33 仲間
ギザギ十九紀14年10月26日、早朝。
ショウが目を覚ますと、数センチの距離にアカリの顔があった。
驚いて冷静に考える。いや、考える前に答えは見つかっていた。顔が赤くなる。
ショウは自分のベッドに戻ろうとして、「ねぇ」と呼びかけられた。
「ガサガサ動かないでくれる? あたしまだ、2分は寝ていられるはずなの」
目を閉じたままアカリが言った。ショウは「はい……」と応え、動きをとめた。心臓がよけいに高鳴った。
二人とも何も着ていない。ショウは今さらのように恥ずかしくなったが、アカリは平然としていた。鋼鉄の精神だなと、妙な感心をする。
そうではない。彼女はむちゃくちゃ我慢していた。恥ずかしくて死にそうである。心臓もバクバクいっている。だが、それを表面に出しては負けのような気がした。何と勝負をしているのかまったくわからないが、そんな気がするのだ。
かといって、このままでは仕事にも行けない。先に起きなければならないのはアカリのほうである。このハンデはキツイ。先ほどショウが抜け出るのを止めなければよかったと今さらに思う。
とりあえず第一段階で目を開けた。真正面・近距離で目が合う。
慌てて仰向けになり、首はさらに反対に曲がる。
「おはよ」
「おはよう」
二人ともにそこで言葉が終わる。
このままでは気まずくて身動きがとれない。ショウはまず、会話からスタートすべきと判断した。
「えと、きのうは――」
「ストップ」アカリが待ったをかけた。顔だけがショウのほうに戻った。
「先に一つ言っておく。ゼッタイにあやまるな。あやまったら一生ゆるさない」
「お、おう……」
ショウは危うかった。とりあえず謝っておくか、という逃げ腰の思考が働いていた。とすると、なんと言えばいいのだろう。
「ありがとう?」
「それはそれでムカツクわね。施しでしたわけじゃないんだから」
アカリはムッときて、すべてに開き直った。布団を剥ぎ、ショウを見る。ショウのほうは慌てて体ごと視線を逸らせた。
「今さらなによ。見たいなら見なさいよ。あんたも堂々としろっ。そんな情けない男としたなんて思いたくない」
アカリは布団を出て、下着をつけた。
ショウは一度息を整え、体を起こす。さすがアカリだ、と感心を深めた。
「あたし、仕事いくけど、あんたは?」
アカリは普段どおりに戻った。切り替えが早いのか、もともとどうでもいいのか、ショウにはわからない。
「行くよ。もしかしたら薬草採取に出られるかもしれない」
「そ。今度は山奥なんか行くんじゃないわよ」
「わかってる。無茶はしないって」
「ホントかしらね。あんたの約束ほどアテにならないものはないわ」
「言葉もない」
アカリは笑い、「じゃね」と出て行った。ショウも手を振った。
廊下を出て三歩で、彼女はしゃがみこむ。
「うっはぁ、恥っずっ。まともに顔みれるかっつーのっ」
アカリはしばらく悶え、遅刻しかけてパン屋へ駆け込むハメとなった。
そしてなぜかテンションの高いアカリに、従業員も客もいぶかしむのであった。
ショウはショウで、足が地についていなかった。思い返すと恥ずかしいが、興奮もする。そのあと軽い自己嫌悪が襲い、またドキドキする。永久ループである。
「本日、野外作業の薬草採取班に一名の空きが出ています。本日限りのスポット作業となりますが、ご希望の方は挙手の上、前にお集まりくださーい」
ベル・カーマンの声にショウはハッとし、受付カウンターの前に出た。不思議なことに、他に候補がいない。彼は知らなかったが、最近の薬草採取作業は評判がよくなかった。
「では、ショウさん、お願いいたします。8時にこちらの荷物を持って、外区・南門に集合してください」
返事をして、ショウは採取瓶の入ったカバンを背負った。依頼書には同じ採取班として残り3名、警護班として3名の名前が書いてあった。採取の三人は、『アリサ』『マコ』『ミリム』となっている。女の子のようだ。警護は『アイン』『ツヴァイ』『ドライ』。おそらく男であろう。誰一人、知らない。なお、依頼者のクーリスはショウの一件以降、特別な理由がなければ同行しなくなった。
「これはこれで新鮮だな」
ショウは昨夜とは違うワクワクドキドキで貸し倉庫へ行き、装備を引き出した。久しぶりに鉄の胸当てを着け、革の兜を被る。アカリがメンテナンスをしてくれていたおかげで問題はなかった。盾はリュックにしばり、鞘は腰ベルトにとめた。今さらだが、土砂に流された際に紛失した鉢金と脛当ても補充しておけばよかったと思った。
その出で立ちに倉庫の管理人が「戦争か」と笑って訊いてきたので、「薬草採取です」とニコやかに応えた。管理人は冗談だと思ったのか、「大戦争だな」とさらに大声で笑った。
朝食をすませ、弁当を仕入れ、水筒を満たす。タオル、手袋、筆記用具、小槌、手斧、ナイフ・大小2本、ロープ、カラビナ、ハーケン。管理局から新たに支給してもらった携帯薬、包帯、コンパス、照明石、信号弾、呼子笛。どこへ行くつもりだとツッコまれそうだが、装備の大切さは充分に学んだ。使わないですめばそれに越したことはない。思えばニンニンはそういうつもりでいつも大荷物を持って歩いているのだろう。さすが心の師匠である。
8時前になり、南門にメンバーが集まりだした。警護は警護、採取は採取の三人が固まっている。ショウがはじめて薬草採取に参加したときは、そういう垣根をシーナが取っていた。もとより、全員がいい人であったのがよかったのだろう。
ショウは採取班ということで、まず三人の女性たちに声をかけた。「よろしくお願いします」というと、三人はヒいた。なんで鎧きてんの?と目が語っていた。採取には管理局専属召喚労働者が警護についている。大げさな装備はいらなかった。が、過去の経験から、ショウは装備もなく山へ入ろうとは思わない。ゴブリンなどが出ないともかぎらないからだ。装備はあってもいいはずだ。
次に警護班に挨拶へいった。こちらはもう、はじめから敵対的であった。
「なんでおまえが鎧きてんだよ? 警護はオレたちの仕事だぞ」
アインという、目つきの鋭い男が睨む。セルベントの装備で固めており、見るからに戦士だった。
「自分の身はできるだけ自分でも守りたいと思いまして」
「階級章がないってことはセルベントじゃないんだろ? カッコだけつけてどうすんだよ? 無駄に金を使いやがって。バカじゃねーの?」
金属鎧に立派な剣と盾。そう見られても仕方がない。だからといって、そんなに高圧的にならなくともよいのではないだろうか。
ショウの気持ちは表情にも反映されていたようで、アインはさらに不機嫌に睨みつけた。
「なんか文句でもあんのか? 焼くぞ、コラ」
彼はどうやら炎系の魔法でも持っているようだ。ショウはケンカになれば敵わないだろうと思った。けれど大人しく言いがかりをつけられるのも悔しいので黙っていた。
「やめとけよ。今日だけのスポットじゃないか。ノコちゃんが休みだからって、あたるなよ」
警護の一人、ツヴァイが止めた。アインは手を引き、舌打ちした。
「じゃ、行くぞ」
アインが動き出す。他の六人はついていった。
前方は警備班、後方は採取班で進んでいる。ショウはその真ん中にいた。警護に話しかけても無視され、採取班は尻込みする。これでどう仕事しろというのだろうか。せめて採取物だけでも教えてほしいところだ。
それとも、今までが運がよかったのだろうか。良き先輩ばかりだった。ぶっきらぼうでも今みたいな無視はされなかった。よけいな差し出口にもきちんと答えてくれた。ショウがいない間に、何かが変わったとしか思えない。管理局の方針か、制度か、召喚条件の変更か。そうは言っても、人間が大きく変わることはない。とすれば、個人に帰する問題なのだろうか。などと小難しいことをグチャグチャ考えていると、森の入り口についた。
ショウは唾を飲み込んだ。
「なんだ、ビビってんのか、おまえ? 臆病だからそんな格好してんのか。なるほどな」
アインがショウの鎧を手の甲で叩く。笑いながら先へ進んでいった。
脅えているというのはあるかもしれない。彼にとってはつい先日なのだ。この森で死にかけたのは。
「ねぇ、早く行ってよ」
背後から女の子の声。ショウは「ごめん」といって、足早に続いた。
「なにあれ、ホントにカッコばっか?」
「森が怖いのになんでこの仕事やろうと思ったんだろ」
「いい男っていないものねぇ。ダメだ、この世界も」
そんな会話が聞こえ、ショウはもう針のムシロ状態だった。良いことのあとは悪いことが起こるんだなと、しみじみ思った。その良いことを思い出し、一人で照れ笑いをしてさらに距離をとられた。
30分ほど歩くと群生地にたどり着いた。見慣れた傷薬になる草が生えている。夏に一度全滅しかけるほど刈ってしまったが、どうにか復活したようだった。この季節にも成長しているくらいなのだから、もとより生命力が強いのだろう。さすが薬草である、とショウは妙な感心をした。
「ほら、早くやれよ」
アインたち警護班は採取班を放置し、近くの切り株を囲んでトランプをはじめた。警戒するという気持ちはないらしい。
ショウは頭を振ってカバンを降ろした。
近くにいた女の子の一人に、確認のため声をかけた。
「ごめん、この草だけでいいのかな?」
「え? そう。一瓶に10。瓶3個分」
マコは単語で話し、作業に戻った。
ショウはなんだか頭が痛くなってきた。ここまで楽しくない仕事ははじめてだ。いや、初日にやった鉢植え運びも、楽しかったかと言われればノーである。ただやりがいはあった。やり遂げた喜びも味わった。
口を動かしても仕事は終わらない。手を動かせば仕事は終わる。ニンニン道に従い、作業をはじめた。
「手馴れてるじゃん」
声がしたので顔をあげた。アリサがショウの手つきを見ていた。
「前にやってたことがあるんだ。だから今日もやろうかなって」
「へー、そうなんだ。わたしさ、けっこうこれ長いけど、いつごろ?」
「7月」
「わたしがマルマに来る前じゃん。何世代前?ってカンジ」
呆れるアリサにショウは苦笑いする。
「それならレベルはかなり高いんでしょ? なんでこんな作業してんの?」
「いや、レベルは4だよ。サボってた時期が長くてね」
