43 追跡者
ギザギ十九紀14年12月9日の夜が明ける。
ボダイ異世界人管理所の外は白み、少しずつ人や馬車の音が届く。
ショウはゆっくりと目を開け、体にかかる重みにもがいた。彼の前にはアカリが、横にはシーナが寄りかかって眠っていた。まずはシーナを横に倒し、アカリは揺さぶって起こす。寝ぼけながらも体をどかすアカリと自分の間に、通信水晶球が落ちていた。
ショウは慌てて確認するが、着信を知らせる明滅はなかった。
「そううまくはいかないか……」
連絡が来るともかぎらない。相手は異世界召喚庁のトップである。一異世界人になど、かまってはいられないだろう。
どうしたものか、と悩むショウのまわりで仲間たちが起きだす。「おはよう」とあくびをしながら体を伸ばしている。
ショウはそんな様子に和んだ。一人で悩む必要はなかった。仲間と相談して解決していけばいい。そう思うと心に余裕ができた。
「みんな、まだ連絡はない。早いけど朝飯にしよう。それからもう一度、対策を練ろう」
「ふぁぁ~……そうね……」
アカリがあくび混じりに返事をした。寝ぐせがついて髪が跳ねまわっている。
「食いに行くのメンドクセー……。何か買って来てくれ……」
マルは丸めた毛布を抱き、コテンと倒れた。ショウは確信する。マルは抱き枕派だ!
「ショウ、おぶって~」
シーナが寝ぼけながら襲い掛かって来たので、ショウは反射的に掌底を彼女の頬に当てていた。「うぎゅっ」という声が漏れた。
その中で、ゲンシローだけは背筋を伸ばし、愛刀を腰に差した。
「だらしない。シャキッとせんか」
「おまえが一番まともだとは……」
ショウの笑みは乾いていた。
「おはようございます」
玄関扉を開けてエスポアが入ってきた。出勤にはまだまだ余裕のある時間であったが、心配になって早めにやってきたのだ。皆の姿を見て驚き、それから微笑んだ。
「仲良しですね、みなさん」
一同は顔を見合わせ、微妙な表情を浮かべた。
「そうそう、お客様をお連れしました。ショウさんにです」
「オレにですか……?」
心当たりがない。しいて言えば、コッパー兵士長であろうか。ルカについて、また何か聞きに来たのだろうか。
予測は外れた。相手は男ですらない。
「いやー、久々に来ると忘れてるもんだねー。こんな狭かったっけ?」
ショウは聞き覚えのある声と口調に耳を疑った。そして彼女が姿を見せると、目も疑った。
「ミコさん!?」
「よ、少年。こんな早く再会するとは思わなかったよ。せわしないねぇ、まったく」
バルサミコスは右手を振ってウィンクした。
「どうしてここに……?」
「あれ、聴いてない? 明け方には連絡するって言ったんだけど」
「え? え? だってあれ、アリアドに伝えてもらって――」
「そんときちょうどアリアんとこいてさ、わたしが代わりに受けたんだよ。ショウちゃんもパーちゃんも知ってるしさ」
「パーちゃん? アリア?」
「パーザ・ルーチンちゃんとアリアドちゃん。顔馴染みなんだよね。言ってないっけ?」
「聴いてないです! 何です、その最強コンビ!?」
「ん? アリアはパーちゃんのこと知らないから、コンビじゃないよ?」
「そういう問題じゃない!」
「あー、それだよー。打てば響く! いいねぇ、ジーンと来るよ」
バルサミコスは感動に打ち震えた。
「ちょっと、もしかしてミコさんて……」
アカリがショウをつつく。シーナたちも突然の展開についていけずに呆然としていた。
「ああ、この人が山でオレを助けてくれた人。ミコさん。レベル20の大先輩」
「いにゃ、あれから久々にレベル処理したら54になった」
バルサミコスがVサインをする。
「「ご、じゅう、よんっ!?」」
「いやぁ、溜まりたまって54レベル! なんかランキング1位なんだって。すごいねぇ、わたし」
「自分でいうか!」
ショウのツッコミに、彼女は涙さえ零す。
ランキング1位には理由がある。ランボ・マクレ―などの古参の召喚労働者はレベルに興味がないのでステータス・カードの更新をしていない。その結果、彼女がもっとも高くなっていた。もし、第一世代を含めた召喚労働者がレベル更新をしていれば、ランボ・マクレーが圧倒的トップをとるであろう。雨宮武志郎は召喚されたとき以外にギザギ国での活動がないので、レベルとしては下になる。
「なに言ってんだ、コイツ。胡散臭すぎんだろ」
マルがバルサミコスを下から睨みつける。彼は相手が先輩であろうと、尊敬に値しない者には敬意を表さない。
「ほれ」
バルサミコスは首もとを叩き、虹色のステータス・サークルを出し、名前の部分を隠してマルに見せた。
「すんません、ミコ先輩! デカイ口、叩きました!」
マルは直角に頭を下げる。それでショウたちも疑うのをやめた。アリアドやパーザ・ルーチンと顔見知りであっても不思議はない。それだけの年季と経験が数値となって表れている。
「よいよい。その狙ったような反応、あっぱれじゃ。……さて、本題に入ろっか」
バルサミコスはショウたちを見渡した。なかなかに面白そうな顔がそろっている。
「はい。いろいろと訊きたいですけど、まずは――」
「そう、まずはこれから」彼女はショウの言葉を遮って話を進めた。
「キミが泣くほど会いたかったのはどっちかね?」
「ブフッ」
ショウは噴いた。
「赤毛の子? 栗毛の子? 絶対ナンタンに帰るーって駄々こねて大変だったんだから」
「ミコさん!」
ショウの妨害は間に合わず、シーナが真っ赤になる。
「まぁ、知ってんだけどね。くぅ~、うらやましい! あの男も彼女くらい純真だったら……!」
