感情
酸欠になりそうなくらいの長い長いキスの間中、なにも無抵抗でいたわけではない。
けれども、突き放そうとすればするほど、その分だけ強く抱きすくめられるので、詩衣は抵抗するのを諦めた。
ふと、健人の力が緩み詩衣をそっと離すと、今度は急にしゃがみこんだ。
「あ…」
下にむけた詩衣の視界に写り込んだのは、健人に腕を引っ張られた時に落としたバッグ。
中身は飛び出していて…特にジュースを買うため開けっ放しにしていた財布は小銭が激しく飛び散っている。
衝動と驚きで、そんなことにさえ気づかなかった。
詩衣もしゃがみこみ、散らばった物たちを丁寧に集めた。
お互いずっと無言で張り詰めた空気が広がっているような気がした。
そんな状況を打破したのは健人の方だった。
「ねぇ…これちょうだい?」
そう言ってニコッと笑う健人の手の中には…浩介にあげるつもりだったバレンタインチョコレート。
「それ…健人さんにじゃないです。」
目線を合わせず答えた詩衣に、
「いいから。」
健人は声に力を込めてそう言った。
もう…
もう、自分の気持ちをこれ以上抑えるのが限界だった。
「なんで?なんでこんなことするの?…美奈子ちゃんといい華さんといい、健人さん凄い面食いじゃん?何であたしにキスなんかしたの?からかってる?馬鹿にしてる?未だに篤紀に未練たらたらなあたしを哀れに思ってる?」
詩衣は凄い勢いで、健人に幕したてた。
酷い形相になってるのは自分でもわかったが、それでも止められなかった。
…誰かに全部をぶつけたかった。
「…はい。」
健人は散らばった中身を全てバッグに戻し、それを詩衣に渡した。
詩衣は肩透かしをくらった気分でバッグを受けとった。
「…聞いてます?」
「聞いてたけど。」
そう言うと、健人は自分のポケットから財布を取り出し自販機に入れた。
ガシャンと音を立てて、出て来たジュースを「ほいっ」と言い、詩衣に軽く投げた。
危うく落としそうになったが、なんとかそれをキャッチした。
詩衣が無事にキャッチしたのを見て笑うと、再び健人は自販機に小銭を入れ、今度は自分の分のジュースを買った。
「そこ、座って飲もうか?」
健人はすぐそばのくたびれたベンチを指差した。
詩衣はただ黙って頷いた。
二人は並んで座り、ジュースを飲んだ。
相変わらずお互い口数は少ない。
健人がくれたジュースは、不思議なくらいサッパリした味わいで、ただの缶ジュースだというのに、詩衣の気持を浄化してくれる気がした。
「うたちゃんだって可愛いよ。」
「…へっ?」
「さっき言ってたじゃん、美奈子や華のこと。」
「あぁ…。」
「うたちゃんだって、まぁ可愛い方じゃね?」
…そう言うこと聞いてるんじないんだけどな。
そう思った物の、詩衣は口にはしなかった。
これ以上、健人のペースにはまるのがこわかった。
整った顔立ち、甘い声、何気なく優しい仕草。
これ以上二人っきりでいたら…取り返しのつかないことになるような気がした。
詩衣は残っていたジュースを急いで飲み込み、
「ごちそうさまでした。」
それだけ言うとたち上がろうとした。
しかしその時、急に目眩が酷くなり視界が暗くなった。
「あ!おい!うたちゃん!」
遠く遠くから健人の声が聞こえたような気もしたが、そのまま詩衣の意識は何処かに飛んでいった。