5-3
道中は意外なほどに順調だった。
迷宮内にわき出すシルダットの魔獣たちは、イスリスには殺意をむき出しにして襲いかかってきたが、アーリィには毛ほどの興味も示さなかった。
イスリスが正面から押さえている間に、アーリィが仕留めるという方法を使えば、さしたる苦労もなく片づけることができた。
倒すことを考えず、防いでいればいいのだから、これほど楽なことはない。
シルダットの魔獣は、瘴気から無限にわいて出る存在だ。
地上や、迷宮上層で発生する個体には知性がなく、漆黒の肉体を持ち、そしてその中に、一個もしくは複数個の真紅の魔石が存在している。
打ち倒すと瘴気にかえり、魔石だけが残る。
この魔石には、瘴気の汚染を除去する力があるため、迷宮探索や危険域探索に必須のアイテムであり、高値で取引される。
が、そんなことは今関係ない。
必要量の魔石だけ持って、二人は先を急いだ。
「二人で戦うと、ずいぶん楽だな」
「恐れ入ります」
アーリィは、普段とあまり変わらない様子である。
緊張している様子もなく、瘴気渦巻く魔族の領域を、あくまで自然体で前に進んでゆく。
まるで、この場所こそが自分の本来の居場所であるとでも言うように。
その姿を見ていると、どうしても一つの疑問が浮き上がってくる。
魔導士とは一体何なんだろう?
魔導士とは、およそ二百年前、人の大半が魔族の家畜として飼われていた終末の時代に、生み出された、魔族の力を刻み込まれた人間である。
そんなことは、誰もが知っている。
しかし、人に魔族の力を刻み込むというのは、どういうことなのか。彼らは、本当はどういう存在なのか。
それを知るものは、彼らの生みの親以外には存在しない。
得体が知れない。だから、人は魔導士が怖いのだ。
彼らは人ではないのかもしれない。本当は魔族が人の皮をかぶって存在しているだけなのかも。
それが証拠に、見ろ。魔族の生み出す獣たちは、魔導士を決して襲わないではないか。
恐れながらも、人は魔族と戦うために、魔導士を使い続けざるを得なかった。
しかし、今や戦争は終わった。
魔導士は、人にとって不要な存在になった。
「魔導士は、これからどうなるんだろう」
心に浮かんだ疑問を口に出してみて、少し後悔した。いかにも無神経な質問だった。
しかしアーリィの答えは、よどみなかった。
「新たに生み出されることは、おそらくもうないでしょう。すでに生まれた私たちは、分かりません。きっかけもなしには、廃棄されないとは思いますが」
それはつまり、きっかけさえあれば、殺されてしまうかもしれないということか。さすがにそれを聞くことはできなかった。
「君は、恨んでないのか?」
「何をでしょう」
「それは、今のこの状況とか。あるいは、自分を使う人間とか」
「分かりません」
「そういうことを、考えたことはない?」
「いえ、そうではなく。私には、恨むということ自体がよく分からないのです。最終ロットである私は、そのように作られましたので」
最終ロット。その言葉の意味は、イスリスにはよく分からなかった。だが、何となく反吐が出るようなおぞましさを感じた。
「君は、何か夢はないのか? やりたいこととか」
アーリィはそれには答えなかった。前に向き直って、耳を澄ませているようだった。
それでイスリスも気づいた。
前方から何か来る。
「ローズ様」
「うん。今までと同じ敵じゃなさそうだ」
奥へと続く迷宮の闇から現れたのは、異形の魔獣だ。
東部を切り落とした巨大な牛のような胴体。その背中から長くしなやかな触手が十数本生えて、うねっている。
触手の先には巨大な口が開いており、そこから獣のいななきがほとばしった。
全体のサイズは、これまでの魔獣より二回りは大きい。
複合型の魔獣だ。
二人は何も言わず散開した。
二人とも、戦闘者としては国でも屈指の実力者だ。ここまでの何度かの戦いで、互いの力量を把握し、無言で行動を示し合わせるくらいのことは、できるようになっている。
イスリスが前へ。アーリィは回り込んで魔獣の側面へ。
幸い通路は広さも高さも十分で、暴れまわるのに支障はない。
触手が大きくうごめいた。
天井近くまでまっすぐ掲げられ、先端をイスリスとアーリィ、両者に向ける。
そこにある口が大きく裂けた。
イスリスは顔を強張らせた。
口の中は、無数の赤い眼球で覆われていた。見られている。
