41 少女のユメ
少女は夢を見ていた。否定したい、忌むべき夢だった。それは、現実である。
知らない男が立っている。母が連れてきた男だった。笑顔の素敵な人だった。
ゆっくりと手を差し伸べられ、オズオズと握ると、彼は微笑んで握り返した。
いい人だと思った。
その印象はすぐに霧散する。
いっしょに住むようになると、毎日のように母に暴力を振るい、その余波は自分にも襲った。
一つのミスが十の罰となり、二つのミスが百の暴力となった。
それでも耐えられたのは、母がかばってくれたからだ。
いつかきっと、この悪党は裁かれる。
誰かが気付いて、わたしたちを助けてくれる。
ヒーローが現れて、この酷い男を殴って懲らしめてくれる。
きっと、いつか。
絶対に、いつか――
そう信じて生きていた。
けれど、それは夢だった。現実が、悪夢だった。
悪党は裁かれない。誰も気づかない。誰も助けてくれない。ヒーローなんていない。
眠ってみる夢は楽しかった。こんな狭い部屋ではなく、大きな町で、広い世界で、大好きな人と、気のいい仲間と、笑いながら、はしゃぎながら、ともに歩く。そんな夢が現実だと思いたかった。
目覚めたとき、母はいなくなっていた。
守ってくれる人はいなくなっていた。
なぜ?
自分が守らなかったからだろうか?
守ってあげるべきだったのだろうか?
わたしが男だったら?
わたしがボクだったら?
こんな理不尽はなかっただろうか。
母を守れただろうか。
わたしが強ければ、もっと力があれば、この頬の傷はなかっただろうか。
この男を殺せただろうか。
間違いなく殺せた。
……殺してやる。
絶対に、殺してやるっ。
おまえが、いるから、わたしは、ボクたちはァ!
銀髪の少年は、強い衝動を覚えて上体を起こした。
「あら、お目覚めね」
声のした方向を見る。そこには白服の金髪女性がいた。
「アリアド……?」
「はい、アリアド・ネア・ドネです。久しぶりね、ルカくん」
「……なんで、ここに? あれ、というか、ここどこ……?」
「ボダイ庁舎の一部屋。あなた、熱を出して大変だったんだから。それで治しに来てあげたわけ。感情に振り回されて暴走したのよ、困ったものね」
「暴走?」
「あなたを召喚したとき、話したわよね? まぁ、覚えてないだろうけど。その体は特別だって」
「特別……」
ルカは思い出そうとするが、頭痛がするだけで何も出てこなかった。
「無理に思い出そうとしなくてもいいわ。わたしにとっては重要ではないから」
「なんかイヤな夢を見てた気がするんだけど……」
アリアドは微笑んだだけで答えなかった。
「それはさておき、あなたには手伝ってもらわないとならないの」
「何を? なんでボクが? ボクは帰るよ。ショウが……、そうだ、ショウが待ってるっ」
布団を剥ぎ、ベッドから降りる。体がふらつき、貧血のように膝から崩れた。
「まだ無理しない。体力が戻っていないのだから。それに、キミの大好きなショウもこのままだと死ぬわよ」
「!」
ルカが目を剥いてアリアドを睨んだ。
「彼だけじゃない。他の仲間も、この町の人も、この国もぜんぶ死に絶えるわ」
彼女の言葉は誇張が過ぎ、ルカはかえって可笑しくなった。
「そんな未曽有の危機に、ボクに何ができるって言うんだい?」
「今はなんとも。でも、何とかできるとしたら、あなたを含めた十天騎士の疑似体を持つ11人だけ」
「11人なのに十天騎士?」
「そこ!?」アリアドは的外れなツッコミに素で返す。
ルカからの反応がないので、魔女は咳払いをして説明した。
「……あなたの疑似体は予備だったの。廃棄予定だったんだけど、すっかり忘れてたのよ。ま、このさいは結果オーライ、わたしスゴーイ!てカンジなんだけど」
自画自賛する魔女に、ルカは一つ納得した。
「ショウが言ってたけど……」
「なに?」
「アリアドはウザイって本当だったんだ」
「ブフッ」
アリアドは噴出した。
「あなたの話が出るたびにショウは顔をしかめるんだよね。今、ようやくわかったよ。ショウは正しかった。うん、さすがショウだ。召喚のとき一度会っただけで、あなたの本質を掴んでいたんだね」
ルカが一言発するたびに、アリアドは精神ダメージを食らっていく。
「やめて、わたしの精神力はもうゼロよ!」
「たぶん、そういうところが一番イヤがられそうだよね。まじめな話をチャカされるの、嫌いそうだし」
「ホント、ごめん……」アリアドは反省した。それでも繰り返すのがアリアドである。
「それじゃマジな話に戻るけど、それこそ未曽有の危機が迫ってるの。でなければ、あなたのところには来なかった。その体は特別でも、今はもうあなたの物なのだから。あなたの希望を聴いてその体をあげたけど、使わないですむならよかった。でも、与えた以上はあなたも契約に従ってもらうわ」
まっすぐ見つめてくるアリアドに、ルカは真実を感じた。
「本当なんだね」
「わたしはそれを止めたい。でも、力が足りないの」
「ボクがいればどうにかなるの?」
「さっきも言ったとおり、わからない。でも、勝率0%が0.01くらいはあがるかも」
「そのあと、ボクはショウのところに帰れる?」
「ええ、もちろん。二度と干渉しないと誓ってもいい」
「そう。なら、行くよ。ボクがショウを守るんだ。今度こそ絶対に守るよ。お母さんは守れなかったけど――」
ルカはハッとした。今、自分は、なんと言ったのだろう……?
