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安馬しか買えない弱小馬主の俺、スキル《相馬眼》で“勝てる場所”を見抜く  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)
第四章 東京湾牝馬賞

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第32話 勝った後の方が、大変ですから

 重賞を勝った直後の馬主が、最初に何をするか。


 泣く。


 叫ぶ。


 関係者と抱き合う。


 たぶん、そういう絵を想像する人が多いと思う。


 実際、俺も少し前まではそう思っていた。


 けれど現実は違った。


「三上さん、こっちです。表彰があります」


「はい」


「そのあと、簡単なインタビュー」


「はい」


「写真を撮ります。帽子、曲がってます」


「あ、はい」


「あと、あまり泣きそうな顔をしないでください。写真に残ります」


「無理です」


 黒川さんの指示に従って動くので精一杯だった。


 東京湾牝馬賞。


 一着、ハルサメノツキ。


 その表示は何度見ても現実感がなかった。


 ただ、現実感がないままでも、進行は待ってくれない。


 ウイナーズサークルでは、ハルサメノツキが妙に落ち着いた顔をしていた。


 勝った本人――いや、本馬が一番いつも通りだ。


 厩務員さんに引かれ、耳を動かし、時々鼻を鳴らす。


 その横で、俺だけが完全に挙動不審だった。


「三上オーナー、こちらへお願いします!」


「はい!」


 係員に呼ばれて、慌てて立ち位置に入る。


 浅倉蓮騎手は、泥だらけの顔を拭きながら笑っていた。


 黒川さんは冷静な顔をしている。


 けれど、いつもより少しだけ目元が柔らかい。


 この人も、嬉しくないわけがない。


 ただ、それを大きく出さないだけだ。


「いやあ、やりましたね、三上さん」


 浅倉が小声で言った。


「浅倉さんのおかげです」


「それ、インタビューでも言ってください」


「言います。百回言います」


「百回はちょっと重いですね」


 そんなやり取りをしているうちに、表彰が始まった。


 拍手。


 フラッシュ。


 重賞の賞状。


 優勝賞金。


 勝利騎手。


 勝利調教師。


 そして、勝利馬主。


 その言葉が、自分に向けられている。


 おかしい。


 何度聞いても、どこか他人事みたいだった。


 俺は少し前まで、馬主という肩書きにさえ慣れていなかった。


 二十万円で買った小柄な牝馬に、こっそり期待して、こっそり不安になって、こっそり財布の残高を見ていた。


 それが今、重賞勝ち馬の馬主としてここに立っている。


 人生、どこでバグるかわからない。


 いや、俺の場合は最初からかなりバグっている。


 《相馬眼》なんてものが見えている時点で、普通の馬主人生ではない。


 けれど、そのことは誰にも言えない。


 今日の勝利も、説明するとしたらこうだ。


 映像を見て、適性を考えた。


 黒川さんが仕上げた。


 浅倉が完璧に乗った。


 ハルサメノツキが応えた。


 それでいい。


 それが表向きの、そしてたぶん一番正しい説明だった。


「三上オーナー、おめでとうございます。まず今のお気持ちは?」


 インタビュアーのマイクが向けられた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 今のお気持ち。


 そんなもの、ひとことで言えるなら苦労しない。


 嬉しい。


 怖い。


 信じられない。


 泣きそう。


 足が震えている。


 早くハルサメノツキを撫でたい。


 賞金の桁を考えると胃が変になる。


 いろいろありすぎる。


 でも、マイクの前でそれを全部言うわけにはいかない。


「……ハルサメノツキが、本当によく走ってくれました」


 まず出たのは、それだった。


「小さな馬ですし、条件も選ぶ馬です。でも、黒川先生がずっと馬を見てくださって、浅倉騎手がこの馬の一番いい形で乗ってくれました。馬に感謝しています」


 自分でも、ずいぶん普通のことを言っていると思った。


 けれど、それ以外に言いようがなかった。


 この馬は、駄馬なんかじゃない。


 勝てる場所を、まだ誰も教えてやってなかっただけだ。


 その言葉は、心の中にだけ置いておく。


 外に出すには、少しだけ生々しすぎる。


「前走ではロードグランシャリオに半馬身差の二着。そして今日、重賞制覇です。手応えはありましたか?」


 来た。


 一番答えにくいやつ。


 俺は笑って誤魔化しながら、慎重に言葉を選んだ。


「手応えというより、この条件ならこの馬の良さは出せるんじゃないかと思っていました。大井の一八〇〇、外目で砂を被らない形、今日のような少し湿った馬場。そのあたりは合うと考えていました」


