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第11話・異端

ヴォルンドルが扉を後ろ手に閉め、苔の張った土を踏んで三人の方へと歩み出た。

ゼヴァルとバルディンの脇を素通りし、リエルの正面に立つ。


「ご苦労だったなファイリリエネス」


ヴォルンドルは淡々としていた。


「用が済んだのならさっさと小屋へ戻れ」


「…はい」


リエルは俯いて小さく頷くと、小道の方へと歩き出した。


「では、また…」


ゼヴァルとバルディンの方へ振り返って会釈をした後、リエルは小道の奥の闇に静かに溶けていった。


「随分な扱いだな」


バルディンはリエルが去っていった小道の方を見据えていた。


「あやつは光の女神に選ばれし者なのだろう」


「部外者には関係のないこと。あれはたまたま選ばれただけ…この里に(いびつ)をもたらす過度な力だ」


ヴォルンドルは吐き捨てた。


「俺はこの里を守るために数百年間修練を積んできた。一時(いっとき)も休んだことはない。力とは本来、相応の対価の元に得られるもののはずだ」


苛立ちが薄く滲んだ瞳でヴォルンドルがゼヴァルを睨みつける。


「貴様にも虫唾が走る。何の努力もせずに力を得て特別扱いされるのは、さぞ気分の良いことだろう」


鋭い目でヴォルンドルを睨み返し、ゼヴァルの右手が背の剣槍の柄へと伸びた。

すかさずヴォルンドルも腰の長剣の柄に手を置く。


「来るなら来いハーフエルフ。ガラルセン殿が許しても、俺は貴様を許してはいない」


鞘の鳴る乾いた音が夜気を裂き、ヴォルンドルの長剣が半ばまで引き抜かれた。

銀の刃が光石の灯りを弾き、冷たい鈍色の光がヴォルンドルの金色の瞳に映り込む。


「この里の痛みを思い知るがいい…!」


「そこまでにしておきなさい」


樹皮の扉が押し開かれていた。

大樹の奥の部屋で壇の脇に控えていたエルフの男性が、腕を組んで翡翠色の目でヴォルンドルを睨んでいる。


「邪魔をするな、タラスィル…!貴様もこの俗物共を庇うというのか…!」


「貴方こそ、誇り高きエルフの名に泥を塗るつもりですか」


タラスィルと呼ばれたエルフが銀色の長髪をなびかせながら、落ち着いた所作で扉の前まで歩み出た。


「貴方たちも早く去りなさい、目障りです。この愚か者は私が諭しておきます」


ゼヴァルは剣槍の柄から静かに手を離した。

ヴォルンドルへ向けていた鋭い視線をふっと逸らし、踵を返す。


バルディンも小さく頷くと、ゼヴァルの隣に並んで歩を進めた。


「…この里は、悠久の時を静かに生きてきた」


二人の背後で、抜きかけていた長剣を鞘に戻しながらヴォルンドルが静かに言った。


「里の風景も、人々の笑顔も、俺が生まれてから一度たりとも損なわれたことはなかった」


ヴォルンドルの視線が、夜空に浮かぶ大樹の梢の輪郭を辿った。

葉擦れの音が遠くで揺れ、夜気は澄み、苔の匂いが小道の底に静かに沈んでいる。


「貴様らさえ、現れなければ…」


ゼヴァルとバルディンは振り返らず、その場を後にした。


「…武器に手をかけた時はひやりとしたが、よく引き下がったな」


歩きながらバルディンが呟くように言った。

ゼヴァルが低い声で答える。


「エスラドールの言葉を思い出した。行き場のない怒り、やるせなさ…まるで俺を見ているようだ、と思ったら力が抜けた」


背後でタラスィルの抑えた声とヴォルンドルの怒声が交わされている。

やがて、樹皮の扉が再び閉ざされ、夜の小道には葉擦れの乾いた音だけが残された。






その頃、光石の灯りが届かない細道に、苔と落ち葉を踏む足音だけが静かに、ひっそりと響いていた。

梢の隙間から差し込む月明かりを頼りにしながら、リエルはゆっくりと歩を進める。


小道は緩やかに下り、やがて大樹の根の懐に抱かれるようにして佇む小さな木造りの家が、闇の奥から姿を現した。


樹皮を編んだ素朴な扉の前で、エスラドールが扉に背を預けて腕を組んでいた。

リエルが気付いて歩を止めると、伏せられていたエスラドールの瞳がゆっくりと持ち上がった。


「遅かったな。日が沈むまでが約束のはずだが」


リエルは胸の前で両手を軽く組み、目を伏せる。


「…ごめんなさい…怪我人の治療をしていて、遅くなってしまいました…」


「昨日も同じことを言っていたな。自由の身にでもなったつもりか」


「そんなつもりは…」


リエルは言葉に詰まり、両手を力なく下ろした。


「…明日からは、必ず守ります」


「重傷者はこの数日で全員回復、怪我人も残り僅か。もうお前の出る幕はない」


