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第1話・放浪の旅路

焼けた木材の軋む音。

燃え尽きて崩れ落ちていく建物。


魔物から逃げ惑う人々の悲鳴。

武器を取って魔物に立ち向かう人々の影。


漆黒の角と翼。

炎の海の中に佇む悪魔の様な姿。


顔を上げた先で母が「逃げて」と叫ぶ。

わけもわからず、言われるがままに振り返って逃げ出す——






「目が覚めたか」


焚き火の前に座っていた赤茶色の髭を蓄えたドワーフの男性が、隣で外套にくるまって横になっていた細身の青年に声をかけた。


「また故郷の夢を見たのか。酷いうなされようだったぞ」


そう言って焚き火に木の枝をくべる。

ドワーフの琥珀色の瞳は、青年ではなく火の揺らぎを追っていた。


青年はゆっくりと起き上がると、ドワーフの男性の隣に腰かけた。

肩にかかる銀灰色の髪が焚き火の光を受けて揺れる。


「五年経った今でも、昨日のことのように思い出す」


青年の虚ろな青い瞳は、焚き火の揺らぎをただ映していた。


「俺は…なぜあの時逃げることしか…」


「ゼヴァル」


ドワーフの男性が遮った。

視線は焚き火に向けられたままだったが、表情は先程より険しくなっていた。


「温かいミルクでも飲んで、今日はもう寝ろ。儂のぶどう酒を分けてやってもいい」


「ミルクはない。ぶどう酒は好きじゃない」


ゼヴァルは小さく息をつくと、手元の革袋から水を一口含んだ。

焚き火をただ映していた瞳に、僅かに光が戻る。


「次の村までどのくらいだろうか」


「わからん。あと半日も歩けば村くらい見つかるだろう」


ドワーフはぶっきらぼうに返して、持っていた革袋のぶどう酒をぐいと飲み干した。

そして、確かめるように革袋をひっくり返す。


「明日村が見つからんと困る理由もできた」


「温かいミルクを淹れてやるよ」


立ち上がったゼヴァルが見下ろすと、焚き火に照らされたドワーフの顔には深い皺が刻まれていた。


「俺はもう寝るよ。おかげで落ち着いた。ありがとう、バルディン」


バルディンはふんと鼻を鳴らした。

ゼヴァルはそのまま寝床に戻り、外套を羽織って眠りについた。


「…五年か」


バルディンが呟く。


「儂もお前も、出会った時から何も変わっとらんな…」


革袋を口に当てるも空だったことを思い出し、バルディンはぎゅっと革袋を握り潰した。






白み始めた空の下、バルディンが野営の荷物を手早く背嚢にまとめていた。

ゼヴァルも慣れた手つきで焚き火の跡を始末する。


暗色の外套を羽織り、フードを深く被ったゼヴァルが先に歩き出し、背嚢を背負ったバルディンが続く。

ゼヴァルの大股にバルディンの短い足がせわしなく追うが、その距離が開くことはなかった。


草に覆われた緩やかな台地を進み、台地の先で突き出た崖のような段差をよじ登る。


それを幾度か繰り返した後、二人は小さな村に辿り着いた。

畑と牧草地の中に石造りの家が十数軒ひっそりと並んでいる。


「食堂へ行くぞ。腹と一緒に革袋も満たせる」


腰の革袋に手を当て、バルディンが意気揚々と歩いていく。

後を追うゼヴァルの口元がフードの奥で僅かに緩んだ。


村の入口の畑で、鍬を振るっていた老人が二人に気づいて手を止めた。


外套に革の軽鎧を纏った長身の青年と、がっしりとした体躯に革鎧と金属の部分防具を身につけた小柄なドワーフに、老人は少し目を丸くした。


「旅の方ですかな」


「ああ。食堂を探している」


「それならこの先にあるにはあるのですが…」


老人は困ったような顔をして、鍬を地面に突き立てた。


「食堂の店主の息子が少し前から寝込んでいてね。魔物に襲われたらしい。それからずっと寝たきりで、夫婦付きっきりなのです」


老人の視線がゼヴァルの耳に一瞬止まったが、すぐに逸れた。

フードの隙間から覗いた人間より僅かに尖った耳。


「行こう」


ゼヴァルはフードを深く被り直し、軽く頭を下げて教えられた方向へ向かった。


「どこに行っても同じだな」


食堂へ向かう途中、ゼヴァルが呟いた。


「魔物か?まあこんな辺境じゃ珍しくもあるまい」


「そっちじゃない」


バルディンは一歩遅れて足を止めた。

