世界をまたにかけて
テュプセム嬢はディネガランド随一の富豪ブヌエプの娘であり、どのくらいの富豪かというと、彼女がユウキと結婚し、ユウキが海軍に入隊し、中佐あたりまで勤めて、駆逐艦長になり、その駆逐艦を事故で失って、退役の危機にさらされたとき、「わたしのユウキが退役? では、わたしが艦を弁償いたしますわ!」と言えるくらいの富豪だった。
ユウキは提督の再三にわたる、タキシード懇願を無視して、面倒くさいなと思いながら、件の富豪の家に行った。
富豪の家はある階層を丸ごとにしていたので、エレベーターを降りると、そこはもうお屋敷のなかというものだった。
ただ、ユウキは何を間違えたのか、厨房の裏口に出てしまった。
厨房というのはたいていが反平和主義の前線基地であり、ソースの味をめぐっての戦い、盛り付けの高さをめぐっての戦い、選ぶお酒をめぐっての戦いが繰り広げられ、対立する両者は常に、相手をバラバラに切り刻んで、マズいシチューにして飲まずに捨ててやりたいと強く願う、そんな場所だった。
「おい、こら!」
三級コックはユウキがテュプセム嬢の賓客とも知らず、五つの手にのせた汚れたフライパンを次々とユウキに押しつけ、「洗え!」と言った。
そこでユウキは賓客用の蒸留水のボトルを開けて、調理台に重ねたフライパンにかけた。
どうもここにいると、また何か面倒なことを押しつけられるなと思って、光学迷彩を作動させて、逃げようとしたが、熱源反応でしかモノを見られないコックに見つかって、
「おい、そこのステルス野郎! 光学迷彩切って、こっちに来い!」
と、怒鳴られた。
「よーし、アンポンタン。お前に重要な仕事を申しつけてやる。このポロポロ鳥のタプナード・ソースは今晩の主賓に召し上がってもらう、最強に大切なメニューだ。こいつを隕石みたいに熱いうちに食堂へ持っていけ。お前、自爆ユニットは積んでるか?」
「いや」
「じゃあ、あそこに行って積んでけ」
「なぜだ?」
「なぜだ、だと? 貴様がしくじって、このポロポロ鳥のタプナード・ソースをオジャンにしたとき、どうやって責任を取る? 自爆以外、ありえんだろうが!」
自爆ユニットを取り扱うという部屋に行くと、大きな虎の頭をして、左腕をそろばんに改造したディネガがあくびをしていた。
「自爆ユニット?」
「ああ。ここでもらえと言われた」
「あのひとつ目にか?」
「そうだ」
「自爆ユニットねえ。あ、ちょうどいいところにあった」
そろばんの珠のあいだにダイナマイトが一本引っかかっていた。
ダイナマイトの筒からは崖に生える孤独な細い松みたいな導火線が伸びていて、虎頭はそれと、マッチが二本入った箱を手渡した。
「そら。出血大サービス」
「これはただの爆薬だ」
「違う。自爆ユニットだ。自爆ユニットだと強く思えば、自爆ユニットになるんだ」
そして、また別のエレベーターに乗り、絨毯が似合う趣味のいい内装の部分に出ると、ユウキはポロポロ鳥のタプナード・ソースとダイナマイトを手にして、絵画が並んだ部屋や腕の数を六本で揃えた召使いたちが蝋燭を持って並んでいる廊下、魚竜タイプのディネガでも満足するくらい大きな屋内プールなどのそばを通り、ついに玄関広間でドアに向かって、ユウキを待っているテュプセムとその家族たちの背後に出た。
その後、玄関ではなく、後ろからあらわれたことや手に持った料理とダイナマイトなど、様々な説明を要する事態になっても、肩をすくめ、ともあれ食事会となった。
「あなたには本当に感謝している。娘を助けていただいて」
「いや。礼を言われるほどのことじゃない」
この一家は父親がバルーン式ディネガで母親がヘラジカの角をもったランツクネヒト型ディネガで、食器もそれに対応していた。風船付きの皿、角がぶつからないよう高く設けた天井とシャンデリア。
テュプセムはクチバシが長く、湾曲しているので、その形にあわせた細長いスープ鉢が用意されていた。
「普段はヒト型ディネガに来てもらうことがないのだが、食器はそれで大丈夫だっただろうか?」
「ああ。問題ない」
確かによく研究されていて、ナイフが小型チェーンソーだったことを除けば、ユウキも言った通り、問題はないようだった。
提督はこういう改まった場での会話のコツみたいなものを速成で伝授しようとしたが、さっぱり残らなかった。
「いまは何をなさっているのだね?」
と、尻尾を椅子に結びつけた風船の父にたずねられたので、ユウキは嘘をつかず、極めて正確かつ簡単に現在の状況を説明した。
「パトリオパッツィという廃棄体を排除するために準備をしている」
「そのパトリオパッツィというのは?」
「テラリア人だ。おれの腕を切り落とした」
どう見ても失敗した会話だったが、ここで会話の神さまが多少の慈悲を見せた。
「その後、腕は機械のものに換装した。その慣らしをしているところで、あんたが襲われている現場に出くわした」
このとき、ユウキは、ふ、と微笑むことさえできた。
「その点はやつに感謝してもいいかもしれないな」
テュプセムはクチバシの半ばを控えめにふくらませた。
これは「おかげできみに出会えた」と言っているようなものだ。
その後、いくつかの芸術に関する話が出て、ワケが分からないなと思っているところで、テュプセムはユウキが好きなことをきいてきた。
好きなこと。
一、シン。
二、提督をぎゃふんと言わせること。
「テラリアに兄がいる」
「お兄さまが。どんな方ですの?」
「シン――いや、兄は、おれと同じロットで生まれた。何もかもが完璧で、真面目だが、心の温かくあることを知っていた。おれは追放された身で、兄がそれに関わっているのか、それとも拒絶して、危険な状態に置かれているのかが分からない」
「……いつか、お兄さまを助けるためにテラリアに?」
「行きたいが、今のおれでは力が不足している。でも――できることなら何でもする。あきらめたりしない。いつか、必ず会いに行く。それがおれのエゴだ」
――†――†――†――
「待ってくれ。それがきみが彼女にかけた言葉なのかね?」
「そうだ」
「だから、あれほどタキシードをと」
「いいだろ。別に」
「彼女のことはどう思っているのだね?」
「ん?」
「今日は礼を言いたいということで行ったのだが、もし、きみがどうとも思っていないのであれば、できるだけ優しく、だが毅然として断らないといけない。その気もないのに気を持たせるのは残酷だ。――とはいえ、きみは恋とか愛といったものと無縁で暮らしてきたから、決断を急ぎ過ぎるのもよくないな。じっくり考えてみるといい」
「――あんたは」
「うん?」
「あんたは、そういうのは、どうだったんだ?」
提督は指を振りながら、チッチッチと舌を鳴らした。
「わたしは、それはもう大変だった。異国の港で美女たちに惚れられてしまうことは何度あったことやら。セウタ、ストックホルム、バルセロナ、ナポリ、コンスタンティノープル、香港、長崎。泣かせてしまった女性の数は知れず。まったくわたしほど罪づくりな男はそうそういないのだよ、カレイジャス!」




