55.フラーウムの封印
びょうびょうと風が耳元を過ぎていく。
普段の飛行高度からするとかなり高めのこの位置は、黒竜の目立つ巨体であっても地上からは目の良い者でも点でしか確認できないだろう。
クルージュ国を見渡しながら、私は以前見た魔力線を探そうと地上に目を凝らしておりました。
そのいくつかが塗り替えられてしまったソレですが、封印が完全に解けて現れたり腐蝕の毒を呼び込める程には高まっていないはずだ。2か所、恐らく最後の要になっている所が分かったので、その位置を間違えないように呪符に刻んで印を付けた。
滑空して地上に戻る間、私は思いついた疑問をサラさんに尋ねて確かめることにしました。
「サラさん、地上の社を使った封印は、確かに解かれているようでした。でもフラーウムをこの世界に戻すにはまだ力不足なようですけど、そそぐ魔力次第で喚べると思うので警戒が必要な感じです」
「ええ。分かってる。フラーウムは起きてるわ。気配がするの」
「腐蝕の毒を呼び込む陣ですが、こちらもまだ半端な出来です。まだ向こうに手を付けられていない要になっている社を2か所ほど見つけました。どちらから行くべきか相談したいのですが……」
「あら。エルもベルナークも同時に行くべきと言うと思うわ。どっちに行くかだけ聞けばいいじゃない」
「分かりました、確認しますね私達は空いた方に行きましょう」
ベルナーク様とメル姐さんに合図を送ります。
声が聞こえる範囲に近づいてもらい、先ほどの話をしました。
ベルナーク様からは組み合わせに難色を示されたのですが、私と彼では戦力不足もある為このままの組み合わせになりました。メル姐さんも私とが良かったらしいのですが、私の補助魔法は魔法の補助よりも接近戦に向いている為こうなりました。
「これに位置情報を入れてあります。社の保護が完了したら連絡ください」
「気をつけろよ」
「勿論です。お気をつけて……」
情報を入れた魔石をベルナーク様に投げ渡し、お互いの無事を祈って離れる。
ベルナーク様とメル姐さんにお願いしたのは王宮の西側にある森の中にある社、サラさんと私の行先は王宮の北側、湖の中にある離宮。封印の最後の要になっている地と亜空間と地上世界との隔離を担っている魔力の中心地です。
今はまだ動きはないが、いつ奴らが現れるか分からない。私は内心焦っていました。
「サラさん、急ぎましょう」
「任せて」
風の補助に意識して力を流す。離宮までの最短距離を、無心で駆け抜けた。
湖の畔にあるその建物は、二階建ての瀟洒な造りだった。
建てられた歴史は分からないけど、王族が作ったと分かるこの国の紋章に、この先に起こるであろう失礼を詫びる。
私達は建物の上空で佇み様子を見ていた。
「それで、何処なの?」
「ちょっと待ってくださいね」
目をつぶり、意識を凝らす。
嫌な予感は正しく当たり、建物の下、恐らく地下を示していました。
「……建物地下と言ったら、サラさんドウシマスか?」
「邪魔なものを壊すわね」
「いや、あの、それで封印が解けちゃ困るので、静かに潜入してみませんか?」
「……分かったわ」
面倒ねと言われても、堂々と入るには私達の身分では無理がある。こっちをベルナーク様に任すべきだったかと後悔するも仕方がない。
建物の裏地に降りてもらう間に隠形、気配希薄化、消音、視覚阻害をかける。
地上に着いてすぐ、サラさんは前に見せてくれた黒髪の女性の姿になった。
「裏口からコッソリ行きます。ついてきてください」
格好良く鍵のかかった裏口を開けようとしましたが、私のピッキング能力では開きませんでした。
四苦八苦していると、見かねたサラさんが鍵穴に手を触れる。
パキンッという金属の折れる音がしたと思ったら、扉がキイと開きました。