「まさにその通りの競馬になりましたね」


「浅倉騎手が、我慢してくれたおかげです。早めに動きすぎると苦しくなる馬なので」


 横にいた浅倉が、少し照れたように頭を下げた。


 インタビュアーのマイクが、今度は浅倉へ向く。


「浅倉騎手、最後はかなり際どい写真判定でした」


「はい。正直、ゴールした瞬間はわかりませんでした。ただ、最後まで馬がやめずに伸びてくれました。外を回る形でしたけど、この馬にはそれが一番いいと思っていました」


 浅倉の声は落ち着いていた。


 でも、言葉の端にまだ興奮が残っている。


「三コーナーでフロストリボンが動いた時、ついていきませんでしたね」


「ついていったら、たぶん最後に甘くなったと思います。ハルサメノツキは一瞬で切れるというより、長く脚を使う馬なので。そこだけは間違えないようにと思っていました」


 それを聞いて、胸が熱くなった。


 俺が見えていた輪郭と、浅倉が背中で感じていたものが、重なっている。


 それが嬉しかった。


 《相馬眼》だけで勝ったわけじゃない。


 この馬を理解しようとしてくれる人たちがいたから、ここまで来られた。


 黒川さんにもマイクが向く。


「黒川調教師、前走から間隔も詰まり気味でしたが、よく仕上げましたね」


「馬自身がよく持ち直してくれました。万全というより、出せる状態まで戻したという感覚です。無理をさせすぎない範囲で、今日は条件が噛み合いました」


 黒川さんは、やはり冷静だった。


 勝った直後でも、浮ついたことは言わない。


 でも、その冷静さがこの人の強さなのだと思う。


「今後については?」


 その質問に、黒川さんは一度だけ俺を見た。


 俺も、少しだけうなずく。


 ここは決めている。


「まずは馬の状態を確認します」


 黒川さんはきっぱりと言った。


「今日の走りは強かったですが、負担もありました。次を決めるのは、馬体の回復を見てからです」


 完璧な答えだった。


 勝ったから次。


 重賞馬になったからもっと上へ。


 そう簡単にはいかない。


 ハルサメノツキは小柄な三歳牝馬だ。


 前走でロードグランシャリオと半馬身差の競馬をして、そこから間隔を詰めて今日の重賞を勝った。


 疲労がないはずがない。


 まずは無事に戻ること。


 それが何より大事だった。


 表彰とインタビューが終わった後、ようやく少しだけ息をつけた。


 厩舎地区へ戻る途中、浅倉が俺の隣に並ぶ。


「三上さん」


「はい」


「すみません。直線、かなり外でした」


「いえ。あれでいいです」


 即答すると、浅倉は目を瞬いた。


「怒られるかと思いました」


「怒る要素ありました?」


「普通は、あれだけ外を回したら距離ロスがって言われます」


「普通の馬なら、そうかもしれません」


 俺は前を歩くハルサメノツキを見た。


 小さな背中。


 汗と砂で汚れた馬体。


 それでも、歩様に大きな乱れはない。


「でも、この馬は普通に内を捌くより、外で気分よく走る方がいいです。浅倉さんがそう乗ってくれたから勝てました」


 浅倉は少し黙って、それから深く息を吐いた。


「……よかった」


「え?」


「僕も、そう思って乗りました。でも、重賞であれをやるのは怖かったです」


 その言葉に、俺は初めて気づいた。


 怖かったのは、俺だけじゃない。


 浅倉も怖かったのだ。


 勝負どころで、人気馬たちが動いている。


 前との差がある。


 外を回している。


 そこで、まだ待つ。


 それがどれほど勇気のいることか。


 観客席から見ているだけの俺には、全部はわからない。


 馬の背にいる浅倉は、もっと直接その怖さを感じていたはずだ。


「ありがとうございます」


 また、その言葉が出た。


 浅倉は苦笑した。


「三上さん、今日それ何回目ですか」


「まだ百回いってないです」


「本当に百回言う気だったんですね」


 厩舎へ戻ると、ハルサメノツキはすぐにケアに入った。


 脚元を冷やし、馬体を確認し、息の入りを見る。


 勝利の余韻よりも、そちらが先だ。


 黒川さんの顔は、もう完全に調教師のものに戻っていた。


「歩様は?」


「今のところ大きな乱れはないです」


「飼い葉は夜を見ましょう。今日は興奮もあるので」


「はい」


 スタッフたちが手際よく動く。


 俺は邪魔にならない位置で、それを見ていた。


 何か手伝いたい。


 けれど、素人が下手に動けば邪魔になる。


 馬主にできる一番大事な仕事が、黙って見守ることになる瞬間もあるのだと知った。


 しばらくして、黒川さんがこちらへ歩いてきた。


「三上さん」


「はい」


「おめでとうございます」


 改めてそう言われると、なぜか胸が詰まった。


「ありがとうございます。黒川さんのおかげです」


「馬のおかげです」


「それはもちろんです」


「それと、三上さんがこの馬に合う条件を選び続けたからです」


 思わず黙る。


 黒川さんは、いつものように真っすぐこちらを見ていた。


「正直に言えば、最初は半信半疑でした。大井一八〇〇、外枠、湿った馬場。そこまで条件を絞る意味があるのかと」


「……ですよね」


「でも、結果が出ました。初勝利も、ロードグランシャリオとの二着も、今日も。偶然と言うには、少し重なりすぎています」


 心臓が、嫌な方向に跳ねた。


 疑われている。


 そう思った。


 だが、黒川さんはそれ以上踏み込まなかった。


「だから、これからはもっと大変です」


「……勝った後の方が、ですか」


「ええ」


 黒川さんは、厩舎の奥にいるハルサメノツキへ視線を向けた。


「重賞を勝った馬は、もう隠れられません。次からは相手も見てきます。乗り方も研究されます。人気も背負う。斤量や格も変わる。使えるレースも、使うべきレースも変わります」


