第百十三話 明乃の理由
「向こうの戦いも始まったようですな」
グロスモント侯爵の執事であるセバスチャンはゆっくりと外へ視線を向ける。
そんなセバスチャンの視線を追って、明乃も外を見た。
外では斗真とグロスモント侯爵が戦っていた。
「互角ですか」
「どうでしょう。サトウ様は稀代の英雄。今は全力で互角に持ち込んでいるだけ。そのうちレスター様が押され始めるかと」
「わかっているならなぜ止めないんですか?」
「多くの者が止めました。それでもレスター様は止まらなかった。私の同僚たちの多くはレスター様を見放しましたが、私にはそれができなかった。あの方が子供の頃から私はグロスモント家に仕えて参りました。あの方は聡明です。無謀なことなどほとんどしてこなかった。にもかかわらず、今回はすべてを賭けた。名誉も財産も命さえも……どうして見捨てられましょうか? あの方の一世一代の賭け。傍で見守るのも家臣の務めというものでしょう」
セバスチャンは白い手袋に包まれた手で拳を作り、ゆったりとした動作で明乃に構えた。
その隙の無さに明乃は冷や汗を流す。
魔法や魔術を使える状態ならば確実に接近戦を避ける相手だ。しかし、この城の中ではいつもどおりに使えない。
威力は下がるし、発動までにも時間がかかる。
どれくらい普段との差があるかはなんとなく想像はつくが、一瞬の判断が物をいう戦闘中ではそれは致命的な隙になりかねない。
それがあるため、できるだけ個人での戦闘は避けたかった明乃だが、こうなってしまってはしかたない。
明乃のもセバスチャンに向かって構えた。
「譲れないと言うなら私も譲れません。あなた方は世界を混乱させることに加担しています。放置はできません」
「異なことを申されますな。あなたは別世界の人間。こちらの世界の事情に関わる必要がどこにあります? 黄昏の邪団はたしかに危険なテロ組織です。しかし、彼らが関係しているからといってあなたがこの国の問題に関わる必要はないのでは?」
「……」
目の前にいるのは敵であり、わざわざ耳を貸す必要はない。
それでも明乃は考えた。
なぜ自分がここにいるのか、と。
セバスチャンが言うことはもっともだ。明乃は日本の人間だ。しかも日本を守護する四名家の跡取り娘。
こんなところに危険を冒してくる必要があっただろうか。
エリスは聖王国の姫で、同盟国として助けなければいけない人物ではある。
しかし、自分がここにいる理由になりはしない。
「答えを持ち合わせていないようですな!」
気づけばセバスチャンは明乃の懐に入っていた。
明乃は迫りくるセバスチャンの拳を両腕で受け止める。
魔力の籠った打撃は想像以上に重く、明乃は大きく後ろに吹き飛ばされた。
「くっ!」
「なんとなくでここに来た人間には負けられないのです! 我々には断固たる決意がある!」
セバスチャンは吹き飛ばされた明乃との間合いは縮地で詰める。
それを見て、明乃はかつての出来事を思い出した。
最初に黄昏の邪団に狙われたとき、縮地を使う敵に反応すらできなかった。
それを斗真が助けてきた。
それからはずっと助けられてばかりだった。強くなればなるほど、差を思い知らされる。背中を追っているのにどんどん遠ざかるのを明乃は感じていた。
「サトウ様がいるから安心だと思いましたか!? それならば甘い! 甘すぎる!」
セバスチャンの連打を受け切れず、明乃は蹴りをまともに食らってまた吹き飛ばされる。
いつものように体が動かないのは、魔力が乱れる土地のせいだ。
体を強化することが日常的な斗真やミコト、戦闘や訓練が当たり前な光助やトムとは違い、明乃は本質的には後方支援タイプだ。
魔力の乱れをモロに受け、いつもの力を発揮できていない。
なんとか修正しようとしているが、元々体術だけではセバスチャンのほうが上なため立て直す切っ掛けを掴めずにいた。
「くっ……!」
「大人しく安全な場所にいるべきでしたね」
セバスチャンの言葉に明乃は唇を噛み締める。
悔しくてたまらなかった。
こうなることはわかっていた。魔法や魔術が使えない土地であれば、明乃は足手まといになる可能性は高かった。
それでも明乃は同行を断らなかった。
斗真が頼りにしてくれたことが嬉しかったからだ。
だが、本当にそれだけだろうか。
ゆっくりと立ち上がりながら明乃は考える。
斗真が必要としてくれた。だからついてきた。
しかし明乃がここにいる理由はそれだけではない。ずっと明乃はもやもやとしたものを感じていた。
自分でもわからないそのもやもやはセバスチャンの問いで肥大化した。
自分の体に流れる魔力を上手くコントロールしようとしながら、明乃は考える。
なぜついてきたのか。
冷静に考えれば断る選択肢だってあった。しかし、明乃は断ることを考えていなかった。
これは聖王国の危機であって、日本の危機ではない。日本の危機に繋がる一件であっても直接的には日本は関係ない。
そう。
あの時の聖王国のように。
「ああ……そうだったんですね……」
呟きながら明乃は苦笑する。
一つに気づいたことでもやもやが一気に晴れた。
すっきりした気持ちで明乃はセバスチャンを見つめた。
「ほう? 目の色が変わりましたな。反撃の糸口でも掴みましたかな?」
「いいえ。そんなものは掴んでませんよ。この土地にいるかぎり私はいつもの力は出せません」
それでも明乃はここにきた。
その理由は単純だ。
かつてエリスが同じ立場で日本を助けたからだ。
酒呑童子が復活した際、戦闘の舞台は聖王国ではなく日本だった。その後の展開で聖王国側に被害が出る可能性はあったが、あの時点では聖王国に被害はなかった。
