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第2章9.思い遣るということ

随分久しぶりの更新となってしまいました。

本当に申し訳ありませんm(__)m

待っていてくださった方、ありがとうございました!

 どうやって自分のマンションまで帰ってきたのか覚えていない。

 最上階にある3LDKの天井が高い開放感あふれる大空間を気に入って契約した部屋だったが、今はこのガランとした空間がひどく寒々しい。

 思い出すのは、日本の一般的なマンション特有の少し天井の低いこじんまりとした美羽のマンションだった。

 インテリアデザイナーのお兄さんが手がけたのだろう。家具の配置や配色がそこを心地良い空間にしていて、そこに美羽という存在がほんわかした温度を与えていた。

 足を踏み入れた仕事や大学のレポートで使っている作業部屋の無機質な感じは、そんな美羽の部屋とは正に正反対で。嫌気が差した俺は手にした招待状を力任せにくしゃりと丸めるとデスク脇のダストボックスに放った。

 イライラで手に力が入っていたのか、招待状はダストボックスを通り越して向こう側に落ちた。まるで空回りしてばかりの俺みたいだ。

 思うようにならない。着地したい場所の遥か遠くに不時着してしまって、目的地に行く方法がわからない。

 いや、分かっていたつもりだったけれどそれは驕りだった――。

 今までのが何だ? 美羽に出会って初めての恋に堕ちたのに、“今まで”なんてアテになるはずもないのに……。

 上手に距離を縮める事すら出来ないでいる俺の前に現れたのは、正直厄介な人物だった。


「――分が悪すぎるだろ……」


 大きな溜息をついて革張りのソファに座り込むと、独特の香りとひんやりした感触が身体を包んだ。

 ぎゅっと目を閉じると、鈍い胸の痛みと共に美羽の部屋で見た光景が思い出される。

 お茶の淹れ方を教わるにしても、美羽が座った場所が、衝撃的だった。

 なにげないその仕草には遠慮がなくて。

 そしてその位置はスティーブンと触れるか触れないかの近さで……そんな近さに迷いなく座った美羽が、ショックだった。


 俺に対しては……いつも一歩引いてるのに……。


 その距離感を見せ付けられた気がして、心が重くなる。


 おまけに――


「美羽のお隣さんになったんだよ。これって一歩リードかな?」


 あの時、空室だった部屋にまんまと入り込んだスティーブン。そしてタッチの差でそれを逃した俺と……まるで、今のお互いの立場を象徴しているようで――。


「くそっ!」


 その時、デスクの上でスマホが振動した。


「誰だよ。――ん?智也?」


 大体こんな時は腐れ縁メンバーの中でも啓介から連絡が入る事が多いが、珍しい事に智也からだった。


「もしもし――あぁ、うん。久しぶり、だな」


 落ち着いた声色で『久しぶり』と言われて、最近仕事に追われてあいつらに会っていない事に気付いた。

 何か用事かと尋ねれば、マンション(うち)の近くまで来ているという。雰囲気の良いカフェに居るから来ないか――そんな誘いだった。

 こんな時、バーやクラブじゃなくてカフェに誘うのも智也らしい。

 山科智也という男は、いつも微笑んでいて人当たりが良い物静かな男だった。静かに近くで微笑んでいるが、空気が悪くなるとさりげなく話題を変える。それだけだと、何の解決にもならないが智也のやり方は違った。雰囲気を壊していた面々の熱が少し下がった頃を見計らって、また元の話題を振る。その時にはもう周りが見えているから口論になる事は少なかった。

 幼稚舎から一緒の腐れ縁だが、性格がバラバラの俺達が良い関係を築けているのは智也のお陰のような気がする。とにかく人の心の機微に聡い人間だ。


 そんな智也が、今俺を見たらどう思うだろうか――


「行くよ。久しぶりに話したい」


 思わずそう応えていた。

 受話器の向こうでは、もう何かを感じ取ったのだろう。智也が「それは丁度良かった」と言った。

 「だと思った」とは言わない、智也らしい返事だった。



 智也が居たのは、マンションから歩いて七分程の場所にある小さなカフェだった。

 こんな場所に智也の言うカフェなんてあったか?

