(4)退屈は最大の災い
グラディクト達が急転直下の事態に、己の不幸を嘆いている頃、一方の当事者であるエセリアは、自室の長椅子にだらしなく寝そべりながら、いかにも面白くなさそうに溜め息を吐いていた。
「退屈だわ……。外に出ると、例の件で根掘り葉掘り聞かれて、ウザくてしょうがないし……」
それを耳にした彼女付きの侍女であるルーナは、主に向かって呆れ果てた口調で述べる。
「またお嬢様の口癖が始まりましたね。あれだけの騒ぎを引き起こしてしまって、世間はいまだに騒々さが治まりませんのに」
「勝手に騒ぎを大きくしたのは、元婚約者様でぇ~す。私には、なぁ~んの責任もありませぇ~ん」
「困ったお嬢様ですね」
人づてに式典での暴挙を聞いてきたルーナは、苦笑いするしかできなかったが、ここでドアがノックされて、予定外の来訪者が来た事を告げられた。
「失礼します。只今、ミラン様とローダス様とイズファイン様がお出でになりました。応接室にお通ししても宜しいですか?」
一階から呼びに来た侍女の言葉に、エセリアは顔を上げて意外そうに瞬きした。
「三人一緒に? 珍しい事もあるものね。分かったわ。今下りるから、三人にお茶を出しておいて」
「畏まりました」
そしてルーナに手伝って貰って、手早く乱れた髪やしわになったドレスを整えてから、彼女は何食わぬ顔で応接室へと向かった。
「皆、久しぶりね。元気そうで何よりだわ。それにしても、三人で示し合わせて来たの?」
自分と個々での付き合いはあるものの、共通の親しい付き合いはなかった筈なのにと不思議そうに尋ねると、三人は互いの顔を見合わせてから、苦笑気味に述べた。
「そうじゃないんですが……。こちらに来る途中で、偶然顔を合わせまして」
「全員、そろそろ引き籠っているエセリア様が退屈していると思って、それぞれ気晴らしになる物を持参して、ご機嫌伺いに来たんですよ」
「皆、考える事は同じだったらしいですね。退屈していらしたでしょう?」
「それはもう。先程も、それはそれはダレ切ったお姿で、盛大な溜め息を」
「ルーナ?」
主が何か言う前に、しみじみとした口調で口を挟んできたルーナを、エセリアは軽く睨んだ。それでルーナが苦笑して口を閉ざすと同時に、この数年で格段に商売を拡充させ、王都内で自他共に一番の商会と名高いワーレス商会の当主子息であるミランが、持参した物をエセリアに向かって差し出す。
「それならちょうど良かったです。エセリア様、お待ちかねのエディタ・ランとマリーナ・ジンスの新作をお持ちしました。まだ店頭には出していない、刷りたてですよ?」
それを聞いた途端、彼女は歓喜の叫びを上げた。
「きゃあぁぁっ!! 待ってたのよ! これは例の続編よね?」
「はい。お嬢様が、続きを楽しみにしていると話したら、お二人とも『光栄です』と大変感激してくれまして。忽ち力作を仕上げて下さいました」
それを聞いて、エセリアが少々申し訳無さそうな表情になった。
「まあ……、なんだか急かしてしまったみたいで、申し訳なかったわ」
「エセリア様が恐縮する事はありません。何と言っても執筆者達の間では、あなたは《文聖》と呼ばれて崇拝されているんですから」
「だから何なのよ、その大袈裟すぎる呼称は。聞くたびに恥ずかしいんだけど?」
ミランが力説してきた内容に、エセリアが閉口しながら述べると、国教であるマリス教の総司教の息子であるローダスは、笑いながら宥めた。
「仕方ありませんね。エセリア殿は十歳にして、本と言えば聖典か歴史書か詩集位の物しか存在しなかった世間に、数々の型破りな作品を発表して小説と言う分野を確立し、娯楽として画期的な書籍文化を広めた功労者ですよ? 教会内にも、あなたの作品を愛読している方が何人もいらっしゃいますし」
「あの……、ローダス? 私が書いているのは、主に恋愛小説の分野なんだけど?」
「細かい所はスルーでお願いします」
「……そうした方が良さそうね」
