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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲


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43/59

42 逃亡者

 ギザギ十九紀12月8日19時。ルカは、仲間であるショウの前から消えた。ショウはわけがわからないままルカに対し憤り、喚いたが、事態は何も好転しない。

 その癇癪かんしゃくを見ていたアカリは、らちがあかないとショウの頬を思いきりひっぱたいた。

「落ち着きなさいっ。まずは報告!」

 アカリに頬を叩かれたのは二度目だ。一度目は、シーナが離れていき、自分が皆の未来には不必要だと愚痴を漏らしたときだ。あのときもこの痛みに冷静となれた。

「……あの黒い魔女」

「は?」

 ショウが初めに発した単語はアカリたちを困惑させた。その続きを聴き、さらに深まる。

「黒い魔女はルカだった」

「なに言ってんの、あんた?」

「彼女の名前は『はるか』。『ながらはるか』というらしい。ルカは女の子だったんだ」

「ちょっと待って。それ本気で言ってんの?」

 アカリですらショウの正気を疑った。この状況で冗談や嘘をつくような男ではないが、話の衝撃は突き抜けている。冗談と言われるほうがマシなくらいだ。

「オレだって信じられないし、わけわかんないよ。でも現実で、あいつは突然さよならを言って消えたんだ。どう解釈すりゃいいんだよ!」

 ショウはまた興奮した。その様子に、アカリたちも信じるしかなかった。

「……わかった。本当なのね。それじゃ、初めから詳しく。一字一句間違えないで会話内容を教えなさい。あのバカを捕まえて、さよならを撤回させてやるわっ」

「アカリ……」

 ようやくショウは彼女を見た。いつものふてぶてしい顔で、自信満々の態度で立っている。その背後にはシーナもマルも、ゲンシローもいた。仲間がいる。心強かった。

 ショウはさきほどまでルカが寝ていたベッドに腰を下ろした。他のメンバーもそれぞれにリラックスする。マルにいたっては手にしたまま忘れていた骨付き肉を食べはじめた。

 ショウは一息つき、ほんの数分のやりとりを話した。アカリの要求どおり一字一句は無理であったが、なるべく正確に伝えた。アカリはそれをメモに書きだしていく。自己流速記のため、彼女以外には読めそうにない文字だった。

「どこからツッコめばいいのかしらね」

 アカリが自分のメモを読み返しながら唸った。

「ルカが黒い魔女であったことからいく?」

 シーナが話を振った。どこから始めても混乱しそうなので、その提案に乗ることした。

「あいつは自分が女に変われることを知ってたのかな」

「ないね。知ったとしても、ごく最近だよ」

 シーナが間髪入れず否定した。

「なんで?」

「だって、変われると知ってたらショウに迫ってるもん」

「ブフッ」

 ショウは噴いた。しかし、その理由は説得力があった。

「前にわたしがルカに言ったじゃん。『キミが女の子なら同志として方法がある』って。女になれるなら絶対実行してるよ。もしわたしなら絶対にやるね」

「そこで対抗意識を燃やすなよ……」

「ショウのワクワク変態ランドもついに完成か」

 マルが食べ終えた肉を骨までしゃぶった。

「それはやめろっ」

「変態ランドはともかく、シーナの意見は正しいとあたしも思う。だとしたら、いつそうなったのかしら?」

「あの爆発現場?」

「でしょうね。なんでそんな変化が起きたのかは置いといて、そのきっかけは何なの? 女になる理由があったわけ?」

「それを言ったら、そもそもルカはなんであの場所へ行ったんだ? ルカの言葉どおりなら、スリの女の子を追っていったことになるけど」

「それを鵜呑みにしていいのかしらね。他人事よ? そのために怪しい場所まで行って、男を殺す理由ってなによ?」

「……!」

 アカリの言葉にショウは衝撃を受けた。そうだ、ルカが黒い魔女なら、彼女は人を殺したのだ。なぜ、そこまでしたのか。

「そういえば、男のことにヤケにこだわってたよね? ショウに意見を訊いたり」

 「ああ……」ショウも思い出す。男のしたことや、魔女の行為について是非を求められた。あれがルカ本人の仕業であれば、気になるのも当然だろう。

 ショウは自分の世界に浸るように考え込んだ。

「……あの男が許せなかった。なぜ? 子供を利用していたから? 子供は何をしていた? スリ。オレとシーナの財布もスった。ルカは子供が怪我をしていたのを見て動揺して逃がしてしまった。ルカが止めたかったのはスリ行為? それとも怪我の原因? あれは男の暴力? はるかの顔にも傷があった。経験がある? だから助けたかった……」

「どしたの、ショウ?」

 長くブツブツいう彼に、シーナが覗き込む。

 目の前に現れたシーナの顔に、ショウは人差し指をあて、頬に沿ってなぞった。シーナは「ひゃあっ!」と飛びのいた。

「なになに、ビックリするじゃないっ」

「顔に大きな傷がつくって、相当だよな?」

「え、うん……。女の子なら死活問題だよ」

「どうしたら、そんなのつくと思う?」

「事故、かな? ガラスが割れたとか。交通事故?」

 シーナは妥当な線を答える。

 が、アカリはショウの様子から最悪を想像した。

「あんた、誰かにやられたとか思ってる?」

「うん。ルカは許せなかったんじゃないかな。自分と同じ境遇にあった子供たちを助けたかったんじゃないかな」

「仮にそうだとしたら、ルカはその前から記憶を持っていたことになるし、となれば自分が魔女になれるのも知ってたことになるわよ?」

 アカリの反論に、ショウはまた考え込む。

「記憶か。あいつ、本当に記憶がなかったのかな。実はぜんぶ知ってて、忘れたふりをしてたとか」

「ないわね。あんたが考えるようなイヤな記憶だとしたら、平然と『覚えてない』とは言えないわ。言葉を濁すか、沈黙を通すか、どっちにしろ態度に出るはずよ」

 「そういやよ」マルがしゃぶりつくした骨を窓の外に投げ捨てた。

管理局専属召喚労働者セルベントになったとき、訓練所でなんか暴走したとか聞いたことあっけど、あれも関係してんのか? オレは直に見てねーんだけど」

 ショウはハッとした。

「オレも山狩りのときにカッセさんに聴いた。練習相手を殺しそうになったって。殺意を向けられて自制が効かなくなったって。それで、なにかトラウマでもあるんじゃないかって話になったな」

