1 穴倉
馬車が行き交う大通りを南に抜け、線路の高架下をくぐると景色は一変する。
薄汚れた看板を下げて連なる怪しげな店々。
あちこちで飛び交う罵声。
むせかえるような酒や煙草の匂いと、充満しきった不衛生の匂い。
虚な目をした路上生活者。
この街は、社会の闇そのものだ。
見通しの悪い路地を進み、さびれた安宿のさらに奥。
香辛料の香りに誘われてたどり着く異世界。
淀んだ闇の中、エキゾチックな行燈の明かりがぼんやりと浮かぶ穴倉。
それが阿片窟だ。
おれは慣れた足取りで阿片窟へと続く階段を下った。
煙に包まれた穴倉の中へ足を踏み入れると、東洋のドレスに身を包んだ美しい娘がこちらを振り返った。
「アレクシス、戻ったのかい。」
「メイティン、忙しそうだね。
何か手伝おうか。」
メイティンは額にかかった濡羽色の髪をはらって、「生意気だね。」と笑った。
メイティンはそう言うが、世話になっているのに何もしないのは座りが悪いから、おれはいつも通り掃除をすることにした。
「それよりアレクシス、あんたまた街を彷徨いてたのかい。
危ないっていったじゃないか。」
「平気だよ、歩いてただけだから。」
メイティンは「平気なもんか。」と呆れる。
「あんたに目をつけたカーマインって男はこの辺のごろつきを牛耳ってる奴なんだよ。
あんたみたいなのが街を歩いてりゃ、あっという間に身ぐるみ剥がされて売り飛ばされるさ。」
「おとなしくここに隠れてな。」と叱るのは、メイティンの優しさなのだと知っている。
3週間前、ごろつき達に追いかけられたおれを助けてくれたのがメイティンだ。
メイティンは、いくあてもないのに追われる身になったおれを拾って、この阿片窟に置いてくれたのだ。
メイティンのいうとおり、喧嘩なれもしてないおれは奴らに見つからないようここに隠れているべきなのだ。
しかし、そうもいかないのだ。
「わかってるけどさ。
引きこもってばかりもいられないんだよ。」
「生き別れの母親を探してるんだろ、もう何回も聞いたさ。」
おれは母のことを何も知らない。
どんな顔で笑ったのかも、どんな声で話したのかも、手のひらの温度でさえも知らない。
唯一知っているのは、おそらくこの阿片窟に出入りしていたということだけだ。
長椅子の上で、労働者たちが横になって長いパイプを咥えている。
彼らは気怠げに煙を吸い込む。
まるで、その瞬間だけがこの世の安らぎだというように。
母もそうだったのだろうか。
階段から足音が聞こえてきて、メイティンがそちらを見やる。
「おや、見ない顔だねぇ。」
階段を下りてきたのは、背が高く身なりのいい若い女だった。
どこかの屋敷の使用人、それもかなり上の立場とみた。
「カメリア様、お手をどうぞ。」
女はごく自然な動作で、後ろから来た連れをエスコートした。
連れは、上質なスカートをふわりと揺らして現れた。
「ごきげんよう、皆様。
お忙しい中失礼致しますわ。」
この薄暗い穴倉にまるで不釣り合いな、上品な挨拶が響いた。
貴賓溢れる仕草、柔らかなブラウンの髪、あどけない薔薇色の頬。
そのどれもがこの街から浮いている。
少女はあたりを見渡して微笑む。
「シュテルンベルク公爵家の娘、カメリアでございますわ。
私、あなた方に少々お聞きしたいことがございますの。」
突然の少女の来訪に、メイティンは顔を顰める。
「公爵家のご令嬢だって?」
おれはメイティンに、「巷で噂の悪女だよ、探偵らしい。」と耳打ちした。
公爵令嬢、カメリア・フォン・シュテルンベルク。
貴族でありながら、幾つもの難事件を解決した探偵。
血生臭い事件に好んで関わる悪女だと囁やかれるのを、おれも耳にしたことがある。
「へぇ、こんなとこまでやってくるなんて噂に違わぬ趣味の悪さじゃあないか。」
メイティンは悪態をつく。
「お嬢さん、うちの店はあんたみたいな気高いお方に来られちゃ商売あがったりなんだよ。」
カメリアは「お時間はとりませんわ。」と全く怯まない。
「私は行方不明になっている寄宿学校の生徒を探しにきましたの。」
メイティンは「それは無駄足じゃないかい。」と流し目をやる。
「寄宿学校のお坊ちゃんは穴倉には来ないさ。」
「もう見つけましたわ。」
カメリアは、品のある足取りでこちらに近づく。
彼女はおれの前の前で立ち止まり、そして言う。
「ランゲ男爵のご子息、アレクシス・フォン・ランゲ様は貴方ですわね。」