色々突っ込みたい所はあったものの、ローダスの明るい笑顔に、エセリアは言葉を飲み込んだ。すると自らも騎士である騎士団長子息のイズファインが、控え目にミランに尋ねる。
「その他にも、エセリア様が考案した数々の玩具も、画期的な代物ばかりでしたから。あれで娯楽の種類が確実に増えましたね。それらやエセリア嬢の著作を独占販売しているワーレス商会は、こう言ってはなんだがかなり儲けているのではないのか?」
「気を遣って頂かなくて結構ですよ、イズファイン様。商会がボロ儲けをしているのは、誰が見ても明らかですから。今朝も父が『儲かって儲かってたまらんな!』とそっくり返って高笑いした挙げ句、反り返り過ぎで背後に転倒して、頭を打った位です」
「お大事にと伝えてくれ」
苦笑いで内情を暴露したミランに、イズファインも笑うしかなかった。そこで会話が途切れたのを見計らって、ローダスが金貨の入った皮袋と書類の束を取り出し、エセリアに差し出す。
「それでエセリア様、これがお預かりした資金でこの三か月で発生した利息と、追加運用した投資内容の決算書です。今回は随分利益が出ましたよ?」
「そろそろ出る頃だと待ってたのよ。きゃあぁ! ほんとに貸し出し金が増えてるし、利益も出てる!」
早速書類に目を通し、満面の笑顔になった彼女を見て、他の二人がローダスに感想を述べた。
「教会の金融業も軌道に乗って、順調そうですね」
「正直、教会が金貸し業をするなんて、初めて聞いた時は上層部の正気を疑ったぞ。それを陛下がお認めになったのも、驚きだったが」
それにローダスが真顔で頷き、同意を示した。
「私も最初に聞いた時は、耳を疑いました。ですがあの時エセリア殿の主張を聞いて、すぐに納得しましたよ。確かに寄進等で教会に金が集まっても、聖職者の贅沢品の購入や浪費に向けられるだけの一方、巷では法制化されていない為に、暴利を貪る闇金貸しが横行していましたからね。エセリア殿の法制度に向けての助言と進言、計画立案のおかげで一気に市場にお金が回る様になって、商売の範囲を広げたり独立する者も増えているそうです」
「だってボードゲームは老若男女で遊べるけど、やっぱり大人のゲームと言えばマネーゲームじゃない?」
「マネーゲーム?」
男達が一斉に怪訝な顔をした為、エセリアは説明するのも面倒くさいと、あっさり話題を変えた。
「あ、そうそうローダス。今度、保険業務も始めたらどうかと考えていたの」
「ホケンギョウム、ですか?」
再び聞き慣れない言葉が出て来た為、ローダスが戸惑ったが、エセリアは構わず話を続けた。
「ええ。詳しい内容を纏めた書類を作ってあるから、帰るときに持って行ってくれない? 後日、また王都教会に出向くつもりだけど、その前に総司教様に目を通しておいて貰いたいの」
「分かりました。早速父を初めとする教会上層部の面々に、内容を確認して貰います」
ローダスが頷いたのを見て、イズファインが感嘆の声を漏らしながら、自身の訪問の目的を口にした。
「教会も益々儲かりそうで、結構な事だな。ところでエセリア様、今回臨時で武術大会が開催される事になったのは、もうお耳に入りましたか?」
「え? 聞いていないわ。でもどうして臨時で?」
素で驚いた顔になったエセリアに、イズファインは含み笑いで詳細について告げた。
「あの間抜け王子が、他国の使者も居並ぶ前であんな暴挙に及んだもので、陛下達が火消しに躍起なんです。国内向けには騎士達に己の力量を誇る機会を、平民には更なる娯楽を与えて、新しい話題で打ち消す算段です。諸外国向けには新たに外国籍の参加者枠を設定して、その国自慢の猛者を送り込んで貰う様に要請中とか。それで諸外国でも我が国の話題としては、その武術大会の事が取りざたされる事になるでしょう」
それを聞いた彼女は、納得して頷いた。
「なるほど……。確かに以前から、諸外国の腕自慢の王族や貴族から、参加させて欲しいとの要請があったと、王妃様が仰っていたわね」