「オカアサン……?」
「ルカ、落ち着きなさい!」
アリアドは危険を察知した。中途半端な覚醒は、彼にとっては毒だった。暴走のきっかけにしかならない。
「守る……。そうだ、殺さなきゃ……。あいつを殺す力が欲しかったんだ……。ボクは、わたしは、あいつを殺すために、ここへ来たんだ……。殺す力を手に入れて、あいつを……!」
ルカの髪が黒く変色し、伸びていく。体が縮んでいく。頬にうっすらと傷が浮かんでいく。
「ルカ、それはもう過去よ! 今のあなたはルカなの! ショウの親友のルカなのよ!」
アリアドは心を落ち着かせる【平安】の魔法を込めてルカに訴えた。
「ショウ……? そうだよ、ショウはどこ? ショウに会いたい……」
「彼なら下にいるわ。あなたの帰りを待ってる。すぐ会えるわ。だから落ち着きなさい」
「ショウが、待ってる……。わたしを待っててくれる……。彼はわたしを裏切らない。ちゃんとわたしを見てくれる……」
「そうよ、ルカ。だから安心していいの。あなたはルカでいいのよ」
黒くなりかけたルカの髪が銀色に戻っていく。体の変化も治まっていった。
「……ありがとう、我を忘れるところだった。もう大丈夫。逆にぜんぶ思い出せてすっきりしたよ」
ルカの笑みは言葉とは裏腹に、重く、暗い。
「あなたはその記憶がイヤだったのよ。あなたがこの世界で望んだことの一つは、男になること。そして記憶を消すこと。過去を忘れてこの世界で楽しい人生をおくりたいと、あなたはそう言ったわ」
その反面、ルカは義父を殺す力を欲した。記憶をなくしても、心に刻まれた傷はそれを忘れなかった。それが彼が力を求めた理由である。
「うん、思い出したよ。ありがとう。あなたはボクに最高の現実をくれた。今度はボクがあなたに恩を返すよ」
「ええ、お願い。ごめんなさい……」
アリアドは心からの謝罪をした。自分が接触しなければ、ここまで記憶を掘り返すことはなかったかもしれない。
「それで、すぐに行かないとダメかな?」
「いえ、まだ他のメンバーにも声をかけないとならないの。……そうね、一週間くらいはかかるかしら」
「それじゃ、その間はショウといてもいい?」
「ええ、好きに遊んでいて。一週間後、迎えに来る」
「わかった」
ルカは自分に【体力回復】の魔法をかけた。限られた時間を無駄にはできない。
「えーと、ほどほどにね?」
アリアドは早速心配になった。十天騎士の力を誰に教わるでもなく引き出せる才能は、頼もしいが恐ろしくもある。
「そっちも約束だよ? この一週間はボクに干渉しないでね」
「わかったわ」
答えた瞬間、体に電気が走った。
「約束、だからね?」
「何をしたの!?」
「あなたが約束さえ破らなければ、何も起きないよ」
ルカは微笑み、部屋を出ていった。
「今の、間違いじゃなければ【強制誓約】。約束を破れなくなる魔術……。そこまでして干渉されたくないって、どういうことよ……」
そう考えるのも誓約に反するのか、アリアドは突然、晩御飯のメニューを思い浮かべた。
「ショウ!」
ルカは階段を駆け下り、階下に彼を見つけると飛び降りた。
「無茶すんなっ。病み上がりだぞ!?」
「大丈夫、これくらいじゃ死なないからっ」
ルカはショウに抱きついて思いきり温もりを堪能した。ショウも彼の背中を叩き、全快を祝福する。
「おいおい、ルカくん。いくらなんでも張り付きすぎじゃないかね」
シーナが頬をヒクつかせながらルカを引っぺがす。
「あれ、ヤキモチかい?」
「男にそんなのしないよ! そこまで束縛しないもん!」
「ならいいじゃないか」
と、ルカはまたショウに抱きついた。
「いや、もういいだろ。やめてほしいんだけど」
ショウにとがめられ、ルカは笑って離れた。
「すっかり元通りね。元気になりすぎた気もするけど」
アカリが呆れながら言った。
「治ってくれてよかったよ。おかえり、ルカ」
「うん、ありがとう」
ルカは美少女の笑顔を浮かべ、ショウを真っ赤にさせた。
「やっぱ男でもなんか納得いかないんだけど」
シーナは頬を膨らませた。
夕食の席は昨夜に続き、ショウたちの他にレックスら第4小隊のメンバーとゲンシローが共にしていた。
今回はケイジもいたが、他人と馴染もうとしないようで、話をするのも小隊メンバーとだけである。彼の小隊参加のきっかけは、異世界人管理局の意向であった。小隊制度が本格的に始動し、任地の選定がはじまったころ、小隊人数が足りないところへ当時の総務部長が適当に割り振ったという。ケイジ本人も拒否はしなかったので、そのままメンバーに加えられた。主体性に乏しく、命令には従うが、それ以上は動かない。他人への興味もあまりないようだった。レックスは未だに彼をどう扱うべきか迷うときがある。
食事が始まってすぐに、レックスはルカに事件現場にいた理由を訊いた。ボダイ守備隊の兵士長コッパーも気にしていた件であり、放置もできない。
ルカはしばらく黙りこみ、それでも話しはじめた。
深夜、眠りが浅く目が覚めると、ふと外から足音が聞こえた。窓を開けると、少女が走っていた。その子は昼間に見たスリで、その両手にはどこで手に入れたのか、いっぱいの荷物があった。おそらく、どこかで盗んできたのだろうと思った。
「……あの子を昼間逃がしたとき、ボクは見たんだ。彼女の体に体罰の痕があったのを。火傷とか、ミミズ腫れとか。普通じゃつかない傷だった」
それは、ルカの体験でもあった。
「それって、スリや泥棒を強要されてたってこと?」
「ボクもそう感じて、あのとき彼女の拘束が緩くなったんだ。それで、深夜までそんなことをしているのが気になって、あとをつけたんだよ」
