失われた戦記
こいつを、燃やしてくれ。
所は、どこかジャングルの秘密航空基地。林の中に隠していた零式艦上戦闘機を前にして、拳を握りしめる航空兵が周りの整備兵達に言い放つ。彼の魂は、敗戦と言う現実にうちのめされていた。
この名機に生き恥を晒させる訳には行かない。
弾痕が生々しく残る濃緑色の機体。胴体部分の日の丸にも、鉛丸の縫い取りがかけられている。それが祖国の敗北を強く強調していた。
彼も、ゼロも、まだ戦える。であるのにも関わらず矛を納めなければならないのだ。その悔しさと哀しみは、整備兵と言えど誰しもが痛いほど理解できた。
航空兵は吼える。俺はこいつと、もう戦争の中でなければ生きられないと。
開戦からの付き合いだった分隊士。戦争でもなければ、彼等は巡り会うことはあり得なかった。その掛け替えのない戦友達は既に隣には居ない。彼もまた、戦いの中で散る筈であったのに。
隣に並んだ整備中隊長は一言だけ囁く。拾った命です、生きましょうや、と。
中隊長には、死んでいった者達の代わりに、日本がどのように変わっていくのか見て置く必要があると言う思いが湧き上がっていた。死は、黙っていてもやって来る。それまで、死んでいった友に土産話を沢山持ってから三途の川を渡るべきである。
零戦は焼かれることはなかった。歴史に残らぬ秘密の航空基地。後世、彼等がここで戦っていたことなど知る術はない。
それでも、そこにいた兵士達は叫びたかった。我々は、ここで生きたのだと。
彼等は決意する。今にも原動機を震わせて飛び出しそうな零戦に、その想いを託し、未来に向かって飛ばすことを。兵士達は、零戦を隠すどころか、機体や翼を綺麗に磨きあげてその場に鎮座させる。それは、これからも流れていくであろう歴史への、ささやかな抵抗であったかもしない。
復員船に乗って国に帰った兵士達のその後は誰にも分からない。ジャングルの中で、磨き抜かれた零戦が発見されたと言う情報も存在しない。
彼等の戦記を知る無言の語り部、零式艦上戦闘機。それは現在も、どこかジャングルの奥で誰にも気付かれることなく眠っているのであろうか。失われた彼等の戦いの記憶は、未だに明かされてはいない。