エスラドールが冷ややかに言い放つ。


「そもそも明日の監視役は私ではない。明日も外に出られると思っていたのか?」


リエルは黙り込み、言葉を失った。

夜風が通り過ぎていく。


「明日からはいつも通り、この家の中で慎ましく生きろ」


抑揚のない声が葉擦れの音の隙間に静かに通った。

リエルは言葉を探すように組んでいた指を動かしていた。


「…はい、わかりました…」


リエルが俯く。

エスラドールはため息をつくと、組んでいた腕をほどいた。


「明日の朝」


月明かりが長身の輪郭を縁取り、大樹の葉群れの間で薄く揺れた。


「ハーフエルフとドワーフがこの里を発つ」


リエルの顔がゆっくりと上がり、翠緑の瞳がエスラドールへ向けられた。

エスラドールはその視線を受け止めぬまま歩き出し、リエルの脇を通り過ぎていく。


「ま、待ってください!」


リエルが振り返り、エスラドールの背中を見上げる。

声色には戸惑いと僅かな焦りが滲んでいた。


「なぜ私にそれを…」


「私はお前のことが嫌いだ」


エスラドールが立ち止まり、振り返らずに言葉を落とした。


「この里の者は皆この里のために生き、この里で一生を終える。外界のことなど何の関心もない。それがこの里の在り方であり、千年の時を生きるエルフの在り方だ」


夜風が二人の間を通り抜けた。

エスラドールの長衣の裾が僅かに揺れた。


「常日頃お前のことを異端と呼んでいるな。私は、一度たりともお前をこの里の民だと思ったことはない」


リエルの肩が小刻みに震え、右腕を隠すように左手がそれを抱き寄せた。

エスラドールはその様子を横目で見つめる。


「生まれ持った力は関係ない」


リエルの右腕から左手が落ちた。

俯いた翠緑の瞳が苔の張った地面の上で揺らぐ。


「外の話を聞きたがり、人間の噂に耳を澄ませ、森の中へと一人出かける。その身は常にこの場所に在りながら、お前の心は常にこの里ではないどこかに在るようだった」


夜風が再び一筋流れ、梢の彼方で葉擦れの音が低く鳴った。

エスラドールの視線がリエルから前方の闇へとゆっくり移った。


「だからお前は異端なのだ」


エスラドールはそう言って歩き出した。


「明日の監視役も、私が引き受けておく」


弓の弦の張りが、月明かりの中で一度だけ鈍く光る。


「後は自分で決めることだ」


苔の道を踏む足音が、徐々に夜の闇へと遠ざかっていった。


「エスラドール…」


呼びかけは夜の闇の中に静かに溶けた。

返る声はなく、ただ梢の彼方で葉擦れの音が一筋だけ低く流れる。


リエルは伏せていた瞳をゆっくりと上げた。

月明かりが翠緑の瞳の奥で揺らぎ、伸びた睫毛の縁に薄い光の粒が宿る。


「ありがとう…」


夜風が一度だけリエルの編んだ金髪を撫で、樹皮の扉の前に長い影だけを残した。






鳥の声がまだどこか遠く、森の奥でひそやかに鳴き始めたばかりの頃。

大樹の梢の彼方では、葉群れの輪郭が東の空の白みに溶け始め、葉擦れの音は夜のそれより一段と低く、湿った空気の底を這うように流れていた。


家々の窓に人影はなく、井戸端に水を汲む者もいない。

エルフらがまだ寝息を立てていた藍と灰の境を漂う薄明かりの朝靄の中、その静寂を踏むようにして、二つの足音が客人用の小屋から広場の方へと延びていく。


「忘れ物はないか」


朝露を含んだ石畳を踏みながらバルディンが言った。

中央の井戸の縁には苔と落ち葉が薄く張りつき、夜風に運ばれた花弁が一枚、水面に揺れていた。


「ああ」


ゼヴァルは前を向いたまま短く返した。

青い瞳は広場の先で森の縁へと続く小道に注がれている。


二人は広場を抜け、家並みの間を縫うようにして里境への道を進んだ。

朝靄が低く立ち込め、苔色に塗られた家々の輪郭が淡く滲んでいる。


里境は、迷いの森の本来の樹冠が空を覆う場所から始まっていた。

里の中の整えられた木々と異なり、外に向かって伸びる森は枝葉が密に重なり合い、その奥は朝の薄明にあってもなお暗く沈んでいる。


その境の手前に、小さな影が一つ立っていた。


「お、おはようございます」


肩掛けの鞄を提げ、淡い緑と生成りの旅装の上に革の外套を羽織ったリエルが二人を待っていた。


胸の前で組まれた両手は微かに強張り、編んだ金髪の毛先が朝風にひっそり揺れている。

翠緑の瞳が、朝靄の中から近づいてくる二人を真っ直ぐに捉えていた。


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