表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
召喚労働者はじめました  作者: 広科雲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/59

34.5 出発までの裏話

このお話は、本編34話内で省略したエピソードの補完、および、本編で書くには少々触りのある部分を追加したものです。

読まなくとも本編にはまったく影響しません。

ぶつ切りなので読みにくいと思われますが、裏でこんな話があったのか程度に楽しんでいただければ幸いです。

なお、性的描写が含まれるため、不快に感じる方はお読みにならないようにお願い致します。

 ギザギ十九紀14年10月26日夜――

 宿の主人は久方ぶりに見た少女に頬をほころばせた。

 彼女が宿に訪れたのは、実に46日ぶりであろうか。それも、80日も前に死亡宣告された少年とともに。彼は生還し、ここ数日は常連の赤毛の少女と同室であったはずだが、なぜか今日は栗毛の彼女といっしょであった。

 懐かしくあいさつをしてみたが、彼女は顔を上気させ、モゾモゾと落ち着きがなかった。

 宿の主人は不審に感じたが、何も言わずにショウに鍵を渡した。

 シーナはショウに案内され、彼とアカリの部屋へと招きいれられる。後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた瞬間、彼女は彼にタックルするように抱きついて、勢いのままベッドに倒れこんだ。

「ちょ、シーナ!?」

 驚いたショウの口を口で塞ぎ、しばらく呼吸さえもき止める。

「……話はぜんぶ後でいい? ていうか、あとにして!」

 眼が怖い。殺気とは違う、一種独特の迫力が眼に宿っていた。この十数分前まで、アカリも交えて『みんなで幸せになろうよ』と笑っていたのがウソのような興奮状態だった。

 ショウはいくつかの意味で抗いようもなく、なし崩しに彼女の望みに従った。

 それから長いのか短いのかよくわからない時間が過ぎ、シーナは至福の表情でショウに抱きついた。

「はぁ~……」

 充足した笑みだった。心身ともに満たされていた。

 ショウとしても、これだけ情熱的な好意を向けられて嬉しくないわけがない。ここ連日の疲労に体はとにかく休眠を欲していたが、昂ぶる感情がそれを許さない。シーナを強く抱きしめた。

 シーナは素肌のぬくもりを感じながら、興奮を和らげていく。すると、理性の面でどうしても告げなければならない言葉を思い出してきた。

 ショウの腕を解き、彼女はベッドで正座した。

「……あのときはごめんなさい」

 シーナの謝罪の意味がわからず、ショウも体を起こして彼女と正対した。

 彼女は頭を下げたまま続けた。

「自分でもなんであんなことが言えたのか、ぜんぜんわからない。ショウは過去じゃないのに、生きててくれて嬉しかったのに、別れないといけないって思ったの」

 そこまで聴いて、再会直後のことだとショウもわかった。あのときシーナはショウに過去の好意を告白し、そして決別した。

「あのあとダイゴたちのところへ戻ってショウのことを訊かれて、なぜか胸が痛くなった。それでようやく、わたしはまだショウのことを忘れてなかったと気付いた。でも、もう遅かった。自分から別れを告げて、終わらせちゃってた。なんであと一時間早くこの気持ちが蘇らなかったのだろうって思った。だけど同時に、それが正しかった、そうしなければいけなかったって感じてて、自分でもわけわかんなかった」

 シーナの頭はさらに落ち、髪に隠れて顔はもう見えなかった。が、小刻みに震える体が、表情以上に心を語っていた。

「それはしょうがないよ。シーナには新しい生活があって、仲間がいたんだから。オレを助けてくれた人は、それを忠告してくれた。帰っちゃいけない、死んだことにしたほうがいいって。それを押し切って帰って来たのはオレなんだ。今のみんなの気持ちも考えないで自分のワガママを通したんだ。それで結局、シーナを傷つけた。悩まなくていいことに悩ませて、辛い選択をさせて、ダイゴさんたちにも迷惑をかけた。あやまるのはオレのほうだよ」

 ショウはシーナの肩を掴んで訴える。多くの人に迷惑をかけた自覚がある。特に仲間であったシーナたち、捜索をしてくれたブルーやピィ、あの事件のリーダーとして深い心傷を与えてしまったコーヘイ、心配してくれたパーザ・ルーチンや同僚の召喚労働者サモン・ワーカーたち、そしてもっとも申し訳ないのは、結果的に愛する女性を奪われた形となるダイゴであろう。

「そうだね。ダイゴには本当に謝罪のしようがないよ。わたしが参っていたときずっといてくれたのに、裏切ってこうしている。わたしは最後までショウを拒絶しなきゃいけなかった。それまでの彼の厚意に誠意を見せなきゃいけなかった。……でも、それが一番よくなかったんだね。恩があるから返さなきゃいけない。恩があるからいっしょにいなければならない。わたしがそんなふうに自分を縛っていると、ダイゴは気付いちゃったんだ。だから、あの人は自分のことよりもわたしのためと思って解放してくれた。つくづく自分は甘えていたんだってわかるよ」

 ショウはシーナの言葉を聴きながら、以前、『シーナを引き取って欲しい』と言ってきたダイゴの姿を思い出す。彼がどれだけ苦渋の選択をしたのか、ショウには計り知れない。

 シーナの懺悔はとまらない。

「それに、わたしは無自覚にもっと酷いことをしていた。何も考えずに彼を受け入れていた。自分を守るために彼の好意を利用していた。今ならそれがわかる。そんな女を相手にしてたんじゃ、彼だっていい気はしなかったよね。それでもわたしを好きでいてくれて、許してくれた。感謝してもしきれない」

 頭を上げたシーナは、涙を溜めて溢れさせる寸前だった。

 ショウはそんな彼女を抱きしめた。

「二人でちゃんと謝りに……いや、お礼をいいに行こう。あの人は、オレたちに後悔してほしいなんて思わない。そういう人だよ」

「……うん、そうだね。わたしもそう思う」

 シーナはショウの腕の中でうなずき、抱きしめ返した。

「お帰りなさい、ショウ。生きててくれてありがとう」

「シーナも、生きててくれてありがとう」


 「二人できのうの話を考えてみて」

 27日の夜、そういってシーナが去った後、アカリとショウは宿の部屋へと戻った。

 改めて向かい合うと、二人は同時に赤面し、悶えた。

「いやいやいやいや、ちょっと冷静になろっか!」

「うん、まずは落ち着こう」

 二人は深呼吸して、それぞれのベッドに座った。

「改めて考えると、オレ、何やってんだろ……」

 顔を覆って嘆くショウに、アカリははっきりと告げる。

「そうね。今のあんた、ラノベじゃ絶対に主人公になれないヤツだわ。読者がいたら『鬼畜』だの『クズヤロウ』だの『ヤリチン』だのと言われて、本ごと燃やされてSNSにアップされるに違いないわ。ネット小説なら、一言コメントが『どうしてこうなった』に決まりね。……ま、こうして二人になってるあたしも人のこと言えないけど」

 アカリは自分を省みて憮然とした。

「やっぱりこのままってのはマズイよなぁ」

 ため息をつくショウに、アカリは「ん~」と唸る。

「あたしはシーナの提案を全否定するつもりはないのよね」

「そうなの!?」

 ショウは驚いてアカリを凝視した。

「あたしがモヤモヤするのはね、おたがいの距離がわからないから。納得できないからよ。気持ち的に理解できちゃえば、たぶん、悪くないと思う」

「たがいの距離?」

 ショウの反問に直接答えず、アカリが別の質問をした。

「訊くけどさ、あんた、あたしたちに対して本命とか遊びとか区分はしてないでしょ?」

「ないっ、するわけない!」

 速攻で断言され、アカリは赤くなった。「なら別に、悪い気もしないし……」と、そっぽを向いてボソボソとつぶやく。

「だけど、それで納得できるわけじゃないだろ」

「当たり前よ。そういうあいまいさにイラっとしてるんだからっ。だからまずは根本的なことから考え直してみましょ。そもそもあたしたちがなんでヤっちゃったのか」

 アカリが腕と脚を組んで、真正面からショウを見た。

「結局、おたがいに寂しかったってのがあると思うのよね。周囲に親しい者がいなくなって、あんたはシーナにフラれて、あたしはあの子に気遣う必要もなくなった。その隙間を埋めたくなったのと、デートして気分が盛り上がってたのも合わさって、まぁいいか、みたいな流れもできちゃって……」