バルサミコスがベンチを叩く。一同、彼女にもいろいろあったのが察せた。実感がこもっていて、声がかけづらい。
その慰めになるか、マルがさらりと言った。
「でもねーぞ? こいつ、他の男といたし」
「マル!」
シーナが噛みつくが、出た言葉は取り消せない。
「なにそれ面白そう! ちょっと詳しく!」
「さらに最低なのがショウのほうで――」
「少し黙りなさい」アカリがニコやかにマルの口を握りつぶす。おしゃべり少年は本気で痛がり、激しくうなずいた。
「いいかげん話を進めてくれないかしら?」
「ちぇ、しょうがない。真面目にいきますか」
アカリのニコやかな睨みを受け流し、バルサミコスは息を吐いた。手近な長椅子に腰を下ろす。皆もそれぞれに席に着いた。
「確認からいこうか。ルカという少年が行方不明になったんだよね?」
「はい、昨夜です」
「彼を探すのにアリアの力がいるって、そこがわかんないんだけど? フツーに探せばいいじゃん。パーちゃんに頼んで位置情報をもらうとか」
「……」
ショウたちは顔を見合わせた。しかし、黙っていても話は進まない。それに、ショウはミコの力を知っている。頼ってもいいのだろう。
「……あいつ、東京へ行ったと思うんです」
「トウキョウ? 日本の首都の?」
「はい」
「ふむ」バルサミコスにとっても想像の外であった。11号素体が単に暴走しているのだろう、くらいに考えていたのだ。なるほど、アリアドが位置を掴もうとしても失敗したわけである。
その11号素体に【強制誓約】を受けていたアリアドは、ミコの要請に応じてやってきた異世界人管理局・局長レナの力も借り、術を解除して今は正気に戻っている。
「まさかの展開。さすがに予想外だわ」
「なんです?」
「いんや、こっちの話。ちなみに、彼女はなんで東京に?」
ミコの様子を訝しんでいたショウは、その三人称を聞き逃さなかった。
「彼女? ルカは男ですよ? さっきはちゃんと少年と言いましたよね?」
「あ……」
ミコはしまったと思った。
「ミコさん、やっぱり何か知ってるんでしょ? でなきゃこんなところまで来ないし、アリアドのところにもいなかったはず」
「いやぁ、鋭いねぇ、キミは。……あの子が女の子だったのは知ってたよ。キミたちが大イノシシを斃したときからね。上から見てたし」
「見てた……?」
「それは今はいいでしょ」脱線しようとしたショウを遮って、アカリが前に出た。
「あのときのルカはまだ普通に男だったわよ? なんでわかったの?」
「それも今はどーでもよくない? まずは探すのが優先だよ」
ミコがアカリの問いを流す。アカリは「……わかったわ」と不満げに引き下がった。
「それじゃ、さっき東京と言ったけど、なんで?」
「そこしか思いつかないんです」
「その根拠を訊いてんの。アリアに頼むにしても、確証もないんじゃ無理だよ」
「えーとですね――」
ショウが順を追って話そうとしたところ、バルサミコスの腰のポーチからメロディが流れた。ショウとシーナはそれに聞き覚えがある。プロレスラー長州力のテーマ曲『パワーホール』だった。
「ちょっとごめんね。……はーい、もしもーし、ミコちゃんだよー」
バルサミコスはポーチから通信水晶球を取り出し、覗き込んだ。ショウたちはまたも驚く。通信水晶球を個人所有しているのは、よほどの金持ちか特権階級だけである。反面、レベル50を越える彼女なら納得もできる。
「……え、なに? うん。……本当に? わかった、すぐ戻る」
通信を切ったミコは、今までのような緩い顔をしていなかった。どうしたのか訊ねるのも憚られた。
「ルカの居所、わかったよ。キミの予想は大正解。もう東京へ着いてるかもしんない」
「……!」
「今のはジョンから。あの遺跡に彼女が来たって。そして消えたそうよ。おそらく東京へ行ったんだろうね」
「え、なんでそうなるんです? だって、あの遺跡って――」
ショウの当然の疑問にバルサミコスは答えなかった。自身の思考が優先されていたからだ。
「いろいろメンドクサイことになっちゃったな。これでアリアにもバレるよ……。まったく、どうしたものかな。ていうか、なんであそこがバレたの?」
バルサミコスは真顔でボヤいた。ボヤくしかなかった。
「ミコさん、ルカを追いかけることはできないんですか!?」
「そうだね。まずは彼女をとめるのが先決か。どのみち、彼女は連れ戻さないとならないんだから」
「はい!」
ショウは力強く返事をする。バルサミコスは好ましく思うが、彼女と少年とでは連れ戻す意義が違った。それも今は後回しである。その前にやるべきことが山積していた。
「それじゃジョンのところへ戻るとしようか。行くのはショウだけ?」
「あたしは行くわよ」
「わたしも」
「ルカを捕まえんだろ? 当然いくぜ」
「オレも行こう。役に立つか、わからんがな」
五人がバルサミコスを見た。
「結局、全員ね。んじゃ、簡易転送魔術陣のほうがいいか」
バルサミコスは五人に出発準備を急がせ、自分はベンチをどかして光る石を並べた。12の石が、大きな円を描くように置かれる。中心に彼女が立ち、一同を内側に入るようにうながした。
「円からはみ出ないでね。なくなるから」
バルサミコスの忠告に、ショウたちは必要以上に押し合う。
「レックスさんたちに伝えてください。お世話になりました、また来ます、と。エスポワさんも、いろいろありがとうございました」
「はい、お気を付けて」
ショウのあいさつに管理所事務員は笑顔で応えた。アカリたちも次々と礼を述べていく。その途中でバルサミコスの術が発動し、六人は消えた。残された石は割れ、光を永久に失った。
