第二十五話
ベルガー邸の広く明るい居間のテーブルの上には、幾つかの種類の焼き菓子とちょっと摘むのに適した軽食を載せた皿がメイドの手によって次々に置かれていた。
飲み物は葡萄酒かハーブティーが用意され、各々好きなものを選べるようになっている。
支度のために部屋に戻ったマリアとローザ、そして彼女たちを部屋まで送り届けるために同行しているミア以外の面子が居間に揃っており、長椅子にどかりと腰を下ろしたベルンハルトの父、フォルクハルト・フォン・ベルガーが髭をいじりながら息子に声を掛けた。
「ベルンハルトよ。お前、今回の件の始末はどうつける」
ベルンハルトは特に動じた様子もなく、執務室で渡されたばかりの報告書の束に目を通しながら答えた。
「まず、元々依頼を出してきたあの伯爵家の当主と隠居爺どもには、既にきちんと紳士的に話をつけてきている」
「ほう、紳士的に」
「あぁ。奴らの目の前で『次に舐めた真似をしたらこれと同じ拳を貴様の顔に叩き込むからな』と言ってご自慢のテーブルとやらを叩き割ったら黙った。相手に怪我はさせていないが、まぁ……あいつらの人権は多少失ったかもしれないな」
言いながら、ベルンハルトはちらと書類から視線を上げ、少し遠くを見るような顔つきになった。
要請に応えて遠征に出たはいいが、どうにも様子が妙だと感じてヴォルフを先に戻らせた後、ベルンハルトは野盗に襲われているという理由で討伐の手助けを依頼してきた領主のところに丸腰で乗り込んでいた。
「──野盗討伐に呼ばれたと思ったのだが、随分と平和な様子だな?」
そう確認すれば、要請を出した相手であるマルク・ペロー伯爵はやたらニヤニヤと笑って、はて何のことだかと大袈裟に首を振って見せた。
「野盗討伐? いやはや、心当たりがありませんな。ご覧の通り平和な領です。どうして我々が援軍など要請しましょうか」
「そうか。ではこの伯爵家の印章が捺されている要請の手紙は偽造されたものであるということだな。それは別の意味で問題では? 遣いの者の名前も確認してあるが、当然それも心当たりがないと」
そこまで言うとペロー伯爵は微妙に嫌そうな顔になった。彼はそこまで嘘が上手くないのである。
代わりに前当主であり、今は隠居の身である前伯爵ジャック・ペロー氏が出て来てベルンハルトを睨め付けた。
「知らぬと言っておろうに、傭兵風情がしつこいぞ。大体突然来て無礼にも程がある。言い掛かりをつけて我が領地を侵略でもする気か。これは由々しき問題である故、王陛下に直訴させて頂く」
その言葉を聞いて、ベルンハルトは自分たちの予想が概ね正しかったことを察し、同時に『この忙しい時期に舐め腐った真似しやがって』と思った。
そもそも主な収入が傭兵稼業であるというのに他領を侵略してベルガー子爵領に何の利益があるというのだ。
領地運営というのが色々と面倒くさいことくらいベルンハルトも知っている。
大体、ペロー伯爵領は大した特産品もないし、税収だって多くない。はっきり言って歴史があるだけのあんまりパッとしない領だ。やると言われても欲しくないのが正直なところである。
こんな茶番のためにマリアとの時間を奪われたのかと腹の奥で怒りが渦巻くのを感じたが、ギリ、と強く拳を握り締め、意識してゆっくり息を吐くことでやり過ごす。
「王に直訴? ほう、面白い冗談だ」
何をどう考えてもそんな事をしたら追及を免れないのはお前の領だぞ、と視線を向けたが、伯爵らの態度は変わらない。むしろ自信満々である。
どこからその自信が湧いてくるのか、と思ったところで、ベルンハルトはふとある事に気が付いた。
