対決
ギウィ・フィッシュが見込みのないジャンク・ビジネスから手を引こうかどうしようか考えていると、提督がやってきた。
「あんた指名の仕事がひとつあるぜ」
「パトリオパッツィかね?」
「あたり。受けるか?」
「実はわたしもひとつ仕事を頼みたいと思っていてね」
「じいさんが?」
「受ける相手は指定できるのだろう?」
「できる」
「では、パトリシオ・パトリオパッツィを指定しよう。直接やり取りしたいが、それではきみのマージンを奪ってしまうから、伝言を託そう。――親愛なるパトリシオ・パトリオパッツィ殿。貴殿との前回の別れがあのような形になってしまったことについて、心よりの謝罪を。感情の高ぶりに己をまかせた醜い行為であった。貴殿の寛容さに甘えるようで、紳士として恥ずべきことであるのだが、もし、貴殿が小生をまだ信頼に足る紳士と思っていただけるのであれば、小生は貴殿を我が劇場へと招待いたしたく存じ上げる。題目は『一騎打ち』。当方のカレイジャスが先日の雪辱を果たさんと貴殿との戦いを望み、その仲介をする栄誉をいただけたこと、誠に名誉と思い、貴殿のご意思を確認したい所存。もし、貴殿が受託されるのであれば、貴殿とカレイジャスの一騎打ちにオーケストラを用意して、ヴィヴァルディの協奏曲集『四季』の「夏」第三楽章を高貴な戦いに添えたく思う。こちらから条件を付与できる立場ではないのだが、これだけは遵守していただきたいことがあり、ご考慮を願うのであるが、こちらに足を運んでもらう際、関係のない命を奪うことはこれを絶対に禁じていただきたい。ディネガ、人間問わずである。もし、これが破約の憂き目を見た場合、小生は如何なる不名誉を被ってでも貴殿を最後の骨の一片まで粉砕する所存であることをお伝え申し上げる。貴殿の友、アンドリュー・ホクスティム三世」
「脅し文句つけるのか?」
「追伸。刃状形高密度エネルギー体が巧みにカモフラージュされた遅滞斬撃のカラクリは判明しているので、同じ手は食わないとのこと」
「まあ、いいか。とりあえず、送信しておく。ああ、それと、この関係のない命にはおれも含めておいてくれよな。正直、やつはヤバい感じがしてたんだよ」
――†――†――†――
シャンデリアは全て灯り、蒸気機関で動くオーケストラも舞台に勢ぞろいしている。
演奏人形はパンチ・ロール紙によって制御され、機械と侮るなかれ、立派な演奏をしてくれる。
「やつは来ると思うか?」
舞台の端に座るユウキがたずねてきた。
「来るだろうね」
「それは願望か?」
「来る以外に生きている意味がないんだよ。彼には」
ワインレッド・ビロード張りのドアが開き、フレデリクが案内してきたのはパトリオパッツィだった。
ごきげんよう、と芝居がかったお辞儀をする。
「これは素晴らしい。こんな素晴らしい劇場をズタズタにするのは心苦しいが」
「それなら心配はいらない。直せるから」
ユウキは抜刀し、舞台から飛び下りた。
パトリオパッツィは右手を宙に突っ込んだ。空間に縦にあらわれた、紫色の水面に手首まで突っ込み、死神の鎌を引き出す。
「AIは?」
「なしだ」
「戦艦を落とされることは?」
提督は首をふった。
「それは絶対にない。信じてもらえるかは難しいが」
「信じますよ。さて」
お互い、歩み寄り、相手までニ十歩の位置で止まる。
「音楽を。わたしを戦いに駆り立ててくれる音楽を」
提督はスチーム・オーケストラの動力レバーを押し込んだ。
ヴィヴァルディの『夏』第三楽章が始まる。
その瞬間、紫と紅の千の火花が散って、黒い風の影が土間席を駆け巡り、切り裂かれた背もたれの綿が白い花のように舞い上がる。
火花が綿くずに引火して赤い花のようにくるくるまわる。
ときどき、どちらのものとも知れぬひと太刀がヴァイオリンに急き立てられるように唸り、刃をあわせたふたりの姿がギリシャの彫刻みたいに静止してあらわれ、また風となって、殺し合う。
時間は三分と少し。少しというのは二秒か三秒だ。
ボックス席を蹴りながら、ふたりは切り上がっていき、火花はシャンデリアの上に真一文字に走った。
意識を集中すれば、戦いから、パトリオパッツィの哄笑や殺気に満ちたユウキの瞳孔を抽出できる。
提督の役目は立会人であり、これはフランスの代議士やジャーナリストたちがしょっちゅうやっていた決闘なのだ。
懐中時計を蓋を開くと、開始から一分半。
音楽が止まるときに決着が着くとすれば、いま、半分だ。
これまでユウキは太刀と鞘で戦っていたが、いまは鞘を捨て、銃を抜いていた。
提督はなぜかヴィヴァルディが苦手だった。特に『四季』が。
『春』からも『夏』からも、季節が連想できない。
これを公言したことはない。感性がないと思われるからだ。
そんなことを言われたら、魚雷屋上がりのわたしには必要のない感性ですな、という負け台詞を言ってしまうことが分かっている。
ヴィヴァルディに本当に愛着があったら、こんなふうには使わないだろう。
残り三十秒。
どちらも殺気の塊になっていて、黒く引かれていた影が赤黒く錆び始めている。
こんな殺気を発して、残り人生どう生きていくつもりだろう、と心配してしまうほどの殺気だ。
殺気が身体から抜かれなかったら、残りの人生を切り裂きジャックとして過ごす羽目になるのに。
バンッ!
