20.vs.聖法国②
「慎みなさい、フィリップ卿!」
勢いよく立ち上がったハミルトンが咎めた。
「我々はあくまでも聖女様の保護が目的のはず。この店や彼女らを裁くためではない!」
「いいえ、ハミルトン卿。彼女らはすでに人の形をしていながら魔物に侵されています! ならば、町に危害を加える前に浄化すべきです!」
フィリップが宣言した、次の瞬間。
「あらあら、まあまあ」
極寒の地に放り出されたような寒気が店内を包んだ。
ディアナが頬に手を当てる。
「浄化、なんて言っていますけど……。要するにこのお店を潰して、私たち全員を亡き者にしようってことですね?」
ぞわり。
全身の毛穴という毛穴に突き刺さる氷のような殺気に、ヒッと誰かが悲鳴を上げた。
「あっちゃー……」
フラヴィが誰にも届かない小声で天を仰ぐ。
「すみません、逃げます」
スタニスラフはネリーを抱えて外に飛び出した。
ディアナは笑顔のまま小首をかしげる。その笑顔の裏に凶悪な顔をした悪魔像が見えたのは、きっと気のせいではないはず。
事ここに至って、ようやく触れてはならない竜の逆鱗に触れてしまったのだと彼らは気付いた。実際は逆鱗を打楽器感覚で連打していたのだが、それを知る者は皆口を噤んでいる。
「料理長ー。ナタを」
「はいはい」
厨房で同じく頭を抱えていたアルベルトが、ディアナの恐ろしく明るい声に応えた。
ガリガリと音を立てて奥から運ばれてきたのは、彼女が愛用している巨大なナタ。せいぜい薪割り用のサイズを想定していた聖光教会関係者は、その大きさに度肝を抜かれた。
「フラヴィ、逃げるぞ」
「はぁい」
アルベルトとフラヴィも店の外に逃げる。
ディアナが防刃と運搬を兼ねたベルトを外す。巨大な刃物を振り回せば、店だって無事ではない。だがそれを悠々と肩に担いで、彼女は呟く。
「弁償代の請求先は、聖法国でいいかしらね」
「枢機卿猊下、お下がりください!」
ようやく我に返った聖光騎士たちが抜剣した。枢機卿三人を後ろに下げ、ディアナと対峙する。笛を吹いて合図を送れば、店の外で監視していた他の聖光騎士たちも応援に駆け付ける。
「ちょおっと待ったー!!」
そこに冒険者たちが雪崩れ込む。依頼を受けて森に出かけているふりをしていた彼らは、店内で聖光騎士団が抜剣したのをしっかり目撃していた。ディアナの殺気で何人か気絶していたが、そちらは別の店に担ぎ込まれているので魔物に襲われる心配はない。
「この店潰すってんなら俺らが相手になるぞ!」
「女将さん、助太刀します!」
「かかってこいやあ!」
威勢よく声を上げながら、冒険者たちは拳を構える。店内での刃傷沙汰を彼らは許さなかった。
そもそも、冒険者のほとんどが聖光教会を嫌っていた。
二十数年前、魔王が出現した時、強大な敵を抑え込むはずの聖女が役に立たなかった。加えて凶暴化する魔物たちが人里を荒らし、どこもかしこも凶作にあえいだ。各国の対応は後手後手に回り、冒険者たちは好きに動くしかなかった。
要は、ボランティアで各地の魔物を討伐していたのだ。
そのうちの一人が、単身で魔王に挑み、打ち勝った。教会では禁忌とされる魔物の肉を食べて、飢えをしのぎながら旅をしていたのだ。
教会はこの事実に狂乱した。魔王を倒した英雄が、禁忌の魔物食らいに落ちた。恐ろしい。即刻処刑すべきだ!
