たのしい敬語講座
「ベル。今日は敬語の授業をします。」
ベルは、洗濯籠を抱えた姿のまま固まった。
今日は朝からよく晴れていた。
山の家の周りでは春の柔らかな風が吹き、庭へ張った綱にも十分な日が当たっている。この機会に大物をまとめて洗ってしまおうと、ベルは早朝から桶の中で毛布を踏み洗いしていた。
洗濯籠には、たっぷりと水を吸った毛布が二枚入っている。
非常に重い。
つまり、できるだけ早く干したかった。
「……また突拍子もないことを考えてるな。」
「突拍子はあります。」
「どこに。」
「ここに。」
小雪は、卓上に置かれた紙束を指差した。
そこには、ベルが王都の職人たちを集めて行う、発電機製作計画の素案が置かれていた。
来週には、初回の打ち合わせが行われる。
小雪の世界でいう、キックオフミーティングというものらしい。
「あなたが、いつもの三下オラオラ口調でチワワのように周囲を威嚇しないか、不安になりました。」
「俺は一体、お前に何だと思われてるんだ。」
「三下目、オカン科、乙女属、チワワ。」
「それっぽい単語を並べて、変な生き物を作るな!」
「変ではありません。ベルです。」
「なお悪い。」
ベルは深く息を吐いた。
腕の中の毛布から、ぽたりと床へ水が落ちる。
このまま立っていても、話が終わる気配はない。
ベルは諦めて洗濯籠を床へ下ろすと、小雪の向かい側にある椅子へどかりと座った。
「で、何をすればいいんだ。」
小雪は僅かに姿勢を正した。
「ヴェルヴァルド君。」
「な、何だよ。」
「これから、私のことは。」
「お、おう。」
「春野教官と呼ぶように。」
「……ここで俺が、小雪先生って呼ばされて妙にどぎまぎする展開はないんだな。」
「フラグは適宜、折って参る所存です。」
「……お前、たまによく分からん言い回しをするよな。」
ベルはもう一度、深く息を吐いた。
「分かったよ、春野教官。それで、結局何をするんだ?」
「これから私が言う言葉を、敬語に直して復唱してください。」
「……なんだろう。妙な胸騒ぎがする。」
小雪は小さく咳払いをした。
ベルは反射的に背筋を伸ばした。
自分でも、なぜ反応してしまったのか分からない。
これは、すでに何かしらの調教を受けている可能性があった。
「では、始めます。」
小雪は手元の書き付けをゆっくりと開いた。
表紙には、小さく丸みのある文字で、
『たのしいけいごこうざ』
と書かれていた。
「……字面からして不穏だな。」
「まずは初級編です。」
「聞いてねぇ。」
「敬語で。」
「お伺いしておりません。」
「よくできました。」
「始まってたのかよ!」
小雪は、手元の紙へ視線を落とした。
「『こんにちは。』」
「……ごきげんよう?」
「不正解です。」
「何でだ。貴族らしいだろ。」
「言葉を変えすぎです。こんにちは、で構いません。」
「敬語になってねぇじゃねぇか。」
「挨拶は、そのままでも失礼ではありません。」
「だったら問題にするな!」
「次です。『今日はよろしく。』」
「本日は、よろしくお願いいたします。」
「正解です。」
「何だ。簡単じゃねぇか。」
「調子に乗らないでください。」
「お調子にお乗りにならないでください。」
「今のは復唱しなくて結構です。」
「ご復唱申し上げなくても、よろしいということでしょうか。」
「……なんだか急に腹が立ってきました。」
「なんと、ご立腹でいらっしゃいますか?」
「……敬語で人を煽る技能は不要です。」
「お褒めにあずかり、光栄です。」
「褒めていません。」
「いえいえ、恐悦至極に存じます。」
「……ベル。」
「はい、春野教官。」
「慇懃無礼です。」
「どうしろっていうんだよ。」
「……。」
「どのようにいたせばよろしいのでしょうか。」
「……今のは正解です。」
「基準が分からねぇ。……いや、基準が分かりかねます。」
「それも正解です。」
「俺、才能あるんじゃないか?」
「敬語の才能はあるかもしれません。」
「だろ。」
