第四話 "庇護"
アンムルが薄く微笑みながらブレンの事を見ていると、部屋の外から2つの足音が聞こえてきた。
ブレンにも聞こえたのか、パッと振り向いてわなわなと震え始める。
「や、やべェ……!
全然片付けてねェ……!」
ブレンは慌てた様子で、地面に散らばる細かい木と石の残骸を大きな木片の傍へと集め始めた。
アンムルは手伝うためにゆっくりと立ち上がる。それと同時に、アスクと一人のふくよかな男性が部屋へと入ってきた。
「ブレン、こっちにこい」
アスクは部屋を見回してブレンを見つけると、ぶっきらぼうに呼びつけた。
大きな残骸の傍にいたブレンは立ち上がり、「うっす」と言いながら近づいていく。
「あー、まだ片付けれてないっす……」
アスクの前へとやってきたブレンは、頭の後ろへ手を置いて目を逸らしながら小さく呟いた。
「それはあとでやってもらう。
……というかどうして素手で掃除してるんだ。道具を使え道具を。怪我するぞ」
腕を組みながら答えたアスクに、ブレンは「確かに」と呟き、アスクは肩をすくめて首を振る。
ブレンは話を逸らすように、アスクの横に立っているふくよかな男性へと視線を移し、軽く頭を下げた。
「あー、ソヴァクさん、部屋を荒らしちまって申し訳ねぇっす」
ソヴァクと呼ばれた男性はアスクより一歩前へ踏み出して、ブレンの肩へと手を置く。
「気にしなくていい。
部屋なんて片付ければいいさ」
ソヴァクが一歩踏み出した瞬間、アンムルの強張っていた身体から力が抜けて、夢の景色のような安心感が身を包み込んだ。
もしかしてこれは夢なのだろうか。そう思って目を擦っていると、
「そんなことより、この子の怪我は大丈夫なのかい?」
ソヴァクが目尻の下がった黒い瞳で振り向いてきたので、アンムルは目を合わせないように俯く。
「折れていた骨も変に繋がってた骨も治した。
外傷は安静にしておけば治るだろう。
栄養もある程度は取らせたがまだ足りてない。
私はもう帰らなきゃならんから、お前らでたくさん食べさせておけ」
「分かったよ。
ありがとう、アスク先生」
ソヴァクのお礼を聞いたアスクはフンっ、と鼻を鳴らして「次はお前らが来い」と言い放って足早に去っていった。
去っていくアスクへと手を振っていたソヴァクは、アスクの姿が見えなくなったころに振り返り、アンムルの方へと近づいていく。
ソヴァクはアンムルの傍へと近づくと、視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「初めまして。僕の名前はソヴァク。
君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「……あんむる」
「アンムルか。いい名前だね」
貰った名前を口にすると、不思議と胸の中がじんわりと熱くなった気がする。
アンムルが不思議な感覚に戸惑っていると、ソヴァクは柔らかな声で名前を褒めてくれた。
名前をくれたブレンを見ると、腰に手を当てて胸を反らしている。
何をしているんだろう?
「……ん?
もしかして、ブレンが名付けたのかい?」
アンムルがブレンの方を見ていたからか。ソヴァクはブレンの方へと顔を向けて瞼を瞬かせた。
「いやぁ、分かっちゃうっすよね。
自分のネーミングセンスの高さが憎いっす」
「さすがはブレンだね」
「いやぁそれほどでも」と謙遜するブレンを微笑みながら見ていたソヴァクは、「これから名付ける時はブレンにお願いしようかな」と言ってから、アンムルの方へと顔を向けた。
「さて、アンムルくん。どこか痛い所はあるかい?」
痛い所は……特にない。
アンムルが首を横に振ると、ソヴァクは「もし痛くなったらすぐに言うんだよ?」と言ってきたので頷いておく。
「さて、大体はブレンから聞いているんだけど、君が倒れていた場所で何が起きていたのか教えてはもらえないかな?」
アンムルとしては否という理由は無いので、あの時何があったのかをぽつぽつと答え始める。
いつものようにご飯を探していたこと。
目を見られて追われて捕まえられたこと。
突然怪物が襲ってきたこと。
怪物から食べられそうになっていた時に、身体の中から温かな感触が溢れ出てきて風が吹き荒れたこと。
そして、足音から逃げようとして意識を失ったこと。
アンムルが全てを語り終えると、場は静寂に包まれた。
どんな反応をしているのかが気になってチラリとブレンを見ると、顎に手を置いて眉を顰めていた。