その少し前、遥がゲートを作動させて消えた直後、ブルーはジョンとピィのもとへ戻った。
「あの女はどうしました?」
ジョンは壁にもたれたままだが、意識もあり、言葉もしっかりしている。
「……地下深くの怪しげな部屋で消えた」
ブルーは未だ去就がつかない。バルサミコスとジョンは隠し事をしていた。善意なのか、悪意なのか、ただの無関心なのか、理由は知れない。一方で、弟子として鍛えられていた。そのときのバルサミコスたちには裏表がなかったようにブルーは思えたし、感謝もしている。その複雑な感情が顔に出ていた。
ジョンは彼の言葉と表情に察した。
「……見たのですね?」
「見た」
「そうですか。仕方ありませんね……」
ジョンは力を込めて立ち上がった。怪我は治ったが、その代償に体力が消耗している。しかし目には力があり、ブルーは一歩退いた。
ジョンは彼に背を向け、奥の部屋へ向かった。自分の荷物から通信水晶球を取り出す。
ブルーはまだ行動に踏み切れなかった。
「どうした?」
ピィがブルーに近寄り、問いかけた。
「……ヤバイと思ったら逃げろ。一人で、全力でだ」
「……わかった」
ピィは理由は問わない。ブルーとは長い付き合いである。
ジョンはバルサミコスと通話をしていた。状況を簡潔に説明し、通信を終える。
「ミコ様が戻ってきます。お二人はどうしますか? 今ならまだ、ここを離れられますよ? わたしはご覧とおり、動くのもままなりませんからね」
ジョンは疲れたように座り込んだ。舌を出して呼吸を整えている。
ブルーは考える。頭をガリガリと掻き、唸りながら。それをピィは黙って見ていた。
「……あー、クソっ。わかんねーよっ。わかんねーときはどーすりゃいい?」
ブルーは能面のまま自分を見ているチビ魔術師に訊いた。
「考えない」
「だなっ」
ブルーは鼻息荒くうなずき、自分の水筒を拾った。ジョンのもとへ行き、それを差し出す。
「……ありがとうございます」
ジョンは彼の意外な行動に返事が遅れた。彼は間違いなく立ち去ると予測していたのだ。そういう計算で動く男だと思っていた。どうやら自分の観察眼もあまり頼りにはならないらしい。
「なぁ、事情くらいは聴かせてくれるよな?」
「ミコ様しだいですな。彼女の命に係わることですから」
「命……。あれか、疑似体の寿命ってヤツか」
「はい。彼女は肉体が崩壊する前に、どうしても帰りたい場所があったのです。そこに行きつくための旅でした。その答えがここにあったのです」
「帰りたい場所か……」
「あとはミコ様が語るか、沈黙を保つでしょう。その結果、情報漏洩を恐れてあなたたちを処分する可能性もあります」
「そんときは倒すまでさ」
ブルーはニヤリと笑った。師がラスボスというのも、ゲームみたいでいいではないか。『インフィニティ・ハーツ』あたりでやりそうな展開だなと彼は思った。彼は知らないが、そのネタはすでに前作で使われていた。
「師の屍を越えて往く」
ピィも鼻息が荒い。
ジョンは呆れ、そして大声で笑った。なるほど、人間とは面白い。コボルドの戦士にはない思考であった。だからこそ彼自身もバルサミコスに付いて村を出たのだ。どんなときも冗談を飛ばして笑う彼女に、魅力を感じて。
「そんなに面白かったか?」
「バカウケ」
ブルーは憮然とし、ピィはいっしょになって笑う真似をした。
そこに光の柱が立ち昇り、六人が現れた。
「……ショウ?」
「ブルーさん!?」
二人とも呆気にとられる。何がどうしたら、こんな再会をするのだろうか。
そんな思考は一瞬で消えた。ショウはブルーに駆け寄り、満面の笑顔で「お久しぶりです!」と声量マックスであいさつした。石壁のホールにその声は響く。
「ウルセェよ! ……よくもまぁ、生きてたな」
「はい! 探してくれていたと聞いて、何度もギルドに行ったんですけど、結局会えなくて!」
「ああ、ずっとここにいた。で、おまえが助けられていたのも聴いた」
「ミコさん、さっき教えてくれればよかったのに……」
ショウがバルサミコスに批難がましい目を向ける。対してバルサミコスは「そんな暇なかったでしょ」と彼女らしくもなく素っ気ない。
「弟子一号」
ショウの前にピィが進み出る。
「ピィさんも、いろいろありがとうございました。ご迷惑をかけてすみませんでした」
「……」
ピィは答えず、少年の体を叩いた。無事を確認するように、ぺちぺち、ビタビタ、バシバシとだんだん強くなる。
「ちょ、待って。ホントに痛いんですけど……!」
ショウが訴えると、ピィはハッとして動きを止めた。その顔は真っ赤で、涙目であった。鼻水も少し垂れている。
「ピィさん……?」
ピィの初めて見せる感情が現れた顔に、ショウはぎょっとした。
ピィは気付き、慌てて隣のホールへと逃げていった。
「マジか、あいつ。泣いてんの初めて見たぞ……。あんとき言ったのは冗談じゃなかったのか……」
ブルーも驚いている。まさか彼女がそこまでショウを心配していたとは思いもしなかった。
「泣いてない」
ピィが壁に半分隠れながら訴える。
「ウソつけ」
「泣いてないっ」
「……わかった、おまえは泣かない。おまえは強い子だ」
「ピィ、泣く理由がない」
戻ってきたピィは、いつもと同じ能面であった。
「さて、再会のあいさつはいいわね? ジョン、報告」
バルサミコスがタイミングを計って相棒をうながした。彼女の声は硬質のままだ。
ジョンは立ち上がろうとして失敗し、バルサミコスにも止められてそのまま話しはじめた。彼の報告の後、遥を追いかけたブルーが、地下深くの部屋でルカが消えたこと、目的地が東京と言ったことを付け加えた。