想像どおり、旧市街の廃屋で、彼女は中年の男に成果を渡していた。しかし、稼ぎが少なかったのか、男は彼女に暴力を振るいはじめた。
ルカは思わず飛び込み、男を弓で脅して彼女を解放させた。そして二度とこんなことをさせるなと言ったが、男は反発した。
話が平行線となったとき、黒い髪の女が突然現れ、魔法を唱えだした。
「その女、男とどういう関係だったのかな?」
「さぁ。ボクはよくわからないうちに外へ飛ばされて、あとは覚えてないんだ。気が付いたらベッドの上だし」
「ロニという少女の話とつじつまは合う……」
レックスは腕を組んだ。だが、あまりにも都合がよくも聞こえる。
「それじゃ、おまえの病気はなんだったんだ?」
「わからないよ。自分がいつどんな病気になるかなんて自分じゃ選べないし」
「そりゃそうか。運が悪かったのか、その女の毒気にでもやられたのか」
「毒気って」
シーナが笑う。
「魔女って言われるとそういうのも発してそうじゃないか。なんであれ、男を殺したのもそいつで間違いないだろうし」
「でも、結果的に子供たちは助かったわけだし、よかったよね?」
ルカがショウに意見を求めた。
「どうなんだろう。男のしていたことが本当なら許せない行為だし、それ絡みで殺されたのなら同情はできない。でも、行き過ぎな気もする」
「魔女は許せない?」
「うーん、わかんないな。男は逮捕されて正当に裁かれるべきだと思うけど、それはオレが被害者じゃないから言えるんだよ。恨みはその人にしかわからないし、一方的に賛成も反対もできないかな」
ショウは苦笑いを浮かべる。そんな少年に、「ショウならそう答えると思ったよ」と、ルカは薄く笑った。
「ルカくん、今の話を明日までに報告書でまとめておくから、読んでみて間違いなければサインを頼む」
レックスが話の切れ目を狙ってルカに言った。ルカは「うん、わかった」と簡単に応えた。
「そういえば、今日はゴタゴタしすぎて仕事がうやむやになったけど、明日はどうする?」
「ボクは休むよ。本調子と言えないし」
「大丈夫か? いっしょにいようか?」
「ホントに? それじゃお願いしようかな」
ショウの申し出にルカは飛びついた。
「ならわたしも明日は休む! 今日も休んだけど、明日も休む!」
シーナが対抗する。
「オレも寝てるわ。あさってからがんばる」
ダメ人間のようなセリフを吐いて、マルは酒を呷った。すでに顔が真っ赤なので、はじめから休む気であったのが丸わかりだった。
「それじゃあたしもやめとく。かわりに、きのうも今日もロクに体を動かせなかったから訓練にあてるわ。レックスさん、兵舎の訓練場って許可をとれば使えるかしら?」
「ああ、問題ない。そうだ、オレたちもこのあと鍛錬をするが、よければいっしょにどうだろう」
「ホントに? それは助かるわ。やっぱり日課はこなしておかないとね。調子悪くなっちゃう」
アカリは嬉しそうにレックスに礼を言った。
ショウもそれに便乗する。
「あ、オレも。ルカ、手伝って――て、無理だった。シーナ、相手を頼んでいい?」
「もちろんいいよ」
「おいおい、相手ならここにもいるだろう? 勝負しようぜっ」
タカシが呼びかける。だが、ショウは難色を示した。
「絶対勝てないからヤなんですけど。もともとのレベル差に加えて、三ヶ月の療養生活でかなり差がつけられてるんですよ?」
「あ、そうか。でも、それはそれだ。せっかくだから相手してくれよ。ジューザとばっかで飽きてんだ」
「オレのセリフだ」
二人はメンバーの都合で自然と手合わせすることが多い。レックスでは体格差がありすぎ、ケイジは魔術寄りで剣術に興味はなかった。
「オレが三人まとめて相手をしてやるぞ」
ゲンシローが不敵に笑う。
「あ、テメェ、言ったな? 三人がかりなら余裕だぜ。地面に這わせてごめんなさい言わせてやるっ」
「それは負けフラグだ」
ジューザのツッコミに一同は笑った。
「それじゃ、食事が終わったら部屋へ……て、宿とってねー!」
「あー!」
ショウが叫ぶと、チーム・ショウの面々が同時に反応した。朝から忙しく、延長を申し込むのを忘れていた。荷物もどうなっているかわかったものではない。
ショウとアカリ、シーナはすぐさま店の主人と掛け合った。マルとルカも自分の宿へと急ぐ。
ショウたちの部屋はすでに他の客に押さえられていた。が、宿の取り決めとして、空き部屋の荷物は24時間だけ倉庫で預かるシステムを採用していたので無事であった。改めて空き部屋を確認すると、四人部屋が一室だけ残っていた。即決で部屋ごと押さえる。
「助かった。この寒さの中、外に放り出されたら死ぬ」
「ルカたちは大丈夫かしら? 一人はこっちで受けられるけど……」
アカリが扉に目を向ける。
「一人なら管理所で受け入れるぞ。二人部屋が三部屋あるからな」
「助かります、レックスさん。二人が追い出されていたらお願いします」
20分ほどして、ルカが戻ってきた。荷物がないので捨てられたのではないかと不安になったが、違った。
「あの宿、あんまり人気ないみたいだね。部屋も荷物も残ってたよ」
「マルは?」
「戻ってくるのが面倒だから、そのまま寝るって」
「言いそうなことだ」
ショウは呆れたが、マルらしいとも思う。
「それじゃ、オレたちは訓練場に行く。ルカは残りの食事を済ませたら、宿へ戻るか?」
「ううん、そっちに顔を出すよ。アドバイスくらいはしてあげるよ」
「わかった」
ショウは手を振って会計を済ませにいった。カウンターで驚き、なにやらボヤきながら精算していた。その足で稽古に使う剣や盾を取りに行き、食事を再開しているルカのところへと戻った。