「それが、あの傷?」

「あれがイジメによる傷だとしたらさ、わかんなくないよ……」

 シーナが体を震わせた。ショウは彼女のそばにより、軽く抱きしめる。

 「ありがと」シーナは安心してショウに身をゆだねた。

「……そういえばあいつ、言ってたな。記憶にあるイヤな思い出とか。全部じゃないにしろ、うっすらとは記憶があったんだ。それがスリの子の傷を見てよみがえった。傷をつけた相手とスリの元締めが重なって、許せなくて乗り込んで、本来の自分を思い出して変わった。あの高熱も、その反動?」

「つじつまとしては通ってる気がするけど、それで変身するのがわかんないね」

 シーナは自分の意思でショウから離れた。

「まぁ、理由はそんなとこでいいでしょ。合ってるかどうかもわかんないし。女の子に変われる理由もあれこれ言っても想像にしかならないし、本題に入りましょ」

「本題?」

「あのバカがどこにいるかよ。捕まえればぜんぶわかるわ」

 アカリが吐き捨てるように言った。

「そうだな。そのとおりだ」

 ショウは可笑しくなった。一番肝心なことを忘れていた。大事なのは彼の考えでも、彼女の過去でもない。ルカを捕まえることだった。

「で、どこにいるんだ?」

 よくわからない話を延々と聞かされ、いいかげん痺れを切らしたゲンシローが問いただした。さっさと捕まえにいけばいいと思っていたところだった。

「わかってたらこんなところでウダウダしてない」

「なんだそれは……。わかったら呼んでくれ。捕まえに行くなら手を貸してやる」

 ゲンシローは呆れかえり、部屋を出ていった。

「いや、あいつに頼ろうとか考えてもいなかったんだけどな」

「ゲンちゃんもなんだかんだ心配してるんだよ。意地悪いっちゃダメ」

「そうか。それは悪いことを言った」

 ショウは反省し、出発の際は声をかけようと決めた。

「でも実際、どこを探せば……」

「ルカは『したいこと』と『しなければならないこと』があると言ったのよね?」

 アカリがメモを読み返す。ショウはうなずいて肯定した。

「前者はルカ個人の希望で、後者は役割か仕事?」

「そうだな。……『しなきゃならない』てのは、ルカが望んでいるわけじゃないんだろうな。自分の望みなら、どっちも『したいこと』になるし」

「誰かに頼まれたとか?」

「誰かのためにしなきゃいけない、かも」

 アカリとシーナの意見のどちらとも取れる。

「どっちでもいいけどよ、オレたちに頼まなかったってことは、あんまいいことじゃねーな」

 マルが面白くなさそうに言う。黒髪の少年と銀髪の少年は、付き合いだけならこの四人の中でもっとも長い。マルは彼を親友と思っていた。魔法や武術の師匠でもあった。はっきりと言えばショウよりも好きであったし、裏表なく付き合える間柄だと信じていた。しかし、頼られることなく彼は行ってしまった。それがムカつく。

「そうね。あたしたちを遠ざけてるんだと思う。『旅が終わる』なんて、その先を放棄した言葉だわ」

「なにかヒントがないかなぁ」

 シーナも頭もひねるが、そもそもの会話が短すぎる。

「あんた、他に何も話してないの? 忘れてることない?」

 アカリはショウに突っかかった。ショウは困惑するだけだった。

「話と言っても、メシを食ってるときにドラゴンが見たいとか、故郷の話をしたくらいか?」

「故郷? 日本の話?」

「うん。東京出身だって」

「脳ミソ腐ってんの!?」

 アカリが殴り掛からんばかりにショウに詰め寄った。ショウは本気でビビリ、ベッドに倒れた。

「な、なんだよ?」

「故郷が東京って言ったんでしょ? それってその時点で記憶が戻ってるって確定してんじゃない!」

「少し戻ったとは言ってたよ。でもそれは、病気になる前か後かはわかんないだろ」

「だとしても、なんでそれをわざわざ言ったのか、よ! もしロクでもない記憶なら誰かに話したいと思う? 知ってほしいと思う? もし思うとしたらどんなときで、どんな相手だと思う? マジで脳ミソどうなってんの、あんた!」

「……」

 ショウはアカリの訴えを考える。いや、考えるまでもない。

「あいつはねぇ――!」

「いや、わかってる。てか、目の前の変化ばっか追ってて、その過程をぜんぶ無視してた。ホント、脳ミソ腐ってるな……」

 ショウは落ち込んだ。ヒントはぜんぶあった。ルカが残していったのだ。

「……アイリの話をしたんだ」

「なんでそこでアイリが出てくんのよっ」

 アカリは苛立ちを隠そうともしない。

「おまえには話しただろ? 死にかけたとき、東京で会ったって。あいつ、それを信じてくれたんだよ。広い東京で、そんなピンポイントの再会ができるのは運命だって。そして、もし自分たちが離れたら見つけられるかって訊かれた。……無理だろ。そんな偶然は起きない。アイリと会ったのだって、奇跡があって可能だったんだ」