「アアァァ……あアァワアァイあぁアアァィ……」
ただのいななきとは違う、何か意味のある言葉を放ったようだった。
大きな胴体がぼこぼこ泡立つ。ほとんど崩れかけた人間の腕が、そこから飛び出した。
しかし、波にのまれるように再び埋もれる。
また出てきた。今度は頭部だ。埋もれた。
先ほどと同じ叫びを、魔獣は再び放った。
全ての触手がぐるりとねじられた。イスリスではなくアーリィを注視している。
動きが止まった。
瞬間、上から雪崩れ込むように、巨大な質量が少女の体に殺到した。
「よけろ! アーリィ!」
油断していたわけではないだろうが、それでもほんの刹那、アーリィの反応は遅れた。
よけられない。
彼女はとっさに頭上に手をかざした。黒曜の盾が展開される。
巨大な黒い槍が、連続してそこに突き立てられた。拮抗は一瞬だった。
黒曜が無音で砕け、無数の結晶となって空に溶けて消えた。
だが、すでにアーリィは攻撃の範囲の外へと退避している。
槍が、床に突き刺さった。衝撃。土煙が派手に舞い上がった。
「無事か!」
「スイッチを!」
土煙の向こうから叫びが返ってきた。
囮役と攻撃役を切り替えようということだ。
「ああ!」
疑念はつきないが、全て後回しだ。
イスリスは腹腔から、するどく息を吐いた。額から紫電が走った。ほんの火花ほどのそれが、瞬く間に全身を覆った。
瞳が縦に割れて、翠色のドラゴンズアイが輝く。
槍を腰だめに構え、矢のように飛び出した。
静から動。初動から即トップスピードに乗った彼女の動きは、誰にも捉えられない。
突進の衝撃で風が荒れ、土煙が散らされる。触手を振り回すモンスターの威容と、黒曜の櫂に乗って触手の間隙を飛び続けるアーリィの姿が露わになった。
触手の二本が、イスリスの急接近に気づいた。
胴を守ろうと、その進路をふさぐ。ふさいだ時には、すでに手遅れだ。肉薄している。影すら捉えられない。
短槍が、半ばまで魔獣の胴に突き刺さった。悲鳴。触手が痛みにもだえ、イスリスに殺到した。
それも遅い。イスリスは短槍を手放して、その場を飛び退っている。
イスリスは姿勢を落とした。歯を食いしばり、底から膨大なエネルギーを召喚する。彼女の身を包む雷が輝きを増し、縦横無尽にのたくった。
抑えきれないエネルギーが、閃光となって周囲にまき散らされる。
触手が、おびえたようにふるえた。
イスリスがそれを指さす。存分に蓄積された雷が、そこから放たれた。
空気が悲鳴を上げて轟音となった。閃光はかすかに膨れ上がり、短槍目がけて収束した。
一瞬で魔獣の体内をズタズタに焼き尽くし、かすかな明滅を最後に、消えた。
がらん、と、短槍が落ちた。魔獣の姿は、すでにどこにもない。
イスリスは小さく息をついた。
アーリィが、軽やかに着地するのを視界に収める。怪我もないようで一安心といったところだ。
アーリィはイスリスの短槍に近づいていく。
拾い上げようとして、しかしどうしてか、その前に動きを止めた。
「どうしたんだい?」
アーリィは答えない。凝然と床に落ちている短槍を見つめている。
いや、違う。見ているのは短槍ではない。
その隣に転がる黒っぽい何かを、見ている。それは人型をしていた。
焼け焦げた人の死体だった。
イスリスは、そちらに駆け寄った。
死体は、黒い服を着ていた。もともと黒い服だったのか、それともそういう染みが着いてしまった結果なのかは、分からない。
しかしその背中に描かれているのは、霊峰キルクレアに下り立つ《竜神リンネ》の絵姿。
まぎれもない、イェルシェドの紋章だ。
そこに、大きく赤いバツ印がつけられていた。
「これは?」
アーリィが振り返り、イスリスと目を合わせた。その赤い瞳には、やはりどんな感情も浮かんでないようだった。
彼女は、短槍を拾い上げて差し出してきた。
「五年前、私が手にかけた魔導士の一人のようです」
「……」
「魔獣が、人の遺体を取り込むことがあるとは聞いていましたが、その死者の念に影響されるとは、知りませんでした。……この魔導士は、人間よりも私を恨んで死んだようです。だから私に襲いかかってきたのでしょう」
それだけ言って、あとは無言でアーリィは死体に視線を落とした。
四肢の二本を失い、肉は焼け落ち、ほとんど骨だけになった無残な死体。しかしどうしてか、それが苦しみにもだえているように見える。