「うわ、ダッサ」
アリサはショウに見切りをつけて離れていった。
女の子同士が再度集結して、ショウを見て何か話している。
いろいろと言われるのには慣れてきていた。これもアカリの罵声を浴び続けてきたおかげかもしれない、などと思い、喉の奥で笑った。
「おい、そろそろ終わったか?」
警護班が近づいてきた。ショウはまだ終わっていない。
「あと5です!」
「おせーよ! 次、移動すんぞ。ついてこいよ?」
ショウは急いでかき集めた。
アリサとマコという女の子も終わったらしく、カバンを担ぐ。
しかし、ミリムというおさげ髪の女の子だけはまだ屈んだままだった。見れば、瓶がまるまる一つ残っていた。
「ちょっと待ってください!」
ショウが声を上げるが、アインは状況を確認すると舌打ちして「早く追いつけよ」と歩き出した。
ツヴァイたちも移動をはじめる。採取の二人も、ミリムを横目に見ただけでついていってしまった。「あの子、またぁ?」とアリサがボヤく声が聞こえた。
ショウはミリムに近づき、残った瓶を開け、手早く薬草を判別して納めていった。
「荷物は持つから、先に行って」
ミリムは何か言おうとしていえず、前方の小さくなりかけた背中を追った。
ショウは二人分の採取セットを担いで走った。
追いつくと、そ知らぬフリで最後列を歩く。警護班はこちらを見もしない。文句を言われないだけマシと思うことにした。
「あの、ありがとう……」
ミリムが隣を歩きながら言った。
「どういたしまして。仕事仲間だからね」
「ほんとにありがと。荷物はちゃんと持つから」
手を伸ばす少女に、ショウは荷物を渡した。腕が一瞬、ガクンと落ちる。重いに決まっている。
荷物を担いでも、ミリムは先の二人を追わなかった。
「……この仕事、前は楽しかったんだけどな」
「そうなの?」
「うん。警護が変わってから、なんか、雰囲気が違ってきちゃった」
あの三人ならありそうだな、とショウは首肯する。
「なら他の仕事に移ったほうがいいんじゃない? 楽しくないなら無理することもないと思うけど」
「今ってレギュラー仕事が減ってるし、他に向きそうなのもないから。スポットは、毎日不安になるし……」
「ああ……」
アカリもそんな話をしていた。ショウやニンニンのように、スポットが楽しめる人間ばかりではない。真面目であればあるほど、初仕事での失敗や不安を抱えてしまうのだろう。
「あの警護の三人もね、前は違ったの。他の仕事でいっしょになったときは、すごく明るくて、女の子にちょっかいばっかかけてたけど、仕事はちゃんとしたし、面白かったんだよ」
「……変わり過ぎだろ」
「うん。セルベントになって訓練所に行ってから変わった。戻ってきてこの警護についたんだけど、横柄になって何かと怒鳴るようになって、人が変わったみたいだった」
「なんでだろう?」
ショウにはまったく理由がわからない。
ミリムは続けた。
「たぶん、力がついたせいじゃないかな? 強くなったから、自慢したいのかも。偉いって思っちゃったのかな。だって、魔法っていう、普通の人では敵わない力を持ってる。そうしたら優越感があるんじゃないかな」
「なるほどね……」ショウは何となくわかってきた。
「力の使い方がわかってないんだ。今のところ周囲にはその力を使うべき脅威がない。誇示することにしか使えないんだ。平和な日本で銃を所持しているようなものかな」
異世界人管理局専属召喚労働者制度がスタートしたときは、ゴブリンという明確な脅威があった。その対抗策と戦闘力強化を図ってはじまったのである。ゆえに機能し、結果も残した。が、それ以降に大きな脅威はなかったのか、ただ無駄に力をつけた者が増えていった。持て余す力は、行き所を探してさ迷うものだった。
「あ、そのたとえ、わかる。いざというときの力であって、常時持っていていいものじゃない。だから、この世界の人は誰もが魔法を使えるわけじゃないんだよ。だって、ゴブリンとかが怖いなら、全員魔法を覚えればいいじゃない。でもそうしないのは、平和なときに脅威になるからなんだ」
ショウは震えた。彼女の言うとおりだ。勇者や異世界人になど頼らず、国が国民全員に魔法を覚えさせればいい。なぜそうしないのか。制御ができないからだ。問題が起きても国民だから安易に粛清もできない。それに、それだけの武力を持った国民全員が叛旗を翻せば国は簡単に滅ぶ。市民よりも数の多い軍隊など存在しないのだから。
だが、相手が異世界人ならばどうか。生きようが死のうが心は痛まない。傷つかない。しょせんは駒だからだ。邪魔になれば排除すればよい。むしろ国民は余所者が消えて喜ぶだろう。
「力の使い方は間違えちゃいけない。脅威になった時点で排除の対象になるんだ。セルベント制度はもう覆らないかもしれない。でもそれならそれで、まず使い方を教えなきゃいけないんだ」
ショウはナンタンに戻ったら、パーザと新しい総務部長に話してみようと思った。今ならまだ変えられるはずだから。
「わたしもそう思う」
ミリムがほっとした顔をする。
ショウもほっとした。
「もう一度自己紹介だね。よろしく、ショウだ」
「ミリム。よろしく」
彼女は緑の瞳を輝かせて微笑んだ。
「そろそろ着くぞ! なんで遅れてんだよ、早く来い!」
アインの怒鳴り声が聞こえた。ショウとミリムはため息をついて走った。
次の群生地は拓けておらず、腰の高さまである雑草が伸び放題であった。このような場所に来たことのないショウは、何を探していいかわからない。
「これ」
ミリムが草を掻き分けて実物を見せてくれた。平たい草で、白い小さな花がついている。発見にはずいぶんな手間がかかりそうだ。
「何に効くの、これ?」
「眠り薬とか麻酔。根が大事だから、掘り起こして丸ごと瓶に。一瓶に5つくらい。月曜日だから、残りは全部これ」
「わかった、ありがとう」
ショウは適当な木の根元に自分のリュックと採取瓶入りのカバンを置き、作業を開始した。
10分でまだ4つしか取れていない。雑草が茂り過ぎなのだ。かき分けて探すのは、なかなかに骨が折れる。
「あ、手斧使えばいいんじゃ?」
雑草を刈ってしまおうと、ショウはリュックに向かった。このために手斧を買ったんだ、先見の明があるな、と自画自賛する。
立ち上がると腰が痛かった。鎧を着たままなので、かなり負担がきていたようだ。
周囲で草が激しく揺れている。ショウはそれを採取の仲間だと思った。
「元気な人がいるな。草むらをすごい速さで移動してるぞ。走って見つける作戦かな」
が、どうも動きがおかしい。不規則過ぎる。これは――
「草むらに何かいるぞ! 注意しろ!」
ショウは叫んだ。と、同時に遠くから矢が飛んできた。間一髪よけた。外れただけかもしれない。
「矢が来る! 立つな!」
さらに呼びかける。が、こういう場面に慣れていないアリサが、パニックになって立ち上がった。
ショウは走った。盾を取りに行く暇はない。だが、剣は腰にある!
さきほどの矢が飛んできた方向に、かすかな影が見えた。正体を見極めたいが、とにかくまずはアリサの身の安全が優先だった。
警護班は何をしているのだろうか? 声もしなければ行動している気配もない。離れていて気が付いていないのだろうか。
「ああ、クソ。せめて笛を持っておくべきだった。そうすれば、警護に報せることができるのに」
それもリュックに入れっぱなしであった。何のための準備だったのか、自分がイヤになる。
アリサのもとへはあと数歩。が、矢の影が彼女に迫っていた。半立ちで体は隠れているが、動きがあるため存在は遠目にでもわかるのだろう。狙ってくれといわんばかりだ。
ショウはダイビングをして彼女を押し倒した。痛みが走る。矢が左・大腿部に刺さっていた。
「いい腕してんなぁ。ゴブリンのクセに」
ショウは相手を確認していない。が、弓を使う敵といえばゴブリンみたいな連想がある。彼は弓を使う亜人種をゴブリンしか見たことがない。
「矢が刺さってる……!」
アリサが震えながら指差す。
「ああ、大丈夫。距離があったから威力はだいぶ落ちてた。深くは刺さってないよ。痛いけどねっ」
ショウは強がって見せた。矢を抜きたいところだが、止血をするための包帯もリュックの中だ。
と、そこに次の矢が飛んでくる。こちらが移動する気配を示さなかったので、狙いをつけたのだろう。手前に矢が刺さった。
「オレの後ろにいて。絶対に当たらないから」
「う、うん……」
アリサは這うようにショウの陰に隠れた。
「なんだこれ、いい矢だな。とてもゴブリンとは……」
ショウはアリサに顔を向け、「笛って持ってない?」と訊いた。彼女は「あるけど……」と、ポケットから呼子笛を出した。
「そうだよ、普通は持ってるよなぁ。なんでオレ持ってないんだよ。ぜんぜん教訓を活かしてないじゃん」
ショウは笛を借り、思いきり吹いた。それで戦闘は終わった。
笛の音を目標地点から聞き、彼らは顔を見合わせた。
「おい、人じゃねーか!?」
オックスが弓を構えるヒデオに詰め寄った。
「たしかに追いやった」
「だから、そこに人がいたんだよ!」
オックスも笛を出し、大きく吹く。別行動をしていたダイゴたちも集まった。
「今の笛はなんだ?」
「ヒデオのアホが、人を射った」
「マジなの!?」
パルテが驚いて声を上げる。
そこへまた、遠くで笛の音がする。その音は状況を報せる信号ではなかった。おそらく何も知らない素人が、危険を感じて吹いているのだろう。ダイゴは試しに休戦を報せるパターンを吹いたが、相手からは長い音しか返ってこない。
「信号パターンを知らないようだが、それも油断させる策かもしれん。警戒しながら行くぞ。シーナはオレの後ろだ」
「わかってる」
パーティーで唯一【治癒】魔法を持つシーナは、一番安全な場所で守られている。彼女さえ無事なら生き残る確率はぐんと上がるからだ。
遠くから草を踏む音がする。ショウは一瞬だけ草むらから頭を出し、数人の人影を確認した。
「大丈夫、やっぱり人間だった。獲物と間違えて射ったみたいだ」
「よかった……」
アリサは安堵した。
ショウは腰の剣を抜いて上に振った。草の音が一瞬とまったが、また近づいてくる。
