腰のベルト鞘から国府から支給された、ダマスカス鉱製の剣を抜き、一閃。
右の首を胴体から切り離し、昏倒した獣から飛び離れた。
「わぁぁあー!」
後ろのほうでシルゥが騒いでいる。獣に襲われてはいない。単に、興奮の歓声をあげているようだ。
それは無視し、獣たちに向き直る。
1匹は高い咆哮と共に逃げていったが、残りの2匹は怒り狂い、双頭を上下に激しく振り、左右から俺に突進。
俺は剣を納めて腰を低く落とし、鋭利な角を左右の手で受け止め、そのまま角を掴み、2匹の側頭部を強く衝突させた。
右の個体が数瞬のよろめきから先に立ち直り、耳まで裂けた顎と牙で俺の頭部に噛みつくが、痛みも、傷もない。
その感触に驚いたのか、首を引いた獣の顎を蹴り上げ、宙に浮いた頭部と胴体を剣で斬り払い、血を払って鞘に収める。
まだ倒れている左の個体に両足で跳び乗り、背中の鞘から抜いたミスリル製の棍で側頭部をひと突きすると、獣は数回の痙攣のあとに呼吸を停止。
食料としては1匹だけで足りるが、戦闘の興奮でシルゥに攻撃が向かう可能性もあり、やむを得なかった。
内心で獣たちに詫びを入れ、シルゥを振り返ると、彼女は逃げて行った4匹めを追いかけ、斜面を駆け上がっている最中だった。
「あーもう! シルゥ! ダメですってー!」
ほんと、無駄に足が速い。いや、獣がうろつく環境を2人で旅しているのだから、悪いことじゃないんだけど。
苦労してシルゥには追いついたが、逃げた獣はさらに速かったようで、既に姿が見えない。
「ちぇっ……あの子も食べたかったのに!」
「焼きたてを食べたいんでしょ? 何匹も食べきれるわけないでしょ!」
「あたしの胃袋を見くびらないでよね! ふんだ! ハックシュン!」
何故か誇らしげに両腰に手を当て、俺の前で小さな胸を反らして見せる。そのあと大きなクシャミ。
獣との命のやりとりのあと、これだ。
落差で調子が狂うし、気がつくと笑ってしまう。
だけど、どれだけシルゥに振り回されても、不思議と嫌な気持ちにはならない。
ロクでもない幼少期を過ごした俺にとって、底抜けに明るい彼女は……なんて言うか、暖かい光のようで。
――食べる量について少しだけシルゥと揉めたが、俺たちは荒野に戻り、運んできた1匹を解体。
尖らせた木の枝に刺した肉を焚き火でじっくりと炙り、齧りつくと、思ったよりも臭みがない。肉汁が口の中いっぱいに広がり、とても美味だった。
猫舌のシルゥは熱い熱いと文句を連発していたが、最終的には大満足だったようだ。
ボロ毛布を頭から被り、顔を洗う猫のような仕草を繰り返している。
「あー美味しかったぁ! 命に感謝だねえ! あ、そだユル。そろそろ、あたしと会う前のキミについて、教えてよ!」
「いや、もう寝ましょうよ……」
「いやだ! だって、約束したもん。話してくれるって。今日、今聞きたい!」
言い出したら、ほんとに聞かない。
いい加減眠りたいけど、このあとモフモフ尻尾で顔を撫でられたり、手で体をユッサユッサと永遠に揺さぶられるくらいなら、先に話したほうがいいか……
俺は、詰め寄ってきたシルゥを手で制し、この旅に出るきっかけになった事件や、強念士になった経緯をシルゥに話して聞かせることにした。