サラさんを見ると、どや顔です。
「……壊しました?」
「ありがとうが先じゃない?緊急時に悠長な事が出来るとでも?」
「そ、そうですけど、後々問題な気が……」
「悪意を感じるわ。急いで。解放されたらお仕舞いよ」
サラさんの言葉に、話を切り上げて中に入ることにしました。
扉を開けて、するりと体を滑り込ませる。
壁にへばりつく私を横目に、彼女は堂々と入ってきました。
「あら、貴女が術をかけたんでしょう?堂々となさい」
……私の力では、彼女の存在感は消せなさそうです。
諦めて、普通に地下への道を探し始めました。
意外にも、建物内に人の気配はありません。
ここを利用する時期じゃなかったんですかね?運が向いていました。
入ってすぐの厨房近くの地下倉庫は、長期保存の瓶以外何もありませんでした。
順に巡りましたが怪しいところが見つかりません。1階の部屋数は少ないので、後調べていないのは二つある客室のみになった。
サラさんは躊躇いもなく一つの客室を開け放った。
何の事無い客室ですが、足元のカーペットが抉れて地下への階段が剥き出しになっておりました。
「ちっ!」
先を確かめずに駆け降りるサラさんを一人にする訳にはいきません。私も慌ててついていきました。
真っ直ぐ続く暗い階段を壁伝いに下りていきますが、人間の私には光無しにはかなり厳しい。
引き離されましたが、1階分位だったのであまり離れずに済んだのは幸いです。
すぐ追いついて、地下室の入り口に立ちすくむ彼女の脇から中を覗くことが出来ました。
「遅かったな」
正解と言わんばかりに中の人から拍手をもらいました。
その人は、一人用のソファに寄りかかるようにして立ってこちらを見ています。
かがり火の影になって姿がボンヤリとしか見えないが、声で誰かは分かってしまいました。
「……貴方は、何故ここに?」
「勿論、封じを解きに」
ですよねぇ。
「そういうアンタらは、何でかな?」
「見ての通りよっ!屑が!」
言うが早いか、サラさんが槍を作り出して彼に襲いかかる。
かの人はふわりと羽ばたいてもう一つの部屋の角まで逃げました。
「アンタ達は運が良い。向こうはバルが行ってるから相当手こずってると思うよ」
彼はそう言うと、手持ちの水袋を破いて中身をぶちまけた。血臭が辺りに広がる。
何を?と言うまでもありません。血を媒介に、魔を呼び込んで封じに亀裂を入れたのです。
彼は、あどけない顔に酷く似合わない歪んだ嗤いをを浮かべておりました。
「キーヴァルレインッ!」
「サラグラル、残念だが俺はただのキーヴァだ。……主が呼んでるからまたね。ああ、早く逃げないとアンタらも取り込まれるよ。じゃあね」
サラさんの槍を避けきったキーヴァ君は、言うだけ言って空間を渡って行ってしまいました。
ふいに、ジジジ…と何か布のようなものが引き裂かれるような音が響きました。
その直後、突然ぶわんと視界が黒く歪む。とっさに球状に張った防御壁が、ぐにゃりとたわむほどの衝撃が加わった。
サラさんが舌打ちして身構える。
「楔に使われてたのはフラーウムの穢れだったのね。……厄介だわ」
ケガレ、それが何を意味するのかはすぐ判りました。
土埃の中からズシャリ、と重い足音が響く。
腐蝕の毒から作られた魔獣なんかよりも濃い魔力から出来上がった混成魔獣は、ともすれば黒竜のように禍々しい気を発していました。
……あれ?こんなのに似てるって事は、姐さんって実はアーテルの穢れだったの?
「外に出るわ。捕まってて」
私が迷子の混乱思考になっている間に、サラさんは脱出に意識をもっていったようです。
金に眩く輝いたと思ったら、竜化して地下から建物を破壊して飛び出しました。……右手に私を握りこんで。
グアアァァァーーッ!!