 勝てば終わりじゃない。


 勝ったことで、始まるものがある。


 さっきまでの嬉しさに、少しだけ現実の重みが混じった。


「それに」


 黒川さんは、少しだけ声を落とした。


「周りは三上さんのことも見るようになります」


「俺ですか?」


「二十万円の馬で重賞を勝った新人馬主です。しかも、サビツキノエンジンも勝たせている。目立たない方が無理です」


 やめてほしい。


 俺は目立ちたいわけじゃない。


 馬が勝ってくれるのは嬉しい。


 でも、俺自身に注目が集まるのは困る。


 《相馬眼》のことは、絶対に知られてはいけない。


 知られたら、どうなるかわからない。


 少なくとも、普通の馬主ではいられなくなる。


「……普通に、映像を見て考えてるだけなんですけどね」


 苦しい言い訳だった。


 黒川さんは、わずかに笑った。


「そういうことにしておきます」


 怖い。


 その言い方、かなり怖い。


 夕方になっても、スマホの通知は止まらなかった。


 知らない番号からの着信。


 馬主関係者からの祝いの連絡。


 競馬記者らしき人からの取材依頼。


 そして、ネットニュースの見出し。


『二十万円の牝馬が重賞制覇』


『新人馬主・三上透氏、初重賞勝利』


『ハルサメノツキ、大外一気で東京湾牝馬賞を制す』


『“条件限定”の小柄な牝馬、評価を覆す』


 評価を覆す。


 その言葉を見た瞬間、妙な気持ちになった。


 評価を覆したのではない。


 評価される場所に、ようやく立てただけだ。


 そう思うのは、馬主の贔屓目だろうか。


 いや、贔屓目でいい。


 馬主が自分の馬を信じなくて、誰が信じるのか。


 厩舎の外へ出ると、空は少しだけ明るくなっていた。


 雨雲の切れ間から、夕方の光が差している。


 湿った風が、頬に当たった。


 そこで、またスマホが震えた。


 画面に表示された名前を見て、俺は少しだけ目を細める。


 鳳条怜央。


 ロードグランシャリオの馬主。


 前走、ハルサメノツキに半馬身差で勝った男。


 メッセージは短かった。


『おめでとうございます。見事な勝利でした』


 意外だった。


 いや、失礼か。


 鳳条は嫌なやつではない。


 ただ、強い馬は血統、馬体、育成、地力で勝つという思想を持っているだけだ。


 その考え方自体は間違っていない。


 むしろ王道だ。


 だからこそ、俺とは見ている場所が違う。


 続けて、もう一通届いた。


『ロードグランシャリオの価値も、これで少し上がりましたね』


 思わず笑ってしまった。


 そう来るか。


 たしかに、ハルサメノツキが重賞を勝ったことで、前走でそのハルサメノツキに勝ったロードグランシャリオの評価も上がる。


 競馬は一頭だけで価値が決まるわけじゃない。


 誰に勝ったか。


 誰に負けたか。


 その相手がその後どう走ったか。


 すべてがつながっていく。


 俺が返信を打とうとすると、さらに一通。


『次に戦う時は、こちらも条件を選びます』


 その文章を見て、指が止まった。


 鳳条怜央は、もう気づいている。


 ハルサメノツキがどこでも強い馬ではないこと。


 そして、条件が合えば重賞を勝つ馬であること。


 ならば次は、自分の馬が強い場所を選ぶ。


 それは挑発ではない。


 宣戦布告だった。


 俺は少し考えてから、短く返した。


『ありがとうございます。次も、いい競馬にしましょう』


 送信して、スマホをポケットにしまう。


 胸の奥に、勝利の余韻とは違う熱が生まれていた。


 勝った。


 でも、これで終わりじゃない。


 ハルサメノツキには次がある。


 サビツキノエンジンにも次がある。


 鳳条とロードグランシャリオも、きっとまた前に立つ。


 それに、今日の勝利で俺は少し目立ちすぎた。


 これからは、買う馬も、使うレースも、言葉のひとつひとつも、今までよりずっと見られる。


 勝った後の方が、大変。


 黒川さんの言葉が、今になって深く響く。


 厩舎の奥から、ハルサメノツキが小さく鼻を鳴らした。


 俺はそちらを見る。


 重賞馬になった牝馬は、もういつもの顔で飼い葉桶を気にしていた。


 その姿を見て、少しだけ肩の力が抜ける。


「……そうだな」


 大変なのは、人間の事情だ。


 馬は、次もただ走るだけだ。


 勝てる場所で。


 走れる形で。


 なら、俺がやることも変わらない。


 見つける。


 この馬たちが、本当に輝ける場所を。


 誰より先に。


 誰にも知られないように。

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― 新着の感想 ―
シナリオは良いし、掲示板回がツボなんだけど、基本的な所がなってない。 馬名はカタカナ2文字以上9文字以下がルール。 ロードグランシャリオはアウト。
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