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5-2

 しかし、彼らが実際に動くことはなかった。

 敵が先手を打ったのである。


 突然、キリム・シャタールから、冒険者協会を通さず、トリニア・ギルドに直接の依頼が出されたのだ。それは《シルダットの毒迷宮》調査の護衛任務だった。


 慣例とか根回しとか、そういったものを全く無視した強行。

 それを成したのが、英雄騎士キリム・シャタールであるという事実に、神殿は大混乱になったが、その時キリムはすでに、トリニア・ギルドの戦闘員を全て連れて、迷宮内に侵入しており、事情を確かめることはできそうになかった。


 英雄の不自然極まる乱行に、神殿内では喧々諤々の論争となった。


「キリムは、一体何を考えているのか。狂ったのか」

「いや、しかし彼の守護騎士の断行だ。事情があったのかもしれぬ」

「迷宮内にて、何かのっぴきならない事態が起こって、それを察知したキリムが、動かせる戦力だけを連れて、向かったのでは?」

「それでは、今からでも応援を遣わした方がいいのか?」

「待て。状況の確認が先決だ」

「しかしその状況を、どうやって確認する」

「そうだ、そういえば今この都市に、例の銀剣の魔導士が来ているらしいではないか。関係があるに違いない」

「《赤錆》か。召喚するか」

「いや、仮にも銀剣。そうする権限は王以外に誰も持たない」

「くそ、魔族もどきの分際で」


 そうこうしている間に、キリムが残した書置きが発見された。


 そこには、混乱させたことに対する謝意。

 今回の強行は、何の根拠もないただの直感によるものであること。

 しかし、四十年の戦場暮らし、この直感には何度も命を救われたこと。

 必ず二日以内に帰還するので、それまで地上で静観してほしいこと。


 などが記載されており、不毛な議論に疲れていた面々は、ほっと息をついたのだった。


 キリムの地位や名声、そして二日という絶妙な期間。

 ひとまずは様子見をするという結論が下されるのも、やむを得ないことだった。


 二日間、迷宮への立ち入りは禁止されて、その出入り口には神殿兵による厳重な警備が引かれることになった。

 必然的に、その他の地区の警備は手薄になったが、大事の前の小事。気にする者はいなかった。





 イスリスにとっては青天の霹靂だった。

 誘拐事件を大過なく乗り越え、セリン・ギルド内の警戒網を構築し直し、それでは再び迷宮探索に取りかかろうかというタイミングで、迷宮への立ち入りが禁じられたのだ。


 少し探ってみたところ、原因はすぐに分かった。

 東部戦線の守護者、大戦の英雄キリム・シャタールが、トリニア・ギルドの戦士たちを軒並み引き連れて、迷宮にアタックしているというのだ。


 このタイミングで、横紙破りにトリニア・ギルドを使う神官である。誘拐事件の黒幕を連想せずにはいられなかった。


 まさかという思いはある。

 首都出身のイスリスにも、英雄キリム・シャタールの名前は大きく響いている。

 直接会って、薫陶を受けたこともある。


 第一、それでは理屈が通らない。彼が黒幕だったとして、誘拐事件を起こしたのは、都市の方針に沿わず、迷宮探索を進めようとする私を、止めようとしてのことだったはずだ。


 そんな彼が、なぜ迷宮探索に行く?