「だからなに?」

 ショウは睨みつけてくるアカリの目を見た。まっすぐに目標に向かう目だった。いつもいつも彼女に引っぱられ、助けられている気がする。

「でも、必然ならあると言った。あいつが必然で助けてくれたように、あいつも待ってるんだ。あいつは、オレに探して欲しかったんだ」

「……そうよ。わかってるじゃない」

「行こう、東京へ。あいつを連れ戻しに」

 ショウは決意を固めた。

 が――

「なに言ってんだ、おまえら? どーやってだよ? 無理だろ、それ。つか、ルカにだって無理だろ。常識で考えろよな」

 マルが鼻をほじりながら全否定した。

「いや、そうかもだけどっ」

「サルに常識を問われるなんて……」

 ショウとアカリは盛り上がった気持ちが一気に落ち込み、体まで床を滑っていた。

「けどさ、ルカが他に行くところなんて思い浮かばないよ。東京は間違いないと思う。何しに行くかは考えたくないけど」

 シーナはルカの立場がわかる。すべてではないが、わかる気がする。それは復讐であろう。自分に深い傷を負わせた相手への意趣返しだ。だからこそ彼女は一人で去っていったのだ。記憶など思い出さなければ、彼女はるかルカのまま、自由でいられたはずだった。シーナは彼女に深く同情した。

「マルの言うとおり、東京へ行くなんて無理だろう。でも、それでもルカは行こうとしている。あいつはバカじゃないし、見通しもなくそんなことはしないだろ。何か方法があるんだ。オレたちの知らない魔法だって知っていそうだし。現にオレたちはこの世界にいるんだから、同じ方法を取れば戻れ――!」

 ショウは言葉の先で、その名前が浮かんだ。

 アカリとシーナもそれに行き当たる。

「「アリアド!」」

 三人は同時に叫んだ。

「アリアドならできるはず」

「呼べるなら戻すこともね」

「でも、それって召喚三日以内じゃなかった?」

 シーナの言葉に、ショウとアカリは会話が続かなかった。

「……いや、もしかしたら違うのかも」

 ショウは唐突に、アイリとの会話を思い出した。さきほどその名を口に出したせいだろう。理由はわからないが、気になることを言っていたのを覚えている。それに、同じことを彼女(・・)も言っていた。

「なにが?」

「日本に戻れないって話。実は、いつでもできるんじゃないか?」

「なんでそんなことわかるのよ?」

「アイリに聴いたから」

「だからそれは死にかけの夢の中でしょうが」

「まーまー。このさいなんでもヒントは欲しいんだから。で、アイリちゃんは何て言ったの?」

 シーナがアカリを抑えて仲介する。そういう彼女の顔も、半信半疑だった。

「オレが死んだのかなって言ったら、アイリは『アリアドに会ったか』って。『会ってないなら死んでいない』って。それはつまり、死んだら絶対アリアドに会うってことだよな?」

「そうなるね。死んだことないからわかんないけど」

「なんでアリアドに会う必要があるんだ? というか、何で会えるんだ?」

「あ……」

 アカリとシーナも疑問を感じた。

「死んだらそれで終わりじゃないのか? 続きがあるのか? だとしたら何だと思う?」

「蘇生か……、実験体?」

「怖いこと言うなっ」

 ショウがシーナにツッコむ。

「もしかして、日本への送還とか都合のいいこと考えてる?」

「うん、考えてる」

「そんなバカな……」

 アカリは呆れてわらった。それこそ夢のご都合主義というものだろう。一万歩譲って、ショウが東京でアイリに本当に会っていたとして、なぜアイリはそれを知っているのか。

 説明を求められ、ショウは仕方なくすべてを話そうと思ったところ、もう一人の仲間が短気を爆発させた。

「あーっ、メンドくせぇ! ウダウダ空論かわしてたって話は進まねーんだよ! ンなもんアリアドに会えばわかんだろ!? ルカのとこへ行くためにアリアドに会う! RPG(ロープレ)の基本、話を聴いてフラグを立てりゃいいんだよ! とっとと行くぞ!」

「お、おう……」

 文句のつけどころのない正論を吐かれ、ショウたちは目が点になった。

「アリアドって王都にいるんだっけ?」

「ここからだと徒歩で半月くらいか? 馬車を借りるか」

「だね。レックスさんに相談しよう」

「んじゃ、オレは荷物を持ってここに戻るからな。さっさとしろよ?」

 マルは一足先に部屋を出ていった。

 続いて、ショウとアカリがボダイ管理所へ行こうと外へ出たところ、ちょうどよくレックスたちがこちらに歩いてくるのが見えた。今日の仕事が終わり、夕食をとりに来たところであった。

