第四節:硝煙の唄、血脈を疾る神杖の鈴
三色の狼煙が風に引き裂かれ、ついに清軍の先鋒が碉楼の直下へと肉薄した。
無機質に繰り返されていた銃撃の音は、いまや生身の人間が放つ絶叫、飛び散る泥、精度高い鉄の爪の軋みへと変貌し、凄まじい白兵戦の火蓋が切られる。
「落とせ! 石を、一本の隙間もなく叩き落とせ!」
ルオは喉が裂けるほどの声で叫びながら、巨大な粘板岩の塊を胸元で抱え上げた。
重労働で引き千切れそうな背中の筋肉が悲鳴を上げ、剥がれた爪の隙間からどろりとした血が流れ出して石の表面を汚す。だが、その痛みを自覚する余裕などなかった。
外壁の直下からは、泥と火薬にまみれて登ってくる敵兵の、獣のような脂汗の臭いと、肉が焦げる生臭い熱気が立ち上ってくる。ルオが石を突き落とすと、数瞬の後、グシャリと骨が砕ける生々しい感触が岩肌を通じて手のひらに伝わり、次いで血飛沫を伴った短い絶叫がふもとへ落ちていった。
飛来した火縄銃の弾丸が、ルオのすぐ横の石壁を直撃し、白く鋭い石片が弾け飛んで彼の頬を深く切り裂いた。熱い血が顎を伝って滴り落ちる。
視界は飛び散る火薬の煤と土煙で混沌に濁り、耳の奥ではキーンという高音の耳鳴りが鳴り止まない。五感を麻痺させる戦場の狂気と死の恐怖が、じわじわと村人たちの手足を縛り、その動きを鈍らせようとしていた。
その絶望の淵を、一本の「音」が烈しく貫いた。
――ジャラン、ジャラララン。
主塔の最上階、濃密な硝煙が渦巻く暗闇のなかで、老祭司が神杖を高く突き上げた。杖の頭に結ばれた無数の真鍮の鈴が、凍りついた大気を震わせて鳴り響く。それは、人間の五感を一瞬で覚醒させる、頭の芯まで突き抜けるような、鋭く硬い金属音だった。
「オ、オ、オ……ルォォ……」
シビの喉から、人間の言葉を捨て去った「唄」が絞り出された。
彼の肉体は激しく痙攣し、白目を剥いて、焚き火の残煙のなかでのたうち回っている。その姿は完全に野生の獣そのものだったが、彼が発する唄の旋律は、ふもとから響く皮鼓の重低音と恐ろしい精度で噛み合い、一つの巨大な「うねり」となって碉楼全体へと浸透していった。
その唄を聴いた瞬間、ルオの全身の血脈に、猛烈な熱が走った。
それは恐怖を焼き尽くすアドレナリンの奔流であり、数千年のあいだ、この峻険な山脈で文字を持たずに生き延びてきた先祖たちの「野生の記憶」そのものだった。乳酸が溜まって硬直していた四肢の疲労が瞬時に吹き飛び、筋肉がまるで別の生き物のように脈打ち始める。
鈴の音が脈拍を極限まで跳ね上げ、シビの唄が村人たちの反射速度を人間離れした領域へと引き上げていく。彼らはもはや個々の人間ではなく、要塞という巨大な石の肉体を駆動させる、一本の熱き生き物と化していた。
それは、清軍の戦術書の記述に基づく軍の規律に対する、文字なき民の「百頭一心」の同調による逆撃であった。
清軍の強さは、戦術書の記述に基づき、個人の感情を排除して均一に機能する兵士の「規則性」にある。しかし、シビの鈴の音と唄によって神懸かりの状態に至った羌族の防衛線は、その規則性を遥かに凌駕する、野生の恐るべき連動を完成させていた。
文字による命令を介さないからこそ、彼らの連携には一瞬の「滞り」も存在しない。
一人が弓を引けば、別の者が言わずともその死角をカバーするように槍を突き出し、崩れかけた石壁の泥の隙間を、瞬時に別の肉体が埋めていく。シビの放つ鈴の音の震えが、碉楼という頑強な石の骨組みの内部で、防人に課せられた肉体の限界を忘却させ、その動きをどこまでも鋭敏に研ぎ澄ませていた。
清朝の指揮官たちが精緻な数式と陣形によって導き出した「要塞攻略の段取り」は、この文字なき民の、狂気じみた、しかし冷徹なまでに無駄のない防衛の規矩の前に、完全に破綻を来している。
いくら弾丸を撃ち込み、物量を投入しても、石の砦は崩れた端から人の手によって塞がれ、清軍の歩幅を正確に予測して死の罠へと叩き落としていく。近代の火器の肉薄を、紙一重のところで押し戻し、磨り潰していく石の論理。
ルオは血に塗れた弓を限界まで引き絞り、鈴の音が描き出す完璧な防衛の網のなかに、敵の旗印を冷酷に捉えていた。