「さらに部屋には二人きり。舞台は完璧に調ととのった、みたいな」

「そしたら、するよね?」

「しないわけがない」

 二人は拳を合わせた。

「だいたいシーナ(あの子)が再会した日に、即、あんたをフるからいけないのよ。結果、これなんだから。せめて数日、落ち着いて考えてから言って欲しかったわ」

 アカリは今さらに怒った。

「そしたら、こんなことにはならなかった?」

「ならないわよ。友達のカレシに手を出そうなんて思わないし、考える時間が必要だろうくらいの自制はきくわ。もっとも、あんたから手を出してくれば話は変わるけど」

「それはないだろ……」

「だよね。ヘタレだし」

 アカリが笑う。ショウは反論ができない。

 アカリは天井を見ながら言葉をまとめる。

「でも、それを言っちゃうとただの責任転嫁だし、自分たちで選んだ結果だってのもわかってる。あたしさ、あんたのこと好きよ。これはちゃんと言っておく。だから今の三人の関係はあながち悪くないってことになっちゃうわけ。けど、あんたのほうはそれでいいわけ?」

「いいとは思えないけど、選びたくないってのも本当。どっちかが悲しむからとか相手を想ってじゃなくて、ただどっちかなんて選べない」

「あんたもハーレムがいいわけね」

「いや、そうじゃなくて――!」

「どう言おうが周囲の判断はそれよ? 女二人をモノにしたいってことじゃない」

「ぬ、ぬぬぅ……」

 ぐぅの音は出ないが、ぬぅの音は出るらしい。アカリはまた笑った。

「冗談よ。好意は素直に嬉しいわ。でもあたしは、そんなに気持ちが高くない。あんたもたぶん、シーナほどには深くあたしを想ってない。絶対にね」

「……なんで言い切れる?」

 その否定は、ショウとしては容認できない。二人に対する好意の度合いを比べるなんてできない。傍からみれば都合のいい自己中心的な感情だが、彼は真面目にそう思っている。

 しかし、アカリは的確に言葉にしてみせた。

「あんた、あたしがフッても泣かないでしょ?」

「……!」

 ショウは絶句した。想像して、そのとおりだった。それでも否定の言葉を探すが、何も出てこない。

 アカリはわかっていたので不快にはならなかった。けれど、少し寂しい。

「シーナのときとは違う。それくらいはわかる。だからあたしは今の状況を素直に受け入れられないの。もしあんたがあの子に向ける想いと同じくらいあたしに気持ちを向けてくれるなら、シーナの提案を喜んで受ける。三人で幸せになろうってのも呑み込める。でもそうじゃない。だから――」

「けじめはつけるべきだよな」

「セフレもいいかなって」

「ブフッ」

「目の前で噴くな!」

 アカリは自前のタオルで顔を拭く。

「おまえ、なに言ってんの!?」

「あたしがこの関係をイヤがったのは、気持ち的に納得できなかったから。そう言ったわよね?」

「うん」

「で、今、話してて自分の気持ちが理解できたし、納得もしたわ。その結果、セフレでもいいかって。でも、厳密に体だけの関係ってわけじゃないから、セフレっていうより愛人になるのかしらね」

 アカリは一人で納得していた。

「おいおい……」

 ショウは苦笑いでしか応えられない。

「だって、なかったことにもできないじゃない。それに、あんたとするのはイヤじゃなかった。実際、こうするのは悪くないでしょ?」

 アカリはショウの隣に座り、強く抱きついた。彼女の息遣いと感触を受け、ショウは性的に反応した。アカリのほうも、わずかに興奮を覚える。

 力を緩め、アカリはショウの目を見て言う。

「あんたは好きよ。でも、あんたと同様、深くも重くも考えてない。将来的にはともかくね。だからシーナの言う『みんなで幸せ』も、あたしはとりあえずこれで充分かなって。あんたはそれに付き合ってくれればいい」

「……それでいいのか?」

 ショウは彼女が身を引くために言っているのではないかと疑った。彼の知るアカリという少女は、そういう発想をするからだ。『山狩り』のとき、脅えながらもアキトシの代わりとなった彼女の姿をショウは忘れていない。

「そのあたりが落としどころでしょ。あたしとしても、恋人ができるまでしないなんて無理そうだし。かといって好きでもない相手とするなんてゼッタイにありえない。あんただって、あたしを好きなら誘われれば嬉しいでしょ?」

「うん」

 「素直でよろしい」アカリは赤くなりながらも満足げに笑った。

「もう子供でもないし、まぁ、大人ともいえないけど、少しずつそういうのにも慣れていってもいいかなって。……でも、一つだけ約束して」

「約束?」

「もしあんたが誰か一人を選んで本気で好きになったらちゃんと言うこと。相手がシーナでも、あたしでも、他の誰かでもいい、そのときは隠さないで言って。もしそれがあたしなら、ちゃんと向き合うから」

「わかった」

「その約束はあたしもする。あたしが誰かを本気で好きになったとき、まだこの関係が続いていたら真っ先に言う。それで後腐れなく関係を解消する。いいわね?」

「うん」

「契約成立ね。あ、あと一つ」

「なに?」

「……二人のときは、あたしだけを想ってよね。じゃないとやっぱり、嬉しくない、から……」

 真っ赤になって視線を逸らすアカリにショウは昂ぶりを覚え、彼女を抱きしめた。

「アカリはカワイイなー!」

「カワイイっていうなぁっ」

 アカリのささやかな抵抗を、ショウは無視した。


 その一方でダイゴ・チームの定宿に戻ったシーナは、一階の酒場で静かに酒を飲んでいるオックスとパルテを目にして近づいた。

「二人だけ?」

「あ、シーナさん。二人だけっす。隊長もヒデオもさっき部屋に戻りました」

 オックスが立ち上がって彼女を出迎える。彼はパルテの正面に座っていたが、となりの席へと移った。

「一足違いか。なら、荷物は明日でいいか」

 シーナはオックスが空けてくれた席に座った。正面のパルテは、彼女を一瞥いちべつしただけであいさつもない。

「荷物を取りに来たんすか?」

「うん。ごめんね、わたし、あっちに移るから……」

 自然と頭が下がる。男のために先日までの仲間を見限ったとののしられても仕方のないところだった。

「いえ、いろいろとお世話になりましたっ。元気でがんばってくださいっ」

 オックスはシーナが去るのを残念には思うが不満はなかった。彼女がどれほどの辛苦を味わっていたのか、彼なりにわかっていたからだ。こうして暗い陰が消えたのは喜ばしかった。少年が尊敬するダイゴも、シーナの新たな旅立ちを心から祝福していた。まるでこのときを待っていたかのようだった。それが見てとれたので、オックスはもう何もいうことはない。

 しかし、もう一人の同席者は酒が潤滑油となって口が滑らかだった。

「……さぞ満足でしょうね。好きな男といっしょになれて」

「パルテっ」

 オックスがたしなめる。が、パルテは鼻を鳴らしただけで反省するつもりもない。

「この女が恩知らずなのは本当でしょ? さんざん隊長に助けられて、それがあっさり。しかも隊長の前であんなにベタベタしてさ、気持ち悪いったらなかったわ」

「……」

 シーナには返す言葉もない。ショウのところへ戻れたのが嬉しく、他人の目など気にもかけなかった。たしかに、自分は恩知らずなのだろうと思う。

「捨てられた隊長がいいツラの皮よ。尽くしたところでバカをみて。ホント、イヤな女。女ってのを武器するただのビッチじゃない」

「……!」

 シーナの胸に、パルテの眼光と言葉が刺さる。

「パルテ、やめろって。みんな納得してシーナさんを送り出しただろ? 蒸し返すなよ」

「蒸し返してなんかいないわよ。わたしははじめから納得なんかしてないんだから。ただ、煮え切らないまま隊長のそばにいられてもウザイから出ていってもらうほうがマシだと思っただけよ」