 ショウはレックスに呼びかけ、駆け寄る。切羽詰まった彼の様子に、レックスたち第4小隊は驚きつつ彼を待った。

「馬車、頼めますか?」

「ルカくんがまた体調を崩したのか?」

「いえ、別件です。ちょっと王都まで行きたくて……」

 詳しく話す時間すらが惜しく、それだけ告げた。

 「王都?」レックスたちは首を傾げ、それから顔を曇らせた。

「それはできない」

「なぜです!?」

「異世界人は王都へは入れない。呼ばれないかぎりな」

「あ」

 ショウたちも思い出した。レベル3に上がったときの講習で聞いた覚えがある。

「しかし、なぜ王都に? しかもそんなに急いで……」

「……ルカがいなくなったんです。それで、あいつのいる場所へ行くにはアリアドの力がいるんです」

「ルカくんが? それなら守備隊を通して町内の監視をしてもらうことならできるが」

 レックスの申し出に、ショウは首を振った。

「たぶん、町どころか領内にもいません。もっと遠くだと思います。だからアリアドでないとダメなんです」

「サウス領外へ出たというのか? イスト領だと、たしかに難しいな」

 レックスはあごに手を当てて考える。すでにボダイの町も出ているとすれば、守備隊のコッパーにも頼れない。

「……管理所で管理局へ連絡して、パーザさんに位置情報を教えてもらうか」

「おそらくルカは位置情報を消しています。そういう裏技があるんだそうです」

 口から出まかせだが、この際はアリアドに直接つながる道以外は不要であった。強引でも近づく方法を考えなければならなかった。

「そうなると、うーむ……」

 レックスは唸った。他に手立てがあるとは思えなかった。

「……管理局からアリアドへ連絡をとってもらうのは?」

 この中でもっとも意外なメンバーが発言した。

「ケイジ?」

 一同の目が彼に集中する。

「管理局は異世界召喚庁・直轄施設だ。連絡手段があるはず」

「あ、そうか」

 ショウは遭難から生還した日を思い出した。自分のステータス・サークルが壊れたと報告したとき、パーザ・ルーチンが修復可能か召喚庁に問い合わせてくれた。そのとき、アリアドの回答も聴いている。つまりは交信可能ということだ。

 「ナイスだ!」とタカシがケイジの背を叩く。アイデアもそうだが、ケイジが自発的に行動に出たのが嬉しかった。

「そうだな。まずはエスポアさんに頼んで管理局へ連絡してもらい、そこから召喚庁につないでもらおう。だが、相手にされんかもしれん。むしろその確率のが高いだろう。もしダメならあきらめるんだぞ。迂闊に王都になどいけば、弁明もなく極刑もある」

 レックスはショウたちが暴走しないように予防線を張っておく。ショウという少年はときおり無茶をする。極刑はただの脅しのつもりだったが、実際にそうなる可能性はあった。王都に異世界人が近づくのをよしとしない貴族はいくらでもいる。

「……わかりました」

 ショウが納得したのでレックスはきびすを返した。タカシたちには解散を告げたが、タカシもジューザもショウたちを案じてついていく。ケイジだけは「それじゃ」と食堂へと入っていった。第4小隊の面々に苦笑は漏れるが、不満はでない。個々人の問題である。

 紆余曲折あり、ショウの意向は異世界召喚庁に届けられた。時刻は遅かったが、珍しく残業に励んでいた長官へと伝わる。アリアド・ネア・ドネは、個人的な計画のために召喚庁のシステムを使用していたのである。

「長官、異世界人管理局・総務部広報課のパーザ・ルーチンという者から通信が入っております。お受けになりますか?」

 正規の補佐官ではなく、今回のために私用で雇った女性秘書が通信水晶球を持って入室してきた。アリアドの親友にして幼馴染にして屋敷の使用人のテテラである。今は仕事中なので、言葉には気を遣っていた。

「誰それ? 広報課?」

「いかがしますか?」

「そんなのにかまってられないわよ。用があるなら局長を通すように言って」

 アリアドはイラつきも隠さず言い放った。

 秘書のテテラが先方に回答しようとしたとき、「ちょい待って」と部屋にいたもう一人の女性がとめた。

「アリア、わたしが出ていいかね? パーちゃんとはちょっとした知り合いなんだよね」

 猫のようにニンマリとしながら、バルサミコスが言った。

「任せるわ」

 アリアドは視線すら向けない。大陸地図を広げながらウンウンと唸っている。

「あいあいさー」

 バルサミコスはソファーから舞うように立ち上がり、テテラの持つ水晶球を手に取った。

「もしもーし、こちらミコちゃん。パーちゃん、元気ー?」

『バルサ――!』

「ミコちゃん!」

 バルサミコスが強い口調で遮ると、パーザはしばし沈黙し、『ミコさん』と呼んだ。

「長官はちょっち忙しくてねー、わたしが代わりに聴くよん。なんかあった?」

 水晶球の向こうでパーザが困惑している。が、通じないよりマシと判断したのか、用向きを伝えた。もっとも、パーザ・ルーチンからしてよくわからないのである。ルカという召喚労働者サモン・ワーカーが行方不明になったこと。その彼を追うために、どうしても長官の力がいると彼の仲間たちが訴えてきたこと。それは無理で非常識だとさんざん言い聞かせたのだが、一度でいいから確認を取ってくれと押し込まれ、こうして連絡をしたことを伝えた。

「ルカ?」

 バルサミコスはその名前に反応した。チラリと見たアリアドもペンの動きを止めた。が、すぐに作業に戻ってしまった。

「その仲間ってさー、ショウちゃん?」

『はい。あなたが助けた彼です』

「そっかー。わかった。ちょっち相談してみるわ。明日の朝までには連絡する。ショウちゃんもそこにいんの?」

『いえ、ボダイの管理所です』

「んじゃ、こっちから直接ボダイに連絡するわ」

『お手数をかけます』

「いいよ、いいよ。他ならぬパーちゃんの頼みじゃねー」

『ありがとうございます。ですが、次にその呼び方をしたら、わかりますね?』

「は、は~い……。すんませ~ん。じゃあ」

 バルサミコスはテンションを落として通信を切った。

「と、いうことらしいけど、どする? 11号素体(イレブン)が消えたって」

 バルサミコスが呼びかけるが、アリアドは無関心だった。

「おーい、アリアー?」

「はい、なんです?」

「だから、イレブンが――」

 アリアはまたぼうっとする。

「……なんだかおかしいね。あれあれ、これってなんか喰らってる? 呪いを受けてるっぽい? アリアが?」

 ギザギ国最高峰の魔術師であるアリアドに呪術をかける。それはバルサミコスにもできない。それだけアリアドの力は絶大であった。それが今、アリアドは何らかの呪力の影響でおかしくなっていた。

「キーワードは11号素体(イレブン)かな。彼女に関するぜんぶかな。会いに行ったときにかけられたんだろうね。やるねぇ、11号素体(イレブン)。行方不明も偶然じゃない、か」