「マルのメシ代も払うハメになった……」
不機嫌にこぼすショウに、ルカは遠慮なく笑った。
いつもと違う相手との練習は刺激があり、勉強になった。たがいに手の内が知れている間柄では動きを予測できてしまい、パターン化する。初手合わせならば今までのパターンは役に立たず、手探り状態で、しかも早急に慣れなければならない。そこではこれまでの経験と技量が生きる。ショウはタカシやジューザ、ゲンシローと何度も剣を交えたが、一度も勝てなかった。
「この見事な負けっぷり!」
ショウは開き直るしかなかった。
「うーん、そんなに悪くないんだけどね。あと一手が足りないかな」
ルカがそう評した。
「だね。ショウってネタ的な意外性のある戦い方もするけど、そうじゃないときはとにかく素直なんだよね。わかりやすい」
シーナも同意する。彼女の戦績は、タカシに勝ち越し、ジューザとほぼ並び、ゲンシローには全敗している。やはり昔から鍛え上げている生粋の剣士は強かった。
「一発屋みたいに言うなっ」
「事実でしょ」
アカリは冷たく言い放つ。ショウがアカリに唯一勝ったのは、まさに一発ネタの奇策のおかげだった。
「ショウも魔法を覚えたらどうだ? それを軸にすれば戦術の幅が広がるぜ」
タカシがアドバイスする。彼自身も魔法を覚えており、特に【束縛】は街中での応用が効いて便利であった。ただ、この魔法は対象者が高い抵抗力を持っていると効果が発揮されない欠点もある。
「覚えたいのは山々だけど、金がない……」
ショウは頭を振る。旅の道中に、ルカから少しずつ魔術の基礎については話を聴いているが、座学の範囲を超えていない。術にたどり着くにはまだまだ時間がかかるだろう。かといって訓練所や魔術師協会に通う予算も時間もない。
「セルベントになっちゃえよ!」
軽く言うタカシに、苦笑いを返すのが精一杯だった。
「それじゃ明日は、魔法の実践でもしてみる?」
「マジか!?」
ルカの提案に、ショウは体ごと振り向いた。
「うん。座学って飽きるもんね。実際にやってみたほうが早いこともあるし。うまくいけば、【水生成】くらいならマスターできるかもよ」
「マジか!?」
今度の発言はシーナである。そんなに簡単にできるなら、お金を払ってまで覚えた自分がバカみたいではないか。
「つきあうなら、シーナにも違う魔法を教えてあげるけど?」
「やる!」
「あたしも!」
シーナに続いてアカリも挙手した。
「え、てか、そんな簡単に魔法って覚えられるのか?」
タカシたちは半信半疑だった。訓練所や魔術師協会のもとであるならわかるが、異世界人の個人指導でマスターできるとはとても思えない。
「ルカはちょっと特別なんですよ。訓練所でも天才と呼ばれてたらしいです」
「へー。でも、教わる側が凡人じゃダメじゃね?」
「……」
ショウは反論の余地がなかった。たしかに『魔法強度:9』のステータスでは見込みはなさそうだ。
「関係ないよ。これは技術なんだから。学んで理解すること。それ以上に、できると信じること。魔法を使うには、その二つがあればいいんだよ」
「ルカが言うなら信じるさ。マルもそうやって魔術師になったんだもんな」
「うん。疑っちゃダメだよ、ショウ」
ルカは少年に、優しい笑みを浮かべた。
明けて12月8日。早朝よりルカを講師とした魔術基礎実習が開始される。場所はボダイ兵士宿舎の訓練場である。
メンバーはショウ、シーナ、アカリ。見学にゲンシローがいる。マルはまだ寝ていると思われるが、誰も気にかけていない。レックスたちは異世界人管理局専属召喚労働者として職務に勤しんでいる。
「まずは魔法の基本。魔力の制御からいこうか。リラックスして、自分の体内にあるマナを感じるんだ。このとき、そんなものはないとか疑っちゃダメ。きのうも言ったとおり、あるんだ。信じるんだよ。まずはそれが一歩」
「具体的にはどんなカンジなんだ?」
「血液、かな? 血の巡りと、マナの流れは基本いっしょなんだ。マナの総量も血液量に比例すると言われているくらいだからね」
「それじゃ、体がデカいほどマナがあるってことか」
ショウはレックスを思い浮かべた。自分より20%は多そうだった。
「そうなるね。でも、それをうまく使えるかどうかはその人しだいだよ。まずはやってみよう」
ルカが手を叩く。弟子3名は直立不動で目を閉じた。もっとも早く感覚をつかんだのはシーナである。彼女はすでに魔法を複数取得してるのだから当然であった。
シーナは改めて基礎をこなしていて、以前と違うことに気付く。初めてマナを感じたときよりも強い気がした。これは気のせいではなく、鍛えられてきた証であった。パラメーターでいう、『魔法強度』の数値である。これはマナの濃度を表しており、深まれば深まるほど魔法の威力も向上する。
「さすがシーナだね。この基礎制御を毎日やっていれば魔法強度も上がるよ。魔法を実際に使うほうが早いけど、この練習も悪くない。ちょっとした合間にもできるからオススメだよ」
「知ってたならもっと早く教えてくれればいいのにっ」
目を閉じたままシーナが愚痴る。集中力が途切れ、マナも乱れる。
「訓練所で教えてくれたはずだけど。基礎は大事だって」
「そ、そうだっけ?」
シーナはすっかり忘れていた。
ルカは残り二人に目を移す。ショウもアカリも、額に汗を浮かばせるほど力が入っていた。
「それじゃ、はじめのころのマルといっしょ。リラックスして。深呼吸。難しく考えなくていいんだよ。いっそ寝ちゃうくらい適当で。鼓動に意識を向けてみて。その脈動一つが、マナを生み出しているんだよ。マナはあるんだ」