相手も姿が見えないと警戒を解かないだろうと判断して、ショウは剣を杖にして立ち上がった。痛むので動きたくはなかったが、そうも言っていられない。警護班はどうしたというのだろう。静か過ぎて、かえって不安になる。
「「あ」」
たがいに相手を確認して、一瞬固まった。
「ダイゴさん!?」
「ショウさん!」
「え」とシーナがダイゴの背後から顔を出し、ショウを確認すると飛び出した。
「ショウ!」
「シーナ……」
シーナはショウの左腿に刺さった矢を見て、息を呑んだ。それからすぐに処置に入る。
「大丈夫!?」
「平気だよ、浅いし。でも【治癒】もらえると助かる」
「あげるよこんなの、いくらでもっ」
「いや、一回でいいよ」
「こんなときに冗談いうな! こんな怪我だって死ぬことあるんだからっ」
「……ごめん」
涙目になって怒鳴られ、ショウは素直に【治癒】魔法を受けた。
「すまない」
ヒデオが前に出て頭を下げた。ショウは「たがいによく見えなかったのだから」と彼を許した。
続いてダイゴも謝罪する。
「本当に申し訳ありません。害獣を追ってこちらに来たのですが、まさか人がいるとは思いませんでした」
「害獣? そういえばさっき、そっちのほうに何かが走っていきましたよ。それかな」
「おそらく。しかし、なぜこんなところに? この辺は猟区ですから、一般人は入れないはずですよ」
「え、そうなの?」
ショウはそばにいるアリサに目を向けた。騒動が終わったと見て、マコとミリムもやってくる。
「わ、わたしはわかんないっ。警護班が案内する場所で薬草を集めるだけだし……」
「薬草採取?」
シーナが訊いた。
「うん。空きがあったから入ったんだ。……道理で見たことのない場所なわけだ」
「警護のヤツら、この辺なら楽に集まると思って連れてきたな」
ダイゴが怒りに震える。不正は許せない。
「大丈夫?」
ミリムがショウを気遣う。飛び出していったときはどうなるかと心配であった。
「ありがとう、大丈夫だよ」
ショウが笑顔を返すと、ミリムも微笑んだ。
今度はアリサがショウに話しかけた。
「あの、ありがとう。かばってくれなきゃ、わたし、どうなってたか……」
「間に合ったからよかったよ。ああいうときはまず伏せようね」
「はい、ありがとうございましたっ」
そんな光景をシーナが冷めた目で見ていた。胸がモヤモヤする。
「ずいぶんと楽しそうだね」
「なに言ってんの!? オレ、さっきまで全員から無視されてたんだぞ? マジ、悲しかったんだぞっ」
「ほー、説得力のないことで」
ショウに突っかかるシーナをミリムが睨む。あまりに失礼な物言いに、腹に据えかねて文句を言ってやろうとしたところ、その前にダイゴ・チームの面々が口を開いた。
「処女厨がっ」パルテは害虫を見るような視線だった。
「処女厨がっ」オックスは唾棄する。
「……」ヒデオは温かい目でショウを見ていた。
「ちょっと待て、なんだそれは!?」
「アカリが言ってたって。ショウは処女厨って」
今回はシーナもフォローしなかった。
「このまえのアレか!? ダイゴさん、なんでそれを他人に話すんですか!?」
ミリムたちが静かに離れていくのに焦りながら、ショウはダイゴにつめよった。
「あれはアカリさんなりのジョークだったのでは……?」
「ジョークだけど、そんな悪質なジョーク、広めないでくださいよ!」
「よくわかりませんが、すみません」
ダイゴが律儀に謝った。
「こいつ、ダイゴさんに頭を下げさせたぞ。処女厨のくせに」
今度はオックスがダイゴに叩かれ、頭を下げるハメになった。
「冗談はともかく、警護の連中はどうしたんですか?」
「さっきから見えないんですよ。怖くなって逃げたかな」
「そいつら警護だろぉ?」
オックスが顔をしかめる。
「警護でセルベントだけど、オレが知ってるセルベントとはだいぶ違う。初期のころはあんなに勇敢な人ばっかりだったのに」
「それは美化しすぎ。ダメなヤツはダメだったよ。カイとか」
「あ~、いたなぁ……」
シーナの言葉にショウは納得する。
「でもわかるよ。カッセさんとかコーヘイとか、マルやルカだって仕事をないがしろにはしなかった。ちゃんと体を張ってた」
「まったくだ。警護が真っ先に逃げてどうするんだ。……探すか」
「マジすか? そんなの薬草組の問題じゃないすか」
オックスはダイゴに反対した。彼は大嫌いなショウがいなければ隊長の意見に反発はしなかったであろう。ただその一点でやる気になれない。関わりたくもなかった。
ショウは聞きとがめた。
「それでいいのか?」
「あ?」
オックスがショウにガンを飛ばす。
「自分の仕事じゃないから見捨てていくのか? 警護が戻ってこなかったら彼女たちはどうすればいい? ここに置いていくのか? それは逃げ出した警護班とどう違うんだ?」
普段のショウなら柔和に話していただろう。彼が必要以上に挑戦的になったのは、さきのミリムとの会話の影響だった。力を持つ者が、持たない者をないがしろにする。それでは力とは自己の彩るだけの暴力ではないか。
オックスは反論を探して、見つからなかった。いや、反論はある。だがそれを口にすれば自分の居場所を失くすだけだった。場所だけではなく、矜持さえも。
「わーってるよ、うっせーな。探してくるよっ。この処女厨っ」
「それはもうやめろっ」
オックスのかすかな抵抗がわかるので、ショウはあえて乗ってやった。
「オックス、一人じゃ危険だ。オレもいく。パルテも来てくれ」
ダイゴは青ローブの少女を連れてオックスを追った。
「オレも探しに行かないと。シーナは……、えと、できればそちらの彼とここでみんなを守っててくれると助かるんだけど……」
シーナに指示をだすのをショウはためらった。彼女はもう、彼のチームの一員ではない。だが、頼まないわけにもいかなかった。
「うん、わかった。気をつけてね」
シーナは状況を鑑みて、個人的な問題は無視した。それに、気がつけばショウと普通に話している。ダイゴに語ったあのときから、彼女はすべてわかっていた。自分の本当の望みも、気持ちも。さきほどのショウと採取組とのやり取りにイラついたのも、その延長である。素直になったとき、シーナはショウと真正面から向かいあえるようになっていた。しかし、それ以上は望むべくもない。自分で決めたのだから。
「ありがと。何かあれば笛を鳴らす」
ショウは借りっぱなしの笛を咥えた。「あとで新品を返すから」とアリサに告げ、盾をつけ、リュックを担ぐ。ロープなどの道具はどこで役に立つかわからないので持ち歩く。
その警護の三名はショウの予測どおり、危険を感じてその場を放棄していた。
「なんか叫んでたけど、平気かな?」
ツヴァイが後ろを何度も振り返りつつ言った。
「バカヤロ、戦術的撤退ってやつだよ。いったん距離をおき、様子を見ながら戻る。オレたちがやられたら、あいつらだって助からねーだろ」
アインが笑う。ドライが「そのとおり」と同意した。
「それにしても離れすぎじゃないか? もう戻ろう」
「おまえが一番最初にダッシュしたんだろ? ツヴァイはビビりだよな」
「ビビリは認めるけど、警護対象を放っておくわけにはいかないだろ」
「わかったわかった。じゃ、戻るぞ」
三人は方向転換をした。そして、恐怖した。
ナンタンの10時の鐘の音は、雲ひとつない空に吸い込まれていく。
それを聞きながら、アカリは頬杖をついてベル・カーマンの講義を右から左で流していた。気を抜くと昨夜の出来事が脳裏をよぎり、とても勉強どころではない。ニヤけたり、赤面したり、呆けたりと、百面相が繰り広げられる。
「アカリさん、大丈夫ですか?」
「は、はい?」
ベル・カーマンが彼女の顔を覗き込んでいた。
「集中されてませんね。いつものアカリさんらしくありませんよ?」
「すみません……」
「では、続けます」
ベルが教卓に戻ったところで、階下から馬のいななきと、何かが破壊される音が聞こえた。
「今度はなんですかぁ~!」
ベル・カーマンは嘆くように天を仰いだ。
ただ一人の生徒が部屋を飛び出した。こういうときは必ず、知っている顔が何かをやらかすのだ。
その直感は当たり、玄関扉を蹴破って馬が侵入していた。馬上にはルカがいる。
「ショウはどこ!?」
開口一番それである。アカリはさすがに呆れた。そもそもルカは、セルベントとしてどこかへ行っていたはずではないか。どこでショウの生存を聞きつけたのかは知らないが、わざわざ会うために戻ってきたと言うのだろうか。
「言うわよね、あいつなら」
アカリは階段を降りた。
さしものパーザ・ルーチンも呆然とし、ルカの声で覚醒した。
「なにを考えているのですか! 馬から降りなさい!」
「ショウのことを考えているんだ! どこにいるか教えて!」
パーザは問答の無駄を感じた。いっそ教えてさっさと出て行ってもらったほうがよいと判断した。落ち着いてから処罰すればよいのだ。それに、わざわざ会いに戻ったのだから、一目くらいは会わせてやりたい。
「彼は薬草採取に出ています。南門を出て、西の森です。詳しくはわかりません」
「パーザさん、記事をありがとうございました。感謝してます」
ルカは手綱を操り、馬を飛ばした。
「ヤバ、声かけ損ねた」
アカリはとり残されていた。どうせ眼中にはないのだろうが、挨拶くらいはしていけと思う。
と、また馬のいななきが聞こえた。今度は扉の前で停止する。
「ちーっす、ショウいるかー? ルカー?」
「サルマル!」
「クソオンナ! ……いや、今はケンカはなしだ。ショウはどこだよ? 生きてるってホントか?」
「本当よ。今日は薬草採取だって。ルカは先に行ったわよ」
「マジか、あいつ。山まで追っかけんのかよ」
文句をいいつつ、マルも馬を引いた。
「待て、サル。あたしも乗せてけ」
「ハァ? おまえ、わざわざ山まで行かなくても会ってんだろ?」
「ここで待ってるってのが仲間はずれっぽくてヤなのよっ」
「相変わらずの寂しがりかよ。……あー、話してる時間も無駄だ。いくぞ」
マルを追って外へ出ようとしたアカリは、ハッとして振り返った。
「ごめんなさい、パーザさん。パン屋にアカリが早退したって伝えてください!」
そして手を振って出て行く。