 そうわかったところで、バルサミコスには手も足も出ない。アリアドがかかるほどの強力な魔法なのだから。

 「こりゃ、レナの領分だな」バルサミコスは自前の通信水晶球を取り出し、メモリーされた波長につながるように魔力を込めた。

 相手はすんなり出た。水晶に緑髪の少女が映る。

「悪いね、遅くに。あの話とは別件でちょっと問題があってさ、三分で来てよ。……え、無茶? 大丈夫、レナならやれる。できる子だし。じゃ、よろしくー」

「レナに連絡? まだ早いわよ?」

 話を聴いていたアリアドが不思議がる。11号素体(イレブン)が関わらなければ、彼女はいつも通りであった。

「あとで説明してあげるよ。まったく、アチコチ忙しくなってきたよ。ジョンたちは大丈夫かな」

 バルサミコスは遺跡に置いてきたジョンと、弟子のブルーとピィを思い出した。遺跡の解明もだいぶ進み目的達成も間近であったのに、アリアドに呼び出されて面白くもない王都にいる。

「時間がないってのに……」

 その責任の一端――いや、全責任をおうアリアドのために時間を無駄にするとは、何たる皮肉であろうか。

「まぁ、それはそれで面白いか」

 バルサミコスはあくびをして、ソファーに寝っ転がった。


 パーザ・ルーチン経由で回答を受け取ったショウは、ともかく待つ決断をした。下手に動くよりも、不確定でもアリアドの連絡を待つべきだった。ダメだったときのことは今は考えない。考えても、何も浮かばないのだから。

「アカリ、宿に戻ってシーナとマルに明日まで待機って伝えてくれるか? オレはこのまま管理所で待つから」

 アカリは「わかった」と応え、管理所を出ていこうとした。

「あ、マルにはオレの部屋を使っていいと言っといて。ルカもオレもいないし、また帰らせるのも悪いしな。アカリたちにも無駄な金を使わせて悪いな」

「そんなことは気にしなくていいの。あんたこそここで一晩越すなら毛布でも持ってこようか?」

「大丈夫。風さえ吹かなきゃ寒くないよ。それに、寝られる気もしない」

「……そう」

 アカリは言葉を飲み込んで、今度こそ出ていった。

「ショウくん、なにが起きているんだ?」

 アカリを見送ると、レックスが問いかけてきた。

「オレが知りたいくらいなんです。だからまずルカを見つけたい。いなくなった理由をあいつから直接聴きたいんです」

 ルカが黒い魔女であったことは口が裂けても言えない。その時点で、ショウはレックスたちに語る言葉を持たなかった。知らないで押し通すしかないのだ。

 レックスはもどかしかったが、ショウが語らない以上、なにもできなかった。

「オレたちはいつでも力になる。遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます。本当はいろいろ頼りたいんです。でも、これだけはオレたちがやらないとダメだから。すいません」

「わかった。……ここで一夜を明かすなら、余っている毛布を貸そう。風は入らないが、気温が下がるのはとめられないからな」

 背を向ける大きな男に、ショウはまた礼を言って頭を下げた。

「エスポワさんも帰ってください。水晶球の使い方は教わりましたし、朝まで連絡もないでしょうし、大丈夫ですから」

 エスポワは戸惑った。異世界人絡みの問題であるのに、ボダイ異世界人管理所の唯一の事務員が帰るのは気が引けた。「本当に平気ですから」とショウに後押しされ、彼女は申し訳なさそうに帰っていった。

 夜が更けていく。ショウは毛布を羽織り、手の中の水晶球をじっと見つめていた。今すぐにも連絡が来るのではないか、そんな期待がある。しかしそれは願望であり、一時間が過ぎても反応はなかった。

