その頃のししょー。その6
長く落ちた沈黙を破ってゆっくりと立ち上がる彼女を、オルフェーシュは固唾をのんで見守っていた。
しっかりと立ち上がった老婆からふいと圧迫が消えた時、彼は彼女から懐かしい暖かさを感じて瞬いた。
「………わしはそれが運命だと、掲示されはしたがの」
老婆は椅子に立ち寄り白い鳥を腕に受けて撫でる。鳥は目を細めてクルルと鳴いた。
「わしも姫も、お主やあの子を巻き込みとうなかった。ぬしらはぬしらとして、あるべきじゃ」
「貴女は………」
彼女たちは例え無駄と知りつつも、恐らく今までも様々な運命を回避しようと画策していたのであろう。
運命は定まった物だと受け入れられない部分が反旗を翻すには、先読みの者同士の協力が必要だったのかもしれない。
「わしらの願いなぞ微々たる力も無いかもしれんがの、それでも願わずにはいられんのじゃ」
地図を取り出しテーブルへと無造作に広げながら、彼女は語りだす。
向こうの世界であった箱庭の始まり、5竜の中にあった確執とギ族の誘い、シ族の姫と緑竜の痕跡、地竜の隠していた力。
「おそらくあの世界の繋ぎの竜は、全て御柱の竜に吸収されて欠片すらおらぬ。アレが居ない事には姫の願いも叶わんでな、お前にはこの世界に渡ったアレの欠片を連れ帰ってもらう必要がある。それがココにいる」
老婆は地図の一点を指さす。この地の北部、入り組んだ海岸線とほど近い山間部だ。
「アレは姫に飛ばされてから呼ばれるのを夢見てずっと眠っておる。暁が応えているのなら、連れて行けるはずだ。今度こそケリを付けさせてやれ」
「微力ですが、最善を尽くしましょう」
◇
急ぎ旅装を整えたオルフェーシュがその地に着いたのは、異界の門が開くと予言された前々日だった。
焦る心を抑え、意識を研ぎ澄まして本能の赴くままに足を進める。
岩場を渡り、丘を登り、日が暮れかけた頃に自然が作り出した人除けの結界を見つける。
そしてそこを抜けた先に、竜が居た。
巨大な洞を埋める巨体は、草萌えいずる緑。2本ある角は片方が折れているがそれ以外に外傷は見当たらない。黒の鬣と両腕に隠れた頭や腹は呼吸を止めているかのように動きは無かった。
手を当て魔力を流して探る。今まで竜医として行っていた治療の過程を辿り、かの竜を診た。しかし竜は微動だにしなかった。
「貴方は…………何を待ち望んでいるのですか?」
目覚めを望んでいないかのような竜へ、彼は言葉を掛ける。
「私は、貴方や貴方の姫が守ろうとした世界へ戻ろうと考えています。入り口はここでは無いので動かねばなりません。……力を、貸して頂けませんか?」
動きの見えない竜に待つことしかできないオルフェーシュは、そのまま野営の準備へと入った。
洞の前で焚火をし、揺らめく炎を通してかの竜を見る。動かないそれは、彼には何もかもを諦めているように思えた。
外套に包まり星々の煌めきを見上げる。今頃弟子はどうしているのだろうか。
意識を飛ばしたつもりは無かったが、いつの間にか眠りに落ちていたのだろう。彼は夢を見ていた。
古い、教会だった。
優しい光をこぼすステンドグラスの淡い濃淡に隠れて、壇上に白にも見えるアッシュブロンドの乙女が膝をついていた。顔の前で手を組み、一心に祈っている。
入り口から黒髪の青年が入ってきた。こつこつと足音を響かせ少女の側にくると、彼も祈りの体制をとる。
彼女は彼の祈りが済むのを待って、立ち上がった。
彼女は髪を一束その場で切り、彼は胸の内隠しから竜の牙を取り出し、彼女の持つ小箱へと納める。
「これは共に在れと望む貴方と私の希望の欠片」
彼らの手で封じを施された箱は、祈りの間の祭壇へ安置される。
「ウィリディス、私達はこの戦いで命を散らす事になるでしょう。……でも無駄にはしません。
竜が自由に駆ける世界を、取り戻しましょう」
「竜の魂にかけて、貴女の願いを叶えよう」
少女の声に青年が応える。彼らの眼に、迷いは無かった。
朝露が顔にあたり、オルフェーシュは目を覚ました。太陽の光を横手に受けながら、洞を見る。竜に動きは無かった。
彼はふと思い出して、屋敷を出る直前に老婆から我らが記憶だと託された白い鳥の風切羽とおぼしき物を、竜の前に置いた。ひくりと、竜が動く気配がした気がする。
「今一度、私たちと共に運命に逆らって下さい」
彼の言葉にのそりと頭をもたげた竜は、煌めく新緑色の眼を細めて愛おしげにすりと羽根へ頬を寄せた。
羽根は彼に触れると光となって彼に纏い、消えてしまった。
「コレは俺の一部でしかない。力が足りぬ」
「構いません。貴方が貴方である限り、私たちの希望なのです」
「……かの地へ、共に還ろう」
そして、竜は空へと舞いあがった。