「話してくれてありがとう。
今までよく頑張ったね」
そう言いながら、ソヴァクは腕で抱きしめてきた。
アンムルは思わず振り解こうとするが、身体全体へ感じる温もりに動きを止める。
「もう大丈夫だよ。君の事は僕たちが守るからね」
その瞬間、今までの出来事が瞼に浮かんでは消えていく。
嫌悪の目で見てくる大人達。
『お前のせいで!』と言いながら、拳を振り上げてきた大人達。
せっかく手に入れた食べ物を奪っていく子供達。
そして、一人地面に蹲って、空から降ってくる水に当たりながら震えていた記憶。
瞼に思い浮かぶたび、身体全体を包む温かさに胸の奥が突き動かされ、目の前の景色が滲んでいく。
身体全体に感じる自分よりも大きな存在。
背中に添えられた大きな手のひら。
アンムルは口から漏れる嗚咽を隠すように、触り心地の良い黒い服へと顔を埋めた。目から零れる涙が、黒い服を濡らしていく。
どこか安心するような、不思議な感覚を覚えながら。
~~~~
アンムルの嗚咽が止まり、ソヴァクの服の一部がより黒く見えるようになったころ。弛緩した空気の中で、ぐぅ、という音が鳴った。
アンムルとソヴァクが同時に音の出所へと視線を移すと、頬を人差し指で搔いているブレンの姿があった。
「いやぁ、あはは」
「僕もお腹が空いてきたし、一緒に何か食べに行こうか」
ソヴァクは穏やかな表情をしながら立ち上がり、懐から四角い板を取り出した。
「俺、肉が良いっす!」
「はは、何でも好きなのを食べればいいさ」
「もちろん、君もね?」とソヴァクはアンムルを見ながら微笑んだ。
好きな物とは何だろう。分からないけれど、とりあえず頷いておく。
「はい、ブレンから選ぶといい」
「まじっすか!」
ソヴァクは手に持っていた四角い板をブレンへと手渡す。
受け取ったブレンはアンムルの方へと近づいてしゃがむと、「一緒に見ようぜ」とアンムルの目の前に四角い板を差し出してきた。
「わぁ……!」
板の中に見えたのは、まるで本当に目の前にあるかのような、一瞬を切り取って張り付けたような不思議な光景。
「すげェよな。俺も最初見た時はびっくりしたぜ」
ブレンが指を動かすたびに、画面の中に見える物が次々に変わっていく。
細い物体にピンク色の小さい肉っぽいものが乗せられたもの。器の中に満たされた白い液体。白い虫の集合体の上に乗せられた茶色い物体。
次々と上から下へと流れていた不思議な光景は、1つの場所で止まった。
それは大きな肉の塊のようだ。中身が少しピンク色で周りの色が少し茶色い。
「俺はこれにするけど、何か食べたい物はあるか?」
食べたい物ということは、今流れていた物は全て食べ物と言う事だろうか。
だとしたら何も分からないので首を横に振ると、「じゃあ俺と一緒のにしようぜ。めっちゃ美味いからさ」と言ってくれたので首を縦に振る。
「ソヴァクさん、決まったっす」
ブレンは立ち上がって四角い板をソヴァクへと手渡すと、ソヴァクは少し指を動かしてから胸ポケットへと収納した。
「食べ物が来るまでにこの部屋を少し片づけようか。
掃除道具を持ってくるから待っていてね」
「いやいや、俺が持ってくるっすよ」
部屋から出ようとしたソヴァクはブレンの言葉に振り向き、「ブレンはアンムルの傍にいてあげてほしいな」と言って部屋から出て行った。
ソヴァクの後姿が見えなくなったころ。ブレンがアンムルの横へとやってきて肩に腕を回してきた。
「なあ、写真撮っていいか?」
「しゃしん?」
アンムルは聞いたことのない言葉に首を傾げる。
「写真ってのは、さっきの料理の絵みたいなやつだな」
「……?」
また知らない言葉が出てきたので首を傾げていると、ブレンが「見た方が早いな」と言って、懐から黒くて四角い箱を取り出した。
黒い箱の表面には丸く出っ張った部分があり、反対側には四角く区切られた部分がある。
これはなんだろうと思っていると、ブレンが頬の当たるくらい近い距離まで顔を近づけてきた。そして丸く出っ張った部分をこちらに向けて掲げると、カシャッ、という音が黒い箱から聞こえてきた。
ブレンが黒い箱を近づけて反対側が見えるようにすると、そこに映し出されていたのは笑っているブレンの姿と、灰色の髪に変な瞳の色をしている子供の姿だった。
「えっ」
子供の横にいるのはブレンだ。
じゃあこのブレンの横にいる子供は……自分?