長くもない説明を受け、ショウたちは理解が追い付かず戸惑いの表情を浮かべた。
「……つまり、ルカはここをショウから聴いて知ったと。それで奥の召喚門を作動させて東京へ行ったわけね」
この場の最上位者であるバルサミコスが頭を掻きながら突き放すように言った。その苛立った眼がショウに向けられる。
ショウは瞬間的に体をビクつかせた。頭の中でいくつもの言い訳が浮かんだ。あの流れで秘密にしておくのは難しく、まさかこのような結果になるとは想像もできなかった。だからといって秘密と誓ったものを話してしまったのは、あきらかな背信である。頭を下げるしかなかった。
「すみません! オレが、約束を破ってルカに言いましたっ」
「……」
バルサミコスの眼は冷ややかである。
「あやまってもどうにもならないよ。わたしが甘かったんだ。もっと徹底すればよかった」
バルサミコスからは普段とは違う気配が漂っていた。少年は身動きも取れず、最強異世界人が一歩ずつ近づくのを待つしかなかった。ショウにはバルサミコスがなぜ殺気を纏うほど怒っているのかわからない。彼女にとって『秘密の約束』とはそれほど大事なものだったのだろうとしか考えつかなかった。
嫌な雰囲気に、ブルーとピィが間に入ろうとした。アカリやシーナ、ゲンシローまで、ミコの表情に寒気すら覚え、駆け寄る。
が、彼女の接触のほうが早い。
そして、彼女は跳ね飛ばされた。
「銀!」
銀狼がショウの匂いを嗅ぎつけ、浅い眠りから目覚めてダッシュしてきたのである。その途中で、これまで餌をあげたり毛づくろいしたりと可愛がっていたバルサミコスを眼中にもなく吹っ飛ばしたのだ。
「「デカッ!」」
アカリたちが巨大な犬に驚く。以前、斃した大猪とタメを張る巨体だ。それにショウが包まれている。笑い声が聞こえた。
「……懐かれてんの?」
「そうみたいだね。いいなぁ……」
「オレも混ぜろっ」
「いい毛並みだ。襟巻によさそうだな」
アカリたちがショウと銀狼に近づく。銀狼は触れてくる彼らに抵抗はしなかった。全員からショウの匂いがする。
「だいじょうぶですか、ミコ様!?」
ジョンが壁に激突した彼女の様子をうかがう。
「あンの犬ッコロ、餌をやった恩も忘れて――!」
頬をヒクつかせ、めり込んだ壁から這い出るバルサミコス。しかし言葉が終わる前には険が失われ、やがて、自嘲の笑みがこぼれた。その視線はたった一点、仲間と銀狼の中心で笑う少年に向けられていた。
「……ダメだな、わたしは。たかが約束の一つや二つ破られたからって……」
一部に英雄と称される『放浪の魔剣士』が悔しそうにうつむいた。
「ですが、それが局面を大きく変えるものとあれば、彼の過ちは許されざるものです」
ジョンは彼女の心境の変化についていけない。安易に秘密をばらされて憤るのは当然であり、罰しようとするのも自然であろう。だが、今、目の前にいる人間は、そんな感情を否定して嘆いていた。
「……違うんだよ。ホントはそんなのどうでもいいんだ。むかーし、ちょっちイヤなことがあったんだよ。仲間が決まりを破って独断先行しちゃって、全員が危ない目にあったんだ。うち一人は、二度と立つこともできない大ケガをした。そうなっちゃうとさ、仲間同士でももめちゃうんだよ。そんでみんなバラバラになっちゃった。それは当然なのかもしれない。でも、今でも思うんだよ。なんであのとき、もっとよく話をしなかったんだろうって。ずっと引きずってる……。わたしは約束が破られたのが許せなかったんじゃない。それで壊れたモノがあるから、こだわっていただけなんだよ。見なよ、ジョン。わたしは、あの中に入りたい……」
バルサミコスは膝と両手を床につき、唇をかんで涙をこらえていた。
「ミコ様……」
ジョンはかけるべき言葉がなかった。
「あんたも難儀な性格してんなぁ」
「寂しがり」
ブルーとピィが、床を見て震えるバルサミコスに声をかける。
「話さなかったのを後悔してんなら、今からでもそいつらンとこ行って話せばいいだろ? ショウとだってまずは話し合えばいい。あんたが見込んだガキが、あんたを傷つけるために約束を破ると思うか? 疑いを先行させんじゃねーよ」
ブルーが『救国の英雄』に手を差し伸べた。彼女は自然と手を取り、引かれるまま立ち上がった。
「みんな仲間」
英雄の尻をピィが長い袖で叩く。
「ブルちゃん、ピィちゃん……」
「短くすんなっ」
ブルーのツッコミに、バルサミコスは笑みを浮かべた。
「そうだね。うん、まずは話をしよう。そして、一つひとつ解決する。それしかないっ」
バルサミコスはそう宣言して、改めて一歩を踏み出した。
それにショウたちも気づいた。
「ミコさん、大丈夫でしたか!」
ショウが駆け寄ってくる。あとから彼の仲間もついてくる。バルサミコスには眩い光景だった。
「大丈夫なわけあるか! 痛かったわっ!」
「痛いだけですむなんてスゴイですね。さすが最強レベル54」
「え、そう? まぁ、そんな大したもんでもあるよ。あははー……て、まだ話は終わってないからね」
バルサミコスはコロコロと表情を変えた。殺気に似た威圧感はもうなかった。
「はい、わかってます。オレがルカに余計な話をしたから、あいつは……」
「具体的に何を言ったの? キミに教えた話くらいじゃ、東京へ行けるなんて考えないはずなんだけど……」
言っていてバルサミコスはそれに思い当たった。ショウには召喚門があるという話はしたが、動かないとさんざん吹き込んでおいた。それなのにまっすぐここへ来て、実行してみせた。できると思い込んだ根拠はなんなのだろう?
