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中佐の楽しみ

 釣り竿とバケツを持った中佐が誰から魚釣りを学んだかは海軍の魔法をもってしても解き明かせない謎だった。

 おそらく『攻撃目標を指定してください』で誰かが海の魚を指定したか、あるいは海鮮ニラ玉の素晴らしさを布教されたかしたのだろう。


 釣り場はディネガランドの最下層にある。

 船着き場や吹き抜けの底、釣り船を出すものもいる。


 最近人気なのはキャンバス地でひし形の袋をつくりクレーンで吊るして、その袋のなかから釣るというもので、オオクチイケカツオやオオグチイシチビキなど〈楽しませてくれる魚〉で知られる大物狙いがよく利用した。

 またヤモリ型ディネガが背中に熱い食事を縛りつけ、するするとロープを下って、客まで運ぶサービスもある。


 ただ、〈楽しませてくれる魚〉が楽しませるのは釣っている瞬間のファイトであり、皿に乗った〈楽しませてくれる魚〉は全然楽しくない。

 だから、〈楽しませてくれる魚〉は釣ったら、再戦を約束して海に戻されるか、あるいは食べるとしてもフライにして濃い味のソースをどっぷりつけて、素材の臭みも味も分からなくしてしまうしかない。


 中佐の海鮮ニラ玉に〈楽しませてくれる魚〉は必要ない。


 電車で最下層に降りると、様々な釣り関係の屋台やセールスマンがいる。

 釣り竿や釣り針、釣り餌はもちろんのこと、バルーン型ディネガが自分を浮きとして時間単位で貸し出しているし、釣った魚をすぐにフライにする移動キッチンもある。

 釣り竿を肩にのせて歩くだけで、いっぱしの風来坊になった気のする釣り人たちは病的な嘘つきで、釣果を平気な顔で偽った。


「あんなでかいマグロは釣ったことがねえな」

「アジが入れ食いで、もう餌をつけなくても釣れるんだぜ」


 そんな嘘つきたちが懇意にしているのが魚屋で釣れなかったときはそこで魚を買い、さも自分が釣ったみたいな顔をして、家族の待つ家に帰る。


 釣り人でごった返す最下層のフィッシャーマンズ・ヘブンではこの魚屋が大きな商いをしていて、道の端から端まである水槽に鯛やヒラメ、小さなマグロやタコを泳がせている。

 その上には看板にデカデカと『嘘は恥ではない』と釣果ゼロの見栄っ張りな嘘つきたちを励ましている。


 海軍軍人は常に紳士であれという提督の教えを守る中佐は嘘をつくつもりはなかった。

 彼女は海鮮ニラ玉の具材を確保するためにやってきたのであって、下らない自尊心を満たすためではない。


 彼女の計画は簡単だ。まず具材その一のエビを釣る。そして、次にそのエビでイカを釣る。


 これで夢のような海鮮ニラ玉が出来上がる。


 中佐は釣りはズブの素人なので、どこでどんな仕掛けを使えばエビが釣れるのか分からない。

 ただ、釣り場には教えたがりが大勢いる。

 いかに自分のやり方が素晴らしい釣果をあげたのかを誇りたくて誇りたくてしょうがない連中だから、教えを乞えばタタでいくらでも教えてくれる。もう結構です、やめてください、と言っても教え続ける。ぶん殴らないと止まらないのだ。


 もちろん、彼らのなかには大勢の嘘つきもいる。当然である。


 ただ、中佐は人間をはるかに超える観察力を持っている。相手の瞳孔の動きと大きさ、単位時間あたりの浅い呼吸の回数、そして注意深い観察によって得た脈拍数から嘘を見破ることができるのだ。


 と、誇ってすぐにこんなことを言うのは何だが、嘘つきたちはこれら全ての指標をクリアして嘘をつく。


 それもそのはずで釣り人たちは嘘をついているうちにそれが本当のことだと思い込んでしまうのだ。小舟よりも大きなマグロもディネガランドのイワシ相場が崩れるほど釣ったイワシもみんな本物なのだ――彼らのなかでは。


 ただ、中佐は運よく、ちゃんとした相談役を得ることができた。

 釣り餌屋である。


 手押し車に小エビや小魚、ミミズ、それに小さなペレット状の餌を満載した彼らはこのフィッシャーマンズ・ヘブンで極めて珍しい正直者集団だった。

 彼らは釣れる餌を売ろうとし、高い餌を売ろうとしない。

 高い餌が売れるとは限らず、売った餌で釣れなければリピーターは獲得できない。


 にもかかわらず、高い餌は存在する。魚釣りの謎である。


 釣り餌屋は中佐のような戦闘用ヒューマノイドですら見破れない釣り人たちの嘘を見破ることができる。どうやって見破るのだときかれると、ただ、


「経験だ」


 と、返ってくる。

 ともあれ、百の嘘からひとつの真実を拾い上げ、本当に釣れる餌は何なのかを知る。


 釣り餌売りとは釣り場において最も渋くてかっこいい職業でもある。


 中佐が頼ったのは、年季の入った金属性の両腕を持ったカバの顔をした小柄なディネガでエアストーンの入ったバケツから鯛釣り用のエビを網ですくって、子ども釣師たちのブリキ缶にポイポイ入れているところだった。


「兵站管理官殿。エビ釣りに利用できる飼料リソースの提供を求めます」


 釣り餌屋は何も言わず、錠剤が入った生体分解性プラスチックの壜を渡した。


「これはビタミン剤ですか?」


「違う。魚粉ペレットだ。ハリスにかみつぶしオモリをひとつつけて、針にこいつを引っかけて、エビのいるところに投げるんだ。エビは海のなかに隠れているから、餌を放り込んで釣れなかったら、すぐ別の場所に移動する。運よく餌場をあてられたら、たとえあんたの母ちゃんがやってきて、あんたを鷲づかみにしても離れるべきじゃない。餌場のエビはたくさん釣れるだけじゃなくて、恐ろしく味がいい。大きいしな」