サラさんの術で更に崩れ落ちつつある建物の真ん中で、魔獣の咆哮が轟きました。
折り重なる瓦礫がカッ!と輝いたとたん、塵と化します。
上空からそれ眺めていた私達に、奴は翼を広げて飛び立とうと準備していました。それを私が風の術で邪魔をする。
「威力ありますねー……」
「地の力が主だから私の力は効きにくいの。厄介だわ」
私の唯一攻撃補助にも使える風の術は、とりあえず奴の飛行を邪魔できたようです。しかし、地の属性との相性は良くありません。決定打に欠ける戦いに、長期戦の予感しかしませんでした。
選択肢は3つ。戦う、逃げると、あと一つでしょう。
「封じが解けちゃった今、ここで出来る事ってあと何がありますか?」
「こいつを倒す以外は無いわね。」
「ベルナーク様とメル姐さんだったら、この魔獣によく効く術とかありますかね?」
「……属性的には微妙だけど、私たちよりはマシな筈よ」
「では、コイツごと飛びましょうか」
ここで戦う気だったサラさんは面食らったようです。
思わず避けるのを忘れてこちらを見ていたので、私が慌てて防御魔法を展開して奴の爪による攻撃を防ぎました。
サラさんはまた奴の気が逸れない程度に逃げる。
「飛ばせるの!?」
「試して駄目だったら次を考えましょう!私を降ろしたらできるだけ気を引いといてください」
サラさんが奴に仕掛けにでたタイミングを見て手から転がり落ちた私は、ポチに飛び乗り急いでその場を離れる。
竜対キメラ戦を横目に眺めながら、私は加護札に増幅の呪を唱えて魔力軽減をかけた。それに改良した転移の術を載せる。
すると、札が焼けつきそうな程の熱を発しだした。まずい。何が悪かったのか、許容量超過の現象が出てきてしまいました。このままでは暴発してしまう。
「サラさんッ!」
切羽詰まった私の声に、彼女はチラリと視線を寄越す。逃げの一手だった彼女は、いきなりキメラの首裏に噛みつき体を巻き付け反撃を阻止する。そうして私の近くの地面にキメラを叩きつけた。
反撃される前にと急いで駆け寄ったが、奴の右手が振り上げられたのを見て作戦変更。私に向かってくる腕に対して札の力を解放することに決めた。
「転っ!!」
「アスランっ!」
キメラの手が私にぶつかった瞬間、ゴアッ!と激しく風が舞う。そこで、私の視界は真っ白に染まりました。
次に気がついたのは、メル姐さんの腕の中でした。
姐さんが居るという事は、どうやら転移は上手くいったみたいでしたが……それからの状況がまるで分かりません。声を出そうとして、むせってしまいました。
「……良かった。アンタいきなり現れたと思ったら、派手に吹っ飛んだんだからね。無茶苦茶よ」
そう言いながらも彼女は必死で液剤を私に振りかけている。どうやら傷薬の類のようでした。
そろりと自分の身体に魔力を流すと、左腕の骨折と切り傷擦り傷打撲痕位で少しホッとする。
けほこほ言いながらも自分に癒術を施して状態を整えました。
「突然目の前に現れたと思ったら、アンタがあのキメラに吹っ飛ばされる所だったのよ。受け止めたベルの反射神経に感謝しなさい」
「……ベルナーク様は?」
そこ、と顎で指された先で、ベルナーク様はキメラと対峙していました。キーヴァ君が言っていた通りバルストロードが居たが、彼はサラさんに押されて余裕が無さそうだ。
「すいません………キーヴァ君に封を解かれました。あの混成魔獣は、サラさんが言うにはフラーウムの穢れだそうです」
「悪いけど、こっちも駄目そうよ。アンタと混成魔獣の血でさっき亀裂が入ったわ」
言いながら、姐さんはバッと右手を振る。サラさんと戦っているバルストロードの後ろに魔法陣が現れ、水槍が飛び出す。間髪入れず足元に出来た魔法陣から雷が走り、水を滴らせながら逃げるバルストロードを捉えた。
一瞬、彼の動きに違和感を感じた。
「トアレグが心配だわ、早く終わらせましょう。アンタはベルに付いて」
「はいっ」
ちょっとふらっとしましたが、後方支援の分には問題ありません。私は支援の魔法を唱えながらベルナーク様の所に駆け出しました。
「無理すんなっ!」
私の姿を見て開口一番怒鳴りつけてきたベルナーク様に、答える代わりに補助魔法を当てつける。
答えるつもりは無いので、続けざまに呪を唱えた。
相手が相手なので、彼もそれ以上気を散ることが出来ません。補助の分だけ余裕が出てきたため、次第にキメラを押しはじめました。さぁここからは時間勝負です。
「一気に倒しちゃってください!風!!」
覚えたての風の精霊魔法をベルナーク様に向けて開放しました。
渦巻く風に炎を纏わせ、かの人はキメラの真正面に剣を構える。
師匠作成のその細い剣は、残像を虹色に輝やかせてキメラを真っ二つに切り裂きました。
ゴウッと遅れて風が間を走り抜け、二つに分かれたキメラがゆっくりと離れていく。それは、ばたりと地に倒れてから血を噴きあげました。あっけないキメラの最期をぼーっと見ている間に、バスルトロードの「ヴァイラス様っ」というくもぐった声がして、ベルナーク様がいつの間にか彼をも斬っていたことが分かりました。
私の身体から魔力が抜け去って、補助の術が解ける。
くたりと座り込んだ私は、社から聞こえたパキ…ィィンという澄んだ音を最後に意識を飛ばしてしまいました。
――フラーウムを抑えていた最後の封じが、解けた。