 パルテはジョッキの酒を一気に空けた。酒に強くない彼女は、いつもならそれ一杯をお開きまで伸ばして飲んでいた。店員にもう一杯頼み、彼女の愚痴は続く。

 シーナは低頭して受け入れる。彼女の言い分はすべてもっともで、反論の余地がない。

 だが、その悪口がショウにまで及べば話は変わる。

「ったく、あんなののどこがいいんだか。カッコよくも強くもない、知性も感じないし、魅力の欠片もない。あんなのに惚れる女の気持ちが――」

 「さっぱりわかんない」と言いかけて、彼女は冷水を浴びせられた。比喩ではなく、本当にカップから水をかけられていた。

「わたしをどう言おうがかまわない。節操のないビッチと言おうが、恩知らずのクズ女とののしってもいい。でも、ショウをバカにするのだけは許さない!」

 パルテの眼前に、悪鬼がいた。それまで大人しく言われるままでいた恩知らずの節操なしが、豹変したのだ。

「忘れたの? あんたはその魅力の欠片もない男に命を救われてんのよ? ショウがいなきゃ、あんたたち全員死んでたんだからね」

「あ……」

 パルテは正気に戻ると同時に、それを思い出した。真紅背毛大猪レッド・グレート・ボアに襲われたときに、ショウが囮となってくれたことを。おかげで彼女たちは一人も欠けることなく生還できたのだ。

「その恩人に対して、あんたの言い草はなに? それで人のことを言えるわけ?」

「……」

 今度はパルテが黙る番だった。

「正座」

「え?」

「そこに正座。あんたたちに、ショウがどれほどすごいか教えてあげる」

「い、いや、オレは別に……!」

 オックスがシーナの目から逃げる。とばっちりもいいところである。それこそ彼は彼なりに、自分と仲間を救ってくれたショウに感謝をしているのだ。それを言葉にも態度にも表してはいないが。

「ウルサイ、連帯責任よ。そこに座れっ」

 パルテに届いたジョッキを半分空け、シーナが床を指差す。パルテとオックスは顔を見合わせ、あきらめて床に正座した。本気で怒ったシーナを見たことがなく、しかも命の恩人を馬鹿にした手前、罪悪感もある。従うしかなかった。

「わたしとショウが出会ったのは、忘れもしない7月12日の火曜日、天気は快晴。その日、わたしたちは運命に導かれ、薬草採取の仕事でいっしょになった――」

「お、おい、本格的に語りだしたぞ?」

「シーナってこんななのっ?」

 二人はうつむいたまま小声でやりとりをする。

「ちゃんと聴きなさいっ。あとでテストするからね」

 シーナは酒を一口。

 「うわぁ……」とんだ藪蛇やぶへびである。オックスとパルテは、明け方までショウの偉大な?歴史を聴かされることとなった。

 後日、異世界人管理局でショウと遇ったオックスとパルテは、彼を発見すると直立不動で「お疲れ様です、ショウさん!」と見事な敬礼をしたという。


 明けて10月28日、ショウたちの無償作業二日目が終わる。作業自体は順調に進み、問題はなかった。害獣駆除に加わっていたマルのほうは、問題なさすぎて獲物が一頭も見つからなかった。巨大な真紅背毛大猪レッド・グレート・ボアを退治したおかげで、その仲間も逃げてしまったのかもしれない。けしてオックスとパルテが睡眠不足と足の痛みに、狩りに集中できなかったからではない。

 自己鍛錬と風呂が済み、夕食をとる。その席でショウが言った。

「今夜から、オレはルカたちと部屋を借りるよ。シーナはオレの代わりにアカリと二人部屋な」

「なんだ、もう女に飽きたのかよ」

 マルが一杯やりながらからかう。

「宿は何日かまとめて借りたほうが楽だろ? 四人部屋に三人で入って、ベッドの一つは荷物置き場。経験上、これがベストだ。お金は四人分かかるけど、それはいいよな?」

「ボクは賛成だよ。毎日、部屋を借りるのも面倒だし。ショウがいっしょならなおさらだ」

 ルカが満足げにうなずく。マルも反対しなかった。

「……」

 シーナはジッとショウの横顔を見ている。ショウはその視線に気付いてはいたが、あえて無視した。

 しかたなく、シーナはアカリに意見を求めた。

「アカリは? それでいいの?」

「いいんじゃない? 女同士のほうが気楽だし」

「ふーん……」

 シーナは無関心に食事をするアカリに、何かあったと感じた。おそらく昨夜、自分の提案どおりショウとアカリは話し合い、何らかの答えを出したのだろう。

 早速、五人は宿屋と交渉する。今日はすでに遅く、四人部屋を押さえられなかった。男たちは3つの四人部屋の余りを埋めるように、一人ずつわかれて泊まることとなった。明日からは計画どおりとなる。

 お休みを告げ、メンバーは別れた。

 が、シーナはショウを捕まえ、アカリとの共同部屋へと連行した。

「はい、説明」

 部屋に入るなり、シーナがうながす。

「説明も何も、まんまなんだけど。男女で別れたほうがいいだろって話」

「それじゃ、いつすればいいわけ? ここで三人でするの?」

「「ブフッ」」

 ショウとアカリが噴いた。

「その様子だと違うようね。もしかして考えてないの?」

 シーナの眉間にしわがよった。

「まず、きのうアカリと話したことからな」

 シーナはショウから説明を受け、二人の関係については理解した。それは結局のところショウとアカリの問題であり、シーナが口を出す筋合いではない。なんであれ、二人は心情的に納得したかっただけであって、三人の関係が大きく変化するわけでもない。

 これがもし、アカリがショウを体目的だと言い張るなら引き離しもするが、好意があるのはたしかであり、深い気持ちはないという言葉だって鵜呑みにはできない。あとになって本当の気持ちに気付くこともあるだろう。だからしばらくは何があろうと三人の関係を継続するつもりでいる。短絡的に解決して、あとで『やっぱり』はたがいに気分が悪くなるからだ。これもシーナが苦い経験から学んだことだった。

「体裁はどうでもいいよ。することはいっしょだし。そんで問題は、どこでするのかってこと」

「おまえ、グイグイくるな……」

「ショウもいいかげん覚悟を決めないとダメだよ。それとも今すぐどっちかだけを選ぶ?」

「……ごめん」

「そーゆーとこだけハーレム漫画を見習われても困るんだよね。いつまでも女任せの優柔不断なんてカッコ悪いよ? つきあうほうの身にもなってほしいわ」

 シーナの言葉には棘が生えまくっていた。彼女自身が『今の自分は嫌な女だ』と気付いてしまうほど、かなりイラついていた。原因の一つに、昨夜のパルテの言葉がある。たしかに今のショウは『どこがいいのかわからない男』だった。それを認めるのが悔しい。これに寝不足と仕事疲れと欲求不満が合体して、ヒステリックとなっている。

 ショウは苦笑いしながら、彼女を落ち着かせようと情報を開示した。

「情けないのは事実だからあやまりようもない。ただ、情報が一つある。この町にも、それ専門の宿があるんだ」

「マジ!?」

 シーナの喰いつきは、ピラニアもくやであった。一瞬で世界が開いた気持ちになる。

「マジで。異世界だろうとこういうのは変わらないみたいだ」

 その施設はアカリとデートをした日に、中区の第二防壁沿いでたまたま見つけていた。一見するとただの宿であったが、怪しい時間割料金で二人はピンときた。窓はぜんぶ閉まっており、壁を通して艶っぽい声がいくつも聞こえてくる。二人は確信を得ると、赤面してそそくさと去っていた。それがその夜のトリガーにならなかったとは言い切れない。もちろん地図にはマーキングをしていないが、場所は記憶に刻みこまれている。

「それじゃ行こっ」

 シーナが勢いよく立ち上がる。

「決断はやっ」

「そのつもりで話したんでしょ? 今日はわたしの番でいいよね?」

 シーナはアカリに訊いた。

「お好きにどうぞ。あたしは気が向いたときでいいから」

「そしたらずっとわたしのターンだよ? しかもわたしのデッキには『ナントカ欲の壷』しか入ってないから、精力デッキが切れるまで連続ドローしちゃうからね?」

「気が向いたときくらいは譲れっ」

「アハハ、冗談だよ。……アカリ、本当にガマンとかしてないよね?」

「それはない。あたしも少しあんたを見習うわよ。好きなものを否定しても、あとでツライってわかってる」

「うん。じゃ、いってきまーす」

 シーナはショウの手を引いて出ていった。

 嵐が去り、アカリは息を吐く。

「……てーかさ、シーナも少しはショウをいたわるべきじゃない? 連続4日目よ? しかもおとといなんてイノシシと激闘を繰り広げてるのに。そのうち衰弱して死ぬんじゃないかしら。うわ、サイテイな死に方だわ」