ショウはできるだけ詳しく話し、ブルーも遥との会話から補足をした。その答えは単純明快であった。『ショウが言ったから信じる』それだけである。
「……どんだけこの子に入れ込んでんのよ」
バルサミコスだけではなく、皆一様にドン引きしていた。
「でもまぁ、境遇を考えればわからなくもないよ」
シーナは遥の気持ちがよくわかる。ショウはたった一人の味方だったのだ。声に出したわけではない。誓い合ったわけでもない。小さなしぐさの積み重ねにより、無意識に、無防備に、信じられると思ったのだ。
「境遇?」
「それも推測なんですが」
ショウは遥について語った。またもブルーが補足することで、目的ははっきりした。
「……そう。どうしても殺したい人間がいて、そのためだけにね」
バルサミコスは彼女の心情を理解はできたが、納得まではいかない。せっかく人生をリセットしてこの世界に来たのだ。忘れたり許したりはできないだろうが、折り合いをつけて生きていけばいいのにと思う。
「すげぇ執念だな。ま、顔に傷までつけられちゃな」
ブルーは遥の左頬の傷を思い出す。刃物でゆっくりと切られたような傷だった。悪意のある痕だ。まるで見せしめにつけたかのような。
「ルカはここから東京へ行ったんですね?」
ショウはブルーに再度確認した。
「ああ。召喚門を発動させて消えた。本当に着いているのかまではわかんねーがな」
「それじゃ、オレも行きます。すぐ行けばまだ間に合うかも。ミコさん、手を貸してください」
今度はバルサミコスに向き直り、訴える。
が、彼女は首を振った。
「キミは行けないよ。行けば死ぬ」
「なんです、それ? ルカに殺されるって言うんですか?」
「そこまでたどり着けないよ。キミの疑似体じゃ、東京の環境では生きていけないの。わたしや彼女のような特別体で、魔術に精通してれば【自己修復膜】や【抗病毒】なんかでイケるかもしれないけど」
「特別体……?」
「そう。わたしやあの子は特別なんだよ。勇者候補じゃなくて、勇者となるべくこの体を与えられた。構造もそうだけど、能力もはじめからオーバー・スペックなの」
「なんでミコさんやルカだけ?」
「それは今はどうでもいい。わたしたち以外の、いわゆる普通の疑似体がマルマに適応した体なのは知ってる? 疑似体を使う前の異世界人てね、こっちの病気がもとでけっこう早死にしてたんだよ。それを防ぐために疑似体が使われ――」
バルサミコスは説明の最中にハッとした。ある矛盾を感じた。
「ミコさん?」
「あー、ごめん。その逆に、日本ではそれに適応した元の体じゃないとダメなんだよ。残念ながら、ここで研究してその結論に達してる。普通の疑似体は日本では耐えられない」
「そんな……!」
ショウは落胆する。助けにもいけないのでは、どうしようもないではないか。
「そんなわけだからルカを追うのは無理。待つしかないの。もしくはわたしが行くか。けど、わたしが行っても力づくでしか止められない。それじゃ意味ないでしょ?」
バルサミコスの言葉を、一同は自然と飲み込んでいた。ルカをとめられるとしたら一人しかいないのだ。
バルサミコスはショウに考える時間を与えた。その間に、身近な弟子二人にも説明をしておくべきことがあった。
「おそらくブルーちゃんは見ちゃったと思うけど、この遺跡はそういう研究施設だったの。昔の生物実験場で、召喚の研究所。狂った邪神崇拝者が、邪神を呼び出すために造った場所。呼び出せなければ創ってしまえ、てのを平行してたわけ」
「ああ、見た。ルカが全部の秘密を開けていった。けど、別にあんたが悪魔の発明をしてたわけじゃないだろ。それに、オレたちに見せるほうが危険だって判断したんだろ? あのときの態度も納得したよ」
以前、ブルーはバルサミコスの質問に対し、いい加減に答えたことがある。その後、彼は許されはしたが、遺跡の本当の姿を明かされることはなかった。失った信用がどれほど重いものか、ブルーは今にして痛感していた。
「悪いね、わたしはそういう人間なんだよ。結局、誰も信じていないの」
「さっきまではな」
ブルーはニヤリとし、バルサミコスは反射的に赤くなった。
「う、うるさいな、キミはっ」
彼女はショウのほうに首を振った。彼らは仲間で集まり、相談をはじめている。
「今から魔法を覚えるか」
「間に合うわけないでしょ」
「宇宙服を着ればいんじゃね?」
「イオ○とかド○キで売ってる?」
「気合があればいけるだろ」
ツッコミどころが多くてバルサミコスはウズウズする。が、我慢した。ここはシリアスな場面である。
「いろいろ考えてるようだけど、キミを無事に東京へ送れるのは一人しかいないよ」
「アリアド?」
「うん。もっとも、それが可能かどうかはわたしも保証できないんだけどね」
バルサミコスは肩をすくめる。それができるのなら、彼女は召喚門の研究などしていない。
「いえ、おそらくアリアドならできます。そうでないとおかしいんです」
「……ヤケに自信ありげだね」
バルサミコスもブルーたちもショウを凝視する。
「ただ、それを証明するよりも本人に訊いてみたほうが早いと思います。ミコさん、アリアドに連絡って取れるんですか?」