ルカは静かに二人に近づき、右手でショウの、左手でアカリの胸を掌で軽く叩いた。
二人は突然の感触に驚き、目を開けた。アカリのほうはより顕著で、胸を触られたと思って腕でかばう。
が、それ以上の驚きが待っていた。目の前に光が溢れて見えた。ユラユラと漂い、空に昇っていく。
「これは……?」
「マナだよ。二人とも制御ができてないから、マナが体から零れているんだ」
「こんなふうに見えるものなの?」
「見えるようにしただけ。このほうが実感できるでしょ?」
「ああ、スゲェ……」
ショウとアカリは素直に感動した。光は薄れ、見えなくなった。
「それじゃ、もう一度。本来は視るのではなくて、感じるものなんだ。今のイメージを感じてみて」
二人はうなずき、深呼吸をした。
「さてさて、二人はうまくいくかな」
シーナはルカの側に立ち、ショウたちを見守った。
「大丈夫だよ。ほら、アカリのほうはもう流れがまとまってきてる。集中力がやっぱり高いね」
「……てか、ルカは他人のマナまでよくわかるね? いいカンジになってるのはわかるけど、そんなにはっきりしないよ?」
「天才だからね」
ルカが自慢げに笑む。
「うわっ、ムカツクぅ!」
シーナが怒ると、ルカは声にして笑った。
「あはは。……んー、ショウのほうは苦戦してるね」
「だからよくわかんないって」
「なんだろう、流れがおかしいな。ショウはあまり魔法には向かないのかも」
「あらら~……」
シーナは同情する。この世界にいて魔法が使えないのはカワイソウというものだ。
「それも練習しだいかな。……はい、いったん止め!」
ルカの号令で二人は目を開き、深呼吸した。
「これが基礎になるから、自分でマナを実感できるまで練習ね。それができたら本格的に魔法を教えるから」
「了解っ」
アカリは自分でも悪くないと思っていた。体内に力の流れを感じている。
一方、ショウはアカリほどの手ごたえがない。いや、手ごたえどころか何も感じなかった。マナなんて本当にあるのかと、つい疑いたくなる。
「ショウ、服を脱いでみて。上だけでいいから」
「あ?」
唐突なルカの注文に、ショウは苛立ちと驚きにガラが悪くなる。
「マナの流れがちょっと気になってね。通常は循環するんだけど、どうも背中のほうで止まっているような……」
「そうなのか?」
ショウはコートを脱ぎ、上着をめくった。うまくいかない原因がわかるのなら寒さにも耐えられる。
「これだね」
ルカはショウの背中に手を当て、なぞった。ショウがゾクソクしながら「何が?」と訊いた。
「背中に痣があるでしょ? 花びらみたいな4つの痣。ここにマナが集まって、流れを阻害してるんだ」
「痣? あったっけな?」
「山で遭難する前はなかったよ。そのときの怪我かな」
ともに風呂に入る仲である。背中くらいは見ている。
「マジか? 何とかなんないのか?」
「【治癒】魔法はさんざんしてるでしょ? それで消えないってことは、おそらくダメだね」
「それじゃ、オレに魔法は無理ってこと?」
服を直しながらショウは訊ねた。
「それはなんとも。しばらく基礎練習をして、様子をみるしかないね」
「なんてこった……」
ショウのため息は深かった。
「でもあたし、その痣好きよ。なんか温かいのよね」
「わかる! わたしもなんかほわーとして好き!」
女性陣二人が盛り上がる。しかしショウはかえって盛り下がった。
「そんな抽象的な好意よりも、オレは魔法が使いたい……」
「ゼイタクな男ね」
アカリは鼻を鳴らした。
昼近くまで魔法の訓練は続いた。
アカリは加速度的に進化を遂げ、マナの制御を物にしていく。
しかしショウのほうはどうしてもうまくいかない。ルカから観て、マナは正しく流れ、まとまりもできていた。が、最後にやはり、マナは背中へと吸い込まれていくのだった。
「ショウ、ゆっくりやっていこう。流れは悪くないんだ。ちゃんとできるようになるよ」
それが慰めであるのがショウにはわかっていた。自分でも感じられるようになっていたからだ。制御したマナが、循環せずに背中へと流れていくのを。
「ありがとう。がんばってみるよ」
ショウはルカに笑顔で応えた。
四人が魔術訓練に励む間、もう一人は身じろぎもせずにじっと観察していた。
ゲンシローは魔法をよく知らない。故郷の山にときどき現れる小鬼が使うのを見たが、その力を欲したことはない。しかし、武者修行に出た身としてはあらゆる強さを知らねばならない。アカリの言葉を、彼は心に刻んでいた。
「ふむ、試してみるか……」
ゲンシローは刀を抜き、アマミヤ流上段構えの姿勢をとる。彼がもっとも好む型で、何時間でも姿勢を保っていられる。いわば、彼のリラックス方法だった。
数分ほど微動だにせず、カッと目を見開く。
上段からの真向斬りが刹那で完了した。
と、次の瞬間、剣先の延長にある壁に、一筋の傷が発生した。その形は、ゲンシローの剣の軌跡とぴったり符合する。
突然の石壁が破裂する音に、ショウたちは周囲を見回す。
「ふむ、これは使えそうだ」
ゲンシローが壁を見て一人でニヤついていた。ショウたちが彼の視線を追うと、壁の傷に行き当たる。
「え? まさかあれ、ゲンがやったの……?」
「うむ。おまえたちの言っていた『まな』なる力を放ってみたのだ」
「放ってみたって……。それでできるのかよ!」
「できたではないか」
ショウのツッコミに、ゲンシローは不愉快な顔で応じた。
「見たものを受け入れ、自らの向上に役立てる。疑いもせず、できると信じて。すごいな、彼は」