ペロー伯爵家というのは古くは王族の血を引く由緒正しい家門であるが、その栄光は今や遠く、現在ではこんな辺境のど田舎の領地で偉そうにしているだけの、言ってしまえば小物貴族だ。
かつての権力が失われた現実を直視出来ずに王都から離れたと聞くが、ここで王に直訴などと言い出すのであれば何か裏があるはずだ。
そう、例えば共犯者、だとか。
(王都でそれなりに権力を持つ家門に唆されたと見るのが妥当だな。馬だって鼻先の人参にそのように軽率に飛びついたりしないというのに、こいつらと来たら……)
ペロー伯爵家を唆したということは、この家門は囮であり捨て駒なのだろう。
となれば本当の目的は何か。
ベルンハルトは物凄く嫌そうな顔で溜め息を吐いた。
(十中八九、俺の留守を狙ったな)
目的はベルガー子爵領内の戦力を削ぐ事。
そしてその隙に領地に殴り込み、憂さ晴らしでもする算段だろうか。
嫌な予感はどうしてこうも当たるのか。
もしかしたら既に領内で侵入者ボコ殴り大会が始まっているかもしれない。
先にヴォルフを戻しておいて良かったと思いつつ、ベルンハルトは紳士的に話を終わらせるために努めて穏やかに口を開こうとして、
「冗談? それはこちらの台詞だ! 己の結婚のために愛する婚約者のいる娘を脅して無理矢理嫁がせるなど、お前たちこそ野盗にも劣る品性下劣な輩ではないか」
「は????」
前当主の言葉に、地を這うような声が出た。
誰が誰を脅しただと?
誰に愛する婚約者がいただと?
そこでベルンハルトは大きく深呼吸をした。
吸って、吐いてを数度繰り返し、そして「なるほど」と一言だけ呟いた。
何となく見えてきた。
ペロー伯爵家は黒幕からマリアは脅されて仕方なく王都に恋人を残しベルンハルトと結婚するためにベルガー子爵領にやって来たとでも言われたのだろう。何ならその愛する婚約者は自分だとでも言ったかもしれない。
ベルンハルトを嘘の応援要請で誘き出し、その隙にやる事と言えば相場が決まっている。
黒幕はベルガー領を蹂躙し、マリアをも奪うつもりなのだ。
そうとなればもう茶番に付き合っている暇はない。
いつもなら領内で勝手をする相手は領民の遊び相手になって終わるのでそれで良いが、今はマリアがいる。
マリアが怖い思いをしているかもしれないと考えるだけでベルンハルトは気が狂いそうだった。
気を鎮めるためにパキパキと指を鳴らしながら彼は言った。
「俺を狙うだけならまだしも、マリアを狙うなどとは言語道断。それに加担する貴様らも同罪。……おい、耄碌ジジイとポンコツ倅。虚偽の要請は契約違反だ。違約金とこちらが被った諸々の費用は後ほどきっちり請求させて頂く」
「何を……!」
「そのような馬鹿げた事が罷り通ると思うな!」
「馬鹿げた事?」
喚くペロー伯爵たちの前でベルンハルトはやれやれと首を振り、そのまま無言でその場に置かれていたテーブルに拳を叩き込んだ。
鈍い音と共に磨き上げられた天板がひしゃげ、最終的に名匠が作ったとかいうペロー伯爵家ご自慢のテーブルは真っ二つになった。
分厚いテーブルが素手で叩き折られた様を目の当たりにして、ペロー伯爵及び前伯爵は一瞬目を丸くして言葉を失った。
何が起こったのか、まるで理解出来ないといった表情であったが、拳を握り締めたベルンハルトが伯爵を睨むと、腰が抜けたらしいペロー伯爵がその場にへたり込んだ。
続いて前伯爵へと視線を向ければ、こちらも逃げようとでもしたのか後退しようとして失敗し、派手に床に転んで尻餅をついた。
「……次に舐めた真似をしたらこれと同じ拳を貴様の顔に叩き込むからな」
あわあわと床で無様に蠢く二人を一瞥し、そう低く唸るように告げたベルンハルトは早々に踵を返した。これ以上の長居は無用である。