「取れるよ。そうだね、呼びつけたほうが早いか。ちょい待ってて」
バルサミコスは通信水晶球を取り出し、アクセスを開始した。
「ショウ、ちょっと来い」
バルサミコスが離席したタイミングで、ブルーはショウを呼んだ。そのまま歩いていくので少年はあとを追う。仲間たちは訝しんだが動かなかった。銀狼だけは尻尾をふってついていく。
銀狼の部屋でブルーは止まった。
「さっきはみんなの前だから話さなかったが、ルカのことを伝えておこうと思ってな」
「何か言ってました?」
「おまえが大好きすぎて怖ェーってことだな」
ブルーはそう前置きして、覚えているかぎりのショウと仲間たちへ言葉を伝えた。それは、昨夜に窓越しに言われた言葉と似ていた。
ショウは聞き終えると肩を震わせた。
「会えないってなんだよっ。嫌われてもいいってなんだよっ。勝手なこと言ってんなよっ。オレは会うっ。嫌ってなんかやるか。あのバカ、徹底的に追いかけてやるっ」
「その決意はいいが、オレが気になるのは『アリアドに頼まれた』と『国が滅ぶ未曽有の危機』ってほうだ。心当たりは?』
「……ないです。ただ、やらなければならないことがあるとは言ってました。それがおそらく、『アリアドから頼まれた未曽有の危機の回避』なんだと思います」
ブルーの話と合わせれば、答えはそれしか出てこない。『はるか』が語った『したいこと』は『東京での復讐』であり、『しなければならないこと』は『未曽有の危機の回避』だ。
「とすれば、ルカは確実にこっちに帰ってくるわけだな」
「そうなります。でも、それじゃ遅いんです。東京で誰かを殺してからじゃ。未曽有の危機が無事に回避できたとしても、あいつはオレたちのところには戻ってこないでしょう」
「だろうな」
「その前に絶対に捕まえるんです」
「お姫様を助けに行く騎士様か?」
ブルーがニヤニヤとからかう。対してショウは生真面目に返した。
「バカ娘を連れ戻しに行く親の心境ですよ。わかんないけど」
ブルーは大笑いした。
「ショウちゃん、おいで」
バルサミコスが呼んだ。アリアドとの通話が終わったようだ。
「どうでした?」
「その回答のために王都へ行くよ」
「え?」
バルサミコスは驚くショウにかまわず、周囲の仲間たちにも伝えた。
「けど、呼び出す時点で肯定してるようなものよ。悪いけど、今回はこの子だけ。超機密事項に触れるから、キミ以外はダメだってさ」
「わかりました、行きます」
「それとおそらく、事が終わったら全員、今日の記憶は消されるだろうね」
「超機密事項だから?」
「機密事項があるのを知ってるだけで、その対象になるのは当然」
一同はザワついたが、受け入れるのは易かった。抗ったところでアリアド相手には無駄であるし、ルカが戻るならとりあえずはそれでいいのである。
「覚悟はいい?」
バルサミコスが問う。
「もちろんです。それでルカが捕まるなら」
「立派な王子様だよ、キミは」
バルサミコスの感想に、ブルーは一人で噴出した。
「な、なんだよぉ……?」
真っ赤になるバルサミコスに、ブルーは「いやいや」と手を振ってさらに笑う。彼が笑ったのは、バルサミコスのセリフがさきほど自分がショウに言った言葉と似ており、その答えが『親の心境』であったからだ。けして彼女の乙女チックな感想のせいではない。
「じゃ、ちょっと行ってくる。おみやげはルカ一匹ってとこだな」
「それで充分よ」
「気を付けてねっ。待ってるからっ」
「こんなつまんねーとこ、いつまでもいたくねーからとっとと戻れよ」
「武運を祈る」
仲間たちが見送る。ショウは笑ってバルサミコスとともに消えた。
ショウとバルサミコスは石造りの広いホールにいた。一瞬、先ほどまでいた遺跡ではないかと思ったショウは、だが、待っていた人物を見て異なる場所だとわかった。
「来ましたね、ショウ」
「アリアド……」
「はい、アリアド・ネア・ドネです。久しぶりですね」
アリアドは微笑を浮かべた。
「早速で悪いけど、お願いだ。オレを東京へ行かせてくれないか」
ショウは切羽詰まった表情でアリアドに詰め寄った。
彼女はそれを微笑みで受け――たりしなかった。
「まーったく、あなたはなんでそう、毎度まいど面倒おこすわけ? こっちだって暇じゃないんだからさぁ、もう少し考えてもらえないかしらねぇ」
頭をボリボリと掻き、呆れ顔になる。
「さすがアリアド。相変わらずムカツク……」
「アリアがショウちゃんだけを呼んだのは、この姿を他人に見せたくないせいだよねぇ」
バルサミコスも苦笑するしかない。公私において、これだけギャップのある貴族はそうはいない。
「だいたいさぁ、あなたが東京へ行ってもどうにもならないでしょ? 自分で帰ってくると言っているのなら、待てばいいじゃない」
「それじゃ遅いんだよ。あいつに人殺しなんてさせちゃダメだっ」
「なに言ってるの? とっくにこっちで殺してるじゃない」
「……!」
「異世界ではダメでも、こっちならいいわけ?」
「それは……」
ショウは何も言い返せない。どんな理由を繕おうが、殺した事実は消えない。
「まぁね、わたしはクズが一人死のうが別にいいんだけど。彼女が本当に殺したい相手も同等以上のクズだしね。わたしとしては、復讐させてやればいいと思ってるくらいよ」