ベタ褒めするルカに、ショウはなぜかムッとした。
「……オレもがんばろう」
ショウはゲンシローには負けたくないと思った。
昼食をはさみ、午後は武器戦闘の訓練をする。惰眠をむさぼっていたマルも参加し、濃密な稽古が行われた。
ここでもゲンシローの存在が目立つ。武器戦闘となれば彼の独壇場であった。ルカが病み上がりで参加しなかったので一強状態だ。アカリの腕をもってしても、純戦闘能力では遠く及ばない。今となっては奇策を用いても勝てるかどうか怪しい。なにしろ『溜め』が必要とはいえ、斬撃を飛ばしてくるのである。見えず、防げない攻撃は、構えを見せられるだけで恐怖である。
「そのうえ、こっちの飛び道具が無効化されたら勝ち目なんかないわよ!」
アカリはことごとく矢を打ち落とされ、お手上げ状態だった。
「わたしなんて盾を割られたんだけど……」
シーナが不平を漏らす。しかし盾がなければ、シーナの左腕はバッサリと落ちていただろう。
「ゲン、真剣はやめろ。訓練で人を殺すぞ」
「軟弱なヤツらめ」文句を言いつつも、ゲンは刀を外した。
「ではかわりに、そのナマクラを借りようか」
ゲンはシーナに手を伸ばす。彼女の持つ剣を『ナマクラ』呼ばわりしたのである。
「誰が貸すか! これはホリィさんからもらった大切な剣なんだから!」
「そんな質の悪い刀など、木刀も同然ではないか。この国にはまともな鍛冶もおらんのか」
「ホリィさんはまだ見習いだもん。でもいつか、スゴイの造るから!」
言い返すシーナの目に、怒りと涙が浮かんでいた。その気持ちはショウにもよくわかる。アカリもムッとしている。
「ゲン、おまえの剣は大切な物だよな?」
「当然であろう。父上と鍛え上げた業の物だぞ。命同然だ」
「シーナにとってはそれと同じくらい大切なんだよ。人それぞれに大切な物があるんだ。その価値を他人が決めるな」
「……っ」
「あれは友人が旅立ちの餞別にくれたものだ。おまえはそんな大切な物をバカにされて許せるか? 父親の剣を大切にするおまえならわかるだろ」
「……すまん。おまえの言うとおりだ。だがな、ナマクラはナマクラだっ。オレがいれば、もっとマシな物が造れるように教えてやるところだっ」
ゲンシローは背を向けてトイレのほうへ向かった。
「なんでこう、ツンデレばっかなんだよ。素直に謝るだけでいいだろ」
「ありがとね、ショウ」
「ホリィさんをバカにされて黙ってられないだろ。けど、あの案はアリかもな」
「なに?」
「ホリィさんにゲンを紹介すること。頭にある知識よりも、刀造りの経験者に習うのはいいんじゃないかな」
「そうかも。いつかゲンちゃんにはナンタンに行ってもらおう」
「ていうか、今すぐ行ってホリィさんと武具屋で働けばいいんじゃないか? いつまでもここにはいられないだろうし」
「あー、そうだねー」
シーナとショウは、他人の人生を勝手に決めて盛り上がった。
そんな二人を、ルカは穏やかな目で見ていた。
「……!」
突然、電気が走ったような頭痛がルカを襲った。思わず頭を押さえ、うずくまる。
「ルカ?」
まっさきに気付いたアカリが呼びかける。
「……大丈夫。ちょっとクラッとしただけ。貧血かな」
「寒い中をずっと座ってるだけだしな。体にいいわけがない。宿に戻ろう」
ショウが肩を貸してルカを立たせる。
「そのまえに、何か食べたい」
ルカは笑みを浮かべた。
「おまえなぁ……」
ショウは苦笑し、「食ったら寝るんだぞ」と付き添って歩き出した。
「宿はオレたちのほうに移ったほうがいいな。むこうよりは温かいし、食事もできるし」
「じゃ、そうしようかな。でも、一人部屋のが落ち着くんだけど」
「訊いてみるよ」と応え、体重をかけてくるルカを支えた。
宿にはシングルの空きはなく、二人部屋なら空室が出たところだった。ショウはその部屋を押さえ、ルカを窓際に寝かせた。
「一人のがよければ、オレは四人部屋のほうにいるから」
「ショウと二人ならいいよ。それより、お腹減った……」
「おまえはホントに……。実は空腹で倒れたとか言うなよ?」
「それかも」
「昼もさんざん食ってただろうが。シーナの三倍くらい」
「体力が落ちてるからね。食べて回復しないと」
「わかった。なんでもいいな?」
「おいしい物!」
「ゼイタク言うな!」
ショウは笑いながらツッコみ、階下の食堂へ向かった。
「どう?」
ショウの装備を持ったシーナが訊いた。アカリとマル、ゲンシローもいた。
「大丈夫だろ。あれ絶対、空腹で倒れたんだぜ」
「それは大変だ。食は命だからね」
シーナがウンウンとうなずく。
「食っていえば、いいのか? 子供のところ行かなくて」
「あー! ……忘れてた。ちょっと行ってくる!」
シーナはうっかりしていた自分に呆れた。装備をアカリに押し付けて、ダッシュで出かけていく。彼女は昨日、ロニをはじめとする子供たちにお菓子を持っていく約束をしていた。
ショウは食堂のカウンターで三人前の食事を注文した。待つ間、カウンター席に落ち着く。
となりにアカリが座り、マルとゲンシローも並んだ。
「ホントに大丈夫なの?」
「わからない。本人はけっこうケロッとしてるから、平気だと思うんだけど」
「あいつ治したっつー司祭だかはなんか言ってなかったのかよ?」
休憩ついでに酒を頼むマル。最近はドリンク代わりになっていた。彼なりに自制はしているようで、昼間はアルコールの弱いものだけだ。
「そういや会ってもいない。コッパーさんに頼んで聴いてみたほうがいいか……」
「それじゃ、それはあたしが。けっきょく庁舎に行くならシーナといっしょに行けばよかった」
