めんどくさい予感
協会からの帰り道、嫌な予感だけがずっと腹の底に残っていた。
王都探索局。
王都に本部を置く、国直属の探索者管理機関だ。
ダンジョンの深層調査、危険指定、広域災害時の対処、それから各地のギルド協会とは別口で動く監査部門も持っている。
俺たちのような地方の冒険者からすれば、普段はほとんど縁のない連中だ。
名前だけはでかい。
だがでかい分、本来は末端のギルド一つに直接顔を出すような動き方はしない。
する必要がないからだ。
表向きの理由は、少人数ギルドのくせに昇格審査の内容が目立ちすぎていたから、昇格後の活動実態を確認したい、とのことらしい。
まぁそれっぽい理由ではある。
実際、E級の番人扱いだったうちのギルドが急にD級へ上がって、第七層まで踏破したんだ。
監査だの確認だのと言われれば、理屈だけは通る。
だが、今このタイミングで来るのはどう考えても出来すぎていた。
しかも、ミラじゃなく俺を探している。
そこが一番気持ち悪い。
ギルドへ戻る。
扉を開ける前から、空気で分かった。
悪い予感が当たったな、これ。
中へ入ると、食堂に二人の来客がいた。
男と女。
どちらも年はミラと近い。
服装は簡素だが、身なりが整いすぎていて逆に役所臭い。
男の方は整った顔立ちで、無表情に近い。
女の方は視線が硬い。
落ち着いているようでいて、どこか無理に平静を保っている感じもある。
知らない顔だ。
だが、ミラの表情を見れば十分だった。
血の気が引いている。
フィオナは俺が戻った瞬間に一歩だけ近寄り、リーゼはいつでも口を挟める位置に立っていた。
「……やっぱり来てたか」
俺が言うと、男がこちらを向いた。
「ロイド・バルハルト殿ですね」
「そうだが」
「王都探索局、第七監査部のセドリックです。こちらは同じくハンナ」
女は小さく会釈だけした。
目が俺じゃなく、奥のミラを見ている。
「用件は?」
聞くと、セドリックは淡々と言った。
「ミラ・ルーゼンを引き渡してもらいたい。これは第七監査部の内部問題です」
やっぱりそう来るか。
「内部問題なら、なんでうちに来るんだ」
「彼女が逃げ込んだのがここだからです」
「逃げ込んだ? 俺が拾ったんだが」
俺は負けじとそう言い返す。
言い分が正しいかどうかは置いといて、
こういう時はあえて強気にいかなきゃダメだ。
じゃないと舐められて終わる。
セドリックの眉がほんの少しだけ動く。
「拾ったかどうかは問題ではありません」
セドリックはすぐに立て直す。
「彼女は探索局の内部機密を不正に持ち出した疑いがあります。こちらで身柄を確保する必要がある」
「疑い、ね」
俺は来客用の椅子にも座らず、その場に立ったまま二人を見る。
「で、それを協会所属のギルドに直接言いに来たわけか」
「事を荒立てたくないだけです」
「荒立ててる自覚がないなら、そっちの方が問題だな」
少しだけ空気が硬くなる。
ハンナがそこで初めて口を開いた。
「……ロイド・バルハルト。あなたが首を突っ込む話じゃない」
声は低い。
だが、その奥に疲れがあった。
完全に割り切っている人間の声じゃない。
「そうかもしれん」
俺はあっさり返す。
「だが、ここは協会に登録されたギルドだ。国家機関だろうがなんだろうが、正式な照会もなしに所属外の人間を連れていく、圧をかける、聞き取りを強行する――そういうのは全部アウトだろ」
セドリックの目が細くなる。
「探索局は国の機関だ。だがギルドは協会の保護下にある。国の部署が地方ギルドへ手を入れるなら、本来は協会を通す。少なくともこうやって直接訪れることなんてしないはずだ」
俺はそのまま続ける。
「分かるだろ? それを認めたら、今日から国家機関が気に入らないギルドに好き勝手口を出せるようになっちまう。秩序のバランスってやつだよ」
セドリックは黙っている。
つまり通じてるってことだ。