「相手を知ってるのか?」
「ええ。わたしは召喚した人間のすべてを知ってるわ。そうでないと召喚できないから」
「じゃ、その相手の居所も?」
「もちろん。彼女を召喚したところだし」
「それじゃ、そこへ送ってくれ!」
ショウはさらに詰め寄る。アリアドは暑苦しいので三歩さがった。
「まずは聴きなさい。彼女の怒りの理由を。その上で判断すればいいわ」
「そんなの――」
「聴くべきよ。そうでなければ彼女の気持ちは一生わからない。ただ自分のエゴを押し付けるだけ。前に言ったでしょう? 無償の愛も優しさも、相手を見ていないのといっしょだって。相手も見ないで、何をしてあげられると思うの? それが思い上がり」
「……!」
ショウは絶句し、うつむいた。アリアドの言葉をかみしめ、飲み込む。次に顔を上げたとき、彼の顔つきは無邪気な少年のものではなくなっていた。
「……お願いします」
「そんな長い話ではないわ。嫌な話だけどね」
アリアドは感情を抑制して事実だけを語った。遥は幼少の頃より義父に痛めつけられてきたこと。数年後、耐えに耐えてきた母親が自分をおいて逃げてしまったこと。その後、義父に犯されかけ、逃げようとして捕まり、顔に傷がつけられたこと。その絶叫の中、彼女は世界を呪い、男を呪い、この地獄から解放されるなら何でもすると誰かにすがったこと。
ショウは何も言えなかった。後ろに数歩距離をとっていたバルサミコスも、憤りを混ぜた不愉快な顔をしていた。
「わたしは彼女の声を聴いたの。絶望する叫びの中に、救いを求める声を。わたしは一本の細い糸を垂らしただけ。彼女はそれにすがり、わたしのもとへ来た。何でもするから助けてほしいと。わたしの条件はたった一つ。勇者になること。いざというときこの国を救う勇者に。それがわたしの仕事だから」
「特別な体っていうのは、そのため?」
「そうよ。アレは、わたしが発案した勇者の体。本当はもう、そんなものに頼るつもりはなかったんだけど、彼女が強く望んだのよ。強い力が欲しいと。だから廃棄する予定だった11番目をあげたの」
「でもあいつ、そんなこと一言も言ってなかったし、記憶だってあいまいで――」
「それも本人が望んだのよ。イヤな記憶は覚えていたくないって。でも、矛盾よね。その記憶があるから強くなる必要があったのに。わけわかんないわよね」
アリアドがため息をつきながら肩をすくめる。ショウはイラっとした。
「あたりまえだろっ。そんな記憶、一瞬だって思い出したくないっ。でも、忘れたからって弱いままでいいなんて思わない。強くなりたいって気持ちは根底に残るんだ。だからルカは、オレたちと道をたがえても強くなるために最短を走ったんだっ」
ショウの脳裏に、異世界人管理局専属召喚労働者への勧誘を即決した彼の姿が浮かんだ。記憶がなくとも、それは衝動だったのだろう。自分を守る最大の方法だったのだろう。
怒りさえ湛える少年の眼に、アリアドは口の端にわずかな笑みを浮かべた。
背後のミコは、もっとわかりやすい好意的な顔をしていた。
「ほらほらアリア、気が済んだらショウをちゃっちゃと東京へ送ってあげてよ」
「できないわよ」
アリアドが口を尖らせる。
「「……ウソ」」
ショウとバルサミコスはぽかーんとした。今までの流れとして、できないわけがなかった。ここでできないなど、詐欺に等しい。
「できないものはできない。だいたい、誰ができるなんて言ったの?」
「いや、今までの伏線から考えて……」
「伏線て何よ? 世界の理にご都合主義の入る余地なんかないわ。世の中ナメすぎじゃない?」
アリアドは冷ややかに言い放った。
「えー……」ご愁傷さまの鐘の音が響いた気がした。
「で、でも、オレの推測どおりなら、向こうの世界に戻るのは可能なはずなんだ!」
「それはできるわよ?」
「えー!」
「できないのは東京へ送ることよ。ちゃんと聞いてた?」
アリアドは憤慨して言った。
「……なんて紛らわしい」
「こういうとこだよなぁ、ウザく感じるの……」
「ねー? 付き合い長いけど、ホントそう思うわ」
「そこ、ブツブツいわない! わたしがカワイソウでしょ!」
アリアドのツッコミに、二人は無視を決め込んだ。
「もういいから、とっととやってくれよ」
「はいはい、わかりましたっ。では、説明から」
「お願いします」
ショウはアリアドに頭を下げた。
「まずこれは極秘中の極秘であるのを忘れないでね。作戦終了後、記憶は消させてもらうから」
「はい、わかりました」
「わたしも?」
バルサミコスが自分を指さす。
「一端を知ってしまったのだから、当然。それからお仲間たちもね」
「やっぱそうなるか……」
バルサミコスはあきらめて石床に座った。足をのばしてリラックスする。
「まず、行くのはショウだけでいいのかしら? ミコは?」
「わたしはパス」
「そう。あなたは行きたがると思っていたのだけど」
「まぁね。でも、その前にもうちょっとここでやることができちゃったから」
アリアドは言及せず、話を進めた。
条件が告げられた。一つは疑似体のままでは行けないので、本来の肉体に戻らねばならないこと。もう一つが、現時刻を持って行われること。