アカリは軽く身をひるがえし、宿を出ていった。このアカリの行動は、結局のところ空振りで終わる。コッパーは業務に忙しく、面会もできなかったからだ。もしできたとしても、彼は言葉を濁すか、嘘をつくだけであっただろう。そもそも彼もルカの症状については何も知らず、アリアドからの説明もなかったからだ。
「お待ちどう」と女主人から料理の一部が出された。
「部屋にいるから、次ができたら持ってきてくれるか?」
「わーった。おまえらの装備も持っていくぞ?」
「頼む」
ショウはお盆を持って階段を上がっていった。
「では、オレは戻るとしよう」
ゲンシローが立ち上がった。ルカの様子さえ聞ければ用件はない。いても役に立つわけでもない。
「まー、居ろよ。ルカもショウもあれじゃ、アカリたちが戻ってきたら男がオレだけになっちまう。酒、おごってやっから付き合えよ」
「ム……。では、馳走になろう」
ゲンシローは改めて座りなおした。
ショウは、ルカの体調不良はやはりただの空腹だったのではないかと疑いたくなった。それくらいの食べっぷりで、12時間でジェット機を直すような勢いである。次の食事を持ってきたマルも呆れたほどだ。
「もう一食くらい追加しとくか?」
「そうだね、お願い」
満面の笑みである。同情したのが馬鹿みたいだった。
「まぁ、元気ならいいか。こんなことで旅をリタイヤしたくないしな」
「ボクもだよ。もっともっと、いろんなものが見たい」
「だよな。まだドラゴンも見てない。ファンタジーの本場でドラゴンを見ないなんて以ての外だしな」
「ドラゴンて、竜?」
「日本の竜じゃなくて、西洋のほうな。巨大なトカゲに翼がついてるヤツ。口から炎を出したりする」
「このまえのイノシシくらいの大きさかな」
「どうせならドーンとデカイのがいいな。20メートルは欲しい」
「襲われたら死にそうなんだけど」
「だから見るだけ。絶対に近寄らない」
ショウの安全で消極的な好奇心に、ルカは噴出した。
「見るだけで大冒険だね」
「だろ?」
ショウが笑う。ルカも心が温まる。そうだ、こういう話を仲間としたかった。彼女の願いは、そんな小さなものだった。
「……あのさ、もし、このままボクがいっしょに行けなかったら――」
「そんな仮定はない」
「……っ」
「おまえは行くんだ。オレはそのために死の淵から帰って来たんだからな。おまえも病気を治してここにいるじゃないか。それにおまえの体調なんか食えば治るだろ。おまえはそんなもんだ」
「ショウ……」
ルカは涙をこぼした。ボロボロと溢れるのを、銀髪の少年は止められなかった。
「おい、そんなに感動すんなよ。言ったオレが恥ずかしくなるだろ」
「ごめん……。でも本当に嬉しかったんだ……」
「過去形もやめろ。これからもっと嬉しいこと楽しいことがあるんだからな」
「……そうだね。せっかく死の淵から帰ってきたショウに申し訳ないしね」
ルカの冗談に、ショウは笑う。
ふと、ルカは思いついた。
「死の淵といえば、ボクは詳しく聞いたことなかったけど、どうやって助かったの? 誰かに助けてもらったとか言ってたけど、ちょっと信じられないんだよね」
「え、なんで!?」
唐突な質問にショウは動揺した。
「だって、あの季節のあの場所に人がいたってことも変だし、それからどこで養生していたのかも聞いてない。まさかあの山の中ってことはないだろうし、それならナンタンしか近くに町はない。でもナンタンなら異世界人が救助されれば管理局に報せがいかないわけがない。……あれ? ホントにショウ、どういうこと?」
ルカは話しているうちに、次々と疑問がわいてきた。管理局でもそこまで深く聴かれなかったのは、結局のところ生存していた事実が大切であったからだ。パーザ・ルーチンでさえ、細部は問題にしなかった。後日、『放浪の魔剣士バル』ことバルサミコスが関与していたと知り、それで納得してしまった。
「……」
ショウは天井を見上げた。今さらそんな鋭いツッコミを受けるとは思いもしなかった。
「ボクにも話せない?」
「その言い方はズルイぞ」ショウは頭をかいた。
「ホントに内緒にできるか?」
「うん」
「全部は話せないぞ?」
「うん」
ルカが真剣な表情でうなずくと、ショウはあきらめた。
「じゃ、少しだけな。ミコとジョンという人に助けられたのは本当。彼女たちは近くの古代遺跡の調査をしていて、そのときにオレを見つけた。治療を受けていたのは、その遺跡」
ショウは銀狼については口にしなかった。拾ってくれたのは狼だが、それ以後は二人の世話になっており、嘘はついていない。
「そういえばあの辺て、遺跡が多いとか文献にあった。そっか、遺跡は盲点だった。……で、その遺跡から何か面白いものは出てきた?」
「え、いや、う~ん……」
「それが話せないことなんだね?」
「悪い。ミコさんとの約束なんだ。研究が終わるまでは誰にも知られたくないって」
「そっか。残念。でも、いいね、遺跡探索。国巡りが終わったら挑戦しようか?」
「もちろんだ! それまでにはもっと強くならないとな」
「ボクがちゃんと鍛えてあげるからね」
「そこがなんか気に入らないっ」
ショウが膨れると、ルカは笑った。
「……もしかしてだけど、このまえ話してくれたアイリって子と東京で会ったって話、あれは事実なんじゃないの? 夢だって言ってたけど、ホントは違うんじゃない?」
ショウは驚いてルカを見た。反応に困り、引きつりながら笑ってしまった。
「どうしてそう思う? だって、信じられないだろ、普通。アカリなんて端からバカにしてたぞ」