世界中に指名手配された勇者は姿をくらました。冒険者たちはこの話を聞き、聖光教会へ怒りと不信感を募らせた。役立たずの教会に代わって魔王を倒した英雄に、褒美を与えるどころか死の宣告をするなんて。
もともとそこまで信じていなかった神への不信感が一気に増した出来事だった。
それに、魔物を食べて強くなれるなら、自分たちだって食べてやる。魔物狩りのエキスパートである自分たちを、教義に沿って殺し続ければ、いずれ魔物を倒せる人がいなくなる。
結局、硬すぎて魔物を食べられた人はいなかったが、ほとんどの冒険者はそうして聖光教会に背を向けたのだ。
「なっ、こ、この、異教徒どもが!」
フィリップが目を血走らせる。
「粛清だ! 裁判など必要ない、異教徒に裁きを下せ!」
「フィリップ卿!」
「よせ!」
ハミルトンとポドロフが止める。ここで職権を濫用すれば聖法国にも被害が及ぶ。
「動くな、誰一人として傷付けるな!」
「殺せ! 異教徒を殺せ!」
枢機卿から出される矛盾した命令に、聖光騎士団は剣を動かせない。それでも、刃を向けられたのならば、攻撃の意思はあるも同然。
自分の周囲をぐるりと囲まれたディアナは、笑顔を絶やさず一歩前に踏み出す。
肩に担いでいたナタを横薙ぎに――
「ダメぇぇぇえええええええっ!!」
澄んだ絶叫が、店の外から響いた。
「えっ」
振り抜こうとしたナタを思い切り引っ張って留める。その鼻先に、光の壁が現れた。
「な、んだ、これは……?」
「壁……?」
「おい、出れないぞ!?」
「貴様、なにをした!?」
混乱しているのは冒険者や聖光騎士団も同じだった。剣や拳で何度も壁を叩いているが、光の壁はびくともしない。よくよく見れば、光の壁はディアナを囲っているのではなく、聖光騎士団をドーナツ状の壁で閉じ込めていた。
光。その現象で思い当たる節は一つ。
「まさか……」
ディアナが店の入り口を振り向く。
残念ながら、聖光騎士団に阻まれてディアナがその姿を見ることはできない。
店の入り口では、成り行きを見守り、必要なら助太刀に行こうとしていた三人が立っている。彼らに守られるようにしていたネリーが、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「――っ、――っ」
なにかを訴えているが、声はやはり出ない。
アルベルトたちも困惑の表情を隠せない。スタンピードの時と違い、今回ははっきりと、彼女の声が聞こえていた。光の壁が現れるのを目撃した。
聖女の力を、しかとその目に焼き付けた。
しかも今回は、前回と違って倒れない。三ヵ月の間に体力がついてきたのか、あるいは自分の意思でコントロールできるようになったのか。いずれにせよ、いきなり壁が消滅するということはなさそうだった。
「ネリーちゃん」
ディアナが騎士団越しに呼びかける。
「これ、消せる?」
「ダメみたいです」
喋れない彼女に代わってフラヴィが答える。
「えーっと……女将さんや冒険者のみんなが傷つくのが嫌だから、解除したくないって」
手の平に字を書いて伝えてくれたのだろう。間を置いてさらにフラヴィが続けた。
「あと、聖光教会の皆様には帰ってほしいって」
「でたらめだ!」
フィリップがなおも喚いた。
「聖女様、異教徒の言葉に耳を貸す必要はありません! 我々が保護しますから! あなたはここにいていい人間ではないのです!」
「それを決めるのは彼女よ」
ディアナが低い声ではっきりと言う。
「指図するのはやめてもらえるかしら」
「黙れ異教徒!」
「黙るのはそなただ、フィリップ卿」
厳かな声がその場を鎮めた。
「ポドロフ卿……」
「女将、いくつか聞きたいことがある」
聖光騎士団をかき分けて現れたポドロフに、ディアナもナタを下ろして向き合う。
「どうぞ」
「あなたはかつて冒険者でしたか」
「……さあ。ずいぶん昔のことです。忘れてしまいました」
「その刃物はずいぶんと重そうですね。愛用されて長いのですか?」
「はい。私の相棒です」
「では……魔物を、どうして食べようと思ったのですか」
「飢えていたからです」
即答した。
「飢え、ですか」
「はい。食料も路銀も尽きた中で、あるのは自分が倒した魔物の肉だけ。死にたくありませんでしたから、試行錯誤して食べました」
「……そう、ですか」
ポドロフはなにかを考えるように目を伏せた。ディアナも、教会関係者も、冒険者らも彼の次の言葉を待つ。
「わかりました」
やがて、彼はゆっくりと呟いた。ディアナに背を向け、他の従業員たち――に守られてるネリーを見やる。
「お嬢さん、正直に答えてほしい。取って食いはしないよ」
スタニスラフの後ろに隠れてしまった彼女に苦笑しながら、ポドロフは訊ねる。
「我々は、あなたに不自由な思いも、辛い思いもさせないと誓おう。その上で、この力を困っている人たちのために一緒に役立てていきたいと思っている」
ポドロフが光の壁に触れる。淡く光るそれは、温度を感じない代わりに外との境界をはっきりと突きつける。聖女としての力をさらに磨けば、中に閉じ込めた魔物の浄化や不届き者への拒絶もできるだろう。
ネリーが壁を通じてポドロフたちを拒絶しないのは、彼らへの対応を決めかねているのか、傷つけたくない優しさか。
