急速
古びたロッカーに無造作に置かれた衣類、少しさびたテーブル。
薄っすらと目を開けた詩衣は、見慣れない風景に不安が脳裏をかすめたが、その感情はすぐに解消された。
「…大丈夫?」
はい、と千里が渡したペットボトルの水を受け取り、ゆっくりと頷いた。
「ここは?」
「『エスポワール』の従業員控え室だって。」
今ひとつ事態を飲み込めていない詩衣にたいし、付け足した。
「健人さんがおぶってきてくれたんだよ。貧血じゃないかな?…詩衣、最近食欲なさすぎだし。」
そんなことないと言いかけたところで、この場にいるのが詩衣と千里だけではないことにやっと気づいた。
「…傑くん、浩介さん」
二人とも詩衣の意識が回復し安心したのか、肩の力が抜けたような表情をしている。
「ビックリしたよ!店についてすぐ詩衣ちゃんが運ばれてくるからさ…。」
とは言え、まだ興奮が覚めやらないのだろう。傑の口調はやけに早口だ。
そして、それには他の理由もあったということはこの時この場にいた全員が知る由も無かった。
「…篤紀は?」
詩衣は聞くか聞かないか少々迷ったものの、自分が店から飛び出したあとどうしたのか気になってしかたなかったため千里に尋ねた。
「…詩衣が店から出た後、すぐに帰ったよ。あの綺麗な人妻カノジョと一緒に。その後すぐに傑と浩介さんが到着したから、まるで入れ違いみたいな感じだったかな。」
詩衣のために、千里が事細かに状況を説明すると、横で聞いていた傑が口を挟んだ。
「…あのさ、たぶんその二人の男女が地下の階段から地上に上がって帰ろうとしているところを、俺と浩介さんちょうど見かけたんだけどさ…。」
浩介は静かに頷いた。
詩衣と千里も話の成り行きがわからず、ただ黙って頷いた。
「その男の方って…詩衣ちゃんの何?知り合いか何か?」
「元カレだけど。」
詩衣に変わって答えた千里は、それがどうしたのよ?と言いたそうな表情だ。
一方、それを聞いた傑は一瞬微妙な表情を浮かべ、また口を開いた。
「あのさ…、名前わかる?そのカップルの女の方…。」
千里が何だったっけ?と言いたそうに詩衣を見つめ、首を傾げているので今度は詩衣が答えることにした。
浩介は相変わらず口を挟むことなく、ただ黙ってことの成り行きを見守っている。
「たしか…華さん。」
「名字なに?…松田?」
詩衣は必死に記憶を手繰り寄せた。目覚めたばかりのためかイマイチ思考がおいついていないが思い出した。
以前、篤紀の携帯にかかってきた華の電話。
ディスプレイには確かに「松田華」と表示さそれていたことを。
詩衣は傑をみて、うんと言いながら首を縦に振った。
それを確認すると、傑はふぅーっと溜息を吐いた。
そしてボソッと「まじで華かよ…」と独り言を喋った。
その後傑は大きく息を吸い、詩衣に向かって話した。
「…俺の兄ちゃんの嫁だわ。そいつ。」