数歩進んだところでベルンハルトの優れた嗅覚は後方に微かなアンモニア臭を感じたが、彼は足を止めることも振り返ることもせずにペロー伯爵邸を出て表に待たせていた愛馬に跨った。
そして来た道である迂回路ではなく山中を最短距離で突っ切るという、ベルンハルトとその愛馬にしか出来ない荒技で大幅にショートカットをして領地に戻ったという訳だ。
そこまでを回想し、ベルンハルトは小さく「あ」と声を上げた。
近くで同じように書類を確認しながら眉間に皺を寄せていたヴォルフがその声に気付いて顔を上げる。
「どうしたよ?」
「ん。それがな、相手の人体に損傷はなかったが、テーブルをひとつ破壊してな。……賠償を迫られるだろうか」
面倒臭いなと顔に書いたベルンハルトが唸るのに、ヴォルフではない声が元気良く返事をした。
「なぁに、そうしたら僕が新しいテーブルを用意してやろう。まぁ、牢屋に持ち込めるテーブルなどたかが知れておろうがな!」
声の主は輝く金の髪の豪奢な装いの青年で、ベルンハルトとヴォルフより幾つか歳上に見えた。
ふははと機嫌良く笑う青年にベルンハルトとヴォルフが同時に溜め息を吐く。
「クソ、今までずっと無視して存在自体をなかったことにしてたのに、割って入って来やがった……」
「こいつは昔からこうだろ」
ヒソヒソと早口で言葉を交わす二人に、金の髪の青年が青い瞳をバチコンとウインクさせて続ける。
「んん? どうした、可愛い弟たちよ。久しぶりに僕に会えた感動で泣いているのか? 良い良い、兄様が後でいくらでも抱き締めて撫でてやろう」
「お前その歳で自称兄様は痛過ぎるぞ」
「自認兄やめろ。そんな事実存在しねぇだろ」
「何おう! 二人とも幼い頃は兄様兄様と僕の後ろをヒヨコのようにピヨピヨ愛らしくついて来ていたではないか! 今回だって僕がベルンハルトのためにこうしてやって来たからこそ、野盗討伐に助力し、結果的に領内の治安維持に一役も二役も貢献したのだぞ! 何ならこの一件、僕が直々に処理してやろう。さぁ『兄様ありがとう』と言うが良い!」
「「う、うぜぇーーー!!!」」
耐え切れずに鳥肌を立てたベルンハルトがグッと拳に力を込めたのを察知して、母ジャンヌがハーブティーを飲みながらさくりと釘を刺す。
「ベルンハルト、ヴォルフ。殿下にあまり失礼な物言いをしないように」
「そうだぞ! 僕がお前たちを実の弟のように可愛がっている事実はお前たちが何を言おうと変わらぬのだ! 諦めて受け入れるが良い!」
「受け入れてたまるか!」
「王都に帰れ! 帰らないならさっさと仕事しろ!」
ベルンハルトとヴォルフの渾身のブーイングなどものともせずに青年はからからと笑っている。
あまりに顔が良いのでそうして笑っている姿だけ見れば、まるで絵画のような、肖像画映えするタイプの青年だった。
「大体どうして王弟が来るんだ! 結婚式には呼んでいないだろう!」
たまらずにそうベルンハルトが叫んだのと
「……王、弟……?」
居間のドアを開けてマリアたちが部屋に入って来たのが同時だった。
え?今『王弟』って言った?ときょとんとしているマリアに、青年がパァっと表情を明るくする。
「おや、そなたがベルンハルトの婚約者か! 話通りなんともちまこくて可愛らしい娘ではないか。ふはは。そうとも、僕こそが王弟にしてベルンハルトたちの最愛の兄! バルタザール・ディートヘルム・ノイベルトである! 可愛い弟の結婚式を祝うために王都より……、ん? おい、どうした?」
「あぁっ! マリア!」
そして王弟バルタザールの言葉を最後まで聞くことなく、マリアは驚き過ぎて目を回してしまったのだった。