 階段を降りてくる者がいる。ゲンシローだった。

かわやだ」

 訊きもしないのに彼は口にし、裏口を出ていく。数分もせず戻ると、階段に足をかけた。が、上らずにショウの隣に座りこむ。

「なんだよ?」

「……」

 ゲンシローは答えない。

「いるのはかまわないけど、毛布くらいは持って来いよ。明け方はすげぇ冷えると思うぞ」

「ふむ」

 ゲンシローは律義に毛布を取りにいき、また座り込んだ。

「なんで付き合うんだ? そんな仲か、オレたち」

「おまえには借りがある。他の者にもそれぞれな」

「それだったら気にすんな。誰も恩に着せようなんてしないから」

「そういうところが気になるのだ。オレは、同年代の仲間というものを知らん。興味もなかった。だが、この数日で悪くないと思えるようになった」

「なんで?」

「物珍しいからであろうか。他人のために必死になる者を間近にするのが。赤毛女が言うように、オレは知識と経験が足りないのであろう。だから学びたいのだ」

「なら、いっしょに来いよ。ルカを連れ戻すまではゴタゴタするだろうけど、そのあとは面白い旅にするから」

「うむ、どうせなら愉快なほうがよいな」

 ゲンシローはニヤリと笑い、目を閉じた。

 ショウがほほえましく息を吐いたとき、管理所の扉が静かに開いた。

「曲者っ」

 ゲンシローは気配を感じ、毛布をはいで抜刀する。

「うひゃあっ」

 扉を潜った一人が声を上げた。

「シーナ?」

「そうそうっ。ゲンちゃん、刀を引っ込めてっ」

 シーナが頬をヒクつかせながら、指先で刀を押す。ゲンシローは美しく納刀した。

「ったく、静かにしろよなぁ」

「マル?」

「上でレックスさんとか寝てんでしょ? 騒がない」

「アカリも……」

 三人ともフル装備で、ショウとルカの荷物も合わせて持っていた。

「連絡がきたら、すぐ動きたいからね」

 シーナが苦笑いしながらショウの隣に座った。

「……せっかくのベッドがもったいない」

「誰かがいない部屋なんて寂しいだけだよ。みんながいるからいいんだよ」

「でもやっぱり毛布一枚じゃ寒いわね。あんた、また布団になりなさい」

 アカリはそういって、ショウの前に座って体を預けた。

「あー、アカリ、それはズルイ! 今回はわたしに譲れっ」

「あんたにはマルがいるでしょ」

「こないだで懲りたよっ」

「だからウルセーよ、おまえら。人の家で夜中に騒ぐんじゃねー」

「くっ……。またしてもマルに正論を吐かれるなんて……」

 ショウはそんなやり取りに、声を殺して笑った。ルカが見たらやはりいっしょに笑うだろう。その姿をこそ、ショウは見たいと思った。


 黒い魔女は飛び続けた。すべてを振り切るように、夜の闇の中、冷気を切り裂き、一直線に。

 目的地は決まっていた。ショウが教えてくれた。そこに行けば彼女の望みは叶う。

 もし、ショウがいなければ、ショウからその話を聴いていなければ、彼女はおそらく何もできずにいただろう。苦しい過去を抱いたまま、気が狂っていたかもしれない。それだけでも彼に感謝したくなる。

 深い夜から明け方に向かう頃、彼女はそこにたどり着いた。

 崖の上に降り立つ。かつてショウの墓があった場所だった。すっかり雪に包まれている。雪の感触は東京で感じたのと同じだった。不思議なものである。世界が違うのに、こうまで似ている。地球とこの星はどのような関係にあるのだろう。好奇心がうずいた。それを探る旅もよさそうだった。ショウとなら解明できるかもしれない。いや、できなくてもいい。楽しい旅にはなるから。

 遥は微笑み、手にした雪を空に撒いた。風に舞い、薄い朝日に輝く。

「アハハハ……」

 声となっていた。少女の顔であった。

 風が吹き、頬から熱を奪っていく。笑顔が凍りつき、心まで冷えていった。

 崖の端に近づき、彼方を見つめる。魔力を感じた。

「そこね」

 遥は跳躍し、30秒ほど飛び、その場所に着地した。目立たないが遺跡の入り口があった。カモフラージュされていたが、漂う魔力は隠せない。

「どうやらお客様のようです」

 遺跡の中にいた獣人が耳をピクリとさせた。赤服を着たコボルドのジョンである。浅い眠りから覚醒し、剣を手に取った。

 彼の反応に、そばにいた二人も眠気を断ち切った。

「ミコが戻って来たんじゃないのか?」

「気配は似ていますが、違います。二人はここにいてください」

「馬鹿言え、オレたちも行くぜ。敵なら人数が多いほうがいいし、そうじゃないなら話をするのにあんたじゃややこしいことになる」

 ブルーの意見には聞くべきところがあった。ジョンは「しかたありませんね」と先に立って歩いていった。

 遥は入り口を入ってすぐのホールで立ち止まった。近づいてくる気配を彼女も感じていた。ショウの話が本当であれば、ミコとジョンという二人がいるはずである。しかし、気配は三つあった。仲間が増えたのか、それともまったくの別のグループなのか、遥は考えたが頭を振る。どうでもよかった。邪魔をするなら排除するだけである。願わくば、ショウを助けた二人であってほしい。きっと話せばわかるような、親切な人たちのはずだから。

 遥はホール全体に光を灯した。やってきた三人の姿がはっきりとわかる。

「ブルーさん、ピィさん……?」

 遥はつぶやいた。なぜこの二人がここにいるのかわからなかった。

 それはブルーとピィも同様だ。初対面の黒髪の少女が、自分たちを見て驚いている。しかも名前まで当てられた。

「ピィ、あいつを知ってるか?」

「初対面」

「だよな、オレも知らねぇ」

 視線もそらさずブルーは応える。だが、奇妙な既視感がある。本当に知らないのだろうか。記憶を洗いなおす。

 「敵対者ではなさそうですね」ジョンは剣に伸びていた手を外した。

「失礼、あなたはどなたですかな? わたしはジョン。主人に変わり、この遺跡の留守を預かっているものです」

「あなたがジョン? 人間ではなかったの?」

「わたしもご存じなのですか? わたしはコボルドです。して、あなたは?」

「遥。あなたのことはショウから聴いた。ミコという人はいないの?」

「ショウ!?」

 ブルーたちは驚きの連続である。その名前まで出てくるとは思いもよらない。

「……ミコ様はいません。外出しております。ミコ様にご用件でしょうか?」

 ジョンは再び剣の柄に手を伸ばした。ミコを知る者は多くない。この少女がショウの口を割らせてここへ来たという可能性も捨てきれない。刺客としてだ。

「そう。できればお礼を言いたかったんだけど。ショウを助けてくれてありがとう。今、彼はボダイの町にいる。元気に……旅をしてるわ」

「それはようございました。ですが、あなたが何者であるか、まだ答えていません」

「あ、おまえ!」

 緊張感が漂うなか、ブルーが声を上げた。

「なんですか、いったい?」

 ジョンが叱責するように問う。

「わかった、思い出した! おまえ、ルカだろ!?」

 「ルカ……?」ジョンは首をかしげた。

 「???」ピィも首をかしげた。

 「え?」遥も首をかしげた。

「なんで、わかったの?」

 遥はブルーを凝視した。

「おまえ、このあたりの山を削ったあと倒れただろ? そのとき、その姿になったんだよ。魔力マナを使い切ったからか、よくわかんねぇけど。翌朝には戻ってたからあえて言わなかったけどな」

