エレベーターゴースト
彼女の沙月とマンションのエレベーターに乗っているのだが、このエレベーター……かれこれ二十分以上、上昇を続けている。
「くそ……沙月。もう一度外に電話してみてくれ」
「はーい……うーん。やっぱ繋がんないよ」
「ネットも?」
「うん」
エレベーターについているどのボタンを押してもまるで反応しない。俺たちが住む七階はとっくに通り過ぎ、現在の階を示す数字は最上階で点滅したままだ。なのにこのエレベーターは不穏な機械音を鳴らしながらひたすらに上へと向かう。
「沙月、肩車するから天井の出入口が開くかやってみてくれ」
「了解!」
俺は沙月を肩に乗せて立ち上がる。
「だめ。ぜんぜん動かないよ」
「そうか……」
沙月の力じゃ俺を肩車するなんて無理だし……手詰まりだ。
「ああ……どうすりゃいいんだ」
「まあまあ。落ち着いて、イツキ」
沙月はそういって俺に体を寄せた。
だが、その皮膚は冷たい。異常なほどに。
そしてこの非常事態だというのに、にこにこと楽しそうにしている。
「ふんふんふーん♪」
違和感しかない。
普段の沙月なら、パニックになってるはずだ。なぜこんなに平然としていられる。なぜ上機嫌で鼻歌なんか……
ちらと横を見る。
見た目は、沙月だ。今日家を出たときと同じスーツを着ている。
「ん?」
沙月は微笑む。少し傾けた顔とえくぼがキュート。しかし……
「お前……沙月か?」
思わず口から出た。
沙月はきょとんとしていたが、やがてニィと歯を見せて笑い、
「やっと気づいたぁ?」
と言った。
怖気が走る。俺は距離を取り、エレベーターの壁に寄りかかった。
「な、何者だ?」
「わたしは、君のことが好きな……幽霊ちゃんだよ?」
頬に人差し指を当て、拗ねたような可愛げのある表情をそいつは作った。
「は、はあ?」
「イツキさ、私のタイプなんだよね。偶然街で見かけて、私のものにしたくてずっとつけてたんだ。しゃべれなくても、近くにいられるだけで幸せだなって思ってたんだけど……この泥棒猫が現れたから……」
泥棒猫……沙月のことか。というか、幽霊なのか? 幽霊が沙月に憑りついて……? バカげてる。
「お前が幽霊だっていうなら、証拠を見せてみろ」
「ハア……疑り深いんだね。そんなところも好きだけど……はいっ」
彼女はそう言うと、エレベーターが止まった。
「あとはそうねえ」
そして、ふっと宙に浮いた。ふわふわ浮かぶ沙月を唖然と見上げていると、彼女は笑いながら縦横無尽に宙を動き回り、エレベーターの壁に足を下ろして床も天井も関係なく歩き回る。
最後に、俺の前に着地した。
「はいっ。どう?」
沙月のその声で、エレベーターはまた上昇を始める。どうもなにも、空中浮遊に重量をまるで無視した超人的な動き……この異常なエレベーターを完全掌握してるなんて……
「マジなのか……」
「マジなんだよね」
「ずいぶん明るい幽霊だな……」
「イツキのおかげだよ♡」
くねくねしている。沙月は普段こんな感じにはならないから、新鮮で可愛くはある。幽霊じゃなきゃな。
「どうすれば解放してくれるんだ? 何が目的だ?」
「言ったじゃーん! 私の目的は、イツキだよ? イツキが私のものになってくれるなら、ここから出してあげる! この泥棒猫と別れて!」
「私のものにって……沙月に憑りついたままお前と付き合うってことか?」
「そ!」
「そんなの……沙月は? 沙月はどうなる?」
「またこの女の心配してる……どうでもいいじゃん。ずっと眠ったままなだけだよ」
そうなのか……いや、わからない。憑り殺す可能性だってある。そもそも幽霊と恋愛関係になるなんて……どうなるんだ? 異様に冷たい体温も気になる。沙月の身体は無事で済むのか?
「もし、断ったら?」
「ええ!? 断るの!?」
「た、例えばの話だ」
「……許さない」
「え?」
「そんなこと許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!」
沙月の目が大きく見開いた。可愛げのあったさっきの雰囲気とは打って変わって、狂気に満ちた顔で彼女は連呼した。
さらにエレベーターがガタガタと揺れ出し、天井の蛍光灯は明滅する。気付けば沙月は宙に浮き、髪が逆立っていた。怒り、憎悪の化身だった。
「ひ……」
俺は気圧され、その場に力なく座り込んだ。
「……でも、もしこの泥棒猫を絶対に選ぶっていうなら……返してあげる」
「……! 本当か!」
「ただし、このエレベーターからは出さない。あ! 出してあげるけど、元の世界に帰れない」
「ど、どこに出るんだ?」
「人間の世界ではないよ。あと、言っておくけど、決めたあとで、やっぱなし! っていうのはだめだからね? これは契約。大事な大事な誓いなの」
彼女は不気味にほほ笑む。
くそ。足元見やがって。どう転ぼうとも絶望だ。沙月を解放してもらったところで、人間の世界じゃないだと? そんな場所で生きているわけない。なら……この幽霊と付き合うふりをしながら、どうにか沙月奪還の方法を探る方がまだ可能性はある。
「じゃあ、仕方ない。お前と付き合うよ」
その言葉に、彼女は目を輝かせた。あんなの怒り狂っていた表情がふっと落ち着き、床にすとんと着地して笑った。
「えええ!! やったああ! 嬉しい!」
無邪気に喜んでいる。よし、これでこの場は……
「じゃ、もうこの泥棒猫はいらないよね」
「……は?」
幽霊は冷たく言い放ち、身体の中から何かを取り出した。人型の、薄い影のような……沙月を。
「それは……」
「泥棒猫の魂だよ。ここに置いていくんだ」
「だ、騙したな……! さっき、ずっと眠ったままって」
「……別に私の中でとは言ってないよ? ていうかさ……」
ギロリと彼女は俺を睨んだ。
「もしかしてイツキ、この女の子を助けようとしてた? 私と恋人になるのに?」
「……あ……う……」
「そんなのいけないよ? 未練はちょきんって、断ち切ってくれないと」
その声に反応するように、エレベーターの動きが鈍くなり、やがて静止した。
「さ、イツキ。帰ろ♪」
「う、うそだ! さっきの選択は違う! 俺はお前とは帰らない! 沙月とこのエレベーターに残る!」
「だーめ! わからず屋さんはめっ! だよ?」
エレベーターのドアが開き、俺は彼女に首を掴まれて引きずられる。
「離せ! 離せ!!!」
「イツキは元気だなあ。おうちでいっぱい遊んであげるね♡」
俺は外へ引っ張りだされ、沙月の魂を乗せたまま、扉が閉まった。
「沙月ーー!!!」
叫びはマンションの通路で虚しく反響し、エレベーターは音を立てて下降を始めた。
どこか知らない世界へと。