馬の声と音が遠ざかる。
「なんなの、あの子たちは? まったく……」
パーザは呆れたが、口元では笑っていた。少しだけ羨ましいと思う。仲間のために一直線に突き進む。そんな思い出は彼女にはなかった。
ショウたちのいる同じ森の、ずっと奥地のこと。二人の男女が目の前の光景を見て冷や汗を流していた。男女といっても男のほうは雄である。
「ねぇ、ジョン。まずいかなぁ?」
金髪の女性が、赤い服を着たコボルドに問いかけた。
「油断なされましたね。晩のおかずに逃げられるとは」
「とりあえず追わないと。この方向だとナンタンへ行っちゃうよ」
「ルートはわかりやすいですな。木々がなぎ倒されているところを進めばよいだけです」
「やっぱ短剣だけで斃そうとか、舐めたプレイしたのがよくなかったね」
「左様ですな。戦いに油断は禁物ですよ」
「戦いっていうより、ただの狩りなんだけどね。だから軽いノリでやったんだけど」
「それがそもそも間違いなのです。よいですか? 狩りとは本来――」
「いや、そのまえに、スルーされるととってもツライんだけど」
「……何がでしょうか?」
「くー。やっぱショウを残しておくべきだったぁ!」
『放浪の魔剣士バル』ことバルサミコスは、失ったモノの大きさを知るのだった。しかし、今回ばかりはショウがいてもスルーするであろう。あまりにもバカバカしすぎるダジャレに付き合うほど、少年も親切ではない。
地響きが届く。かなりの質量が高速で移動するような。まるでトラックが近づいてくるような。
「うわぁぁぁぁぁ!」
叫び声が聞こえた。ダイゴたち三人は驚いてそちらを向く。
視線の先で森が拓かれていく。遠くの木々がなぎ倒され、その連鎖が続く。
「何か来るぞ!」
ダイゴとオックスは剣と盾を構え、パルテは距離をとって杖を握った。
まず飛び出してきたのが三人の男。セルベントの鎧を身につけてはいるが、手には武器も盾もない。
「どうしたァ!」
ダイゴが声をかけるが、涙と鼻水を撒き散らしながら、男たちは脇を駆け抜けていった。
「やべーのが来そうっすね」
地響きと爆音が近づきつつあるのをオックスは感じとり、余裕を持とうと軽口をたたいた。
そしてそれは来た。
「避けろォ!」
ダイゴの命令は素早く実行された。三人は横に避け、それを通過させた。しかし風圧までも凄まじく、ダイゴの鉄鎧の右肩パーツが飛んだ。剣も落としたが、すぐに拾う。
「真紅背毛大猪!」
「なんつーデカさだよ……」
体長5メートル以上はある、巨大なイノシシだった。特徴である一筋の真紅の体毛が、高速で走る車のテール・ランプの帯のように見える。下あごから伸びる牙は長く、鋭い。突き上げられでもしたら即死であろう。
ダイゴたちは、このイノシシを数多く狩ってきた。だがそれはまだ子供であり、最大でも100センチ程度しか相手にしたことがない。それでも彼らは凶暴で素早く、攻撃力が高い。策もなく無傷で斃すのは難しい相手であった。しかも今回は、生半可な策など正面からぶち破るような圧倒的な怪物だった。
「パルテ!」
ダイゴは背後にいるであろう、魔術師の少女に声をかけた。が、返事がない。チラリと見ると、脅えて震えている。
「パルテぇ!!」
「……!」
一喝して彼女を正気に戻す。
「信号弾を上げろ! 赤二つだ!」
信号弾には色があり、それによって周囲に状況を報せる。赤二つは『撤退』を表す。全員がその場から速やかに退去し、安全なところまで避難するように指示するものだった。
「りょ、了解……」
パルテは背中のリュックを降ろし、信号弾を探した。弁当やら着替えやら、いらない物が多すぎてすぐに出てこない。
「オックス、あいつの動きが止まったら脇腹を刺せ。おそらく斬っても無駄だ」
グレート・ボアにかぎらず、巨大哺乳類は体毛によって守られている。ほぼ体格と比例した太さがあり、この場合、針金ほどにもなるだろう。それが何万本も体を覆い守っている。人間程度の打撃攻撃や斬撃は内まで届かない。さらに筋肉や脂肪を考えれば、人間が肉弾戦で勝てる生物ではない。
「止まるんすかね?」
「方向転換するときは必ずな。多少の角度変更ならともかく、速度を落とさずに方向を変えるのは、斜面もあり木の多い森では無理だ」
「たしかにそっすね」
オックスが勝機を見たとばかりにニヤリと笑う。実際は、強がってなけなしの勇気を振り絞っているだけだ。
ダイゴの予測どおり、ボアは一時停止してから方向を変え、三人を視界におさめた。
「来るぞ、パルテまだか!?」
「い、今ぁ……!」
彼女は震える手で二本の信号弾を持ち、天に向けて発射した。呪文が一度で言えたのは、自分でもスゴイと思った。
赤い光と音が二つ、空を翔る。
「赤二つ!?」
ヒデオが驚いて見上げた。
「ヒデオ、彼女たちを連れてすぐ森を出て!」
シーナはすでに走っていた。仲間たちのほうへ向けて。
「シーナ、戻れ! ダイゴの命令は撤退だ!」
ヒデオは個性を忘れて叫んだ。だが、彼女は行ってしまう。ヒデオはおかっぱ頭を掻き乱し、「ああ、もうっ」とそばにいる女性三人を見た。
「ヤバイ状況になってる。森を出る」
ヒデオは自分のすべきことをした。
ダイゴは判断ミスを体で知った。最初から徹底的に逃げるべきだったのだ。
ボアの攻撃をどうにか回避し、パルテは魔法、ダイゴとオックスは剣による刺殺を計った。だが、その体毛は想像以上に硬く、柔軟であった。少しでも角度がずれると剣先は体毛の脂ですべり、まっすぐに刺さらない。魔法は多少イヤがるが、ダメージにもならなかった。そして迂闊に近づいていたことが、さらに絶望を呼ぶ。
ただの一振り。
体を振るわせただけで、ダイゴとオックスは吹っ飛ばされた。
オックスは運よく草むらに救われたが、ダイゴは巨木に背中を打ちつけ、呼吸が数秒止まった。骨が何本かいったのが、武道の経験からわかる。
ボアは最も弱った大きな獲物に狙いをつけた。
「にげ、ろ……。逃げろー!」
それがダイゴの出せる、最後の命令だった。
オックスはビクッとしたが、逃げる素振りがない。パルテは、そもそもが聞こえていない。それを視界の端に見て、自分はなんと無能なリーダーなのだろうと奥歯をかんだ。
ボアの攻撃はもう避けられない。ならばせめて相打ちを狙うべく剣を取ろうとするが、腕が伸びず、力も入らない。上腕もやられていた。
「シーナ……」
ダイゴ自身、気付かずにつぶやいていた。
笛の音が遠くに聞こえた。
かすかに、だが、確実に。
その音は次第に大きくなり、最後は耳を劈くほどとなった。
「処女厨!」
オックスが叫んだ。
「それやめろっ」
彼らよりも10数メートル離れた木々の間に、ショウはいた。
「オレが囮になる。逃げろっ」
「わかった」
オックスは即答した。ショウは嫌いだし、味方は助かる。素晴らしい提案であった。
「ダメ、だ……。みんな、逃げろ……」
ダイゴが息を乱しながらもなんとか告げる。
そんな彼を無視して、ショウはもう一度笛を吹いた。
ボアはうるさい人間と、弱った獲物を見比べる。そのたびに笛が鳴り、ボアもいいかげん頭にきて体ごとショウに向いた。
「オレも撒いたらすぐ逃げる。こんなのと戦っちゃダメだ」
ショウはオックスに言ったのだが、ダイゴにも聞こえていた。ダイゴはその判断の正しさを痛感していた。なぜそれが自分にはできなかったのだろう。セルベントとして、戦士として、オゴリがあったのだ。いや、ショウの前で、シーナにいいところを見せたかったのかもしれない。
ショウは剣で盾を叩き、笛を吹いた。それはゴブリンがよく見せる、挑発の踊りのようでもあった。
グレート・ボアが挑発に乗って突進をかける。
ショウは森の中を走った。ほぼ一直線で追いかけてくるため、急転回すれば数秒は稼げた。なるべく木にぶつけてダメージを増やしたいのだが、さすがにいちいち衝突はしてくれない。いいボディ・バランスをしている。アカリのステップとまではいかないが、中途半端な転回をすると、ある程度は曲がってきた。
「イノシシってこんなに機敏なのかよ……」
開けた場所へ出た。伐採が行われていたのか、丸太が20本ほど積み上げてある。
「これにぶつけてやれば止まるかな……」
ショウは一瞬で考え、一瞬で否定した。そんなもので止まる破壊力ではなさそうだ。
それでも丸太が壁になり、敵からは死角となった。今のうちに水分を取る。リュックも置いていくしかない。どのみち、中身を取り出す余裕などないだろう。撒いたあと森を歩くときに必要な信号弾とコンパスだけを持って、リュックを捨てた。
「このまま去ってくれれば一番なんだけどな」
期待するが、野生動物は半端ではない。しかも相手はイノシシなのだ。
「臭いを嗅いでる……? マジかよ。わざわざ探そうとすんなよなぁ……」
ショウはこっそりとまた森のほうへ逃げて行く。
しかし、ボアの嗅覚は侮れない。だいたいの位置をつかんだのか、視線がショウに向けて動いた。
また追いかけっこがはじまる。
ダイゴに肩を貸し、オックスとパルテがシーナたちのいた方向へと戻っていく。途中で、そのシーナと出くわした。
「ダイゴ!」
シーナは駆け寄り、具合を見てすぐに【治癒】魔法をかける。背中を中心に、最低限度の自分で歩ける程度の回復でやめた。彼女は精霊属性が水で、副属性は風である。地属性の【治癒】はあまり得意ではない。そのため、多くの回数は使えなかった。それでも【治癒】を取得したのは仲間の命のためだ。
「逃げるように信号弾を撃っただろう」
「行けるわけないでしょ!? もう、誰かを失うのはイヤだよ……」
シーナが涙を浮かべる。ダイゴは何も言えなくなった。
「とにかく逃げようぜ。グズグズしてらんねぇ。またいつあのデカイのが来るか……」
周囲の奇妙な静けさに恐怖を覚え、オックスがうながす。パルテも賛同するようにダイゴを支えるのを手伝った。
「デカイの?」
「すげぇデカイ、真紅背毛大猪だよ。ハンパじゃねぇ。マジでヤバい」
オックスはシーナに答える合間も、背後を何度も振り返った。
「……ショウは?」
今さらに気付く。彼はどこにいるのだろう。先に逃げたのだろうか。いや、ショウだったら絶対――
「……彼が引き付けてくれている」
「なんで!? なんでまた!」