「これはカメラって言ってな。こんな感じに写真を撮れるんだ」
ブレンがカメラのどこかを押すと、ブレンとアンムルが映っていた場所には違うものが映し出されていく。
器に入った白い液体や大きな肉の塊。一面が真っ白な場所や空に浮かんで淡く光る丸い物体。
まるで一瞬を切り取ったような不思議な光景に、アンムルは食い入るようにカメラを見つめる。
「きれい……」
「だろ? アンムルもこういうの好きか?」
カメラを見ながら小さく頷く。
カメラがその場の世界を切り撮るなら、カメラに映る景色もどこかにあるんだろう。
いつか見に行きたいなぁ。
「じゃあ飯食った後にさ、俺のお気に入りの所へ連れてってやるよ」
ほんと? とブレンへ問いかけると「おうよ」と誇らしげに答えてくれた。
実際に見ることができるなんて。
……楽しみだなぁ。
アンムルが楽しくカメラに映る様々な世界を見ていると、足音と共にソヴァクが部屋の中へと入ってきた。
ソヴァクは片手に先端へ細かい毛みたいなのが付いている棒を2つ持ち、もう片方の手には取っ手の付いた変な形の箱を持っている。
「二人とも、手伝ってくれないかな?」
「任せてくださいっす」
ブレンはソヴァクの方へと近づいて棒を受け取ると、毛の付いた方で床を掃き始めた。
「アンムルもおいで」と言われたので向かうと、四角い箱──ちり取りというらしい──を手渡された。
何をすればいいのか戸惑っていると、ソヴァクが使い方を教えてくれたのでそれに従う。
取っ手を持ちながら床に置いて、ソヴァクとブレンが棒──箒──で集めてきた残骸をちり取りの中へと入れていく。
床から細かい残骸が見えなくなったころ。入り口から規則正しい足音が聞こえてきた。
部屋へと入ってきたのは、腰まで届く金髪をサラサラと揺らしながら、背中で腕を組んだ長い耳が特徴的な人物だった。
「ソヴァクさん、お食事が届きましたよ」
ソヴァクは扉の方へと振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。
「おお、ありがとうイリール。
イリールも一緒に食べないかい?」
イリールと呼ばれた人物は落ち着いた声で「私はもう食べ終えましたので」と片手を胸に当ててお辞儀をする。
ソヴァクは「それは残念」と優しく微笑み、アンムルとブレンの方へと振り向いた。
「じゃあ行こうか」
「うっす!」
出入口へと近づいていくソヴァクとブレンを眺めていると、ブレンが振り返って掌を差し出してきた。
「ほら、いくぞ」
アンムルは光のように笑うブレンに薄く笑みを溢し、差し出された掌へと手を伸ばす。
ブレンは優しく手を握ると、アンムルの横へとやってきた。
共に部屋を出て廊下を歩き、たまに後ろへ振り返ってくるソヴァクとイリールに二人で一緒についていく。
ブレンが今までに撮った写真の話に耳を傾けながら。
~~~~
イリールとは途中で別れ、白い廊下を歩いてやってきたのは質素な部屋だった。
扉から一番遠い場所には仕事机が置かれており、部屋の真ん中には四角くて背の低い机と柔らかそうなソファ。壁一面には本の詰まった棚が置かれている。
真ん中にある机には袋が置かれており、アンムルはブレンに連れられて共にソファへと座る。
ソヴァクは対面のソファへと座って袋から2つの容器を取り出し、「これが2人のだね」と言いながらブレンとアンムルの前へと置いた。
ブレンが「あざっす」と言いながら2つの容器の蓋を外すと、湯気が立ち昇る等間隔に切られた分厚い肉が見えた。
ブレンはソヴァクから鈍色に輝くフォークという物体を受け取ると、肉へとフォークを突き刺して豪快に噛り付く。
アンムルもソヴァクからフォークを受け取って握りこむと、パキッ、という音が部屋に響いた。
手のひらを開いてみると、そこには持ち手の途中から割れているフォークがある。
「……え?」
何故壊れたのかという困惑。壊してしまったという罪悪感に動けないでいると、ブレンが「怪我してないか?」と心配そうにアンムルの手のひらを触ってきた。
怪我をしていないことを念入りに確認したブレンはホッと息を吐いて、フォークの残骸を回収して袋の中へと放り込む。
「早いっすね」
ソヴァクはブレンの言葉に「そうだね」と返事をしてアンムルに視線を移し、手に持っていた新しいフォークを持ち手がアンムルへと向くように差し出した。
「いつもより優しく握ってみて」
言われた通りに持ち手を優しく握ると、今度は折れることなく持つことができた。