「人間関係を円滑にする才能は今のところありません。」
「どういう意味だ!」
「そのままです。」
小雪は無表情のまま、紙を一枚めくった。
「続いて、中級編です。」
「……なんかもう嫌な予感しかしねぇな。」
「『では。説明を始めるぞ。』」
「……それでは、説明を始めます。」
「正解です。」
小雪は小さくごほんと咳払いして姿勢を正した。
「『ああ?そんなことも分かんねぇのか。』」
ベルは眉を寄せた。
「なんと? そのようなことでさえ、お分かりになられないのですか?」
「二重敬語です。」
「丁寧にしたのに。」
「敬語は、量を増やせばよいわけではありません。」
「多い方が敬ってる感じするだろ。」
「調味料と同じです。入れすぎれば不味くなります。」
「昨日、砂糖と塩を間違えた奴が言うな。」
小雪の手が一瞬止まった。
「続けます。」
「……今、目が冷たくなったぞ。」
「『さっき言っただろ。聞いてねぇのか。』」
「先ほど申し上げました。お耳に入っておりませんでしたでしたか?」
「後半が壊れています。」
「お耳へお入りになられませんでしたでしょうか。」
「敬語が渋滞しています。」
「じゃあどう言えばいいんだよ。」
「先ほどご説明しましたが、お聞きになっていませんでしたか。」
「大して変わらねぇ。」
「余計な敬語を外しただけです。」
「……つけたり外したり面倒だな。」
「調整が必要なのです。」
「発電機より面倒だ。」
「人間は発電機より複雑です。」
「……お前が言うと妙に説得力があるな。」
小雪は構わず次の文へ進んだ。
「『くそ、てめぇ、ふざけんな。』」
「くそ、あなた、おふざけにならないでください。」
「不正解です。」
「どこがだ!」
「冒頭の『くそ』が残っています。」
「そこだけか?」
「『てめぇ』を『あなた』へ変えればよいという問題でもありません。」
「じゃあ、どうしろと。」
「『恐れ入りますが、冗談はお控えください。』」
「同じ意味に聞こえねぇ。」
「社会へ出るためには、怒りを圧縮する必要があります。」
「俺はすでに社会へ出てる。」
「出ているだけです。」
「どういう意味だ。」
「続けます。」
「おい!だからどういう意味だよ!」
小雪は、無視してさらに紙をめくった。
「『おい、そこ邪魔だ。どけ。』」
ベルは少し考えた。
「……恐れ入りますが、そちらは通行の妨げとなっておりますので、ご移動いただけますでしょうか。」
「正解です。」
「できるじゃねぇか、俺。」
「調子に乗らないでください。」
「お調子にお乗りにならないでください。」
「……二度目です。繰り返しは不要です。」
「反復練習は大事だろ。」
「都合のよい時だけ学習熱心にならないでください。」
「ご都合のよい時だけ、学習熱心におなりにならないでください。」
「……。」
「なんだよ、実践的だろ。」
「完全に方向性を間違えています。」
小雪は、紙の端に何かを書き込んだ。
「今、何を書いた。」
「『敬語でも人格の歪みを確認。』」
「最早ただの悪口じゃねぇか。」
「次です。『いや、それはちげぇだろ。』」
「いえ、それは違います。」
「正解です。『いや、合ってるのか。』」
「いえ、合っているかもしれません。」
「正解です。『すまん、間違えた。塩だったか。』」
ベルは、何も考えずに口を開いた。
「申し訳ありません。間違えておりました。塩でしたね。」
そこで止まった。
小雪は無表情で、ベルを見ている。
「……これ、まさか昨日の仕返しか?」
「敬語講座です。」
「絶対違うだろ。」
「昨日の料理については、現在の授業と何ら関係がありません。」
「じゃあ何で例文に塩が出てくるんだよ!」
「日常生活に即した実践的な教材です。」
「私怨に即してるだろ!」
「続けます。」
「待て。今の件はちゃんと話し合おう。」
「昨日の料理は、美味しかったですか。」
「急に実地試験を始めるな。」
「敬語で回答してください。」
ベルは口を閉じた。
