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十二章

十二章


**ユキナ**


 瑞江とはよく話した。最初にユキナを揺さぶったのは、間違いなく瑞江だった。


 瑞江が捕まって、刑事罰を問われた時、ユキナは、裁判を傍聴した。

 瑞江はユキナに目もくれなかった。雨音への恋情を口にして、それを理由に反抗に及んだと証言した。昔からの恋情だった。


「監禁した時から、饒舌になったのが、実に嬉しかった。昔は相手にされなかったのに、妹を守ろうとしているのが伝わってきた。錠をつけていなければ、立場は逆だったろうことを思うと、それは大概成功していた」


 瑞江は、淡々と供述した。


「言葉が欲しかったのは、認めざるを得ない。何かの手応えが欲しかった。生きる手応えのような、肉体的な実感が欲しかった。身に刻まれる、言葉と言葉のやり取りが、彼女となら可能だと思っていたし、それは、やはりその通りだった」


 性的な欲求について聞かれた瑞江は、しばらく黙った後、口を開いた。


「よくわからない。性的なものは常にある。でもそれを実行に移すかどうかは、単なる気分でしかない。相手との波長が合うかも重要な問題だ。ノリとか、状況依存のものだ。そして、彼女は常に、そういう欲求を傍に置いて、話を進めた。取り上げるときは、いつもその裏側を見せた。特別な言葉の操作だった。彼女が何かの宗教を始めても、私は驚かない」


 そういう言葉を強いたという自覚はあるか? との質問には、少し考えていた。


「錠を用意したのは正解だった」


 瑞江は繰り返した。


「彼女が崩れるはずはないと思った。泣いたり、喚いたりしたら、殺すつもりだった」


 ユキナは、やはり雨音の態度が、強いられて引き出された、弱者のへつらいだったと思う一方、雨音が、一週間錠に繋がれながら、精神力を切らさなかったことに、驚きを覚えた。自分であれば、きっと、数日と持たずに殺されていたことだろう。


 裁判官は、ユキナにも言及した。妹の存在は、念頭にあったか、と。


「なかった。単なる脅しの材料としては、最高の存在だったが、妹には興味はなかった。彼女は、姉の雨音に続くステップだった。高校の時は、驚いた。だが、雨音の代わりとしてはひどく不十分だった」


 無関心。どうでもよさ。それが、言述として表れていたが、どこまで本心なのかは、ユキナにはわからなかった。


 ユキナは、瑞江と話した高校時代のことを思い返していた。それは、割にいい思い出だった。慶應を目指したのも、瑞江に触発されてのことだったし、わちゃわちゃと話したことは、十分肥やしになっていた。瑞江がユキナに話したことは、全てユキナに対して示唆的なことで、それに竿さすにせよ、抵抗するにせよ、いい材料だったことは間違いない。そういうものを楽しんだ、という認識を共有できていないのは、残念だった。


 殺意はあったか? という質問は、裁判のクライマックスだった。


「あった。少なくとも最初は、強姦するつもりだった。彼女との会話で、そういう流れにならなかっただけだ。殺意は最初からあった」


 嘘だ。ユキナは思った。雨音のことは、好きだったはずだ。どんな状況であっても、雨音を殺すつもりはなかったはずだ。ユキナは、雨音への恋情が、殺意を惹起したという供述の筋書きに抵抗したかった。でも、それはユキナの、思い出による事実の補正だったのかもしれない。

 判決は懲役四年だった。執行猶予はなかった。


 ユキナは社会人として、品川の石油会社で総務部に籍を置いて働いていた。総務の仕事の幅広さには、ほとほと嫌気がさすが、楽しくないわけじゃない。

 ほとんど毎日呑みに行き、同僚のいい話し相手になっている。


 今でもユキナが思うのは、果たして自分が瑞江のことを好きだったかどうか。

 話しかけてくれるその行為そのものに、「良さ」を感じないわけにはいかなかった。でも、裁判の供述を聞けば、瑞江は終始一貫して、雨音のことが好きだった。ユキナは、どうでもいいと思われていた。悔しくないわけではなかった。ハルアも結果的には姉に盗られてしまった。瑞江とハルアは、ユキナを好きにはならなかった。


 高校生の時、恋愛関係を持っていたなら、瑞江はどうだっただろう? やはり、ユキナを蔑視して、どうでもいいと思うのだろうか。もし、自分から「好き」と言っていたら、ユキナの何かは、変わったはずなのに、どうして、そういう言葉が出てこなかったのだろうか。


**雨音**


 朝起きるのは、結構早い。下着姿で寝るのは、昔ユキナに怒られた。でもやめられない。

 朝ごはんを食べながら、新聞を読み、ハンカチにアイロンをかけてシワを伸ばす。

 化粧をするのには二十分くらいかける。


 リビングテーブルに置いた「リコリス・リコイル」の千束とたきなのフィギュアを一分くらい眺めて、悦に入ると、鍵その他身の回りの品を持って、会社に出勤する。

 電車に乗っている時は、スマホで日記を書く。自分との作戦会議。

 サクサク出世して、主任級。給料がいいのに、仕事ばかりでお金を使う暇がないから、いい部屋を借りるくらいしか贅沢がない。


 たまにユキナが泊まりにくる。

 ユキナは、なぜか天王寺に行きたがる。


「なんばの方がいい店あると思うけど」

「いいえ。天王寺がいいです」

「なんで?」

「何となくです。だって、ハルカス綺麗ですし」

「そりゃそうだけどさ」


 ユキナに住むところを相談したら、部屋番号指定の上、タワーマンションを勧められた。


「何で?」

「何となくです」


 雨音は、遺産を頭金にして、そのマンションの部屋を買った。

 買ってみると実にいいことがわかる。ハルカスを眺めるには最高の立地で、夜景は想像を絶する美しさだった。地震の時は結構揺れるけれど、それも味といえば味。

 ユキナはどうしてこのマンションを勧めたのだろう。いつも不思議に思うのだが、それを聞くとユキナはいつも笑顔で「何となくです」と、言った。


 何となく。どうでもいい。

 理由がなかったり、無関心だったりする。

 でも、実はそこには明確な理由があったり、気づかない愛着の裏返しがあったりすることが、世間には山とある。説明できないだけで、理由がないわけでも、好きじゃないわけでもない。口にすることができない、そこに固有の事情があるからだ。


 雨音はもう、自分に生物学上の父がいたことを忘れていた。母親が早くに死んだことも、気にしていない。妹がいるということは、父母の存在を明示しない。どこにもその手がかりはなかった。だから、気にしない。それは、どうでもいいとは少し違う。

 そういう存在が、少しばかり、かっこいいと、思ってしまうのだ。


「かっこいい?」

「そうじゃない、ユキナ。存在を抹消された両親の下に生まれたの。何で、存在を抹消されなきゃいけなかったのかな? 不思議だよねえ」

「単に子どもを育てるのが面倒だったからじゃないですか?」

「名前までつけておいて?」

「いい名前ですよね。雨音とユキナ」


 面倒だったくらいの説明が、楽でいい。悲劇的な理由を探すより、よっぽど。


「でも、タワマンに落ち着くところを見ると、雨音はやっぱり両親に似てますね」

「そうかも! やっぱ都会のタワマンっしょ!」

「早く松本に帰りたい。そば食べたいです」

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