乾いた大きな音。
銃声ではない。躍動する筋肉が一撃で断ち切られた音だ。
何かが空中でくるくるまわりながら、提督へ飛んできて、目の前にざっくりと刺さる。
それは肘から先の腕に握られた死神の鎌だった。
『夏』が終わる。
――†――†――†――
パトリオパッツィは劇場の中心、土間席に一本走っている通路に膝をつき、右腕の切断面、肩を押さえている。
ユウキは、大きく肩で息をして、銃を捨てると、腰を落として、反った刃を顔に寄せ、そのまま突き刺そうとする……。
「待ちたまえ」
……。
切っ先が喉に触れるか触れないところで止まる。
「カレイジャス。ちょっとわたしに時間をくれないかね?」
「何をする気だ?」
「精神攻撃だ。剣を下ろしたまえ」
太刀の血を振って、弾くとズタズタにされた背もたれに赤い点が打たれる。
「終わったら、これを使え」
そう言って、銃を貸そうとするユウキに提督は自分のウェブリー・リヴォルヴァーを見せ、首をふった。
銃口をパトリオパッツィの額に突きつける。提督を見上げる目は邪な笑いが籠り、口端が歪み、吊り上がる。
「――殺せ」
「その前に区別の問題について整理しよう」
魔法がヴィクトローラの蓄音機を生み出し、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』がかかる。
六声唱をBGMに精神攻撃を開始する。
攻撃目標は碧の瞳に籠城する邪で余裕すら見える笑い。
提督が黙っていると、パトリオパッツィがたずねる。
「区別とはなんだ?」
「追放と廃棄の違いだよ。我々はテラリアを追放されるにあたって、まず刺客を送られた。我々が生きていると不都合ということで、派遣されたらしい。きみはどうだね? 刺客を送られたことなどないだろう?」
「……」
「それがきみと我々の違いだ。我々は殺されかけたが、きみは違う。きみはただ棄てられただけだ」
パトリオパッツィが、ククッと笑う。
「それがどうした?」
「どうもしない。言っただろう? 区別の問題だ。きみが死ぬ前にそのことをしっかりさせておきたかったのだよ。棄てられたきみは実際、棄てられたらしい行動をとっている」
「……」
「降りてきたテラリアの部隊を襲って、殺して。それなら、ウェポンでもできる」
「……」
「……我々は違う。いずれ、テラリアに帰る。別にそこに永住するつもりはない。確かめることがあるから、それを確かめたら、また降りる。きみのように、自分の利用価値をテラリアにアピールするようなことはしない。必要ないからだ」
「やつらを殺すのは、ただの――」
「楽しみだから、殺す? 御冗談を。自分は役に立つ。自分はまだ使える。そうわめいているだけのように思えるがね」
「……あなたは何もかも見たように話す」
「見なくとも分かる。目的がある。叶うわけもない目的が。この荒廃した大地で無軌道に殺戮することではない。それがきみの魂を満たすことはない。きみはきみを棄てた連中に、それが間違いだと教えたい。だが、テラリアの支配者たちが百人や二百人程度の兵士の殺害を重要視すると思うのかね? 彼らがまたきみに一目置くと思うかね?」
「違う……」
「きみはそんなに戻りたいかね? あの鼻持ちならないエナメルの地獄へ?」
「違う……」
「やつらはきみを棄てたのだ。きみは弱い。戦力にならない。だから、棄てたのだ。刺客を送って再起不能にする価値もなかった。ただ、棄てられた。やつらの価値判断はそこにいるカレイジャスのほうが使えると思っている。カレイジャスがテラリアに戻る日はあっても、きみが戻る日は来ない。なぜか? きみは弱いからだ」
「違う!」
瞳が凶暴さにぎらつく。
「わたしは弱くなどない! わたしは誰よりも殺せる! 壊せる! 切り刻める!」
「その通りだよ! パトリオパッツィくん!」
提督はウェブリーの銃身を折って、弾を全部落とし、遠くへ放り投げた。
「きみは誰よりも強かった。それがやつらには怖かったのだ」
「……え?」
「それにきみは音楽を愛した。やつらにとって、最大の不確定要素だったのはそれだ。きみは音楽家だった。それゆえにきみは廃棄されたのだよ。ただの殺し屋なら分かる。だが、音楽を愛する殺し屋をどう扱ったらいいのか分からなかったのだ。これをききたまえ、このセクステットを。何を言っているか分からないだろう? 安心したまえ。わたしも分からない。イタリア語なのでね。ただ、概要は知っている。この物語は誰も救われない、ひとりとして救われない。きみも歌劇が好きならば、こんな話をきいたことはないかね。『現実に救いがないのであれば、せめて劇のなかでだけ救いが欲しい』。わたしはこれの逆が成り立つと思っている。『劇に救いがないのであれば、せめて現実で救いが欲しい』。それを確かめるのはきみ自身だ」
パトリオパッツィは気を失ったが、そのときの瞳には邪悪も凶暴さもなかった。
ただ、安堵だけがあった。認められた安堵が。
救急箱を持ったフレデリクが駆けてくるのを見ながら、ユウキが、チッと舌打ちする。
「最初から、これが目的だったんだな」
「わたしは彼にマジェスティック級戦艦八隻分の借りがあるのだ。それに――」
提督は恥ずかしそうに、ふへ、と笑った。
「これはわたしの、抗いがたいエゴなのだよ」