それでもエリスは王室座乗艦に乗って日本にやってきた。
自分も狙われる身になりながら、それでも日本のために結界を張った。
それを知っているから明乃は断れなかった。
断りたくなかった。
「私は張り合っていたんですね……」
ここで退いてはエリスに劣ると認めたことになる。だから明乃は退けなかった。
斗真に誘われたから。自分とミコトのためにアーヴィンドがエリスの傍を離れたから。同盟国として見捨てられなかったから。
すべて上っ面な理由だ。
一番の理由はエリスに負けたくなかったから。
それだけだった。
「張り合っていた……?」
「こっちの話です。でも、それなら話は早い。私はこのまま足手まといで終わるわけにはいかないんです。ここまで来た意味がなくなりますから」
明乃はふーっと大きく息を吐いて、セバスチャンに構えを取った。
エリスは酒呑童子と戦う際に重要な役回りを演じた。それに対抗するならここで時間を食っているわけにはいかない。
「見たところまだ魔力の乱れに慣れていないようですが?」
「そうですね。でも、そんなのは理由にはならないんです」
どうして無意識的に張り合ったのか。
それは明乃が知る限り、エリスが一番斗真の傍に近いからだ。
斗真の隣にいようと思うならば、少なくともエリスに劣ってはならない。
斗真が一人で動いたとき、頼ってほしいと思った。同時に自分が認められていないとも思った。
あくまで斗真の後ろにいる存在としか思われていないから、大事なところで頼ってもらえなかった。
それを明乃は嘆かなかった。認めてもらえないなら認めてもらえるようにするまでだ。後ろにいる存在ならば、隣に立てる存在になればいい。
これまでそうやって生きてきた。
これからもそれは変わらない。
「私はあなたを倒す。そして姫殿下を助けます」
「それは無理でしょうな。あなたでは私には勝てません」
「いつもどおりに戦えばそうでしょうね」
気功術、魔闘術と呼ばれる魔力を用いた近接戦闘術には繊細な魔力のコントロールが要求される。
力任せに魔力を込めれば威力は上がるが、体に身についた格闘術は使えない。
とくに明乃のように強大な魔力を持つ者はそのすべてを身体強化に回すことはしない。
自分の体を保護しなければいかず、魔力に振り回されるのは目に見えているからだ。
だが、明乃はそれをした。
「はぁぁぁぁぁっ……!!」
「力任せに殴る気ですか。それは策とはいいませんよ」
「どうでしょうか。試してみましょう」
明乃は右手で掌底を作ると、無造作に突き出す。
絶対にあたらない距離だ。
しかし、明乃の掌底が作った衝撃波はセバスチャンを大きく後退させる。
「なっ!?」
「まだまだ!」
明乃は左手で手刀を作ると、思いっきり横に振りぬいた。
嫌な予感を感じたセバスチャンはその場で伏せた。
先ほどまでセバスチャンの首があった場所をカマイタチが通っていく。
カマイタチはそのまま部屋の壁に大きな傷をつけた。
まともに受ければまずい。
セバスチャンはそう判断して距離を取った。
壁に接するギリギリまで離れ、明乃の一挙手一投足に集中する。
距離さえ離れていれば対応できる。身体能力に魔力を割いている明乃は自らをコントロールできず、高速で移動することはできないため距離を詰められることはない。
完璧な対応だった。ただの魔闘術の使い手が相手ならば。
「バインド・レイ」
明乃の手から放たれた光のロープがセバスチャンを壁に縫い付ける。
予想外の行動にセバスチャンは対応が遅れてしまったのだ。
そしてその対応の遅れは致命的な隙を作ってしまう。
「くっ!」
セバスチャンは明乃が衝撃波を飛ばしてくると思い、体中に魔力を巡らせてガード体勢に入った。しかし、明乃は衝撃波を飛ばさなかった。
そのかわり。
「あんまり生身の人に対して思いっきり撃つってことはしないんですけど……すみません。慣れてないので手加減はできません」
そう言って明乃は両手を前に出す。
そして朗々と詠唱を開始した。
「その雷は暗く、闇より深い。その雷鳴は千里を超え、粉砕の衝撃をもたらす」
「……なるほど。甘かったのは私のほうか」
部屋一杯に広がるほど黒い雷が明乃の両手の前に出現したのを見て、セバスチャンは苦笑する。
規格外の魔術師と聞いていた。しかし、魔術師はあくまで魔術師。この城の中では実力を発揮できはしない。
魔法も魔術も使わない。使えないと踏んでいた。
しかし明乃は無理やり使える体勢を整えてしまった。
それが規格外と言われる所以なのだと、セバスチャンはようやく察した。
「黒き雷よ、我が手に宿れ! ――黒雷閃――!」
黒い雷が迸り、セバスチャンはそれに飲み込まれる。
壁が崩壊し、セバスチャンはバタリと床に倒れこむ。しかし、セバスチャンはかろうじて意識を保っていた。
万全の明乃ならばありえないことだが、この土地がセバスチャンの命を救ったのだ。
同時にそれは明乃にとっても好都合なことだった。
「……姫殿下は城の一階にある隠し部屋におられます……」
「入り方は?」
「城に入ってすぐにある肖像画の裏です……」
「わかりました」
短い会話の後、明乃はすぐに部屋を出る。
上階まで引き込むのがグロスモント侯爵の目論見だと悟ったからだ。
ここまで来たルートを逆戻りし、集まりつつある兵士たちとも戦わなければいけない。
戦略家らしい周到な作戦だと思いつつ、明乃はエリスを連れて逃げる算段を考えながら下へと向かった。