 アカリは想像して顔をしかめ、ベッドに寝転んだ。それこそ昨夜は寝不足だったので、眠りに落ちるのは早かった。深夜にシーナが戻ってきたことにも気付かないほど、それは深かった。


 10月29日早朝、異世界人管理局で薬草採取・警護班の依頼書を受け取ったショウは、ニンニンと挨拶する機会を得た。彼は8時から外区4番街の建設現場補助に入るという。彼はここ数日、その現場に通っていた。

「あ、でしたら外区で朝食をいっしょにしませんか?」

 ショウは思いつき、ニンニンを誘った。

「いいね。日本食の店かい?」

「いえ、今回は別のところです。招待するので、おごらせてください」

「いや、それは断るよ。オレはお金の貸し借りはしないって決めてるから」

 拒絶され、どうしたものか迷ったが、彼の意思を曲げるわけにもいかないので別の案を提示した。

「じゃ、まとめて払うので、あとでもらっていいですか?」

「それは構わないけど、どういう趣向だい?」

「ちょっと変わった店なんです」

 ショウは微笑み、カウンターにいるツァーレ・モッラに所持金の一部を銅貨と銀貨に換えてもらった。初めて100枚以上の硬貨を手にしたショウは、その重さに辟易した。サイフどころではなく、カバンに入れるべき量だった。

「シーナとルカもいい?」

 ショウの問いかけに二人が反対するわけがなかった。

 もう一人の仲間のマルは、すでに管理局を出てダイゴたちと合流している。彼はむこうのチームと相性がよいらしく、嬉々として出かけていく。いっそシーナの代わりにそっちに居つくか、とショウが冗談で訊いたが、「それも悪くねーな」と満更でもなさそうだった。もしそうなったとしても、ショウは引きとめはしない。望むままにいてくれれば、それが一番だと思うからだ。

 昼食用の弁当をアキトシとアカリのいるパン屋で仕入れ、ニンニンを加えた四人パーティーが外区へと向かう。途中、同じ薬草採取組のミリムと出会い、ショウが誘うと喜んで同行した。

「ここ」

 ショウはみすぼらしい外見の食堂前でとまった。

「パルンツア食堂……?」

「ルカ、読めるの?」

「なにを言ってるんだい、キミといっしょに勉強したろ? 東方語はもうマスターしたよ」

「マジかよっ。そういやオレ、とまってるな。また通わなきゃ」

「そのやる気はいいね」

「ありがとうございますっ」

 ニンニンに褒められ、ショウは有頂天になった。シーナとルカはなんとなく面白くない。たった一言の褒め言葉でここまでショウを喜ばす存在は仇敵である。

 ご機嫌のまま、ショウは軋む扉を開けた。

「いらっしゃい。……て、あんたかい。今日はお金を持ってきたんだろうね?」

 中年の女性店員が不景気な顔から一転、意地悪い笑顔を浮かべた。

「もちろんです。あと、客も連れてきましたよ」

「こんちはー」

 ニンニンがショウに次いで入ってくる。店内を見回し、「ふむ」ともらした。

「こないだのかわいい女の子はどうしたい? フラれたのかい?」

 女性の顔がさらに意地悪くなる。

「フラれてません。別の仕事に行ってますよ」

 ショウは応えて、適当な場所に座った。四人テーブルなので、ニンニンだけが隣のテーブルについている。ショウは悪い気がしたが、今さら席移動もできない。

「女の子って?」

 シーナが喰いつく。「アカリだよ」と答えると、納得した顔になった。

「今日は三人も連れて、いい身分だねぇ」

 女性が笑いながらテーブルを拭いた。

「ルカは男ですよっ」

「おや、そうかい。もったいないねぇ」

 何がだろう、と全員が思ったが、誰もツッコまなかった。

「今日も適当でいいね」

「はい、お任せします」

 女性が下がると、ニンニンがショウに耳打ちした。

「内装はしっかりしてて綺麗なのに、もったいないね。もう少し明るければいいのに」

「あ、やっぱりそう思います? オレも初めて来たときそう思ったんです。で、ニンニンさんならどう考えるかなって。それで来てもらいました」

「この店の常連なのかい?」

「いえ、この前の日曜に一度だけです。でも、いい店なんです、ここ。だからすごくもったいなくて……」

「ふむ……」

 ニンニンがあごに手を当てて考え事に浸る。と、彼らの前に野菜のスープと、パンの積まれた籠が置かれた。

「結局うちはこんなものしか出せなくてね。若い人には物足りないかもしれないけど」

「いえ、充分ですよ。……パン、変わりましたね」

「ああ。あの嬢ちゃんのアドバイスを参考にしてね、ウチの旦那が試行錯誤してたよ。結果はまぁ、食べてみておくれ」

 ショウたちは「いただきます」と手を合わせ、パン派とスープ派に分かれて口をつけた。

「ずいぶんふわっとしましたね。おいしいです」

「スープ、すごいね。肉の欠片もないのに、味が染みてる。それに塩っ辛くない。普通にスープだ」

 ルカが感心する。

 「野菜の味もしっかりしてて、口あたりがいい」とはミリムの感想だ。

 シーナは黙々と食べ、空になった皿を見て「おかわりってできるの?」とオズオズと訊いた。

「好きなだけ食べていいよ。やっぱり、スープはここが一番だな」

「パンはダメかい?」

 店員女性が冗談ぽく訊く。

「格段にアップしました。おいしいですよ」

 ショウはウソをついたつもりはない。一番はアキトシの焼いたパンであるのは確かだが、それは本格的で材料にもこだわった品なので当然であった。この店のパンは、できるかぎりの努力と工夫で作られている。それは味に直結しており、素直においしいといえるデキであった。

 客も店員も満足し、店を出た。二杯のスープと山盛りのパン、これで一人当たり55銅貨アクルだというのだから、コスト・パフォーマンスは最高だった。

「たぶん外区には、こういう店が多いんだと思います」

 ショウはニンニンからお金を受け取ったとき、そう言った。受け渡しの握手をしている手にも力がこもっている。

「そうだね。こういういい店はもっとよくなるべきだ。ありがとう、誘ってくれて」

「いえ、こちらこそ。ニンニンさんならそう言ってくれると思ってました」

「キミのなかのオレの評価は過大じゃないかな」

 彼はそういって笑い、自分の現場へと向かっていった。

「本当にいい店だった。ありがとう。多分、わたし一人なら絶対に入っていなかったと思う」

 ミリムが頭を下げる。恐縮して、ショウもお礼を言った。

「セルベントのこともそうだけど、この町はまだいろんなところで問題を抱えている。あれだけの店が評価されないだけじゃない、もっと多くの人がこの外区では本来の力を発揮できないでいる。影ながら、みんなのためにがんばってる人もいる。そういうのを見ると、いつか変えていけるといいなぁとか思っちゃうんだよね」

 ショウの脳裏に、汚物処理場で働く若者たちの姿が浮かんだ。皆が嫌がる仕事をするしかない人たちがいる。それに見合う待遇を受けているのかもわからない。せめて報われていればいいと願うが、おそらくそうではないのだろう。

「……わたしはやっぱり、この世界で異世界人として学者になりたい。多くを発見して、多くを解決したい。応援してくれるかな?」

「もちろん、できることがあれば。でも、できないことのほうが圧倒的に多いよ」

「励ましてくれれば充分だよ」

 ミリムの緑の瞳が嬉しそうに光を放った。

 シーナが咳払いをする。ルカの目も冷たい。

「「行くよ」」

 二人に両脇を抱えられ、ショウは南門へと連行される。

「まだ早いだろ? そんなに急ぐことないじゃないか」

「キミは放っておくとライバルばかり増やす」

「意味がわからないっ」

「わからないから始末に困るんだよっ」

 そんな三人をポカーンと見送り、それからミリムはクスッと笑った。重い採取瓶入りのカバンを担ぎなおし、あとを追う。後に、異世界召喚庁長官付特別相談役となる少女の未来は、ここからはじまる。


 10月30日。その朝はニンニンのほうから声をかけられた。

「やぁ、ショウくん。きのうのあの店なんだけど、工事を任せてもらえることになった」

「え?」

 ショウは意味がわからない。『あの店』とは『パルンツア食堂』だと想像がつくが、工事とはなんだろう?