 どうもおかしい。何がどうなっているのか。

 嫌な予感がした。例の、銀剣の魔導士が迷宮に興味を示していたことといい、自分の預かり知らぬところで、何かとんでもないことが起きているような……。


 とにかく、情報を集めねばならない。


 アーリィ・アレンシャは、あの夜、子供たちを救出した後、気づいたら姿を消しており、今はどこにいるのか分からない。

 イスリスは、都市中央にそびえる神殿に歩を進めた。


 その道中、不意に背後からそでを引かれて、イスリスは振り返った。

 全身マントにフードをすっぽりかぶったあやしい人物がいた。


「な、何?」

「お話があります。こちらへ」


 その声で、不審者の正体が分かった。

 イスリスは黙って彼女の先導に従い、人気のない方に歩いていった。


 壁外西側の町の裏路地にひっそりとある、宿の一室に連れ込まれた。

 部屋に入ると、マントの少女は、扉に鍵をかけ、窓を閉め、照明に火を入れてから、ようやくフードを取った。アーリィ・アレンシャである。


「突然、申し訳ありません」

「いや、ちょうどよかった。現状を知りたかったんだ。君はどこまで把握してる?」

「どこまでも。おそらくは全てを」


 先日の秘密主義から一転、アーリィはなめらかに話し始めた。

 息も忘れるような話だった。

 中央と東部の政争など言っている場合ではない、八年前にやっと構築され始めた人間社会が露と消えてしまいかねない、危険な話だった。


 話が終わっても、頭を整理するのには少しの時間が必要だった。


「にわかには信じられない話だな。今も生きている魔族がいて、それが何年も、誰にも気づかれることなく、人の中に溶け込んでたなんて」

「ですが、真実なのです」


 淡々と話すアーリィは、確かに嘘をついているようには見えない。

 しかし、彼女の狡猾さをイスリスはすでに知っている。簡単に信じるわけにはいかない。


「キリム・シャタール。彼は、いつから?」

「詳細は不明ですが、終戦時にはすでに、魔族の手に落ちていたものと思われます。操られているのか、それともすでに殺されて肉体を利用されているだけなのかは不明ですが。おそらくもうそのお心は……」


 アーリィは言葉をにごした。言われなくても分かることだ。最低でも八年間、魔族にとらわれて、正気でいられる人間などいるわけがない。


「敵の目的は、赤い目のメドヴェを迷宮内にかくまって、力を取り戻させることだった。そういうことでいいんだね?」

「メドヴェも魔族も、今も迷宮にいるはずです。敵は、二日と期限を区切りました。二日の間に、何かが起こると考えてよいでしょう。もはや、後手に回るわけにはいきません。その前に叩く必要があります。ローズ様には、これから私とともに、迷宮に潜入していただきたいのです」