「それしかなかったんだよ。オレたちが動けなかったから、あいつが助けてくれたんだ」
オックスが説明した。大きな借りができてしまった。だから無事でいてほしいと思う。
「でも、すぐ撒いて逃げるって。戦わないって言ってたから大丈夫よ」
パルテがフォローした。
「なんでそうなんだよ、もう! バカじゃないの!?」
シーナはダイゴたちの来た方向へと走った。
「オックス、シーナをとめろっ。絶対に行かすな!」
「わ、わかった!」
追いかけようとしたオックスだが、ダイゴの有様が酷過ぎて彼自身も忘れていた。彼も左足にダメージを負っていたのだ。走ろうとして痛みが襲い、膝をついた。
「やべ、オレも【治癒】してもらっておけばよかった……!」
「パルテ!」
ダイゴがもう一人に呼びかけるが、彼女はダイゴを見上げて首を振った。もう追いつけなかった。それに彼女の力では、シーナを連れ戻すこと自体が不可能だった。
「行かせてあげるしかないよ。シーナは今でも彼を救えなかったことを後悔してるんでしょ? だったらもし今回助けられたなら、きっとシーナは罪の意識から解放されるんじゃないかな……」
パルテはつぶやいた。ダイゴが自分を睨んでいることに気付き、彼女はうつむいた。
ダイゴは打ち震えながら、大きく息を吐いた。
「……そうかもしれないな」
ダイゴはシーナがもう戻ってこないだろうと覚悟した。ショウが無事であっても、最悪の結果になったとしても、彼女は仲間であった頃とは変わってしまうだろう。どうせなら前者による結果であってほしいと思う。
「少し離れたところで待機して、彼らを待とう」
ダイゴは指示を出し、木々の密集する場所で腰を落ち着けた。
そこに、馬のいななきが聞こえた。
体力にも限界と言うものがある。盾も捨て、走りながら鎧をはずし、少しでも身軽になろうと必死になる。どうせ当たれば一撃必殺なのだ。薄い鉄板など役にも立たない……とは思わないが、熱がこもり、動きも鈍くなる。ショウは剣と革兜だけを残し、さらに逃げた。
「どうすればいい? どうやって撒けばいいんだ?」
回避がうまくいき、ボアは木に激突した。何度かぶつかっているため、額から血が見える。
「だいたい、なんでこんなにしつこいんだよ! いいかげん、冷静になってもいいだろう!」
そんな非生産的な言葉を吐く。
ボアにはボアの言い分があり、金髪の人間に刃物でチクチクと身を削るようにいたぶられた恨みが消えないのである。さらには大事な子供までが毎日のように殺されるのを見てきた。彼女にとって、人間は許されざる敵だった。
ショウには一つだけ策があった。それが成功すればほぼ確実にしとめられるであろう。だが、策を実行するには一人では不可能だった。最低、もう一人必要だ。だが、応援は期待できない。赤二つの信号弾を見ていたら、誰だって近づいてはこない。
「またアカリに怒られるよ……」
ショウは軽口を叩く。彼女の憤る顔がはっきりと浮かんだ。「脳ミソ腐ってんじゃないの!?」と怒鳴る声と共に。
「オレは帰る。絶対に帰って、またアカリと――」
そんな不謹慎な死亡フラグを現実化しようと、ボアが再度突進してくる。もう何度もかわしているので距離感はほぼつかめていた。だが、それだけだ。いずれ体力で劣るショウは逃げられなくなるだろう。
「ショウ!」
声が聞こえた。知っている声だ。この瞬間、ショウは生き残る可能性を感じた。
「シーナ!」
「ショウ!」
数メートル先にシーナがいた。息を上げながら、安堵と怒りの表情を混ぜている。
「このアホバカ! なにしてんの!」
「説教はあとだっ。シーナ、手伝ってくれ!」
ショウがシーナの目を見る。シーナも見た。その瞬間、わかった。
「これって――?」
「チャンスだ!」
ショウは目的の場所にシーナを誘導する。ボアはまだ戻ってこない。下り坂だったので加速がついてずいぶんと下にいったようだ。少しは時間が稼げそうだった。
「どうするの?」
「オレが囮になってる間にトラップを作ってくれ」
「どんな? てか、材料とかは?」
「もうぜんぶそろってる。あとはおまえがいればいい。頼むぜ、相棒!」
「……調子いいんだからっ」
シーナは鼻の奥が熱くなるのを感じた。
ショウは丸太の積みあがった広場に戻った。
「材料はそこにある――って、早っ」
ボアが走ってくる。ここを壊されては策もない。シーナは素早く丸太の裏に隠れ、ショウは剣を投げ捨てて笛を吹きながら逃げた。
「で、何を作ればいいのよォ!」
笛の音にかき消されていそうだが、訊ねないわけにもいかない。
「質量兵器だ!」
ショウの声が届いた。
「え?」わけがわからない。ただ、その単語は懐かしさと笑いを誘う。和んでいる場合ではないと気付き、「なァにィ!?」と大声で聞き返す。
「質量兵器だ!」ショウは繰り返した。「こいつが質量兵器なんだ!」とボアを指すショウに、シーナは「ああ!」と得心した。
シーナが急いでトラップを設置するなか、ショウは足がもつれて転んだ。膝が震えだしている。もう長くは走れないだろう。いや、すぐにも終わるかもしれない。グレート・ボアが接近していた。
シーナはそれに気付いた。だが、駆けつけるには距離がある。彼の名を叫んだ。あのときと同じように。伸ばしても届かない手。叫んでも無意味な声。また絶望がやってくる。
瞬間、シーナの経験が脳裏を走った。
『怖いときは怖いと叫んでいい。きっと味方が近くにいる』
ゴブリンに襲われたとき、救援に現れたブルーの言葉だ。それは絶望をごまかす虚言である。何の道理もなく、うまい話があるわけがないのだ。あのときはパーザ・ルーチンが体をはって民間異世界人組合に乗り込んでくれたおかげだった。だが、今回はそんな保険もない。近くに自分以外の誰もいない。
が、シーナはそれにすがるしかなかった。
「誰か、ショウを、助けてェ!」
彼女の最後の抵抗だった。運命を変えるための祈りだった。
ボアとショウの距離は加速をつけて近づいていく。
それは、閃光だった。鋼の黒い閃光。
ショウの手前でボアは叫び声を上げた。
彼は隙を見て転がって逃げる。
シーナは安堵して、その奇跡のもとを手繰った。
「二度も死なせないよ」
「ルカ!?」
木々の間から、ルカがロングボウを放っていた。特別な鋼鉄製の黒矢だ。それは、レッド・グレート・ボアの鉄の毛皮さえも突き破り、背に刺さっていた。
「シーナ、よく叫んだね。おかげで間に合った」
さらに炎の弾丸がボアを襲う。こちらは嫌がるが、さほどのダメージにはなっていない。
「オレっち登場! いつもながら最高のタイミングだぜ!」
「マル!?」
その後ろから、細かな矢が4本連続で放たれた。
「あんた、人との約束をなんだと思ってんの! 脳ミソ腐ってんじゃない!?」
「アカリ!」
ショウは呆然と仲間を見回し、心が震えた。まさかであり、奇跡である。いないはずのみんなが、今ここにいる。どんな偶然が重なれば、こんな奇跡が起こるというのか!
「ショウ、これを奇跡とか思ってる? 違うよ。これは必然。少なくとも、ボクがここにいるのはね」
「ハァ? あんたはただムチャクチャなだけじゃない。管理局のドアを馬で蹴破って入るなんて」
「そういうおまえも途中で見かけたヤツの弓をふんだくってるじゃねーか」
「これはいいのよ、緊急事態なんだから! それよりサル、あんたの魔法、ちっとも効いてないじゃない。よっわ!」
「オメーの矢だって効いてねーだろ! みてろ、コイツはオレがトドメをさすからな!」
そんな賑やかさにショウは可笑しさがこみ上げた。
シーナも嬉しい誤算に笑み、最後のロープを絞った。絶望は、もうない。
「ショウ、できたよ!」
「ありがと、シーナ。それじゃ、今夜の鍋の材料、狩るとしようか!」
ショウが宣言する。
「もう少しカッコイイ言い回しできないの? テンション下がるわ」
アカリが呆れる。
「いいだろっ」と言い返し、ショウは丸太束の前に走った。
「みんなもこっちだ。一点からあいつを狙う」
「一点集中攻撃? 効くの、そんなの?」
いぶかしみながらも、アカリもマルも、ルカも駆け寄ってくる。そして理解した。
「シーナは攻撃魔法を持ってる?」
ショウは手ぶらの彼女に質問した。武器となりそうなのは腰の短剣と工作用ナイフだが、そんなものが役に立つ状況ではない。
「……ないよ」
シーナの返事が遅れたのは、この状況に慣れているからだ。間接攻撃方法がない状態では、攻撃には参加できない。あのボア相手に近接戦闘などもっての他だ。きっとショウも言うのだろう。「後ろにさがれ」「回復役はやられちゃ困る」と。
「それじゃ、オレの隣に来てくれ」
「え?」
「オレ一人じゃ、きっとうまくいかない。だから手伝って欲しい」
「……うんっ!」
シーナは喜んで引き受けた。
ボアがのっそりと動き、密集する人間たちを睨みつけた。固まっているのは好都合だった。もう逃がさない。その決意が現れるように、前足で土を蹴る。
「シーナ、あいつは意外と機敏だ。ギリギリまで引き付けたいけど、それも危ない。だからオレとおまえで囮になる。悪いけど、つきあってくれ」
「いいよー、ワクワクする」
シーナが言葉どおり目を輝かせる。
それはそれでどうなのだろうとショウは思ったが、そんなやりとりをしている暇はない。
「それじゃ、みんな、いくぞ」
「おうっ」
「任せて」
「いつでもいいわ」
「うふふ~」
「いやシーナ、なんで笑ってんの!?」
そのショウのツッコミに反応したのか、ボアが一段と低く構え、唸り声を上げた。
「構え!」
後衛のアカリ、マル、ルカの間接攻撃部隊が弓を、腕をあげる。
ショウはアカリとルカの、弓を引く音を聞いた。
「射ッ!」
一斉射がボアを襲う。が、矢も炎の魔法もボアの脇を抜け、一つたりとも命中しなかった。
ボアは好機を悟った。敵の攻撃が当たらなかった。致命的ミスを犯したのだ。次はない。この突撃ですべてが片付く。
焦った人間のうち、小ざかしい矢や魔法を放った三人が慌てて逃げて行く。だが、前の二人は呆然としているのか、まるで動かなかった。
ボアは後ろ三人はあきらめ、前の二人に狙いを絞った。逃げ回っていた忌々しいのが残っている。それだけでも殺す!