ショウは二つ目の条件の意味がわからず質問したが、アリアドは答えなかった。答えたところで彼が行くのをやめる可能性はなく、戻ってくれば記憶操作により忘却するのだから。
ショウもバルサミコスも納得しなかったが、時間の無駄になるのがわかっているのであきらめた。
次に、日本に戻ったときの話となった。戻る場所は広範囲に指定はできず、召喚された場所の半径20メートル内となる。『東京へ送れない』というのは、これに準拠する。ショウの場合は東京の隣県に住むため、自宅到着後は電車で移動するしかない。
ミッション終了後は、呼びかけを行えば通常業務である召喚儀式中のアリアドとコンタクトがとれる。つながりはそれだけであり、日本とマルマの間で通信手段はない。ショウが一人でどうにかするしかなかった。
「そのまま日本に残るという選択肢もあるわよ?」
「一度はこっちに帰るよ。みんなと約束してるし」
「あなたは勇者の器じゃないから、どちらでもお好きに」
「ヒデェ……」
ショウがボヤくとアリアドは意地悪く笑った。
「では、行きましょうか」
「ちょっと待った。ルカの日本の住所を教えてくれよ」
「え? えーとぉ……。でっかい塔があって、大きなビルがあって、近くに汚い川があって……」
「おいっ」
「住所なんて知るわけないでしょ!? 異世界の地図なんて読めないんだから!」
「それじゃどうやって探すんだよ!」
「魔力を感知して」
「できるか!」
「修行不足ね。だから勇者になれないのよ」
「こいつ……」
ビシッと指を突きつけられ、ショウの頬がヒクついた。
「勘に従うしかないよ。こんな漫才をしてる間にも、彼女は動いているんだから」
バルサミコスが不毛な争いをやめさせる。できれば見ていたいところだが状況が許さない。
「そうですね……」
「でも、少しは時間が稼げると思うよ」
「え?」
「あの遺跡の召喚門には、ちょっとしたトラップをかけておいてね。それを解除していないと誤差が出るようにしといたんだ。万一の防犯だったんだけど、役に立ったわ」
「具体的にはどんな?」
「時間と場所が指定よりもずれる。ランダムだから、どれくらいかはわたしにもわかんないけど」
「さすがですね」
「でしょ? できる女は違うよねー。てなわけで、今度はキミの番だよ。できるとこ、見せてね」
「はい!」
ショウは大きく返事をした。
「では、行きましょうか。ミコ、離れていなさい」
アリアドにうながされ、バルサミコスは距離をとった。
アリアドは一分ほど呪文を唱え、門を開いた。
一瞬後、二人は光の柱に飲まれて消えた。
「ここって、召喚されたときに通った道だね」
ショウは光の中を見回す。二度目となれば余裕もある。
「そうよ。ここを通る間に肉体変換を済ます。あなたの体の半分は、もう以前の物になってるわ」
「入れ替わっている実感がないから、疑似体とか言われてもよくわかんないんだよな」
「あなたの場合は変化が少ないのでそう感じるのよ。変化が大きい人ほど戻るときにも痛みが伴うわ」
「戻るとき、ね」
ショウがニヤニヤする。それをアリアドは不快に感じて「なによ?」と問いかけた。
「今のでアイリの3つの質問、なんとなくわかったよ」
アリアドは目を丸くした。そして、ショウと同様、ニヤリとする。
「……さて、どうかしら。まだ時間がかかるから答え合わせしてみる?」
「いいよ」ショウは受けて立つ。
「一つは、召喚三日以内でなくても日本に帰れるか。これはオレのために訊いてくれたんだと思う。オレの望みが叶うか心配してくれて」
「正解」
「となると二つ目が、またマルマに来れるかどうか。これはアイリ自身の気持ちだろうな。彼女、けっこうこの世界が好きだったから。日本でやることがなければ、きっといたかったはずだ」
「正解」
「最後に、マルマで死んだときはどうなるか。この質問でなければ、アイリが『死んだときは絶対にアリアドに会う』という話を知るわけがない」
ショウは自信満々に言った。アリアドが微笑む。
「ブッブーッ! 大ハズレ―!」
「マジで!?」
「マジです。……アイリちゃんはね、もっと稀有が大きいのよ。もしくは子供なの。あなたは彼女を過大評価して、過小評価してるわ。もっと単純よ、夢見がちな女の子は」
「……わからねぇ」
ショウは悔しそうな顔で床のない床を叩いた。多分に芝居がかっている。
「宿題ね。それがわかったとき、きっと世界は変わる。それがわたしと彼女の約束」
アリアドは微笑う。それが叶うのを本当に楽しみにしているようだった。
「……さて、終点よ。あなたがここでどんな選択をして、どんな結末を迎えるか、わたしにもあなたが呼びかけるまでわからない。楽しみにさせてもらうわ」
光の向こうに暗い空間が待っていた。ショウは一人、そこへ落ちていく。
「アリアド!」
「はい?」
「ありがとう!」
ショウのさわやかな感謝に、アリアドは呆気にとられた。
「……いってらっしゃい。また会いましょう」
ショウにアリアドの声は聞こえていなかった。けれど、その表情ですべてがわかる。
少年は懐かしい我が家へと還っていった。およそ5ヶ月ぶりの帰還である。