どういうことだろう? いつのまにか力が強くなっているということだろうか? アンムルは自分の手のひらを不思議そうに見つめる。
するとアンムルが疑問に思っていることに気が付いたのか、ソヴァクがゆっくりと答えを言い始める。
「魔法使いと呼ばれる人物は、魔法を使えるようになった時点から身体能力が増す傾向にあるんだ。
だからアンムルは普段通りの力で握ったはずなのに、フォークが簡単に折れたんだろう」
アンムルは思い出す。自分の首を掴んでいたアスクの腕が全く力んでいなかったことに。
一切の力みなくあの強さだ。あれが身体能力が増すということなのだろう。
「恐らく今後も力の強さは増していくはずだから、しばらくはなんでも優しく触るようにするんだよ」
ソヴァクの言葉に頷くと、「いい子だね」と言いながら大きな手のひらで頭を撫でられた。
なんだかとても嬉しい。
「さて、とりあえずご飯を食べようか」
ソヴァクは懐から取り出した細い箱の中から二本の棒を手に取り、目の前にある容器の中にある野菜へと手を付けた。
ソヴァクの言葉と共にブレンも食べるのを再開し始めたので、アンムルも自分の前に置かれている容器に入っている肉を、優しく持っているフォークで突き刺した。
突き刺した瞬間、中から肉汁があふれ出し、天井の光が反射して光り輝く。
目の前へと持ってくると、香ばしい食欲をそそる匂いが漂ってくる。
口内に唾液が溜まるのを感じながら、肉を一口だけ齧ってみると、肉は厚さの割には簡単に噛み切ることができた。
そして、噛み切った瞬間に口の中へ広がるのは、今までに感じたことのない旨味とピリッ、とした痛み。痛みが味になっているという不思議な感覚。
「うめェか?」
アンムルが初めて感じる美味しさを堪能していると、ブレンが肉を頬張りながら問いかけてきた。
当然ながら美味しいため肉を小さく齧りながら頷く。
その後も食べ進めて三割ほどの肉を食べ終えたころ。先に食べ終えたブレンが、まだ食べているソヴァクへと話しかけた。
「ソヴァクさん、後で外に行ってきていいっすか?」
ソヴァクは二本の棒──箸というらしい──で野菜を器用に掴みながら、ブレンの方へと視線を向ける。
「外? いいけど、どこへ行くのかだけ教えて貰えないかな?」
にこやかに微笑みながら問いかけるソヴァクに、ブレンも笑顔で答える。
「丘の上っす」
「あそこか。アンムルには辛いんじゃないかな?」
丘の上というのがブレンのお気に入りの場所なのだろうか。そんなことを考えながら、アンムルは小さな口で肉を食べ続ける。
「俺がおぶるんで問題ないっす」
「そっか。安全だとは思うけれど、念のため気を付けて行くんだよ」
「うっす」
ソヴァクは会話を終えると、二本の棒で挟んでいた野菜を口に含んだ。
二人の会話が終わって少し経った後。アンムルが肉を食べ進めていると、カシャッ、という音が耳に入った。それはブレンのいる方向から聞こえてきた。
視線を移すと、こちらへカメラを向けているブレンの姿が見える。
アンムルがどうして写真を撮ったのかと首を傾げると、ブレンは「俺の事は気にせず食っててくれ」と言い、もう一度カシャッ、という音をカメラから鳴らした。
気にしないで良いとのことなので、横から聞こえてくる音を無視して肉を頬張る。
ソヴァクが食べ終えてしばらく後。アンムルも食べ終えると、ソヴァクが容器を袋の中へと入れて、部屋の隅っこにあった箱──ゴミ箱──へと優しく入れた。
ソヴァクがゴミ箱へと袋を入れている間に、ブレンは布を手に持って机を拭いている。
ブレンは机全体を拭き終えると布を折りたたんで机の上に置き、座って見ていたアンムルに「立てるか?」と囁いてきた。
アンムルが頷きながら立ち上がるとブレンに手のひらを優しく握られたので、アンムルも優しく握り返す。
「そんじゃ行ってくるっす」
「ああ、気を付けてね」
小さく手を振るソヴァクにアンムルも小さく手を振り返すと、ソヴァクは「いってらっしゃい」と言いながら優しく微笑んだ。
「夜には帰るっすー」と軽く言うブレンと一緒に、アンムルは扉を潜って廊下へと出る。
「そんじゃ行くか。そこそこ遠いから辛くなったら言えよ?」
アンムルが頷くと、ブレンは太陽のような笑みを浮かべてアンムルの手を握り直し、先導するように少し前を歩いていく。
ほとんど横並びで歩きながら、アンムルは期待で心がわくわくするのを感じていた。