 夜も人の多いこの通りはよく利用しているが、智也の言う店に検討がつかなかった。


「画廊の隣ならこの辺りなんだが……」


 指定された場所は画廊の隣だと言う。

 時刻は既に午後十時。街は眠っていないが、画廊は既に明かりを落とし固く施錠されている時刻だ。

 そんな画廊の前で足を止めた俺は旗から見ると怪しいんじゃないだろうか……。

 すると、画廊の入る黒いビルに同化するような黒いドアがある事に気付く。

 ドアの上部にあるガラスから、ほんの少し漏れている明かりから、このドアが画廊とは関係ないものである事が分かった。

 カチャリと薄くドアを開けると、そこからコーヒー豆の薫りが漂ってきた。


「柊。ここだよ」


 温かなオレンジ色の照明の中、手元の文庫本に視線を落としていた智也が、ドアの音に気付き声をかけてきた。


「あ、あぁ……」


 入り口が狭いその店は、意外にも奥が広くなっていた。


 細長い店内の中ほどで、ソファから腰を浮かせた智也が手招きする。


「こんな店あったんだな。知らなかったよ」

「そう?僕、よく来るよ」


 は?って思った。だってここはマンション(うち)の近くで、智也の家からは遠いはずだ。――それに、近くに来ていて連絡しないのは水臭くないか?

 それが顔に出たのか――いや、智也の事だ。きっと小さな変化も逃さず読み取ったに違いない。


「柊、今度出す店の事とりんちゃんの事で忙しかっただろう? 少し落ち着くの待ってたんだけど、ちょっと気になる事があってね」

「気になる事? なんだよ」


 静かに近づいてきたウェイターに「ブラック」と伝えると、智也に向かい合って座り身を乗り出した。


「珍しく焦ってるでしょ、柊。そんな時、柊は危ないから」


 鋭い指摘にズシリと胸が重くなったような気がした。

 そして、智也が今このタイミングで連絡してきた意味に遅ればせながら気付いた。

 最初に付き合った読モ家庭教師の女とのいざこざがあった時の俺を知ってる智也だからこその行動だ。

 勿論、あの女と美羽は全く違うし、俺の中での愛情の比重も違う。比べる事自体が間違っている。同じ土俵になんか上がらない程の違いだ。

 でもあれがきっかけで女を冷めた目で見て、レンアイなんてものを馬鹿にするようになった事は確か。そして、美羽を傷つけた――。サークル棟で一方的に美羽を罵った事は忘れられない。忘れてはいけない事だとも思っているけれど、痛みを耐えるかのように唇を噛み締めてじっと見上げる美羽は、思い出すだけで胸が引き裂かれそうになる。


「――ごめん。俺、自分の気持ちを押し付けるばっかりで、美羽の事、思いやる事が出来なかった」

「――うん」


 それからぽつぽつと話をした。

 一世一代の初めての告白が酒の所為でうやむやにされた事、お兄さんに仕事を疎かにするなと釘を刺された事、会える時間が無くてただただ自分の都合で押しかけていた事、突然現れた隣人にライバル宣言された事――智也はただ頷くだけだったけど、段々気持が軽くなっていくのを感じた。


「そうか。でも、渡す気は無いんだろう?」

「ない」

「じゃあ……もし、りんちゃんがスティーブンを選んだら?」


 今最も恐れていることを言葉にされて、思わず深く息をついた。


「美羽が決めたなら、それは仕方が無い。見守るよ。――でも、諦めるつもりはない。でも無理矢理どうこうしたい、とかじゃない。不器用なやり方でも、ちゃんと向き合いたいって思えるから、待てる」


 その瞬間、胸の残っていた最後の靄が突然晴れた気がした。


 うん。そうだ……待てる。その間、美羽がどんな決断をしても、それに俺がどんなに傷ついたとしても、俺は全てを受け入れる。


「柊、来た時と全然違う表情かおになってる。いい顔してるよ」

「答えが出たら、腹減った。ここメシも美味い?」

「勿論。柊の驕りで僕も付き合ってあげるよ」


 そう言ってこの日初めてふたりで声に出して笑った。


 もう、何も怖くない。たとえどんなに辛い答えでも、それを導き出したのが美羽自身で、美羽が幸せだったらそれでいい。

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