「あのままではもったいなくてね、きのうの帰りがけに頼んだんだ。工賃も材料費もいらないから、改装させてもらえないかとね」

「え、個人でですか!?」

「うん。実は昼にも工事仲間と行って、全員一致であの店には通う価値があるって結論に達したんだ。で、まずは店を綺麗にして、客をたくさん呼んで、その稼ぎでさらにいい料理を作ってもらいたい。そんなふうに思ってしまってね」

「ニンニンさん、すげー……」

「なにを言っているんだい。キミはそこまで見通してたんじゃないのかい? 出なければ、わざわざ連れて行ったりはしなかったろ?」

「いえ、さすがにそこまでは……。ただ、店が暗めなので、窓の一つも作ってもらえたらなぁとは期待しました」

「そうだね、窓一つでもずいぶん印象が変わるだろうけど、明るくなればなったで目立たなかった部分が浮き上がってしまうからね。結局は、ぜんぶ見直したほうがいいんだよ」

「なるほど……」

 ショウは深くうなずいた。さすがニンニンさんだ、と尊敬を深める。

「個人での作業で、しかも深夜のみだから時間はかかるけど、いい店にしたいと思ってるよ」

「オレも手伝いますよ。誘ったのはオレですから」

 乗り気になるショウに、ニンニンは首を振った。

「ありがたいけど、仲間はもういるんだ。いっしょに工事に出てる何人かが交代で手伝ってくれる。だからキミはキミの勉強をしたほうがいい。とくに言葉は大切だよ。いずれ旅に出るならね」

「……冒険に出るってニンニンさんに話しましたっけ?」

「わかるよ。キミは町に留まるタイプじゃない。外へ出て、何かを見つけたがる人だ。だから、そのためにがんばるといい」

「ありがとうございますっ。オレ、がんばりますっ」

「うん。それじゃ、オレは現場があるから。またいい店を見つけたら誘ってくれると嬉しい」

「はいっ」

 ショウは去っていく背中に頭を下げる。感動に震えていた。

 それを背後でシーナとルカがポカーンと見ていた。なんだろう、この茶番は、と思った。

 その日一日、ショウは気持ち悪いほどご機嫌だった。

 仕事も順調に終わり、ショウは終了報告のついでに管理局でパーザ・ルーチンに頼みごとをした。

「地図、ですか……?」

 パーザは意味をとらえきれず、首をかしげた。

「はい。ナンタンの地図にちょっとした案内を書いただけなんですが、召喚されたばかりの召喚労働者ワーカーたちの生活に役立つかなって」

「そういうことでしたら構いませんよ。掲示板の脇のスペースで足りますか?」

「あれだけあれば。それじゃ、あとで貼らせてもらいますね」

 いったん宿に戻り、ショウは地図を取って再び異世界人管理局の扉を潜る。ルカとシーナも手伝って、許可を得た壁に地図を貼っていく。一枚あたりの地図が30センチ四方の大きさで、これが縦横10枚、およそ3メートル四方となる。ナンタンの町が直径6キロほどの円状なので、縮尺はおおよそで1/2000である。

 さらに地図の横に手書きの紙を貼っていく。一列目が5桁の数字で並び、その横に店名、業種、特徴、備考が書かれている。例えばパルンツア食堂であれば『01-003 パルンツア食堂 軽食 スープ最高 支払いは硬貨のみ』といった形である。地図上に番号しか書かれていないのは、スペースの都合である。また、業種によって番号の上2桁を統一している。飲食系が『01』、衣料品が『02』、雑貨が『03』、風呂などの施設は『04』等だ。解説用紙は番号順ではなく、この業種ごとで紙を分けた。逆引きのしやすさを考えてのことだ。

 地図にはまだまだ余白が多い。記載ルールも合わせて貼り出しているので、今後は皆が埋めていくだろう。

 そして数日のうちに地図は埋まっていき、案内は用紙では足りずにノートとなっていた。その他にもコミュニティー用のノートも置かれるようになり、召喚労働者サモン・ワーカー同士の交流も増えていくようになる。

 唯一、パーザ・ルーチンを不快にさせたのが風俗系の案内であった。誰が作ったのか業種番号『69』がいつの間にか存在し、しかも専用のノートまで準備されていた。

 内容を見たパーザはそのノートを即刻廃棄した。また、それを置いた首謀者を彼女は速攻で特定し、内々に注意をしていた。次に発見したときは、犯人に問答無用で禁固三ヶ月・罰金20金貨を課すと布告も出した。『冷徹なる鬼の執行官』とあざなされるパーザの言葉に、召喚労働者サモン・ワーカーたちは震え上がった。

 その後、表にこそ出なかったが、その手の案内本が召喚労働者サモン・ワーカー間で闇取引されているとの噂が流れる。噂ではなく実は昔からあるのだが、町の地図の話と合わせて広まったようである。

「どう利用しようと自己判断に任せるしかないでしょう。隠していても知れるものです。ですが、仕事場に持ち込むのなら容赦はしません」

 パーザは噂について、それ以上は語らなかった。

 ちなみにシーナはパーザに処分される前にそのノートを一読しており、逢引宿ホテルの場所はチェック済みである。

 今でも地図上には黒く塗りつぶされた謎の施設が存在する。それはそれで暗黙のうちに理由が知られていくのだが、パーザもそこまでかまうつもりはなかった。


 11月に入り、ショウとルカは生存術サバイバル講習を受けた。持参するのは身一つと服だけで、ナイフすらも所持してはならなかった。

 訓練所ですべてを貸し出すのだろうと甘く考えていたショウは、いきなり森に連れて行かれ、10日間のサバイバルを実践させられた。

 最初の三日間は教官に従って石器作りや火の起こし方をはじめ、現地調達でのロープやテントの作り方、猟や採取、獣の捌き方などを現場の状況に応じて教え込まれた。

 ルカの冗談かと思った食虫訓練もあった。さすがに火があったので生食ではなかったが、ショウは形そのままの幼虫に気持ち悪くなった。ルカは気にもかけずにパリ、グチュ、ヌッチャヌッチャと食べていた。

 それ以外は技術としてショウの体に刻み込まれている。

 四日目からは単独行動となった。遠くない場所にルカも教官もいるとわかってはいても、森の中でひとりというのは心細い……いや、恐怖である。この場にゴブリンなり、巨大イノシシが来ないともかぎらないのだ。安全を確保するために迷彩を考えて落ち葉でねぐらを作り、息を潜めるようにして眠る。緊張感で眠りは浅く、疲れもとれない。食べるものも栄養価は気にしていられない。口に入れば御の字だった。蛇の一匹も捕まらない日もあった。そんな調子に、三日後には頭痛がはじまり、町に帰るまで治らなかった。

 それでもどうにか規定日数をクリアし、二人は免状をもらった。

 10日ぶりに町へ戻ったショウは、「山狩りの何倍もハードだった」と、町と人と宿のベッドに感謝した。


 ショウが元気になった11月16日、日曜日。五人で夕食をとっていると、いつもの光景が繰り返される。アカリとマルのつまらない舌戦である。

「ハッ、サルをサルと言って何が悪いのよ? 悔しかったら肉体変換からやり直してこいっての」

「おまえのように整形しすぎて元もわかんねーようになるなんざゴメンだね。よっぽど自分に自信がねーんだろっ」

 「はうっ!」マルの反撃は、アカリにではなくシーナに突き刺さっていた。アカリ自身は平然としている。

「いじったから何よ? 変えなきゃやってられないから変えただけじゃない」

「あぁ? いじってそれかよ? 元はさらに貧相だったんだなっ」

 マルはアカリの体を舐めるように見る。シーナと比べれば背も低いし、肉付きも薄い。

「逆よ、逆。元がデカかったから軽くしたのよ」

 アカリはマルの視線など意に介さない。しょせん、ガキの眼である。

「身長、高かったのか?」

 ショウが訊いた。女性の10割が整形だとアリアドが言っていたのを思い出す。

「なによ、あんたも興味あるわけ? あんたもエロザルといっしょね」

 アカリに睨まれ、ショウはたじろいだ。「まぁ、いいけど」と、彼女はすぐに顔をマルのほうに戻した。

「日本での身長が169センチ、胸も無駄に大きかったのよ。とにかく体が重くてイヤだったわ。だからこっちに来て体をいじれるって聞いて、真っ先にその二つを変えた。おかげで今はすごい楽。まぁ、さすがにまるでないのもイヤだから、そこそこ残したけど」