「それで武術大会と、トーナメントの仕組みを考案したエセリア様に、早速意見を聞いて来いと命令が下りまして」
「勿論、良い案だと思うわよ? ただ、そうね……。せっかく他国を代表して来て頂けるなら、その方にはある程度好条件を用意した方が良いと思うの。予め一回戦を不戦勝で上がる様に組み込んでおくとか、シード権を確約しておくとか」
「シードケン、とはどの様な事ですか?」
思いつくままエセリアが口にすると、イズファインが不思議そうに問い返す。それで我に返った彼女は、侍女に声をかけた。
「ええと……、これは書いて説明した方が早いわね。ルーナ!」
「紙とペンでございますね。こちらに」
何か言う前に、すかさず紙の束とペンを乗せたトレーを差し出してきた彼女に、エセリアは感心した声を出した。
「随分、用意が良いわね」
「お嬢様付きの侍女は、引継ぎ時に『いつお嬢様が妙な事を思いついて、紙とペンをご所望になっても良い様に、常に身近に揃えて置く事』と申し付かっております」
「妙な事って何よ、妙な事って……」
ぶつぶつ小声で文句を言いながら、エセリアが紙に書き込みながら説明を始めると、イズファインは真剣な表情でそれに聞き入り、ミランとローダスはそんな二人を微笑ましく見守った。
するとここで、エセリアの兄であるナジェークが、前触れ無しに現れる。
「やあ、勢揃いしているね」
「お久しぶりです、ナジェーク様」
「お邪魔しております」
「先程まで、城にいらっしゃいましたよね。公爵と共に、陛下と協議をされておられたのでは?」
怪訝な顔でイズファインが確認を入れてきた為、ナジェークは肩を竦めながら帰宅の理由を告げた。
「その協議が終了したので、私がエセリアに内容を伝えに戻ったんだ」
「協議? 私に関する事で、国政に関わる事などありましたか?」
「自分で言っておいて、何を言うのかな? 危うく君への慰謝料になりかけた、王太子領の話だよ」
半ば呆れながら兄が指摘してきた為、エセリアは漸くそれを思い出した。
「そう言えばあの時、あの間抜け面に少々苛つきまして、そんな事を言ってしまったかもしれません」
「エセリア……。それでどれだけ、城の文官が右往左往したと思ってる……」
既に高位の文官として勤務している彼が、額を押さえながら心底疲れた様に溜め息を吐いたが、エセリアはそんな事には構わずに、本題を口にした。
「それはともかく、それなら私の嫌疑は晴れたんですね?」
「当然だ。それと同時にグラディクト殿が王族籍から抜けて、生母の実家のバスアディ伯爵家の養子になる事が決定した」
それを聞いたエセリアは、意外そうな顔つきになった。
「あら、そうなのですか? でも、確かあそこの家には、れっきとした後継者がいるのでは?」
「そうだな。はっきり言って、素行不良の元王族を押し付けられても、ありがた迷惑でしかない」
「それならどうするのですか? 仮にも元王族を当主にもしないで遊ばせておいたら、世間体が悪いでしょう?」
そんな素朴な疑問を呈したエセリアに、ナジェークはグラディクトがバスアディ伯爵家からミンティア子爵家へ、更にジムテール男爵家へと押し付けられた経緯を教えた。そのたらい回しっぷりに彼女が呆れ果てていると、ここでイズファインが考え込みながらミランに尋ねる。
「ジムテール男爵家? 確かあそこは、結構羽振りの良いどこかの商会と、関係が無かったか?」
同じ商会同士、知っているかと尋ねると、ミランは即座に答えた。
「ええ。確か先代の男爵家当主が、ダネスト商会の当主の妹を妻に迎えましてね。それによって男爵家側は金銭的援助を、商会側は上流社会への伝手と信用を得たわけです」
「ですが両家とも代替わりしている上、他家に嫁いだ人間が産んだ、全く面識の無い娘とその“オマケ”に乗っ取られた形になった男爵家に、ダネスト商会がこれまで通り金銭を融通する筈もありますまい」
冷静にローダスが意見を述べると、それにイズファインが深く頷いた。