殺気はショウにも届いていた。それを纏い、今までにないほどの速度で迫ってくる。むこうも決着をつけるつもりだろう。
ショウは隣のシーナを見た。驚くほど自然体で、笑みさえ浮かべている。つられてショウも笑みを浮かべた。
シーナは純粋に嬉しかった。ショウに必要とされている。みんなの役に立っている。共に戦っている。ダイゴのチームにいるとき、彼女はいつも独りだった。回復役を買って出たのは自分だが、大事にされ過ぎ、共にいる感覚は薄かった。戦えるのに。肩を並べられるのに。いっしょに傷つくこともいとわないのに。誰も彼女の気持ちには気付かなかった。伝えたこともある。前に出て戦える、前がダメなら攻撃魔法だって覚えてくる、と。だが、チームとしてもっとも安全で有効な策に変更はなかった。ならば自分でなくてもいいのではないか? たった一つの魔法、【治癒】があれば、誰でもいいのではないか。【治癒】が必要なのか、自分が求められているのか、シーナには自信がなかった。それはきっと贅沢な悩みなのだ。彼女はそれをわかったうえで、寂しさを拭えなかった。
「シーナ!」
ショウが名前を呼んだ。近くで、すぐそばで、絶対の信頼を込めて。だから彼女は跳べた。
ボアは目の前の標的が二手に分かれたことで、一瞬、躊躇した。それは刹那の時間である。その迷いが彼女の運命を変えた。方向を変えようと首をもたげた。このとき、初志貫徹、猪突猛進を貫いていれば、あるいはトラップごとすべてを粉砕できたかもしれなかった。だが、彼女は選択肢を与えられたことで戸惑ってしまったのだ。そしてそれが、ショウの狙いであった。
すべてが遅く、ボアはもっとも晒してはならない場所を晒してしまった。勢いがとまらない。
叫び声が上がる。彼女の喉に二本の鋼の剣が刺さった。丸太に固定された、ショウとシーナの長剣である。シーナの剣は真っ二つに折れ、柄の部分だけが丸太に残った。
それでもボアは執念を見せるように動き、立ち上がろうとした。人間すべてを殺すまで、死んでなどいられないと語るかのように。
「マル、トドメをさす! こっちだ!」
ショウが叫んだ。マルは「よっしゃー!」とショウとともにダッシュでボアの後ろに回る。
「でも、サルの魔法じゃトドメなんて無理でしょ」
アカリがいぶかしむ。シーナもルカも半信半疑だ。
「いや、これはマルにしかできない! 魔術師のマルにしか!」
ショウにあおられ、マルのテンションは爆上がりだった。
「マル、そこだ! そこに全魔力を叩きこめ!」
ショウがマルの腕を掴み、その場所に埋め込んだ。そして素早く効果範囲から退避する。
「【火炎弾】!!!」
マルのご機嫌な魔法が炸裂する。
ボアは内部から破壊され、肉片を飛び散らせた。
「――て、おい!」
この結果を知っていて避難したショウに、マルが怒りの形相を見せた。
「希望どおりトドメはさせただろ? おまえのおかげだ。でも、近づかないでくれよ」
「テメ、人の腕をケツの穴にぶちこむたァ、どういう了見だ!」
「内部破壊は基本だろ。口だと噛み千切られるじゃないか。……背後でも蹴られるかもだけど」
「おまえなァ!」
ショウはマルの接近をヒョイヒョイかわした。みんながいるので元気が湧いてきている。
「ウンコザル……」
「ボクが額に矢を射ったほうが早かったんじゃないかな」
「それはナイショだね」
三人は懐かしい光景に心が温かくなった。
「シーナ、討伐完了だ。信号弾をあげてくれ」
「了解!」
シーナはカバンの信号弾を取り出し、発射した。緑の光と甲高い音が、祝砲のように青空へと伸びていった。
同日・正午。
西の森で緑の信号弾が上がった。周辺が安定したことを報せるものだった。
ダイゴたちはその軌跡を目にし、現場へと急いだ。
そこでは今、ショウたち五人が集まって騒いでいる。
マルは真紅背毛大猪の糞と血肉を落とすのに必死となり、アカリが遠慮せず笑っている。シーナとルカはどちらが貢献したかの言い合いを続け、ショウは終始笑顔で彼らを眺めていた。
「ショウだってボクのおかげで助かったと思ってるだろ?」
貢献度勝負の決着がつかず、ルカがショウに裁定を求めた。
「どっちにも感謝してるよ。ありがとう、ルカ、シーナ」
「ほら、先に名前を呼ばれた。ボクのほうが貢献度が高かったってことだ」
「子供か」ショウが苦笑する。
「それより、わざわざ会いに来てくれたんだな。どっか遠くにいたんだろ?」
「大したことないよ。馬で三日ほど走っただけだし。各管理所の馬がつぶれたけどね」
「あとでパーザさんにスゲェ怒られそうだな」
「どうでもいいよ。キミにまた会えたんだから」
ルカは笑顔で答える。
「それは嬉しいけどさ、なんでそこまでするんだよ? メシをたかられた覚えしかないんだけど」
ショウが冗談めかして訊いた。が、不思議であるのは変わらない。ルカが自分にこだわる理由がまったくわからないのだ。
「んー」ルカは少し考える。
「……キミがいい人だからかな。ボクのうっすらとした記憶にある嫌な思い出が、キミといると忘れられる。楽しさだけじゃなくて、人っていいなって感じさせてくれる。だからボクは、キミといたいんだ」
ルカにほほえまれ、ショウは赤面した。初めて会ったとき女性と勘違いしたが、今もこの美少年は、笑うと美少女に変わる。
「なんで赤くなってんの!?」
シーナが立ちふさがり、ルカがムッとする。と、銀髪の少年はふと思い出した。
「……そういえば、シーナはさっき会ったセルベントのチームに入ったんじゃなかったっけ? 小隊表で見た記憶があるんだけど。それってつまり、他の男に走ったってことだよね?」
「……!」
ルカの真実の言葉がシーナの心を抉った。顔が蒼白になり、呼吸が一瞬とまる。
「ルカ、それは責めることじゃない」
ショウはシーナの肩を叩いて、ルカの前に立った。
「あやまるのはオレなんだ。ごめん、ちゃんと帰って来なくて。オレがもっと注意して、問題なく帰ってきていればよかったんだ。みんなに心配をかけたオレのせいだ。本当にごめん」
ショウは深く頭を下げて謝罪した。
「いや、ショウは別に悪くは――」
思いがけずショウを追いつめてしまったルカが、慌てて取り繕うとする。しかし、肯定者が現れ、さらに賛同者まで登場した。
「そうね。ぜんぶあんたが悪い。勝手にどっか行って、勝手に死にかけて、いつまでも帰って来ないのがどう考えても悪いわね」
「だよな。こいつ最低だぜ。人をクソまみれにするしよ」
「マルはそれを言いたいだけだろっ」ショウがツッコむ。
「……なぁ、ルカ。大きな傷を抱えたら、みんながみんな、一人で立ち直れるわけじゃない。オレとシーナの立場が逆だったら、オレはやっぱり自分をスゲェ許せないと思う。ずっと引きずると思う。誰かに頼りたくなると思うんだ。オレがそんな重荷をシーナに背負わせてしまったんだ。だからシーナは絶対に悪くない。それをわかってくれるといいんだけど」
悲しそうな目で訴えかけられて、ルカも悲しい気分になった。そしてなぜ、自分がショウにこだわるのかも改めてわかる。こういう人だから共にいたいのだと。黒い記憶にいる、あの男と違うから。
「わかった。もう言わない。シーナ、悪かったね」
シーナはうなだれたまま、小さくうなずいた。
「ありがとな、ルカ。おまえもやっぱりいいヤツだ。また会えて嬉しいよ」
ショウがルカを抱き締める。人の温かさが、ルカには心地よい。
シーナはそれを眺めているしかできない。流れで浮かれていたが、彼女はまだ答えを伝えていない。そして、大切な人たちに認めてもらってはいない。
彼女がショウに話しかけようとしたとき、遠くから声がした。
「あ、いた!」
パルテの声だった。ダイゴとオックスもいる。馬を2頭も連れていた。
「無事でしたか」
「おかげさまで」
ダイゴの挨拶にショウが応えた。
「オレの馬、サンキュー」とマルが馬の一頭を受け取る。ルカも一頭ひいた。ルカとマルは、途中で出会ったダイゴたちにショウの所在を聞き、疲労した馬を預けていた。アカリの弓矢はさらにそのまえ、ヒデオとすれ違ったときに無理やり奪ったものだ。
「マジか、斃してやがる……」
オックスが半身を破壊された巨大イノシシに目を奪われた。
「さすがですね。感服しました」
「いえ、仲間のおかげです。こんなの一人じゃ無理ですよ」
ショウが自慢の仲間を見た。一人が欠けても――いや、今回アカリの活躍はなかった気がする。
「ん? 今あたしを見たでしょ? 役に立ってなかったとか思ったでしょ!?」
ものすごい勘である。ショウは「そんなことない」とフォローするが、表情は硬くなる。
「実際そーじゃん」
「黙れ、クソザル!」
「お、触るぞ? クソザルが触るぞ?」
にじり寄るマルに、アカリが後ずさる。
そのそばで、オックスがシーナに【治癒】を要求していた。足の痛みが酷くなっていた。
「そうそう、これ、ショウさんの鎧ですよね? 途中に落ちてました。前だけですが」
ダイゴが、自分のリュックに縛り付けていた鉄の胸当てをショウに返す。
「ありがとうございます。逃げるのに邪魔で、脱ぎながら走ってました」
「あと、これも」
ダイゴは赤いお守り袋を渡した。紐が切れている。
「脱いだときに引っかかって切れたのか」
ショウは中身を確認した。銀特等勲章が彼の手に収まる。
「なんだそれ、勲章じゃねーか! 誰ンだよ!?」
マルがいつの間にかショウのそばにいた。本当にサルのように素早い。
「オレのだよ。山狩りのとき、貢献したからって」
「マジかよ! オレにはくんなかったぞ!?」
「サルにやってどーすんのよ」アカリの悪態はもはやセットのような物だ。
「そういえば、カッセさんとイソギンチャクって人ももらってたね」
ルカは自分の隊長が自慢していたのを思い出した。
「特等勲章ということは、ショウさんがセルベントだったら、少尉を飛ばして中尉になっていたかもしれませんね」
「それはイヤだなぁ。器じゃないですよ」
ショウは笑った。
「マジかあいつ、勲章持ちだと?」
「あいつの遺品てあれだったのね」