 169センチと言ったが、学校の公式記録では175.2センチである。ウソをついた理由は、乙女の心情を察するべきであろう。ちなみに今の身長は159センチである。

「そのついでに体重も五割くらい落としてんだろ?」

 マルが馬鹿にして笑う。その嘲笑も、ダメージを負うのはシーナのほうだった。「あははー、どうせわたしなんか……」とテーブルに突っ伏してしまった。

「そりゃ、身長も胸も削ったんだから減ってるでしょうよ。けどせいぜい1割程度じゃないの? 量ってないから知らないけど」

「へー」

 ショウがアカリをジッと見たまま感心する。

「なによ? そっちのほうがよかった、みたいな顔してんじゃないわよ」

「してないっ」

 アカリの悪態は言いがかりそのもので、そもそもショウは今の彼女が好きなのだ。日本にいたころは関係がない。

「そ。ならいいけど……て、人のことより、あんたらはどうなのよ? どっちもいじってないっての?」

 アカリがショウとマルを交互に指差した。ルカは聴くまでもなく、改変しているのがわかる。

「オレはまんまだな」

「オレもー」

 二人は迷いなく答える。

「ホントにィ? あ、でも、アレの大きさはイジってんでしょ?」

 アカリがニヤニヤして追求する。レベル2に上がったときの講習といい、彼女は意外と下ネタを吐く。逆に、言われると赤面するのだから、気の強さは打たれ弱さを隠すためだろうとショウやシーナは分析している。

 ショウとマルは顔を見合わせ、ため息を吐いた。

「そーなんだよ、あのときにそれに気付いてればよぉ……」

 マルがガックリとした。

「何にも考えていなかったな、あのときは。いっしょに来たもう一人が変化についていけず死にかけてたのを見て、余計に変化を望まなかった」

 ショウは、あのときの彼は今どうしているだろう、と思った。思ったが、やはりどうでもよかった。

「あ、そうなの……」

 なぜかアカリは赤面し、ショウから視線を逸らす。

「ムッツリエロ女」

 マルが正しく洞察して、ボソッとつぶやく。

「あんたに言われたくないわよっ」

 そしてまた舌戦がはじまる。

「ショウは、ボクの元も気になるかい?」

 ルカがショウに訊いた。

「別に。今の姿しか知らないんだから、それでいいよ」

「そっか」

 ルカは満面の笑みを浮かべた。美少女に変わるそれである。

 ショウはわかっていても赤くなり、「でもおまえは女の子に寄り過ぎだ」と文句をつけた。

「いやぁ、カッコイイ男ってイメージがあまり浮かばなくてさぁ、こうなっちゃったんだよね」

「カッコイイ男と言ったら、普通はジェイソン・ステイサムとかブルース・ウィルスとか武藤敬司とかだろ?」

 「なんで全員ハゲなのよ……」とシーナが突っ伏したままボソッとツッコむ。

「そうなのか。ぜんぜん知らない人ばっかりだ」

「おまえ、ゲームも漫画も映画も知識ないんだな。子供のころ、何して遊んでたんだ?」

「んー、なんだろう……?」

 真剣に悩みだすルカに、ショウは肩をすくめた。

「ともかく、ルカはルカだし、シーナもシーナだろ。それでいい」

「だよね、それでいいよねっ」

 シーナがガバッと起き、ショウの手をとって感涙した。

「お、おう……。それに、今のシーナだったら、もし日本に帰っても努力するだろ? そういう今のシーナだからいいんだよ」

「うう、がんばる……」

 シーナの握る手に、さらに力が加わった。帰るつもりはまったくないが、もし帰れば、せめて『鈍亀ドンガメ』は返上できるくらいにはなりたいと本気で思う。おそらくそれが、彼女の生涯最大の宿題な気がしている。

「過去の話はそれくらいにして、最後の一週間をどうするか、みんな決めてる?」

 ショウに問われ、シーナが答えた。

「お金にまだ余裕あるし、魔法をさらに一、二個追加しようかなぁ」

「そんなに余裕あるのかよっ」

「初級の簡単なやつを覚えるくらいならね。さすがに治癒系と上級魔法は無理だけど。どっちも50金貨リスルからだし」

「相場を知らないんだけど、もしかして治癒系がやたら高いだけなのか?」

「うん。医療につながる魔法って、一般人から見れば奇跡なんだよ。だから普通は神官とかじゃないと使わせないの。でも、それじゃ召喚労働者ワーカーって役に立たないから仕方なしに教えているっぽい。そのぶん受講料を吹っかけられてるわけだけど」

「それじゃ、マルが覚えてる火の魔法っていくらなんだ?」

「たしか10金貨リスルじゃなかったかな。【治癒】の1/5」

「日本円で50万円か。安いわけでもないんだけど、治癒の250万に比べれば安くは感じる……」

 ショウはうーんと唸った。

「わたしも【火炎弾】(あれ)は覚えておいてもいいかなとは思ってるんだ。武器がなくても戦えるし」

「オレのアイデンティティが消えるだろっ」

 マルが切迫して詰め寄る。マルは魔法に頼りきりで、魔法ナシの戦闘力はショウよりも劣るのを自覚している。管理局専属召喚労働者アリアン・セルベントのころはカッセやルカと共に武器戦闘の鍛錬をしていたが、結局のところ魔法があるからと甘えて、それほど上達はしなかった。

「サルにはそれしかないしね」

「ウルセーッ、竜巻も使えらァ!」

「はいはい、すごいすごい」

 アカリは相手にするのも面倒になり、飲み物に手を伸ばした。アカリにしてみれば、魔法が使えるというだけで羨ましいのである。

「ルカ、シーナに必要な魔法ってまだあると思う?」

 以前、ルカはシーナに【水生成】魔法を勧めている。その他にあるのか、ショウは参考に訊いてみた。

「別に好きなのでいいんじゃない? 水と治癒さえあれば、そうそう死にはしないだろうし。攻撃魔法もあれば便利だし」

「だよね。わたし別にゲームにおける僧侶ポジになりたいわけじゃないし」

 今回はルカの意見を喜んで受け入れた。

「でも、サポート系魔法はできるだけ欲しいとこだよなぁ。ピィさんの持ってる【生体感知】や【従魔召喚】はすごい便利だった。おかげで不意打ちをまったく喰らわなかったよ」

「そういう魔法は冒険では必須かもね……て、【従魔召喚】てなに? いつ見たの?」

 シーナがいぶかしむ。ショウは「あ」と口を塞いだ。

「なにか隠してるわね」

 シーナだけではなく、アカリの目もショウに向く。この男は影で何をしているかわかったものではない。

 ショウは隠し切れず、「もう時効だよなぁ」と自分に言い訳をして、ブルーに誘われてゴブリン・ハンティングしたときの話を聞かせた。

「剣をもらったって、そのためだったの!? ズルイー、わたしも連れて行くべきでしょう?」

「こそこそと実戦訓練してたわけね。一人だけ」

「ちゃっかりブルー(先生)に手ほどき受けてたのかよ。セコイな、おまえ」

「ボクも参加したかったなぁ」

 シーナとアカリはともかく、マルとルカはセルベントとなるべく訓練所にいたので、どのみち参加はできなかっただろう。

「付き合えといわれて行っただけで、そうなったのは結果論だっ。それと、本題はそっちじゃない。ピィさんの魔法のほうだ」

 シーナは憮然としたまま、魔法の話に戻った。たしかに今さら羨ましがっても仕方のないことである。

「その魔法、どっちもたぶん上級魔法だと思うよ。そんなの習得可能魔法の中になかったもん」

 シーナがマルとルカを見る。二人も同意見なのでうなずいた。さらに付け加えたのはルカだ。

「上級の、さらに別枠かもね。上級も一通り調べたけど、そんな魔法なかったから。もしかすると、禁呪かもしれないよ」

「キンジュ?」

「禁止されている呪文で、禁呪。魔術師協会では正式に教えてない魔法。もしくは有用過ぎるから召喚労働者ワーカーには教えないたぐいのもの。だから取得自体が違法な魔法かもしれない」