「どうかな。君が望むとおりに答えてほしい。我々と一緒に困っている人を助けたいと思ったら、こちらに来てほしい」
ネリーはスタニスラフの背から顔を覗かせた。ポドロフは柔和な笑みを浮かべて頷いて見せる。
どれほど時間が流れただろうか。一分だったかもしれないし、一時間近く待っていたようにも感じる。
ネリーは、スタニスラフの後ろに隠れた。
「……そうですか」
ポドロフは残念そうに呟いた。
「わかりました。引き上げましょう」
「ポドロフ卿!?」
聖光騎士団がどよめいた。フィリップと、彼の口を塞いでいたハミルトンも目を剥く。
「必要があれば、我々を頼ってくれればいいんです。気が向いたら遠慮なく連絡を」
そう言って、ポドロフは再びディアナと向き合う。
「いいですね、彼女の存在は世界の希望なんです。曇らせるようなことがあれば、我々は力ずくで動きますよ」
「心得ています」
にこりと二人は笑う。それが睨みあう猛獣のように見えて、近くにいた聖光騎士たちが一歩下がった。
「さて、ではお暇しますので、これを解除していただけませんか?」
光の壁に触れてポドロフが言う。
だが、スタニスラフの後ろから顔を覗かせたネリーが、困ったように首を振る。
「…………え」
手の平に文字を書いてもらったフラヴィが固まる。
「解除方法がわからない?」
「「「え」」」
――結局、光の壁を解除できたのはさらに三時間後であった。
◆ ◆ ◆
「みんなー! 今日はありがとうねー! じゃんじゃん食べてってよー!」
「「「イエーイ!」」」
夜の銀のカナリア亭では、ネリーを聖法国から守り切った祝勝会が開かれていた。参加費としてお金は徴収したが、いつもよりずっと安い値段で飲み食いできる。それにかこつけて、成り行きを見守っていた町人たちも参加していつも以上のお祭り騒ぎだ。
「ネリーちゃん、よかったよぉ~!」
「はい、おさわり禁止~」
酔っぱらった冒険者がネリーに抱き着こうとして、フラヴィのお盆でひっぱたかれる。
「わりとすんなり引き下がってくれたよな」
「ああ。もっとこじれるもんだと思ってた」
少しでも聖法国を不利にするため、冒険者たちはわざわざ丸腰で助太刀に入った。だがディアナのナタが振るわれることも乱闘騒ぎになることもなく、無血で事態は収束した。
「女将さん、あの枢機卿となに話したの?」
「えー、聞かれたことを答えただけよ」
ビッグ・ベアのステーキを用意しながらディアナは答える。
「うっそだぁ」
「頭の固そうなじーさんが素直に引き下がるか?」
実際はどうであれ、歳を重ねると人は頑固になる。なにか大きな事情を知っていなければ、ああも簡単に終わるとは思えなかった。
「どうかしらねえ」
ディアナは柔らかく笑う。
「人の考えていることはわからないもの」
「ポドロフ卿、なぜ聖女を異教徒の店に置いてきたんですか」
野営地に停めた馬車の中で、フィリップがポドロフに食って掛かった。
「あんな場所、いくら潰しても問題はないでしょう」
「そう思うかね?」
ポドロフは鋭くフィリップを見つめ返す。
「そなたは気付かなかったのか? あのような細い女性があんな大きなものを振り回せると」
「それは魔物の肉の力でしょう。人外の力を手に入れたとなれば説明はつきます」
「いいや。もう一つ可能性はある」
「ギフトの力、ですか」
ハミルトンが口を挟む。ポドロフは頷いた。
「そうだ。過去に一人、並外れた膂力を持つ冒険者がいた。普段は鎧で素顔を隠していたが、小柄な女性であることはギルドに登録された情報で明らかになっている」
「あんな化け物じみた力を持つ人が二人もいるんですか? 恐ろしい……」
「違う。一人だ」
「……は?」
「……まさか」
フィリップが呆けた声を出し、ハミルトンが目を見開く。
「そなたの考えている通りのはずだ。ハミルトン卿」
ポドロフが頷く。
「魔物食らいの勇者ニーナ。それがあの女将の正体だろう」
「ひっ!」
フィリップが悲鳴を上げた。
「第一級指名手配犯じゃないですか! そんな危険人物なら、なおさら聖女を保護しないと!」
「逆だ。あれほどの実力者の庇護下にいるなら、よからぬ企みをする者とておいそれと近付けまい」
「……まるで、我々のところにいるよりも安全だと言いたげですね」
「否定はせんよ」
ハミルトンの苦い言葉にポドロフは答える。
聖光教会も一枚岩ではない。特に聖女発見の一報に沸く今は、聖女を擁立し権力を拡大しようとする聖女派の勢いが強い。一目見ただけで気弱だとわかるネリーを無理やり連れて行けば、たちまち聖女派の操り人形になってしまう。
聖女派でも法王派でもない、中立を宣言するポドロフとしては、この均衡をできるだけ崩したくなかった。
「ひとまずは、報告を持ち帰らねばならない。定期的にアプローチすれば、彼女も次第に心を開いてくれるだろう」
「呑気ですね、ポドロフ卿は」
「呑気に生きるのが長生きの秘訣だ」
棘のあるフィリップの言葉も華麗に躱す。
(野心があるのは認めるが、先走り過ぎたな、フィリップよ)
帰ってまず着手すべきは、新たな枢機卿候補の選出だ。
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