オックスとパルテがひそひそと話す。ここにきてようやく、ダイゴがなぜショウごときに敬語を使うのかがわかった。けれど二人から観るショウはやはり凡人であり、勲章をもらうような英雄には結び付かなかった。
「ダイゴ、腕の怪我を治すよ」
オックスの治療を終えたシーナがダイゴに近づいた。【治癒】を唱えるが、骨折は簡単には治らない。本人の治癒能力にも左右されるので、しばらくは続ける必要があった。
ダイゴはシーナを見下ろす。瞬きすらせず、患部に手を添えている。人形のようだった。
「……決めたか?」
ダイゴが訊いた。
「え、なに?」
シーナが驚いて顔を上げる。【治癒】魔法はまだ続いている。
「これからどうするか」
「……っ」
シーナはまた顔を伏せた。答えは決まっている。だが、言えるわけがない。
「おまえはどうしたい? 『しなければ』ではなく、『したほうがいい』でもない。何をしたいかだ。おまえが言った、『いてはいけない』『資格がない』『裏切れない』は望みじゃない。呪いだ。オレたちは、おまえをそんなもので縛るつもりはない」
「……!」
シーナはまた顔を上げた。その目から、ぼたぼたと涙が溢れていた。
「わたし、わたしは……」
「言っていいんだ、シーナ。本当の望みはなんだ?」
ダイゴの言葉の後、次々と声が飛ぶ。
「好きにすりゃぁいんだよ」
「自分で決めるの」
「今までの図々しさはどこへいったんだい?」
「シーナ!」
それぞれの表情があった。その中に、彼女の求めた笑顔がある。シーナは迷いを断ち切った。
「……わたしは、行きたい。ショウと行きたい!」
シーナはショウに抱きついた。そして、思いきり泣いた。
「めんどくせーヤツら」
その脇でマルが鼻クソをほじって捨てた。少し水っぽかった。
アカリはショウとシーナを視界におさめ微笑んだ。しかしそれは長く続かず、背を向け、空を見上げながら大きく息を吐いた。
シーナは落ち着くと、ダイゴたちのほうを向いて頭を下げた。
「ありがとう、ダイゴ。みんなも、本当にありがとう」
「残念だけど、しゃーねーよな」
「近くでウジウジされても辛気臭いだけだし」
「オレのほうこそ感謝している。今までありがとう」
ダイゴたち三人にも笑顔があった。いい仲間たちであったのを、シーナは忘れない。
「茶番が終わったなら帰んぞ」
マルが言い放つ。半数ほどから「イイハナシダナーで終わらせろ」とツッコミを受けた。
その光景を、はるか天空から見ている一人と一頭がいた。『放浪の魔剣士バル』ことバルサミコスとコボルドのジョンである。
「ミコ様、よいのですか? お会いになられなくて」
ジョンがミコに抱えられたまま訊いた。
「行きたいんだけどさー、部外者じゃん? しゃしゃり出るのもね~」
「めずらしいですね、そんなふうに他人を気遣うとは」
「うわっ、ヒドイこと言われてるよ、わたし!」
「申し訳ありません」
ジョンは口元で笑っていた。
「……それにちょっと、接触したくないのがいてね」
「はて、ショウ以外にお知り合いがおりましたか?」
ジョンは地上の八人を見渡す。が、彼の記憶にはない。
「面識はないよ。でも、あれは間違いない。今さらアレを持ち出すなんて、アリアはどういうつもりなんだか。しかも本人にその自覚がなさそうなんだよね。ホント、なんなんだろ」
そう意味深に語り、直後に表情を軟化させた。
「――なんて、あいつのことだから、何も考えずに11号素体を使ったのかも。これでいいかーとか言いながら」
「11号素体……? ミコ様と同じ、『召喚十天騎士』のナンバーですか?」
「廃棄ナンバーだよ。残っていたとは思わなかった」
「それは、問題がありそうですね」
「自覚がないのが怖いけど、普通に使うぶんには大丈夫だよ。感情のコントロールさえできていればね。暴走したらわかんないけど」
「それが問題では?」
「大丈夫だって。ショウがいるんだから。……だからアリアも放置してるのかな? どちらにしても、すぐにどうこうはないはず」
ミコはニッと笑った。
「ミコ様は、なにゆえそこまでショウをお信じになられるのですか? わたしには皆目見当がつきません。こう言っては申し訳ありませんが、彼は良くも悪くも、もっとも凡庸な人間です」
「違うね。ショウにはたった一つ、誰にも負けない能力があるんだよ。絶対無比の能力がね。みんなそれに気付いてない。わたしが彼を誘ったのは、それが一番大きい」
「それは……?」
「ツッコミ。彼がいれば、あと10年は楽しく生きられるっ」
ミコは片手だけジョンから外し、ガッツポーズをとった。
「そろそろ帰りましょうか。新しい食材を探さねばなりません。あの二人も待ってますよ」
「流さないでよ~。それはともかく、その前に一つ、お節介をしておこうかな。……まったく、異世界人はどんどん自由を奪われていく。擬似体しかり、管理局専属しかり。でも、だからこそあの子の小さな望みくらいは叶えてやってもいいだろ。『不幸になる』予測を覆してくれた、そのお礼にね」
ミコは笑みを浮かべ、一度ショウを眺めて飛び去った。
「また会おう、少年! わはははははは……!」
ふと声がした気がして、ショウは空を見上げた。だが、そこには雲ひとつない青空しかなかった。
「どうした、ショウ?」
マルに呼ばれて少年は地上に眼を戻した。かわりにマルが探るように空を見ている。
「いや、別に。帰る前に、盾と鎧のパーツも回収しないとな。逃げながら外したから、どこにあるか」
「いっしょに探すよ?」
シーナがショウの腕に巻きついたままニコやかに言った。先ほどからずっとなので、パルテなどは「シーナってホントはあんななの?」とヒいていた。オックスも陰を背負った姿しか知らないので、その極端さに驚くやら落胆やらしていた。
「それは助かるけど、まずは離れてくれっ。それと、そっちはそっちの仕事――て、オレたちも仕事終わってねーじゃん!」
ショウが声をあげると、シーナたち害獣駆除組も「あ」と気付いた。
「そうだ、この怪物を斃せば終わりではなかった」
「ヒデオも呼んでこないと!」
ダイゴ・チームも会議がはじまった。
「薬草採取はどうすればいいんだ? 警護がアテにならないし。ともかく一旦、森を出ないとダメか。ここ、猟区だし……」
ショウもオロオロしていた。なにせ同じ作業メンバーはこの場に一人もいない。しかし、そんなショウには仲間がいる。
「オレたちが警護してやるよ。暇だし」
「そうだね。せっかくだし、いっしょに仕事をするのもいい。お金は出ないだろうけど」
「マル、ルカ……。それじゃ頼むよ」
ショウはホッとして礼を言った。
「あたしも行ってもいいわよ? パン屋、早退しちゃったし」
アカリは相変わらずツンデレ風味で申し出る。
「でもおまえ、セルベントじゃないだろ?」
「正規メンバーがいない時点でそれって無意味でしょうが。それとも邪魔だっての?」
「……来てくれると嬉しい」
「はじめからそう言えばいいのよ」
アカリは拗ねたようにそっぽを向く。その姿に、ショウはハッとした。とてつもなく大切なことを今さらに思い出した。アカリと話そうとするが、それよりも早くシーナが彼女に抱きついた。
「カワイイなー、アカリ。そんなアカリも大好きだー」
「ちょっとあんた、性格変わりすぎ……てか、戻りすぎ!」
「えへへー」
その笑顔に、アカリは何もいえない。
「うむうむ」ダイゴはなぜか癒されていた。
オックスとパルテはもう、口をアングリである。
「おたがいのメンバーが森の外で待っているはず。いったん戻りましょうか」
「そうですね」
ダイゴの提案にショウは同意した。
チラリとアカリを見ると、彼女もちょうどこちらを見ていて視線が合った。アカリは笑みを浮かべた。その意味を素直にとるべきか、深読みすべきか、彼は迷った。
「どうしたの? 難しい顔して」
シーナが覗きこむ。彼は驚いて大げさに飛びずさった。
「いや、なんでもっ。落とした装備、ぜんぶ見つかるかなって」
「ふーん……」シーナは納得した顔にはならなかった。が、あえてそれ以上は踏み込まなかった。
「じゃ、手分けして探そ?」
シーナはダイゴたちにも呼びかけて、ショウの装備探しをはじめた。
ショウも個人的な問題にこだわってはいられず、行動する。
装備と採取セットの回収が済むと、ショウはこの場を離れる前の最後の仕事として、グレート・ボアの牙を鋸で切った。これが特別報酬と引き換えになるとダイゴが教えてくれたからだ。
「ですが、このサイズでしたら素材屋に売ったほうがいいかと。この大きさなら、金貨数枚にはなるはずです。管理局の報酬では、大きさは関係ないですから」
「マジか!? ショウ、二本あんだから一本くれよ!」
「いいよ」
ショウは気前よくマルに一本わたした。かえってマルが驚いている。
「いいのか? おまえのことだから、全員で分配っていうかと思ったんだけど」
「トドメをさしたのはおまえだからな。汚れたのも」
ショウは笑う。
「おまえ! ……まぁ、それならもらっておくぜ」
マルはカバンにしまった。長過ぎて収まりきらない。ショウのほうも、リュックから先端が飛び出している。
遺骸の残りは、ダイゴが素材屋に話を通すこととなった。毛皮や残った歯などもそれぞれに使い道がある。この大きさなので、かなりの額となるだろう。ショウは手数料として、売値の半分をダイゴに渡す約束をした。ダイゴはことわったが、ショウが頑として譲らなかったので、最後には折れた。
森の外に、ヒデオと採取班の女の子たちが待っていた。警護班の姿はない。
ショウは採取班に、時間があるので仕事に戻らないかと相談した。その警護にルカたちを紹介する。アリサとマコは喜んで再開に同意した。もちろん、外見だけは満点のルカが目当てであるのはわかりきっていたが、この際は利用させてもらう。
「ミリムも行ける?」
「うん、大丈夫」
彼女は緑色の瞳を喜びに輝かせた。
「あいつ、ナチュラルであれやってんだぜ?」
「フザケンナってんだよな。シーナさん、怒ってんぞ」
マルとオックスがショウの女グセを批判している。二人は息が合うようで、仲がよくなっていた。そのきっかけは、もちろんショウの悪行である。