「海鮮ニラ玉に最適ですか?」


「そりゃあ、もう、今日釣れたてのエビで海鮮ニラ玉をつくったら、天国みたいなもんよ」


 エビ釣り場は外海に面していなかった。

 フィッシャーマンズ・ヘブンの買い物エリアのすぐそばに赤く錆びた船やら潜水艦やらのガラクタが沈んでいる人工湾があり、そのガラクタに乗っかって、エビ釣り師たちが竿を振っていた。


 ここにきて、中佐は大きなアドヴァンテージを得た。

 彼女のデフォはふわふわ浮いた状態なので、浮けない釣師たちが攻められない釣り場を攻めることができる。

 他の飛行型ディネガたちも動揺だが、飛行型ディネガたちはエビには見向きもせず、外で大物釣りに没頭していた。


 透き通った海水には小型船が沈んでいて、その横っ腹をエビたちが、まさか自分たちは釣られまいと油断して、餌をあさっていた。彼らはその油断の代償を命で支払うことになる。

 攻撃目標に指定されたエビたちにとって、中佐は死の天使なのだ。


 エビがバケツいっぱい釣れると、中佐は次の段階――イカ釣りへ進むべきだと思い、また釣り餌屋に相談した。


 釣り餌屋が売ったのは細いプラスチックの板に二本の大きな釣り針を結んだもので、釣ったエビをプラスチックの板に縛りつけて、海に投げ、ゆっくりリールを巻いていくのだという。


 次に選んだ釣り場はフィッシャーマンズ・ヘブンから外海へ突き出たコンクリートの堤防だった。

 約百メートルほど突き出たその先では釣り人たちがいるのだが、実はこの堤防、三十メートルから五十メートルの部分が海にどっぷり浸かっている。


 そのため、ここの釣り場はヒトを選ぶ。

 もちろん中佐はふわふわ飛べるので、何の問題もない。

 ふわふわ飛べることはあらゆる特権を享受する一大ステータスなのだ。


 この俗世から離れた堤防の先で釣りをするのは何かをさぼったものたちだった。

 店だったり、学校だっがり、緊急手術だったりをさぼった釣り人たちは誰にも邪魔されず仙界のごとき幽玄さのなかでそれぞれ好みの魚を狙う。


 堤防の先端にはリアムがいて、アブラガレイの引きずり釣りを楽しんでいた。


「おや、中佐さん。あなたもさぼりに?」


「海鮮ニラ玉の原料リソース量を増加させに来ました」


「ということはイカ狙いか。エビがたくさんいるね?」


「はい。これだけ大量に釣れれば、海鮮ニラ玉が食べ放題です」


「きみはいつもの『攻撃目標を指定してください』は言わないのかい?」


「ニラ玉のための作戦行動中は行いません」


「それは残念だ。キヅキを攻撃目標に指定して、少し弱まったところで講和会議を持ちかけたかったんだけど。というのも、僕がここにいるということはツンツクツンをさぼっているんだ。キヅキは僕を殺すと言っていたけど、彼女、アブラガレイの煮つけに目がないから、そこで起死回生を図れる。でも、釣れなかったら……まあ、魚屋で買えばいいか」


 まわりには海しかないので、突堤での釣りは海の真ん中で釣りをしているようだった。

 みな、脛に傷をもつサボり魔だから、お互いの過去に触れないのが掟であるが、中佐はいったい何をサボったのだろうと釣り人たちは気にはなっていた。


 あれはディネガ・エネルギーが放出される前、人類が天使と崇めていたものに似ている。

 天使は神の使いであり、神はこの世界をつくったという仮定があったらしいので、つまり、あの天使は神がこの世界に対して『てめえらにはもううんざりしたぜ』と滅びの指令を出したときのメッセンジャーではないかと踏んだ。


 現在のディネガにはそんな信仰は関係なかったが、しかし天使がサボって世界の破滅が少し延びるのはそう悪いことではない。

 この結論に納得するかしないかのところでウキが沈んだので釣り人は自分の魚の相手に忙しくなり、サボり魔の天使のことを忘却した。


 突堤の釣り人たちは不干渉主義者の集まりだが、誰かが大物をかけると、みんなそばによって見に来る。


 そのとき、かかったのはイソマグロであり、それが右へ左へと激しく逃げ、釣り人は糸の緊張に気をつけながら、魚が疲れるまで泳がせることにした。


 ここで後ろから、あーしたほうがいい、こーしたほうがいい、と口は出さないのも掟である。


 そして、ブツン!と糸が切れたら、何も言わずに引っ込んでいくのは情けというものだ。


 そのころ、中佐はというと、針を磯に引っかけていた。

 まあ、そういうことはよくあるそうだが、問題はこの磯、引けば動く。

 中佐の怪力でぐいぐいリールを巻くと、確実に磯は近づいてくる。


 そして、磯だと思ったものが体長十メートルを越えるダイオウイカだと分かったときには不干渉主義者の釣り人たちでも興奮しあちこちを走りまわったのだった。


     ――†――†――†――


 三千人分のイカニラ玉がフィッシャーマンズ・ヘブンじゅうに無料配布され、中佐は釣り人たちのゲン担ぎの神さまに祀り上げられ、リアムはイカニラ玉を元手にキヅキと交渉し命をつないだ。

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