「ショウはそんな嘘をつかないよ。特に彼女が関わるなら、ね」
「……」
ルカの純朴な目で見据えられ、ショウは息をのんだ。また、女の子と錯覚してしまう。
「……うん、本当なんだ。未だに信じられないけど、夢だって言われればそうかもって思うこともあるけど、やっぱりあれは真実だと信じてる。あのときオレは、自宅に帰り、東京へ飛んで、彼女と話したんだ」
懐かしく微笑むショウ。ルカはうらやましかった。そのアイリという少女が。たった数日の付き合いで、こんなにも彼の心に残っている。
「……ボクも東京でショウに会いたいな。ゲームセンターとか映画とかイベントとか、いっしょに行きたい」
「それは無理だな。あんなのはもう起きないよ。それにオレ、地元は東京じゃないし」
「そうなの?」
「まぁ、隣の県だから行こうと思えばすぐだけど。ルカは東京なのか? て、覚えてないか」
「ううん、実は少し記憶が戻ったんだ。病気もその影響かもね」
「マジで!? よかったじゃないか!」
「……うん、そうだね」
ルカの微笑みは、人形のようだった。
「……あんまよくない記憶だったのか?」
「そうでもないよ。けっこうありふれた記憶だった。面白くもないし、自慢にもならないね。地元は東京なんだけど、古い住宅地でね。周辺はどんどんタワーマンションが建ってるのに、すっぽりと忘れられたような場所でさ」
「東京にもそういうところがあるのか」
「たくさんあるよ。東京だって全部が新宿とか渋谷じゃないんだから」
「そりゃそうか」
「でも、すごいよね。そんな広い東京で、ピンポイントでアイリに会えたんでしょ? 運命?」
「運命というより、奇跡かな」
「いいね、奇跡。例えばボクらが離れたら、それで見つけてくれるかな」
「うーん、自信はない!」
「だよね」
ルカが笑い、ショウも笑った。
「……でも、必然ならあるかも」
「え?」
「おまえがオレを助けてくれたように、オレがおまえを助けるときがあるかもしれない。そのときは、偶然でも奇跡でもなくて、きっと必然だ」
「なんてな」ショウはまた笑った。
「……うん、そうだね。そうなれば、いいな……」
ルカは食器をショウに渡し、布団にもぐった。
「少し寝るか?」
「うん、食べたら寝ないとね」
「あとでまた様子を見に来る」
ショウは食器を重ね、部屋を出ていった。
一人きりとなった部屋に西日が差しはじめる。
外の賑やかさが耳に届く。馬のいななき、人の声、馬車の車輪の音、静寂には遠い。
ベッドの中で、黒髪の少女は泣いていた。
「ありがとう。ごめんなさい。それでもわたしは、果たさないと先へ進めない……」
ショウは夕食を済ませ、ルカの寝ている部屋の扉を開けた。中は照明が灯いていないので、窓と廊下からの光源が淡く部屋を照らす。
ベッドには誰もいなかった。
「ルカ? トイレかな……?」
ショウが廊下の突き当りにあるトイレのほうを見る。
と、部屋の奥で音がした。正確には、さらに奥だった。
視線を戻すと、窓のむこうに人がいた。浮いている。
「女の子……? 黒髪、頬の傷!」
ショウは窓枠から体を乗り出す。黒髪の少女は距離を取るように宙を移動した。
「おまえがあの爆発事件の犯人か!」
ショウはわけがわからず混乱したが、まずは重要な点を問いかけた。
少女は答えない。
「なんでここに!? いや、それよりここにいたはずのルカは! ルカをどうした!?」
「……」
少女は悲しそうな笑みを浮かべた。
「そのコート、ルカのじゃないのか? おまえ、ルカをどうしたんだ!」
「……ルカじゃない」
「え?」
少女の泣き出しそうなささやく声に、ショウの心臓は跳ねた。なぜか胸が苦しくなる。敵か味方もわからない相手だが、少女の表情には深い悲しみが溢れていた。
「遥。長柄遥」
「はるか……? ルカ……? ルカ、なのか……?」
「もう会えないから、最後に名前だけでも伝えたかった」
「なに、言ってんだ、おまえ? わけわかんないぞ……?」
「わたしにはどうしてもしたいことがある。そのあとは、しなければならないことがある。それでわたしの旅は終わる。ごめんね、最後までいっしょにいけなくて」
その物言いに、ショウはカッとなった。
「フザケンナ! 勝手にどっか行って、勝手に終わらせんな! 何かあるなら言えよ! 仲間だろ!?」
「……っ」
ショウの叫びを聴き、遥は涙を溢れさせた。このまま彼に頼ってもいいのかもしれない。過去を、こだわりを、怒りを、殺意を捨ててもいいのかもしれない。けれど思い出した今、そんな穢れた道に彼を巻き込むことはできない。彼には彼のままでいて欲しかった。
「ごめん……。ごめん、なさい……!」
「あやまるならこっちに来いよ。まずはメシを食おうぜ? たいがいのことは胃が落ち着けば解決するんだ。おまえも腹が減ってるだけだろ? みんなも待ってるっ。だから、来い!」
手を伸ばすショウに、遥は首を振った。
「わたし、本当に、ショウに会えて、よかった……」
「終わりみたいに言うな! これからだ、これからも続くんだよ!」
「さよなら……」
遥は震える唇で微笑んだ。そこにはもう、誰も、何もなくなっていた。
「……おまえ、ホント、フザケンなよ? ルカ、ルカぁ!」
ショウの叫びは大通りに響き、通行人が注目する。仲間たちも気付き、階段を駆け上がってきた。
「どうしたの、ショウ!?」
「あれ、ルカは?」
ショウは答えられなかった。彼が一番わからなかった。だから悔しい。苦しい。
「あいつ、ゼッタイ探し出してやる……!」
ショウは窓枠に爪を食い込ませ、自分に誓った。