ゼヴァルの端正な横顔を見て、それから前を向いた。


「そうか」


バルディンはそれ以上何も言わず、足を進めた。

気まずそうな様子は無く、ゼヴァルもまたバルディンの対応を気にしていなかった。


沈黙のまま、二人は食堂の前に辿り着いた。

入口の看板が傾いたまま直されていない。


扉を叩くと、しばらくして中から男の声が返った。


「今日は店を閉めてるんだ。悪いね」


「事情は聞いた」


「なら帰ってくれ」


「俺たちは旅をしている。力になれるかもしれない」


短い沈黙の後、扉が開き、目の下に濃い隈を浮かべた男性が中から出てきた。


ゼヴァルの背中の剣槍、バルディンの腰の片手斧に目を留めると、少し迷ってから扉を大きく開けた。


ゼヴァルとバルディンは薄暗い店内に通された。

窓の鎧戸が閉じられたまま、テーブルの上には拭き残しの食器がいくつか放置されていた。


「座ってくれ」


男性はカウンターの前の椅子を顎で示した。


「…数日前、近くの森へ薬草を採りに息子が出かけたんだ。だが帰ってきたら毎晩うなされるようになり、最近では歩くこともままならなくなった」


バルディンが目を細くする。


「この村に教会はないのか?」


「無いさ。ただ一度旅の僧侶の方に診てもらってね。魔物の呪いによるもので、呪いの元となる魔物を討つか、光の治癒の力なら治療ができると聞いた」


「なるほど、話が早いな」


ゼヴァルは椅子から立ち上がった。

バルディンは立ち上がらず、店主に尋ねる。


「この店にぶどう酒はあるのか」


「え、そりゃあるが…」


バルディンも立ち上がる。


「礼はぶどう酒と飯だ。魔物を討伐してきてやろう」


男性が目を丸くした。


「気持ちはありがたいが…危険だ」


「心配ない」


ゼヴァルが左腕の袖をまくった。

手首から上腕にかけて結晶格子状の水色の紋様が走り、その中に鉤爪のような鋭い三角形と牙の意匠が刻まれていた。


刻印が淡く発光し、ゼヴァルの周囲に小さな氷塊が生成される。


「これは驚いた…」


男性が息を漏らす。


「氷…珍しいな。しかも左腕に…ただの旅人じゃないということか」


「任せてもらえそうか」


氷塊が消えていき、ゼヴァルは袖を下ろした。

男性はゆっくりと首を縦に振った。


「…ありがとう。恩に着るよ」


バルディンが髭を撫でる。


「で、どこに向かえばいい」


「森はこの村の東にある。ただ、たとえ君たちでも森の中には入らない方がいい」


男性の声が低くなった。


「古くから迷いの森と呼ばれている場所でな。奥に踏み込んだ者は皆、帰ってこないと言われている」


「息子が襲われたのは?」


「森の入口だ。おそらく魔物も入口付近にいるだろう。仮にいなかったとして、決して森の中には入らないように」


男性は一つ息をついた。


「…君たちまで、酷い目に遭う必要はない」


ゼヴァルとバルディンは顔を見合わせた。

ゼヴァルは何も言わずに食堂の扉に手をかける。


「飯とぶどう酒、楽しみにしているぞ」


バルディンが片手を上げて店主に背を向ける。

男性は何か言いかけたが、二人の背中を見て口を閉じた。


食堂を出ると、春の風が二人の外套を揺らした。

村の東側、畑の向こうに深い緑の木々が連なっており、その奥は幾重にも重なる枝葉に覆われて見通せなかった。


二人は黙って歩き始めた。

畑の間を抜けて村の外れに差しかかった頃、バルディンが口を開いた。


「報酬のためとはいえ、今回は少し骨が折れるかもしれんな」


バルディンは横目でゼヴァルを見上げた。

ゼヴァルの表情はフードの奥に隠れて読めなかった。


「割には合っとらんが、まあ今に始まったことでもあるまい」


「うまく言えないが——」


ゼヴァルが足を止めた。


「俺たちで助けられるなら、助けた方がいいと思った」


バルディンは立ち止まらなかった。

ゼヴァルを追い越し、森に向かって歩き続ける。


「悪い気分ではない」


素っ気ない声でバルディンが言った。

その口元は髭の奥で僅かに緩んでいた。


ゼヴァルは小さく息をついて、その背を追った。

深い緑の木々の帯が、二人の前に静かに広がっていた。


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