「おー、変身銀髪少年」

 ピィも思い出した。

「なるほど、そんなことがあったんだね。ボクはぜんぜん記憶にないけど」

 遥はルカの姿に変わった。

「君は、11号素体(イレブン)……!」

 ジョンだけは警戒を解かない。むしろ強まっていた。

11号素体(イレブン)? そっか、この体を知っているんだ? ミコって人も、もしかしてそうなのかな?」

「……」

「沈黙は時として能弁だよ。安心して。ボクは敵じゃない。あなたたちに用もない。この場所に用があるんだ」

「なんですと?」

「ここにあると思うんだよね。東京へ帰る秘密が」

「トーキョー?」

「オレたちの世界の都市名です。……ルカ、なんでそんなもんがここにあると思ったんだよ? ここには魔力発生器くらいしかないぞ」

 ブルーがジョンに答え、ルカへと向き直った。50日ほど遺跡にいるが、彼らが見つけたのはそれだけである。大自然から魔力を吸収し、増幅する装置だ。どうやら暴走しているらしく、それがこの地方の異常気象につながっているのがわかっている。

「そんなはずはないよ。それじゃショウの話とつじつまが合わないんだ」

「彼が何か言ったのですか?」

 ジョンがピクリとした。

「その反応。また語ったよ」

「……どうやら、ミコ様は誤られたようですな。やはりあの少年は殺しておくべきだったのです」

「殺す……?」

 物騒な単語とジョンの殺気に、ブルーとピィはあとずさった。

「ショウを殺す? そんなの、わたしが許さない!」

 ルカは瞬時に遥へと戻った。右手をジョンに差し出し、体内のマナを活性化させる。

「!」

 ジョンは長い戦闘経験で危機を察知し、一瞬早く彼女の視界から逃れた。今までいた場所の石床が爆ぜた。

「おい、ちょっと待てよ! 落ち着け、二人とも!」

 ブルーが破砕片から顔をかばいながら叫ぶ。

 しかし、そんな言葉に力はない。二人にとって、ブルーは路傍の石と変わらない。

 ジョンは剣を抜き、全速力で遥との間合いを詰めた。

 遥は冷静であった。フェイントを混ぜ、狙いをつけさせまいとする獣人の姿を見逃さない。

 ジョンはそれに気づいていたが、距離をとられていては勝ち目はなかった。死中に活を見出すしかない。

「ショウの敵は――」

 「滅びろ!」遥は体内のマナを爆発させた。360度オールレンジ攻撃である。ジョンは吹き飛ばされ、壁に激突した。

「ジョン!」

 ブルーとピィが駆け寄り、二人で【治癒】魔法をかける。どうにか間に合いそうだった。

「どいて、そいつは殺す」

 音もなく、背後に遥が迫っていた。

「待て、もうジョンは戦えない。おまえの邪魔もできない。だから見逃せ!」

「こいつはショウを殺すと言ったの。そんなヤツは放置できない」

「誤解があるに決まってる。でなきゃ今もショウは生きてないだろ? 彼らが助けたのは本当なんだから、言い分くらい聴いてやれよ。それにおまえがジョンを殺したなんて知ったらショウは悲しむぞ。発狂するかもしれない」

 ブルーは必死になってまくしたてた。言っていて、それがあながち間違いではないと気付いた。彼の知るショウは、そういう少年だった。

「……!」

「あいつにとってはおまえもジョンも大切なはずだ。そんな二人が戦ってジョンが死んだなんて、どうやって報告すりゃいんだよ? 責任を感じておかしくなるぞ」

「……そうかも」

 遥は殺気を消した。

「おまえも言葉がたりねーんだよ。話せばわかることをややこしくすんな」

「ごめんなさい……」

 遥が素直に頭をさげたので、ブルーは意外に思った。

「で、おまえはここに何しにきたんだよ? そんなカッコになって」

「言ったでしょ、東京へ行くため」

「なんでここから行けるなんて思った?」

「ショウはここで東京へ帰った。魂だけみたいだけど。そして戻ってきた」

「臨死体験ってやつか? 夢じゃないのか?」

「ショウは夢じゃないと言った。だから本当」

「おまえ、盲目すぎだろ」

 ブルーは呆れた。その目の前でジョンが呻いた。【治癒】が効いてきているようだ。

「信じてくれなくてもいいよ。目星はついたから」

「目星?」

「あなたたちこそ騙されてる。彼らはあまりいい人たちとは言えない。だって、こんなにいろいろあるのに、あなたたちには見えていないみたいだから」

 遥は奥の間へと歩いていった。

「おい! ……ピィ、ジョンは任せる」

 ブルーは遥を追った。

「大きい狼……」

 遥は奥の部屋で眠っている銀狼に見入っていた。銀狼はこのところ眠っている時間が増えていた。今の騒ぎでも目を覚まさなかったほどの深い眠りだ。バルサミコスはその原因に気付いていたが、対処はしなかった。それが摂理であったからだ。

