第54話「それでも、繋ぐ」
夜は深かった。
街は静まり返り、誰もが眠りについている。
——はずだった。
「……ここなら」
小夜は、一人で社を抜け出していた。
誰にも気づかれないように。
特に——
迅には。
胸の奥が、少しだけ痛む。
それでも、足は止まらない。
「……まだ、足りない」
小さく呟く。
今日一日で、はっきりと理解してしまった。
神社勢力は、また来る。
しかも——
次は、もっと強く。
(あの結界だけじゃ……守りきれない)
だから。
やるしかない。
もっと。
深く。
強く。
「……繋ぎます」
社の奥。
神域の中心。
水月の気配が満ちる場所。
そこに立ち、小夜は静かに目を閉じた。
呼吸を整える。
意識を沈める。
そして——
“広げる”のではなく。
“潜る”。
「——……っ」
一気に、感覚が引き剥がされる。
地面。
水。
空気。
人の気配。
街全体が、流れ込んでくる。
「……っ、は……」
重い。
これまでとは比べものにならない。
けれど——
(まだ、いける)
小夜は、さらに深く潜った。
“繋ぐ”対象を増やしていく。
一点ではなく。
面でもなく。
——層。
神域を“重ねる”。
現実の上に、もう一つの層を築くように。
侵入されても、届かない。
壊されても、触れられない。
そんな領域。
「……これなら」
確信が生まれる。
守れる。
次も。
その次も。
——だから。
「……っ!!」
突然。
視界が白く弾けた。
感覚が、消える。
指先。
足。
自分の輪郭。
「……え……?」
わからない。
どこまでが自分で。
どこからが世界なのか。
境界が、曖昧になる。
(これ……は)
理解した瞬間。
背筋が凍る。
“繋ぎすぎている”。
自分が。
世界に、溶け始めている。
「……でも」
それでも。
手を止めることは、なかった。
「……大丈夫」
震える声で、呟く。
「……私は、ここにいる」
誰に向けた言葉かも、わからないまま。
さらに、力を込める。
神域が、完成に近づく。
街全体が。
完全に“守られた場”になる。
その代わりに——
小夜の感覚が、また一つ消えた。
「……あ」
足の感覚が、ない。
立っているのかも、わからない。
けれど。
不思議と、怖くなかった。
ただ。
静かで。
穏やかで。
「……これで……いい」
その瞬間。
——掴まれた。
強く。
乱暴に。
現実に、引き戻されるように。
「何やってる」
低い声。
聞き慣れた声。
「……迅……?」
焦点が合う。
そこにいたのは——
息を荒げた迅だった。
「……なんで」
言葉が、続かない。
見られたくなかった。
知られたくなかった。
「……なんでじゃない」
怒っている。
明らかに。
抑えきれていない。
「また、やってたのか」
小夜の体を引き寄せる。
その手が——
止まった。
「……冷たすぎるだろ」
声が、震える。
怒りじゃない。
恐怖だ。
「これ以上やったら……」
言葉を、飲み込む。
言えない。
その先を。
言いたくない。
「……やめろ」
それでも、絞り出す。
小夜は、ゆっくり首を振った。
「……やめない」
はっきりと。
迷いなく。
「必要だから」
その一言で。
空気が、完全に凍った。
「……俺は?」
ぽつりと。
落ちた言葉。
「俺は、必要ないのか」
小夜の目が、大きく揺れる。
そんな意味じゃない。
そんなこと、一度も思っていない。
でも——
言葉が出ない。
選べない。
「……っ」
沈黙が、答えになる。
迅の手が、離れる。
ゆっくりと。
決定的に。
「……そうか」
それだけ言って。
背を向ける。
今度は——
振り返らなかった。
「……迅……!」
呼び止める声。
届かない。
足音が、遠ざかる。
消える。
一人、残される。
静かな神域の中で。
小夜は、立ち尽くしていた。
(……間違って、ない)
そう言い聞かせる。
守るため。
ここにいるため。
全部、必要なこと。
それでも。
胸の奥が、痛かった。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
「……ごめんなさい」
誰にも届かない声が、零れた。
その指先は。
もう——
ほとんど、何も感じていなかった。
---
——守るための選択。
——失い始めた、繋がり。
そして。
迅は初めて、“手を離した”。