「なるほどね。そういえば、コーヘイさんも何か言ってたな。じゃの道はへびがどうとか」

「あー、言ってたね。ギルドから伝わってるとか。そういうことなんだね」

 シーナも深く納得した。

「その魔法のためだけにギルドに入るのもアリだよね」

 ルカがニコやかに言う。そんな爆弾発言にショウたちは驚いた。

「いや、そこまでしなくてもいいだろ」

「でも、おもしろそうじゃないか。他にもいっぱい知らない魔法があるかもよ?」

「それを探究するのも冒険か……」

 ショウは腕組みをして考える。

「ショウ、流されちゃダメ! そーゆーのは、もちょっと経験を積んでからにしようよっ」

「……そうだよな。というわけで、ルカ、当面ギルド潜入はなしな」

「わかった。いずれの楽しみにしておくよ」

 ルカはニッコリと微笑んだ。

「それじゃ、ルカは今週どうする? また適当に訓練所で何か勉強してくる?」

「そうだなぁ、管理局の資料室に篭ろうかな。まだぜんぶの本を読んでないし。知識はあって困らないからね」

「この世界の知識一般は、もうおまえにお任せだな。オレはまず東方語のマスターからだ」

「つーかよ、言葉なんてしゃべれればいんじゃねーの? 識字率だって高くはねーだろうし」

 マルは勉強の話題から遠ざかりたい一心で語学学習を否定する。

 そんなマルに、ショウだけではなくルカもアカリも目を丸くした。シーナは驚いている三人にクエスチョン・マークを浮かべている。

「……おまえ、忘れてるな?」

「なにをだよ」

 マルは口を尖らせる。

「言葉が通じるのって、この辺だけだぞ?」

「……!」

 マルとシーナが言葉を失う。

「シーナもかよっ。講習で教わったろ? オレたちの言葉が通じるのはサウス領内だけだって! それ以外は日本語で話しても通じないからな!」

「……マジ、忘れてた」

「わたしも……」

 二人は真っ青になった。

「ついでに言うと、お金のやりとりも領外に出たら普通に硬貨だからな。清算水晶なんてないんだからっ」

「「おぅっ」」

 二人に追加ダメージが与えられる。

「さらには精霊式水洗トイレなんかもたぶんないぞ」

「あ、それは地方派遣されていたときに経験済みだ」

「そうか……」

 トドメは失敗した。

「けど、すっかり忘れてたぜ……。あと半年くらい町にいようかな……」

 マルが腕を組んで考え込む。

 冗談ではあろうが、ショウはいちおう意見した。

「それならそれでいいけど、オレたちは行くからな。残るなら半年後に合流で」

「冗談だよ! ……しっかし、まいったな」

「別に全員が話せなくてもいいだろ。少なくともルカとアカリは日常会話くらいできるんだし」

 と、ショウがアカリを見ると、彼女は目を逸らせた。

「そ、そこまで自信はないけど、いちおう? たぶん、なんとか……」

「おいおい」

「だって、ベルさんとか講義でいっしょの人くらいとしか話したことないんだから、しょうがないでしょ」

「ルカは?」

「ボクは大丈夫だよ。専門用語もある程度はわかるし」

「ホントにおまえ、万能だな」

 ショウは感心するよりも呆れてしまう。なんでこんな優秀な人間が、異世界でフリーターをしてるのかまったく理解できない。

「と、まぁ、そういうわけだ。でも、いざってときに困るから、オレとマルは語学講座をみっちり受けよう。シーナも魔法を覚えたら合流な」

「は~い……」

 シーナはテンション低く返事をした。

「そうすると、アカリは?」

「あたし? そうねぇ、普通にスポットで仕事でもするわ。お金に余裕あるわけでもないし、旅先で仕事があるともかぎらないし」

「それもそうだな。昼は仕事して、夜の講習を受けるか」

「ああ、そうだ、それがいいっ」

 勉強時間を減らしたいマルは大賛成である。

「それじゃ、あと一週間、がんばろうなっ」

「「おーっ」」

 手近なカップを掲げ、一同は乾杯した。


 彼らが冒険に向けての準備を進めているころ、ナンタンより西の山奥でも修行に励む者がいた。

 青髪に青い瞳、青い衣装の青年が、赤い服の獣人と剣を交えている。

 赤服のコボルドは剣士として見事な腕前を持っており、青の青年ブルーは一度も勝てたことがない。体格や力はブルーに軍配があがるが、技量がまるで違う。技も速さも力の使い方も体幹も比べ物にならない。何をしても二手は負ける。

「今日はここまでにしましょうか」

「ありがとうございました……」

 一時間ほどの対戦で、ブルーは完全に息が上がっていた。コボルドのジョンも呼吸は深いがまだ余裕がある。スタミナも大違いである。

「背の低い相手はやりづらいでしょう?」

「ゴブリン相手に慣れているつもりなんだがなぁ……」

 言い訳のようにこぼすのも、ブルーにしては珍しい。ここまで差がつけられるのは、ずいぶんと久しぶりである。

「その程度の相手に満足していてはいけませんな」

 悔しいが反論も出ない。弱い相手に粋がっていたのだと素直に認めた。

「ジョン、ご飯まだー?」

 金髪の女性が焚き火の前で食器を叩く。『放浪の魔剣士バル』ことバルサミコスだ。ジョンの相棒であり師匠という間柄だった。

 「はい、ただいま」とジョンは従者の顔になって主人のもとへ向かう。

 ブルーも汗を拭い、焚き火に近づいた。

「今日もコテンパンだねぇ」

 バルサミコスが笑う。

「今は素直に弱いと認めるさ。けど、そのうち絶対勝つ」

 ブルーは子供のように拗ねたが、このまま終わるつもりもない。むしろ目標があるのがいい。最近は刺激がなく、面白くない日々を送っていた。それが気まぐれに遺跡探しに来てみれば、想像以上のお宝に巡りあえた。毎日をつまらなくしていた原因の一つに後輩ショウの死というものがあったが、それも彼女たちと出会うことで真相を知り、心も解放された。

「がんばれ、若者」

 バルサミコスは気楽に言う。

「そういうあんただって、まだ若いだろうが」

「まぁね、年齢的にはキミと大差ないだろうね。経験は違うけど」

「マジでどうしてこんなに差があるんだか」

 ブルーは解せない。召喚暦のほんの数年の差で、これほどの実力差がつくのは異常だとさえ思う。かたや国中の誰もが知る『勇者』で、片方はただの『異世界人』である。

 その秘密はそもそもの身体的格差なのだが、バルサミコスは明かすつもりがない。知られてよいものではないし、それを話すほど彼を信用もしていない。ゆえにもっともらしくうそぶくのだった。

