〝最悪〟へのシナリオ
その時。合田は首の辺りに違和感を覚え、ベッドから飛び起きて横に振り向くと‥‥‥そこには、なぜか全裸で眠る《栗栖要》の姿が。
そして、二人の間には小さな体を丸めるようにして眠る、愛猫のマルタが。
「はぁ? なんでベッドに潜り込んでんだよ。アンタ、ソファーで寝てたじゃん!」
金切り声を出す合田に、目が冷めたのか寝ぼけ眼で合田の顔を見やる。
「だって〜、仕方ないだろ? 結局、ソファーじゃあ眠れなかったんだから。あと俺、人肌がないと寝れないのよ」
それにしてもヒドい。なんで、俺が男の腕枕で寝なきゃあならんのだ。それに、服も下着も着けてないなんて。
怒り心頭の合田だが、さらに栗栖はニヤニヤしながら追い討ちを掛けるような一言を。
「あ〜、でも抱き締めた時に何か変な気分になったわ。新境地開けそ〜」
合田の中で、何かがブチッと音を立てて切れた。
何が悲しゅうて、アンタと狭いベッドを共にせなアカンねん。そら、部屋を貸してくれるのは嬉しいよ?
でも、それとこれとは別だろ? 俺が今一番欲しいのは、安眠だ!
それを壊そうとする奴は、宇宙人だろうが火星人だろうが裸族だろうが、許さないぞ!
「何が裸族だ!〝裸健康法〟と言え」
ブツブツ言いながらも服を着る栗栖だが、まさかここまで手の掛かる男とは合田も思わなかった。
特に朝起きて、トースト焼いてバター塗って。目玉焼き(塩コショウ)に挽きたてコーヒーは、ミルクと砂糖たっぶり入れなければならないなんて‥‥
甘えん坊のボクちゃんかよ?
ちなみに、愛猫のマルタは先にエサを食べて、今はソファーで主人の様子を見ている。
だが、そんなことには全くもって歯牙にも掛けない不屈の男、栗栖要。朝食開始。
なんだよ〜、コーヒーには砂糖たっぷり入れて、っつたじゃん! ついでにパンの上にも砂糖を振り掛けてと‥‥‥ジャ〜ン! シュガー・バターパンの完成! いただきます。
美味しそうにパンにパクつく栗栖に、合田は思わず溜め息をつく。
合田が〝この世界〟に入ったのは数年前、父親に捨てられ母親は早死にし、最後に行き着いた先は地獄だった。
天涯孤独ではなかったが、親が死んだ事で親戚筋をたらい回しにされ、仕舞いには勝手に人買いに売られてしまった。
心は既に壊れていたが、なぜか栗栖と一緒にいると変な感じがする。まるで、アイツに心を掻き乱されてるみたいだ。
‥‥‥手間が掛かり過ぎるところか?
‥‥‥‥ピリリリリリィ‥‥‥ピリリリィ‥‥
合田がコーヒーを飲み掛けた時、テーブルに置いてあった栗栖の携帯に着信があるのに気付いた。だが、栗栖は携帯を触ろうとせずに無視をしている。
たまらず合田は、栗栖に出るように言ったが、留守電にしてるからと、はぐらかされてしまった。
すると彼の言ったとおり、携帯は留守番電話サービスに繋げられた。
だが、そこから聞こえてきた話しに合田は度肝を抜かされる。
『‥‥‥ショウさん。私です、カエデです。もしコレを聞いてたら連絡ください』
は? ショウって誰だよ。アンタ、いくつ名前を持ってんだよ! そう問いただすと、栗栖は渋々と喋り始める。
「俺は、女と会う時には《久吉翔平》って名前を使ってるんだ。さっきの女は‥‥‥いや、この話しはヤメよう。メシがマズくなるぜ」
栗栖は、そう言ったきり口をつぐんでしまった。合田も、それから気にする風もなく朝食を食べるが、彼は思いきって聞いてみた。
アンタの本当の名は何なんだ?と‥‥‥
すると、栗栖は答えてくれた。
俺の、本当の名は《名無しのゴンベエ》だ。無理心中の生き残りだが、俺は死んだ事になってて戸籍を抹消されちまった。
それ以来、俺は顔や名前‥‥‥時には、指紋でさえも整形するようになった。犯罪者リストには乗っても、犯人の特定は出来ない。
なぜなら、俺は〝存在しない〟からだ。
‥‥‥ところで昨日、アンタは所長と何のヤリトリをしてたんだ?
ああ、あそこの研究所にある、門田の未発表の論文のことだよ。
その研究を正式に学会で発表して、得られる内の30%を報酬で寄越すようにってね。
その見返りとして、アチラさんには《門田隼人》の身柄を渡すという事で‥‥‥
え? それって、本物じゃない俺が行くと大問題なんじゃ?
そう、その通り。俺たちは一刻も早く、本人を見つけ出さなければならない。それに、本来の仕事は〝そっち〟だしな。
でも、その話しだと研究の成功したっていうもんじゃ‥‥‥一体、何の研究してたんだ?
‥‥‥言質を取ってないから、何とも言えないが門田は、どうやら不死の薬を作ろうとしてたみたいだ。
もちろん、最初の実験体はマウスだったらしいが、何百回という気が遠くなるような実験ののちに、ある物質を投与したマウスが通常よりも6週間たった今でも、生きしたらしい。
門田は、他のマウスにも同じ物を投与して前回のマウスと同じような結果が出たらしく、今度は自らを実験台として観察を始めた。
第1回目の実験は、成果は得られなかったらしいが、それが50回を過ぎた頃に変化が表れ始めた。
何か嘘臭いな〜。と思いつつも合田は話しを聞き始めたが、ある事に気付く。
「もしかして、門田を消したいと思ったのに、この事が関係してるのか?」
さあな。とりあえず今日のところは、門田を捜し出すのに専念しよう。ヤツの情報が、少しでも入ったら連絡してくれる筈だ。
‥‥‥それから、合田は黒いニット帽を目深に被りグラサンで顔を隠し、栗栖の知り合いという人物に会いに行った。
「こんにちわ〜、オジさん。お久しぶりです」
相手が、待ち合わせの場所として指定したのは、小さな喫茶店だった。
その相手は、茶色いハンチング帽を被った初老らしき男だった。
「全然、連絡も寄越さないから、ポックリと逝っちまったんじゃねんかと思ったよ」
酷い言われようの栗栖だが、ハハッと鼻で笑うだけだった。
「スイマセン。こっちも今ヤバい事に関わっている身でね。それよりも、昨日入れといたメールは見てくれましたか?」
ああ‥‥‥初老の男は、自分の背中で隠していた茶封筒を取り出した。
「ワシが、調べてみたところによると、門田が自宅近くの防犯カメラに最後に映されたのが、1ヶ月前の夜。その日は、金曜日で夕方頃に1回家に戻って、それから出掛けたと思われる」
中身は、防犯カメラで映された時の画像だった。日付けは確かに1ヶ月前の〝19:46〟と示している。
一体、彼はどこに行ったというのだろう?