「死にかけのショウを初めに拾ったのがこいつらしい。ミコとジョンはここでショウを発見して、世話をしていたんだ」

「そう。ショウの本当に恩人……恩狼だね。ありがとう」

 近づいてくる人間の気配に、銀狼は鼻をヒクつかせた。何かを感じ取ったのか、ゆっくりと目を開けて首をもたげる。遥が首を撫でると、狼は喉を鳴らして頬を擦り付けた。

「おまえにショウの匂いでも感じてるんじゃないか?」

「そうかな。そうだといいな」

 遥は無邪気に笑った。

「おまえ、男と女のどっちなんだ?」

「日本では女。気になる?」

「やらしい意味はねぇっ。その体の変化がなんだろうなって思ったんだ」

「わたしも知らない。アリアドが言うには特別なんだって。十天騎士の11番目らしいわ」

「十天でなんで11番なんだよ?」

「ね、ツッコむよね、それ」

 遥はまた笑った。ブルーにはさっきまでジョンを殺そうとしていた人物とはとても思えない。

「つか、アリアドに会ったのか?」

「うん。ちょっと体調悪くしてね。治してくれた。意外と世話焼きだよね」

 アリアドにはアリアドの打算があってのことだが、助けられたのに変わりはない。

「ショウも助けてもらったって言ってたしな」

「え?」

 「……やべぇ」ブルーは口を滑らせたのに気付いた。

「詳しく」

 遥がズイッと迫る。

「言えねーよっ。ショウとの約束だ!」

「わたし、ショウに関することならどんなことでもするよ? 死なない程度の拷問だって辞さない。ギリギリまでやって治して、またはじめから繰り返す。話すまでずっと」

 「こえェーよ!」ブルーは降参した。冗談にはまるで聞こえない。

「……あいつ、兵士にケンカを売って牢屋行きになったろ? その牢から出られるようにしたのがアリアドなんだよ。アリアドはケンカ相手だったハリーってのが嫌いらしくて、打ちのめしたショウに興味を持ったんだと」

「へー。あの人、見る目があるね。でも、ショウはその恩人のアリアドをあんまり好きじゃないみたいなんだけど、なんでだろ?」

「そこまで知るか」

 ブルーはそれ以上、話さなかった。

 銀狼と名残惜しそうに別れ、遥は地下へと降りた。ブルーも何度か探索に来たが、めぼしいものは何もなかったエリアだ。

「このさきに何かあるのか?」

「ホントに見えてないんだね。でも、そのほうが幸せかな」

「どういう意味だ?」

「こういう意味」

 遥は周囲にかけられたカモフラージュの魔法を解除した。

「!」

 その部屋には、今まで何もなかったはずだった。狭い、通路のような部屋だった。それが大きな空間に変わっていた。机が並び、その上にはガラスケースが置かれていた。何が入っていたのか、動植物の組織などがこびりついていた。壁際には液体を満たした巨大な瓶がいくつもあり、異常な体をした動物が浮かんでいた。

「なんだよ、これ……」

「なんだと思う?」

「動物の実験施設……」

「おそらくそう。刺激が強いから、あなたたちには見えないようにしてたのかな。もしくは――」

「秘密の研究だから見られたくなかった?」

「答えはジョンとミコに訊いてみたら? もうすべて解除しちゃったから。もしかしたら、これであなたたちも殺されるかもね」

 ブルーはゾッとした。たしかに、これが遺跡の秘密だとしたら口封じも不思議はない。

「でも、これは違うかな」

「……なにが?」

「ジョンたちがやってたわけじゃないみたい。ずいぶん古い物だし、手を付けた形跡もない。ただ景観が悪いから隠したってのが正解かな」

「そうか。それはよかった……」

 ブルーは安堵した。が、本当に安心していいものかわからない。

 遥はどんどん進んでいく。いくつかの実験室を越え、ついにそこへたどり着いた。

 入ってきた側以外のすべての壁と、床と天井に魔術陣が描かれていた。巨大な円陣は時計のように回転を続けている。

「何の部屋だ?」

召喚門ゲート

「ゲート? これが東京につながっているのか?」

「おそらくね。わたしも初めて見るし、ただの推測」

 遥は魔術陣に書かれている魔術文字ルーンを読んでいく。壁にはメモが張り付けてあり、翻訳作業に大いに役立った。

「日本語で書いてあるってことは、ミコって人の字かな」

「だろうな。オレたちはこの部屋も知らなかった」

「秘密がいっぱいね」

 遥はチェックを急ぐ。いつ、ミコという者が帰ってくるかわからない。争いになれば面倒なだけである。

「……東京に行ってどうするんだ? 行くってことは、帰ってくるんだろ?」

「そのつもり。アリアドに頼まれてることがあるの。未曽有みぞうの危機なんだって」

「なんだそりゃ?」

 ブルーの頭の中は、もうすでに未曽有の危機である。誰を信じていいものか、わからなくなっている。

「国が滅ぶって言ってた。そのために十天騎士の力がいるんだって」

「……おい、さらっと何を言いやがった?」

「国が滅ぶ」

「ちょっと待て、おい!」

「大丈夫。わたしが何とかするから。ショウのいる世界を壊させたりしない」

 遥は自信満々で言った。

「おまえ、本当にショウが大好きだな」

「うん。マルやアカリ、シーナだってけっこう好きよ。こんなに世界はいいものなんだって、みんなは教えてくれた。だからわたしは戦える。でも、それで死ぬかもしれないから、その前に一人だけ殺しておかなきゃいけないの。あの男だけは、生きてる価値がないから」

「……!」

「……さて、これでいけるかな?」

「おい待て! まさかそいつを殺すために東京へ!?」

「そう言ってるじゃない。部屋、出てたほうがいいよ? いっしょに東京へ行きたいならいいけど」

 ブルーは慌てて部屋の入り口まで退避した。

 魔術陣が多彩な色を発し、回転をはじめた。

「ルカ、やめろ! ショウはおまえが人を殺しにいくなんて知ったら――!」

 遥は肩をビクつかせた。しかし、彼女は振り返らない。断ち切るように叫んだ。

「どうせもう会えない! だからどう思われてもいい! 嫌われてもいい! これだけはやめられないの! でも、かわりに世界は救ってみせるから! ショウの世界はわたしが守るから!」

「バカヤロー! ショウが望むのは――!」

「わたしじゃないよ……」

 さまざまな光が収束し、白となった。

 まぶしさにブルーは目を閉じた。しばらくして瞼に光を感じなくなると、様子をうかがった。

 魔術陣はゆっくりと回り続けていた。しかし、中心にいた少女の姿はなかった。

「クソ、なんなんだ、これは! どうする、どうすればいい……?」

 ブルーは部屋を離れ、階段を駆け上がった。しかしその先をどうすべきか迷いが晴れない。誰が味方で、誰が敵なのか、それすらもわからないのだから。

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