「それじゃ、シーナは薬草採取の手伝いだ」
ダイゴがシーナに言った。
「え?」
「この近辺の育成地を知っているのは、この中ではおそらくおまえだけだろう。だから手を貸してあげたほうがいい」
「ダイゴ……」
シーナとしては申し出は嬉しい。だが、それでは害獣駆除組の人手が足りなくなるではないか。
「なら、オレそっち行くー。ぶっちゃけ、警護つっても何も出てこなきゃ暇だろ? こっちなら狩れるじゃん」
マルが飄々とダイゴたちのチームに進んでいった。
「そうね、あたしもそっちがいいわ」
ルカから借りた予備の弓矢を担ぎ、アカリも参戦する。彼女も弓が活かせる仕事のほうがよかった。実戦経験を積むにも最適だ。
「逆にこっちが増えたな。というわけで、おまえはむこうだ」
「ありがとう」
シーナは礼をいい、ショウと合流した。
ダイゴは重い息を吐いた。シーナは最後まで、ショウに向けているような笑顔を彼には見せなかった。少し悲しそうな、今にも泣き出しそうな笑顔しか知らない。結局、彼女を救えたのはショウだけであった。それが残念で、悔しい。
「行こう」
振り切るようにダイゴは歩き出す。パルテはそんな彼の隣を歩く。大して面白くもない話題を振りまきながら。ダイゴはただ、優しく聴いている。
「それじゃこっちも。て、馬はどうする?」
「ショウは乗れないよね。シーナは?」
ルカがシーナに訊いた。嫌味な口調ではなく、ごく自然の問いかけだった。
歩かせるくらいならと彼女は答え、ならばもったいないので二人ずつ乗ろうということになった。ミリムが徒歩を希望したので、ルカとアリサ、シーナとマコの組み合わせだ。3名から不満が出たが、ショウは無視した。
「く、あの女、ショウが歩きと知ってて立候補したなっ」
馬に乗るしかないルカが悔しがる。
「本来ならショウがわたしの後ろに乗るはずだったのに……」
ショウの性格からして自分が楽をするという選択はありえないのだが、シーナは悔しがる。
「アリサ、ズルイ……! 帰りは代わってもらうっ」
アリサにジャンケンで負けたマコが悔しがる。
「ね、あなたはいったい何者なの?」
歩きはじめてすぐに、ミリムがショウに訊いた。たかが薬草採取に装備も準備も万端でやってきて、そのくせ森で尻込みして、数ヶ月も前に採取作業経験があり、なのにレベルは4で、戦闘慣れしていて、行動力があって、強い仲間たちがいて、セルベントの小隊長にまで敬られ、巨大な獣まで斃してきたという。人間像がまったくつながらない。
『何者』という問いかけがショウには面白く聞こえた。まるで漫画のようだ。思わず噴出しかけ、彼女の真剣さに気付いて真面目に答えた。
「普通の召喚労働者だよ。事故で体を壊して、三ヶ月ほど療養してたけど」
「もう大丈夫なの?」
「うん、すっかり。でもそのぶん、仲間にはずいぶん差がつけられちゃったけどね」
苦笑する少年に、ミリムは陰を感じた。言葉にウソはないにしろ、すべてではないのがわかる。それを訊けるほど、ミリムは彼と親密でもなければ、図々しくもなれない。ただ、観たままは言える。
「でも、その仲間たちは今もあなたを大切に思ってる。そばにいてくれる。それが一番じゃないかな」
微笑むミリムに、ショウは「ありがとう」と素直に言えた。その言葉は真実で、だからこそ彼は生き残れたのだ。孤独であったら、仲間が想ってくれていなければ、彼はここにはいなかった。ミコのように絶望し、町を離れるしか心を癒す方法はなかったであろう。それでも苦い思い出は、一生、消えなかっただろう。
ショウは仲間たちに感謝して、また大きく一歩を踏み出した。
話題は変わり、ショウとミリムは薬草採取・警護班の問題について話し合った。
「警護班をあのまま放ってはおけないよなぁ」
「報告はするべきだと思う。でも、あとが怖いかな」
「それはあるね。だからといって、放置もできないし……」
ミリムは考え込むショウの横顔を見る。頼りない人かと思ったら、まるで違った。人を見て、人と話し、人とわかり合おうとする少年だった。彼女にはそれが新鮮だった。まだレベル3に上がって間もないが、セルベントにならなかったのは、彼らが怖かったからだ。人を見ない、人と話さない、人とわかり合おうとしない。そんな人間がなぜかセルベントには多かった。それがショウと話すことで理解が深まっていく。
「例えば、今のセルベントを取り締まる機関があったらどうだろう?」
ショウの話は跳んだ。午前中に話したほうに変わっている。
「わたしは賛成しない。同時に密告もしたくない。監視や密告をされた側が、した相手を恨むだけだから。それが広がれば誰も信じられなくなる」
「けど、今日の警護のようなことは今後も起こるかもよ?」
ショウはミリムに反対しているのではない。内心では彼女の意見を肯定している。でもそれでは解決もないまま話が終わってしまう。あえて否定してみたのだ。
「密告ではなく、堂々と言えればいいのに。パーザ先生、彼が仕事サボりましたー、て」
「学級会みたいだな」
ショウは可笑しくて軽く噴出した。
「訓練所ではそういう道徳的なものって教えていないの? わたしはまだ行ったことがなくて」
「オレもないからわからないな」
「そうなの!?」
ショウのリュックから覗く大きな牙は、彼らが相応の獣を退治してきた証である。そのようなことができる者が、まさかの訓練所・未経験とは思いもしなかった。どんな経験をすれば、戦闘訓練もなく怪物退治ができるというのか。
「うん。セルベントじゃないし、お金もなくてね。聴いた話だと、戦闘訓練はするけど道徳とかはないみたいだよ。子供の学校じゃないしね」
「そのへんの改善かな。むやみに技術だけを教えるのではなく、力の意義を教えることも大切だと思う。それこそ、道徳心もなく拳銃を持たせるようなものだもの」
「そうだね。あとは何ができるだろう」
「いろんな人と会って、話すことかな。それはストレスにもなるけど、一方では知らないことを得る機会になるんじゃないかな。わたしはあなたを頼りない人だと思ってた。でも、違った。それは会って、話して、過ごさないとわからないことだった。……もちろん、採取が無事に終わってたら頼りない人のままだったろうけど」
「はは……」
乾いた笑みがこぼれる。
「わたしは、とても贅沢な理想論を語っていると思う。こうなって欲しいっていう願望と狭い知識の中で、勝手なことを言っている。でも、みんなが少しだけ考えてくれたら理想で終わらないと思う。誰だって、傷ついて生きていたいなんて思わないから」
ショウはそう語る少女を立派だと思う。
「ミリムはすごいな。オレなんて、自分のことで精一杯だ。自分勝手に生きて、みんなに迷惑かけて、今度は町を出ようとしている。本当なら、キミのような人を手伝うべきなんだろうな」
「町を出るの? セルベントになって?」
ミリムの思考には、町を出る理由があるとすれば仕事以外ない。それもセルベントとして派遣される形だ。
「いや、冒険者になる。この世界に来たときから決めてた。仲間もいるし、そのうち行こうかなと思ってる」
「わたしも行けるかな!?」
思いがけない言葉にショウは驚いた。が、すぐに首を振った。
「さすがに戦闘経験のない人を連れてはいけない。保障なんて何もないし、オレには助ける余裕もない。だから、ごめん」
「そう……」
「でも、いつか行けるといいね」
「はいっ」
ミリムの元気な返事が森に流れる。
先を進むシーナにもそれは届いており、「またなんか調子のいいこと言ってそう」と頬を膨らませた。
夏に刈り尽くされた育成地は、わずかではあるが復活していた。山狩りのあと、新しい薬草を植え、栽培していたのが日の目を見たようだ。今回は目的物が違うのでスルーしていく。
「ていうか、今さらなんだけど、わたしこの時期の薬草って知らないんだよね」
「「おい!」」
シーナの爆弾発言に一同がツッコんだ。
「でも、場所は大体把握してるから、それのどこかにはあるはず。ちょっと歩きまわるよ」
「頼む」
不安だが、彼女に一任するしかない。
そうして一時間ほどアチコチ歩き、ついに発見した。採取グループが作業に入る。
「ここのほうが楽じゃん。雑草も少ないし」
「ね。警護班、なんで真面目にやんなかったのかしら」
アリサとマコが文句を言う。
「ここが猟区の場所より遠いからかな。たぶん、それだけ。自分たちが採取作業するわけじゃないしね」
シーナが周囲を警戒しながら答えた。それを聴き、「最低っ」と二人は怒った。
「でも、それを知ってるってのもすごくない? なんであんな場所を知ってるんだろ」
アリサはふと疑問に感じ、口にした。
「セルベントは危険対策の観点から、いろんな情報が閲覧できるの。獣の出没ポイントも、薬草の群生地・育成地もその一つ。もちろん猟区内の群生地もしっかり記載されている」
「その情報を悪用したわけか」
ショウが呆れてため息を吐く。シーナは「そういうこと」とうなずいた。
採取は無事に完了した。が、帰路で問題が発生する。気候が落ち着いたことでゴブリンが山に戻っていたのである。
ルカがいち早く発見し、先手を打って二人を射抜く。別働で襲ってくるゴブリンを、ショウが一人、シーナが三人片付けた。そのうちの一人はルカのアシストである。
実際に肩を並べて戦い、ショウは理解した。
「やっぱみんなより差がついてるな……」
ショウは落ち込んだ。彼がゴブリン一人に手間取る間、シーナは余裕で敵の攻撃を弾き、短剣の一突きで斃していた。ショウが振り返るころには二人目が、シーナと並ぶころにはルカの一撃を受けてよろめいた三人目を斬り伏せている。
ルカは「ドンマイ」と笑ったが、シーナは――
「そんなの問題じゃないよ。それにショウがいっしょだから、わたしは自信を持って戦えるんだよ」
と、彼の首に腕をまわしてキスをした。
そのあと、ルカの怒りとミリムの放心、アリサとマコの冷やかしに晒されたのは言うまでもない。
それすらも、シーナはとても嬉しかった。