「元々ジムデール男爵家は領地が狭く、昔からこれと言った特産品も産業も無い。それで商家から妻を貰って色々便宜を図って貰っていたが、今後新男爵夫妻は貴族としての体面を保つ為に、さぞかし苦労するでしょうね」
「元王族としての最低限の立場は保証されたわけだから、不平不満など口にせず、感謝して欲しいものだな」
明らかに嘲笑混じりのナジェークの台詞に、エセリアは困った様に微笑んだ。
「本当に“最低限”ですね、お兄様」
「可愛い妹に恥をかかせようとした、愚か者だからな。自業自得だ」
(絶対、正式な処分が下る前に、各家に根回ししておいたわね。そうでなければ、処分が下った当日の内に、こんなにスムーズに養子縁組手続きなどできない筈だもの)
普段は温厚な常識人を装いながら、結構人が悪く抜け目がない兄の性格を知り抜いていたエセリアは、苦笑するしかできなかった。するとナジェークが、思い出した様に付け加える。
「それから……、さすがにザイラスを頂く事はできなかったが、慰謝料としてそれより広い土地を王家直轄領から割いて、お前に下賜される事になった」
「そうなんですか?」
「ああ。それに従い爵位も授与される。明後日にはお前は正式に、アズール伯爵様だ」
「それは凄い!」
「おめでとうございます、エセリア殿」
「あの間抜けな元王子などよりも、お前の方が領地の広さも爵位も上になる。どうだ、愉快だろう? 幾ら変に目立ちたく無いからと言って、お前が表に出なかったり偽名を使っていても、きちんと調べればどんな活動をして、どれほどの価値がある人間か判明するのに、本当に人を見る目がない男だったな」
そう言ってから、おかしくて堪らないと言った感じで笑い出したナジェークに、エセリアは少々困った様に相談した。
「お兄様。領地経営など、正直面倒だし荷が重いのですが……」
「言っておくが、拒否はできないぞ? 爵位と領地持ちと言う価値を付けた事で、婚約破棄などと傷がついたお前にも、好条件の縁談が来る様にとの、王妃様の心遣いだからな」
「そういう事でしたら、致し方ありませんね」
「安心しなさい。取り敢えずその領地は、エセリアが結婚するまでは私が管理するから。結婚する時に、持参金として付けるしな」
「宜しくお願いします」
そして素直に兄に礼を述べたエセリアは、三人に向き直って明るく声をかけた。
「今日はわざわざ訪ねて下さって、ありがとうございます。皆様のおかげで楽しく過ごせましたし、暫くは退屈せずにすみそうで、とても嬉しいです。これからも私を、退屈させないで下さいね?」
そう言って微笑むと、三人は揃って笑顔で請け負った。
「勿論です! 退屈して頂く暇なんかありませんよ?」
「こちらこそ、宜しくお付き合い下さい」
「エセリア殿にはこれからも、王国の指針になって頂かねば」
「色々手を広げるのも程々にな」
最後にナジェークが苦笑気味に付け加えてきたが、エセリアは笑って誤魔化した。そこで改めて周囲を見回した彼女は、ふとある事実に気が付く。
(あら? そう言えばこれって、ある意味逆ハーエンドって言えるのかしら? 私はヒロインじゃなくて、悪役令嬢のポジションだった筈だけど……)
しかし真剣に悩んだのは少しの間で、エセリアはすぐに考えるのを止めた。
(まあ、そんな些細な事はどうでも良いわね。楽しければ)
エセリア・ヴァン・シェーグレン、十八歳。
前世を思い出して十二年を経過した今も、彼女は相変わらず自分の趣味と娯楽の追究に血道を上げ、これからもそれは変わる事は無いのだった。
(完)
これでこの話は終了になります。色々頭の中に浮かんだエピソードはありますが、それを一々入れて書いたら収拾がつかなくなってしまうので。
相変わらず長台詞&説明文過多で、読みにくくて申し訳ありません。ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。
篠原 皐月