顎に手を当てながら、目を細め慎重に言葉を選ぶ。
「……昨日のお料理は、大変独創的なお味でございました。」
「不正解です。」
「何でだ!」
「独創的、で逃げました。」
「……じゃあ、正直に言っていいんだな?」
「敬意を保ってください。」
「敬意を保ったまま正直に?」
「はい。」
ベルは腕を組み、更にしばらく悩んだ。
「……昨日のお料理につきましては、食物としての既存の概念へ一石を投じる、非常に意欲的な一皿でございました。」
「不正解です。」
「まだ駄目なのかよ!」
「食べ物ではないと遠回しに言っています。」
「実際、食べ物かどうか怪しかっただろ!」
「敬語。」
「実際、食物とお呼びしてよいのか、判断に苦しむお品でございました!」
「丁寧になっただけです。」
「だから敬語講座なんだろ!」
小雪は紙の上へ大きく×を書いた。
「不合格ですね。」
「理不尽だ!」
「では正解例です。」
「あるのかよ。」
「『昨日は料理を作ってくれて、ありがとう。次は一緒に作ろう。』」
ベルは黙った。
「……それ、敬語の例題でも料理の感想でもねぇだろ。」
「人間関係を円滑にするための回答です。」
「……まずいものをまずいと言うことすら許されねぇのか。」
「私は、昨夜から少し傷ついています。」
「今言うのかよ!」
「敬語で慰めてください。」
「講座の内容が完全に変わってないか?」
「早く。」
ベルは深く息を吐いた。
「昨日は、言い方がきつくなって申し訳ありませんでした。」
「はい。」
「小雪が料理を作ろうとしてくれたことは、嬉しかったです。」
「はい。」
「味は壊滅的でしたが。」
「最後が不要です。」
「事実を曲げるな!」
小雪は、もう一つ大きな×を書いた。
「総合評価、不可。」
「一生合格できる気がしねぇ。」
「安心してください。ここからが本番です。」
「今までのは何だったんだよ。」
「昨日の料理に関する意見交換です。」
「やっぱり仕返しだったんじゃねぇか!」
小雪は、手元の紙束を入れ替えた。
新たに現れた表紙には、
『発電機製作計画・想定問答集』
と書かれている。
「ここからは、来週の打ち合わせを想定した実践訓練です。」
「最初からそれだけやれ!」
「まず、職人から予定より製作が遅れると言われた場合。」
「……何で遅れるんだ。間に合わせろ。」
「不正解です。」
「……まだ敬語にしてねぇだろ。」
「考える前の第一声として不正解です。」
「俺の思考まで採点するな。」
「敬語へ変換してください。」
ベルは少し考えた。
「製作に遅れが生じていらっしゃるのは、どのようなご事情でございますか。」
「丁寧すぎます。」
「お前が丁寧にしろって言ったんだろ!」
「王族への奏上ではありません。職人への確認です。」
「では、製作に遅れが出ている理由を教えていただけますか。」
「正解です。」
「待て。これは確かに起こりそうな問題だが……その後、理由を聞いたらどうするんだ?」
「一緒に対応策を検討します。」
「それでも間に合わないと言われたら?」
「工程を見直します。」
「それでも駄目なら?」
「ベルが手伝います。」
「最初から俺が働くことになってんじゃねぇか!間に合わせろじゃ駄目なのかよ!」
「最も確実な解決策です。」
「俺は製作責任者であって、何でも屋じゃねぇ!」
「三下オカン乙女チワワ兼、何でも屋兼、製作責任者です。」
「変な肩書きを増やすな!」
小雪は次の想定問答へ移った。
「次。職人が、同じ質問を三回した場合。」
「……さっきから二回も説明してんだろ。頭に入ってねぇのか。」
「敬語にしてください。」
ベルは、少し考えた。
「大変恐れ入りますが、先ほどから同じご説明をしております。内容につきまして、一体どの辺りがご不明でしょうか。」
「正解です。」
「できるじゃねぇか。」
「ただし、目つきが不正解です。」
「目つきは敬語と関係ねぇだろ。」
「周りを威圧しています。」
「生まれつきだ!」
「では、微笑んでください。」