「やったことの重みかねぇ……。キミはこの世界に来て、なにかやり遂げたかい?」

 バルサミコスにツッコまれると、ブルーは口をつぐんだ。勝手気ままな旅はしてきたが、功績というものとはまるで縁がない。

「何か目標を持つといいよ。力を欲するきっかけと、努力をする精神が身につく。そうすればあっという間に強くなれるよ」

 それは適当な言葉ではなく、彼女自身の経験であった。とある事件の後、一つの目標を彼女は掲げた。そして以前よりも多少はマシな自分になったのである。

「……うす」

 ブルーはその言葉を胸に刻んだ。

「試みに訊くけど、キミはどっちが欲しい派かな? 力と栄誉。それによって目標も変わるけど」

「力のほうだな。栄誉は一時のものだし、あくまで他人の評価だ。オレは自分に自信が欲しい」

「なるほどね。なら、わたしよりもジョンに師事したほうがいいかもね」

「してるじゃないか」

 ブルーは首をかしげ、食事の準備に励むコボルドを見た。ピィが味見と称してつまみ食いをしようとしたのを、牙をむいて追い払っている。

「いやいや、ウチのジョンじゃなくて、ジョン・ランボ・マクレーだよ」

「ランボ・マクレー? たしかに、あの人なら武の師匠としては申し分なさそうだが……」

 サイセイの砦町に常駐する戦士の名前だった。常に最前線に立ち、戦い、生き続けてきた彼は、この国ではもっとも高名な勇者だった。

「ま、あの人は弟子なんかとらないか」

 言っておいて、バルサミコスは笑って流す。

「知り合いなのか?」

「二度会ったくらいだね。性格は噛み合わないけど、むこうは気に入ってくれたらしいよ。名前、教えてくれたし」

「名前?」

「そ。ジョンって呼んでいいってさ。彼が認めた相手にしか呼ばせないらしい」

「それでジョン・ランボ・マクレーなのか。けど、みんなそのファースト・ネームは知らないよな。オレも聴いたことがなかった」

「登録上はランボ・マクレーだからね。本当につけたかった名前にすると長くて間延びするからって、そうしたらしい」

「へぇ」

 バルサミコスはブルーの反応にニヤニヤしていた。

 気付き、ブルーが「なんだよ?」と訊く。

「キミ、あんま映画に興味ない人?」

「……たしかに映画館まで行くってのはないな。観たいのはレンタルで済ませてた」

「だとしても、フツーはここまで話すとこの話の面白い点に気付くんだけどね」

「なんだそれ?」

「彼、ある二つの映画が大好きなんだよね。で、どっちの主人公もジョンなんだよ。だから親しい者にはジョンと呼ばせている」

「はぁ……」

「ありゃ、張り合いのない子だねー。まぁ、どーでもいいことか」

 バルサミコスは退屈に思ったのか、自分のジョンに再度呼びかけ、ご飯を催促した。

「おい、そこで話は終わりか? マクレーを紹介してくれるとかじゃないのかよ?」

「キミは無理だなー。たぶん嫌われるよ。ウチのジョンで我慢することだね」

 彼女は立ち上がり、支度の遅いジョンの手伝いに行った。

「なんなんだ、いったい……」

 ブルーは納得できないまま一人残された。この不可解な会話の意味を知るのは、後に彼がフリーマンと共闘したときである。


 11月19日の夕暮れ、スポット作業を終えたショウとシーナは異世界人管理局に向かって歩いていた。周囲にはばかることなく、彼女はショウの腕に巻きつき、ご満悦の表情を浮かべている。このところ忙しくて『ショウ成分が足りなかった』彼女は、久々に甘えていた。

 シーナはまっすぐに帰ろうとはせず、閉店の準備に忙しい露店街の散策に彼を引っ張り込む。

「二人きりでデートしたいっ」

 そう言われてはショウとしても断れない。18時からの語学講座にさえ間に合えばいいので、それまでは付き合うことにした。

 彼女は主にアクセサリーなどを物色していた。ショウのチームに戻って以降、彼女はあからさまに着飾るようになった。服装も町にいるときは明るめの物を身につけて、女の子を強く意識させる。

 唯一変わっていないのが、再会したときからつけている髪飾りくらいだろうか。よほどお気に入りなのか、髪型に合わないときもバッジ代わりに服につけていた。

 おそらく以前の仲間――はっきりといえばダイゴ――からもらった物なのだろうと、ショウは推測している。彼女は日本では男の子からプレゼントをもらったことがないと言っていた。ならば、それが最初のプレゼントなのだろう。大切にする理由もわかる。

 身勝手だが、ショウは嫉妬していた。なぜ、アカリには髪留めをプレゼントし、彼女には何も渡さなかったのだろうか。思いつかなかったといえばそれまでだが、自分の鈍さに腹が立つのも確かだった。

 たとえ二番煎じでも、ショウは彼女に何かをあげたいと思った。その絶好の機会が今だった。

「これいいなー。買っちゃおー」

 銀製のネックレスだった。飾りに流体的な意匠が付いている。

「あ、それならオレが――」

 言いかけるショウの口を、シーナの人差し指がとめる。笑顔を浮かべて。

「ううん、自分で買うからいいよ。ショウにそんなことは望んでないから。自分の欲しい物は自分で手に入れる。それがわたしの決めたルールの一つ」

「……」

 ショウは沈黙しか返せなかった。

 シーナは露店の主人にお金を払い、銀のネックレスをその場で身につけた。

「似合うかな?」

「……うん」

 少年の精一杯の言葉だった。

 それでもシーナは笑顔になり、頬を少し赤くした。

「じゃ、帰ろうか。遅くなるとベルさんに迷惑かかるしね」

 伸ばされた手をショウはつかむ。温かいが、冷たい感じもする。

 シーナに引かれるように歩き出す。彼女はご機嫌なのか、いつもよりおしゃべりだった。

 が、生返事ばかりの相方に、彼女の足が止まる。

「どしたの、ショウ? なにか考え事?」

 覗きこむ少女の瞳には、澱み一つない。いつもの、いつも以上のブラウンの光だった。

「……オレ、女の子と付き合ったことなんかなくてさ、いつも戸惑ってばかりなんだけど、今が一番よくわかんないんだ。なんでか、ショック受けてる」

「なんで?」

「たぶん、シーナに拒絶されたから?」

「わたしが? するわけないじゃん……て、さっきのあれ? 会計ことわったこと?」

「……うん」

 うなずくショウに、シーナは「あー……」と間延びした了解を示した。

「だからあれは言葉どおりで、自分の欲しい物に他人のお金は使わせたくないってだけで――」

「でも、付き合ってるわけだし……」

「細かいね、キミは。だからさ、そうじゃないんだってば。そのあたりわかってくれると嬉しいんだけど、それは贅沢だよね」

 シーナが少し寂しげに言う。以心伝心とはいかないのだ。言葉で伝えても、伝えきれないときもある。でももしわかってくれたら、これ以上の幸福はない。シーナは理性として前者を肯定し、女の子として後者を望んでいた。

「……あ、そういうことか」

 ショウはハッとして、シャツの下に潜っているそれを引っ張り上げた。そして、シーナに差し出した。

「これ、この世界に来て……いや、たぶん今までの人生で、オレにとって一番価値がある物だと思う。値段とか名誉とかじゃなくて、みんなとやり遂げた証だから。だからこれを、シーナに受け取って欲しい」

「……!」

 シーナは言葉に詰まった。彼が出したのは、赤いお守り袋。シーナが作った物だ。そしてその中には、ナンタン守備隊から贈られた銀特等勲章が納められている。皆で戦い、生き残り、勝ち取った証であった。世界にたった一つしかない、ショウの生きた証だった。

「ダメかな?」

 手が伸びないシーナに、ショウは困った表情をした。シーナにあげられる物、受け取って欲しい物、身につけていて欲しい物として、これ以上は思い浮かばなかった。

「……ううん、これ以上はないよ」

 シーナは受け取り、ショウの代わりに身につける。彼がいなくなって以来、何十日も肌身離さず持っていた。それがまた、一時の帰還ののち、彼女の胸元に収まる。

「ありがと……。ずっと大切にするね」

「よかった、受け取ってもらえて」

「バカだな、キミは。わたしのために選んでくれて、贈ってくれるなら、なんだって受け取るよ? だって、男の子からの初めてのプレゼントなんだから……」

 シーナの笑顔には、涙が溢れていた。プレゼントはもちろん嬉しい。が、それ以上に彼女の気持ちを理解した、あるいは理解しようとしてくれたのがたまらなく嬉しかった。

「初めて……? その髪飾りは?」

「これ? ……もしかして、これを見て嫉妬でもしたの? これは自分で作ったんだよ。キミがいなくなって、何をしていいかわかんなくて、アカリに気分転換だって細工師さんのところで体験工芸に参加させられて。でも作ってみたら気に入ってさ、ずっとつけてる。今度、いっしょに行く? それでおたがいの物を作ろうか」

「それ、いいな。そうしよう」

「うん!」

 シーナはショウといて、何度目かの幸福を感じた。自然とショウの首に腕を回し、唇を重ねる。

「いっしょに行こうね、この先もずっと」

 冒険への旅立ちは、間近であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