「うちのギルドに関係してる人間へ国家機関が無断で圧をかけるなら話は別だ」
俺は肩をすくめる。
「協会に正式に苦情を出す。部署名付きでな」
ぴたりと空気が止まった。
これが一番嫌なんだろうな。
第七監査部の中身まで表に出なくてもいい。
王都探索局の一部署が、わざわざ地方のD級ギルドに直接圧をかけている。
その事実だけで、協会は面倒くさい顔をする。
そして面倒くさい顔をされたくない側は、だいたいコイツらの方だ。
「内部問題で済ませたいなら、一旦ここで引いた方がいいんじゃないか?」
セドリックはしばらく無言だった。
計算している顔だった。
押し切れるか、押し切れないか。
その辺を測ってるんだろう。
で、結論は出たらしい。
「……今日は確認だけにしておきます」
そう言って、一歩引いた。
ハンナもそれに従う。
だが、そのまま帰るわけじゃなかった。
セドリックは最後に、ミラへ視線を向ける。
「どのみち、近日中にはこのギルドに活動実態の調査が入る。もちろん同行は僕たち二人」
ミラの肩が、ほんのわずかに強張った。
「その結果次第じゃ、D級の維持どころか、E級への再査定もあり得る」
静かな声だった。
だからこそ、余計に嫌だった。
「それでも足りなければ、活動停止だってできる」
そこで一度だけ間を置く。
「……同じ第七なら、その意味は分かるだろ?」
ミラの顔色が、目に見えて悪くなる。
なるほど。
正式なルートで潰してやると。
そのための実地調査だったんだな。
ハンナは何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
二人はそれ以上何も言わず、その場を去った。
扉を閉める。
ギルドの中が急に静かになった。
「……最低ですね」
リーゼがぽつりと漏らす。
フィオナは何も言わず、俺の横からミラを見る。
ミラは平気な顔をしようとしていた。
しようとしている、だけだ。
手が震えている。
ほんの少しだが、はっきり分かる。
「ごめん」
ミラが言う。
「やっぱりボク、ここにいない方が――」
「今は何も決めるな」
俺はそれだけ言った。
追い出すでもなく、慰めるでもなく。
今ここで結論を急がせても、ろくなことにならない。
「でも」
「今はとりあえず飯食って寝ろ。考えるのはその後でいい」
「……はい」
頷きはしたものの、ミラの表情は依然晴れないままだった。
* * *
夜は思ったより静かだった。
静かすぎる、と言った方が正しいかもしれない。
ミラは夕食の時も最低限しか喋らなかった。
フィオナも普段より口数が少ない。
リーゼだけは何か考え込んでいるらしく、食事の途中でも何度かペンを動かしていた。
食事が終わって、それぞれ部屋へ引っ込む。
俺も部屋に戻りかけたところで、ふと足を止めた。
廊下の先。
ミラの部屋からは何の音もしない。
だが、なんとなく嫌な感じがした。
どうしたもんかと考えているうちに、別の気配に気づく。
フィオナだ。
ミラの部屋の前に立っている。
ノックもしない。
声もかけない。
ただ、そこにいる。
「……何してる」
小声で聞くと、フィオナは扉を見たまま答えた。
「泣いています」
短かった。
でも十分だった。
「入らないのか」
「入りません」
「そうか」
「でも、離れません」
真っ直ぐな声だった。
少しだけ間を置いて、フィオナは続ける。
「ロイドさんの大切なものは、私にとっても大切です」
……そこまではっきり言うのか。
最初は執着が強いだけだと思っていた。
いや、今でも十分強いんだが。
それでも、少しは成長したってことなんだろうか。
あるいは、執着の形が広がっただけかもしれない。
どっちにしろ、悪い話じゃない。
俺はそれ以上何も言わなかった。
扉の向こうで泣いている気配がしても、フィオナは何も言わなかった。
ただ、そこを離れなかった。