「こうか。」
ベルは口角を上げた。
小雪は数秒、その顔を観察し、そっと目を逸らした。
「間違いなく、悪事を隠している人の顔です。」
「どうしろってんだ!」
「無表情でお願いします。」
「……俺の顔ってそんな酷いのか?」
「次です。職人が設計図を見て、こんなものは動かない、と言いました。」
ベルの眉がぴくりと動いた。
「……根拠を言え。」
「敬語で。」
「そのようにお考えになった根拠を、ご説明いただけますか。」
「正解です。続いてそこで、『計算式の前提が間違っている』と返答がありました。」
「どこが。」
「敬語。」
「どの部分に誤りがあるのか、ご教示いただけますか。」
「ここです。」
小雪は、図面の一か所を指差した。
ベルが覗き込む。
「そこは合っております。」
「間違っています。」
「合っています。」
「間違っています。」
「……合ってるって言ってんだろ。」
「敬語が消えました。」
「お前が間違った指摘をするからだ!」
「実際の会議でも、相手が間違っている場合はあります。」
「……こちらの数値は、この条件を前提として算出しております。再度ご確認ください。」
「正解です。」
「完璧だな。」
「顔が、『それでも分からなければ工房から追い出す』と言っているので、不完全です。」
「だから顔は関係ない!」
「大いに関係があります。」
「面倒くせぇな、人間!」
「発電機より複雑です。」
「この話、さっきもしたぞ。」
「敬語。」
「先ほどお伺いしております!」
「よくできました。」
ベルは、気を取り直して少しだけ得意そうな顔をした。
小雪は次の紙をめくった。
「では、職人が設計図の上へ飲み物をこぼしました。」
「何してやがる!」
「不正解です。」
「無理だろ、そんなの!図面汚されたら!」
「敬語にしてください。」
ベルは、額へ手を当てた。
眉を顰めつつしばらく考える。
「……大変恐れ入りますが、今すぐ設計図から離れていただけますでしょうか。」
「はい。」
「私が冷静さを保てているうちに。」
「丁寧な脅迫です。」
「これが限界だ!」
「相手の安全を考慮している点は、一応評価します。」
「評価されてる気がしねぇ。」
「次です。職人が、『こんなものは魔法を使えば簡単だ』と言いました。」
ベルの顔から、すっと表情が消えた。
「……なるほど。」
「どうしましたか。」
「いや。これは敬語の使いどころだな。」
ベルは姿勢を正した。
「ご意見をいただき、ありがとうございます。」
「はい。」
「しかしながら、本計画は魔素の消費を抑え、魔法に依存しない社会基盤を構築することを目的としております。」
「はい。」
「その目的をご理解いただけない場合は、今回の製作から外れていただいても一向に構いません。」
小雪は、少しだけ目を細めた。
「正解です。」
「完璧だろ。」
「言葉遣いは、完璧です。」
「……ほかに何がある。」
「声から殺意が漏れています。」
「漏らしてんだよ。」
「意図的でしたか。」
「敬語にすれば何を言ってもいいんだろ。」
「よくはありません。」
「いいだろ!」
「最初に言いました。敬語とは、相手を敬う言葉です。」
「そうだったか?」
「はい。」
「でもお前の想定問答、相手を敬える場面が一つもないぞ。」
小雪は手元の紙を見た。
「……たしかに。」
「今気づいたのかよ!」
「ベルが言いそうな言葉を、先に書き出したので。」
「お前の中の俺を、いっぺん確認したいな……。」
「確認しますか。」
小雪は紙を一枚、ベルの方へ向けた。
そこには、
『想定される発言』
として、
『何で分からねぇんだ』
『一度で覚えろ』
『計算し直せ』
『設計図を読め』
『ふざけるな』
『帰れ』
と並んでいた。
「俺、こんなこと言うか?」
「言います。」
「最後の帰れはさすがに言わねぇだろ。」
「先月、商人に言いました。」
「あいつは部材を三倍の値段で売ろうとしたからだ!」
「事情は存じています。」