 どうするか。イスリスは逡巡した。

 彼女の話を信じていいのか。信じて、危険に飛び込むか。それとも慎重に裏を探るべきか。


 アーリィ・アレンシャという人間の実態は、今も闇の中だ。ほとんど正体の知れない人間の言うことを鵜呑みにして、迷宮の奥へ行くなど、狂気の沙汰だ。


 都合のいいことを、という思いもある。


 あの夜、迷宮探索するなら仲間になりたいと言った私を拒絶し、姿を消したのは君の方じゃないか。それで、状況が変わったから力を貸せなんてよく言えたものだ。


 しかしそういう狭量な思いがある一方で、幼い少女のように見えたあの夜の彼女の姿が、頭から離れないのも事実だった。


 自分は、甘いのか。

 しかし、心を閉ざした子供の関心を引くには、何度も扉を叩いてやらないといけないことを、イスリスは知っている。


 アーリィの扉は、まだ一度しか叩いてない。

 どれほどの危険があろうと、やるべきことは変わらないはずだ。


 結局、イスリス・ローズの答えは、初めから決まっているのだった。





 アーリィは、迷宮の入り口ではなく南へ向かった。


「どこへ行くの?」

「迷宮へ。ご存知の通り、正規の入り口は封鎖されておりますので」

「他に入り口が?」


 そんなこと、初耳だった。

 しかしアーリィは、よどみない足取りで歩いていく。


 壁外都市南の内周部。ミクズ川沿いの一帯には市場が広がっている。肉、魚介や農作物など都市でその日消費される食物の多くが、ここで卸される。

 日の出の頃には、人でごったがえす場所だが、日も高くなった今は人影もまばらである。


 その片隅、市場から少し距離を置いた場所に、さびれた便所があった。

 アーリィはまっすぐそこに入っていった。


 意外に匂いはなかった。糞溜めが空になっている。回収されたところのようだった。

 その空間に、アーリィは侵入しようとする。

 さすがにイスリスはあせった。


「き、君、何してるの?」

「この中に、入り口があるのです」

「意味が分からない。入り口って、迷宮の?」

「はい」

「待って。ここトイレだよ? なんでトイレに迷宮の入り口が」

「人の目につきにくい場所ですから」

「そういう問題なの?」


 釈然としないながらも、アーリィに続く。

 中身はなかったが、その空間に身を置くとさすがにたじろぐものがある。


「まさか、糞溜めの中に入る日が来るとは思わなかったな」


 思わずボヤいたイスリスを、アーリィが思いがけない強い眼差しで見つめた。

 彼女にそんな目をされるとは思わず、イスリスはぎょっとする。


「そのような発言は、すべきではありません。ここに身を置き、清掃される方を揶揄しているようにも聞こえます。人々の生活を守る、立派な仕事だと思います」


 イスリスは唖然として、アーリィを見返した。

 急にどうしたのか。自分の発言の何が、ここまで彼女の琴線に触れたのか。

 だが、確かに失言だった。


「ごめん。二度と言わない」


 アーリィは小さくうなずいただけで、それ以上は何も言わない。すでに何もなかったような顔で床に手を這わせている。


 その手もとを、イスリスはのぞき込む。

 べったりと染みのついた灰色の石材の中に、黒曜の輝きが混ざっている。


「これは?」

「入り口にふたをしてあります。よろしいですか?」


 アーリィが黒曜に触れた。

 瞬間、それは黒い靄へと変わり、彼女のかざした手の中に吸い込まれて消えた。


 床に穴が開いていた。ちょうど、人が入っていけそうな大きさの穴だ。


 深い。底がうかがえなかった。

 糞便の匂いとは違う、喉の粘膜がひりつく毒の風が吹き上がってきた。間違えようがない。これは、迷宮に立ち込める瘴気だ。


「本当に、迷宮に続いてるのか。どうしてこんな穴が。迷宮の外縁部は、グライン材で完全に囲まれているものだと思ってたんだけど」

「いえ、その通りです。この穴は、それをも貫いて続いているのです」

「グライン材を? まさか。どうやって?」

「高温で溶かしました」


 イスリスは思わず笑ってしまった。


「君も冗談を言うんだな」


 アーリィはにこりともせず、穴にロープを通している。


「お先にお降りください」


 イスリスはロープをつかんで、身をおどらせた。ふと穴の淵が目に入った。何の変哲もない自然石材。穴の淵が、ぐにゃりと不自然にゆがんでいる。


「……冗談だよね?」


 アーリィはやはり無反応で見つめ返している。




 迷宮の内部は、常よりも瘴気が薄いようだった。呼吸がずいぶん楽だ。

 視界もそれほど悪くない。


 しかしまるで安心はできなかった。

 足もとから、何か異様な気配がただよってくるのを感じた。

 はるか深い地の底で、何かが胎動している。その気配が壁や地面を伝って、地表部にまで届いている。


「メドヴェが復活しようとしてるのか?」

「かもしれません」


 イスリスのかたわらに、アーリィが静かに着地した。

 ロープを手繰り寄せて畳むと、彼女は天井の穴に右手をかざす。黒い靄がそこに貼りついて、黒曜の輝きとなって止まった。

 これで迷宮の瘴気が地上にもれることはないはずだ。


「ですが、敵も追い詰められているはずです。復活するにしても、完全なものにはならないでしょう。二日以内に討てば、それも阻止できるはずです」


 アーリィは、目を細めて迷宮を見回している。

 無表情であるが、どこか懐かしげに、そしてそれ以上に悲しみをふくんでいるように、イスリスには思えた。

 そうあってほしいと思う心が見せた、幻かもしれない。


 ここは、彼女の伝説が始まった場所なのだ。何十人という同胞を殺して、何とも思わない人間などいない。そう思う。いや、思いたかった。


 アーリィが明かりを掲げ持った。辺りから闇が払われる。


「行きましょう」

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