「だったら書くな!」
「だからこそ、敬語が必要なのです。」
ベルは紙へ視線を落とした。
しばらく考えた後、低い声で呟く。
「……確かに、初対面で帰れはよくなかったな。」
「今後のことを考えれば、そうですね。」
「お引き取りください、ならいいのか?」
「……違います。」
「敬語って本当に難しいな。」
「……ベルが難しいのです。」
小雪は紙束を閉じた。
「では、最終試験を行います。」
「まだあるのか。」
「私が職人役をします。ベルは、発電機製作計画について説明してください。」
ベルは深く息を吸った。
椅子へ座り直し、発電機の素案を手元へ引き寄せる。
「本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。」
「はい。」
「今回製作する発電機は、水車の回転を――」
「何で水車を使うんですか。」
「今から説明する。」
「敬語。」
「これからご説明いたします。」
「水車が止まったらどうするんですか。」
「その点については資料の四頁に――」
「四頁はまだ見ていません。」
「見ろ。」
「敬語。」
「ご覧ください。」
「文字が多いです。」
「読め。」
「敬語。」
「お読みください。」
「図が小さいです。」
「近づけ。」
「敬語。」
「お手元へお寄せください。」
「紙が少し曲がっています。」
「知らねぇよ!」
「不合格です。」
「お前みたいな職人がいるか!」
「様々な参加者を想定しています。」
「参加させるな、こんな奴!」
「敬語で。」
「このような方のご参加は、ご遠慮いただけますでしょうか!」
「自分から退出を求めましたね。」
「もういいだろ!」
ベルは額へ手を当てた。
そして両肘を机につき、額をそっと手に当て視線を下げる。
「俺、来週本当に大丈夫なのか……?」
「文法は問題ありません。」
「……おう。」
「語彙も十分です。」
「だろ。」
「しかし敬意が足りません。」
「……それは、一番大切なんじゃないのか?」
「はい。」
「先に言え!」
「言いました。」
小雪は、最後の評価欄へ書き込んだ。
「総合評価を発表します。」
「聞きたくねぇな。」
「文法、優。」
「おう。」
「語彙、優。」
「だろうな。」
「理解力、優。」
「当然だ。」
「敬意、不可。」
「やっぱりか。」
「威圧、特優。」
「そんな評価項目作るな!」
「指導者としての存在感があります。」
「無理やり褒めようとするな。」
小雪は、ぱたんと紙束を閉じた。
「本日の授業は、以上です。」
「やっと終わった……。」
ベルは椅子の背へ身体を預け、天井を仰いだ。
「これで来週の打ち合わせも安心です。」
「どこをどう見てそう思ったんだよ。」
「ベルは、敬語を使えます。」
「……相手を敬えてないって言ったのはお前だろ。」
「敬語を使っている間は、少なくとも怒鳴るまでに時間ができます。」
「時間稼ぎだったのかよ。」
「そして、その間に、私が止めます。」
「お前も来るのか?」
「はい。」
ベルは少し考えた。
「……なら、最初から全部お前が喋ればいいんじゃないか?」
「嫌です。」
「即答かよ。」
「ベルの成長機会を奪うことになります。」
「責任を押しつけてるだけだろ。」
小雪は静かに立ち上がった。
そこで、床へ置かれた洗濯籠が目に入る。
「ところで。」
「何だ。」
「毛布が、まだ濡れています。」
ベルの動きが止まった。
ゆっくりと、床の洗濯籠を見る。
籠の底から染み出した水が、石床の上へ小さな水溜まりを作っていた。
「毛布!」
ベルは勢いよく立ち上がった。
「もっと早く言え!」
「敬語で。」
「なぜ、もっと早く仰ってくださらなかったのでしょうか、春野教官!」
「合格です。」
「嬉しくねぇ!」
ベルは重い洗濯籠を抱え、庭へ飛び出していった。
小雪はその後ろ姿を見送った。
発電機製作責任者としての敬語には、まだ多少の不安が残っている。
ただし、毛布を干す速度については、申し分なかった。