すかさずベルンハルトが抱きとめたので倒れ込みこそしなかったが、彼女はこれでも先ほど人生初の野盗襲撃に加え、脅迫行為、目の前で婚約者が撃たれる等のショッキングな出来事が立て続いていた。
気丈に振る舞ってはいてもとうに精神は限界を超え、ベルンハルトの無事だけを心の支えにして立っていたようなものだったのに、そこに突然の王族である。
成金新興貴族のマリアには耐え切れない衝撃であった。
「大丈夫か、マリア! 侍女殿、マリアを寝室に……」
マリアを横抱きにしたベルンハルトがローザにそう提案したが、ローザは表情を曇らせて首を横に振った。
「まだお部屋の支度が整っておりませんで……。子爵様、もうしばらくそのままお嬢様をお願いできますでしょうか」
マリアの寝室には侵入者こそいなかったようだが、念のためにメイドたちが部屋の隅々まで確かめ、リネンはもちろんカーテンやクッションカバーに至るまで全て入れ替えるというので、まだ部屋が調っていないのだとローザが説明する。
入れ替えることが出来る全てを新しいものにすることで、マリアが受けた恐怖心を少しでも和らげようというメイドたちの思惑を感じ、ベルンハルトは黙って頷いてマリアを抱き抱えたまま長椅子に腰を降ろした。
「侍女殿は大事ないか。体調が優れないようなら休んでいて構わない」
「お気遣い、痛み入ります。私はお嬢様のお側にいるのが一番落ち着きますから、このままで問題ございません」
「そうか。しかし念のため座っていた方が良いだろう。ヴォルフ、侍女殿に椅子を」
「あ、あぁ。ロー……、侍女殿。こちらへどうぞ」
ベルンハルトの指示でヴォルフが立ち上がり、自分が座っていた長椅子を明け渡そうとすると、ローザは貴族子女らしい優雅な仕草で軽く目礼をしてからヴォルフに尋ねた。
「……ヴォルフさん。あの、お隣に失礼しても?」
短い問い掛けである。
だが、ヴォルフにとってこれ以上なく情報量の多い言葉であった。
ヴォルフが座っていたのもベルンハルトと同じくいわゆる長椅子であり、二人で座ることは当然可能だが、通常はこの手の椅子は中央に一人が掛けるものだ。
だからこそヴォルフは自分が座っていた場所をローザに譲るために立ち上がった。
だが、彼女は『隣に座っても良いか』と尋ねた。
王都の貴族で家庭教師をしていた彼女ならば長椅子に座る作法など呼吸のように身に付けているはずであるのに、それをわざわざ問うたのは『一緒に座りたい』という事に他ならない。
ローザが敢えて人前でヴォルフの名前を呼んだのも、ヴォルフにも己の名前を呼ぶことを許すという意思表示であった。
ヴォルフはらしくもなく数秒硬直し、そろりと視線だけをローザに合わせた。
「侍……、ろ、ローザさんが、それで良いのなら」
ほんとに良いの?と視線で問うヴォルフにローザが返したのは優しい微笑みで、ヴォルフはますます硬直して、ギクシャクとした動きでローザと共に長椅子に座り直したのだった。
そんな二人の様子の一部始終を、遠慮なくクッキーをサクサク食べながら眺めていたバルタザールがなんだと声を上げる。
「ベルンハルトに続いてヴォルフもついに身を固めるのか。結婚祝いに屋敷の一つでも建ててやろうか」
「あーもー! アンタほんとに黙っててくんねぇかな!」
頬を染めて目を伏せるローザの隣で、ローザよりも顔を真っ赤にしたヴォルフが叫ぶ。
フォルクハルトとジャンヌもおやおやという好奇心に満ちた表情でヴォルフたちを見遣り、その背後ではメイドたちが慣れた様子でマリアの為にブランケットを用意し、お茶や葡萄酒のお代わりをカップやグラスに注いで回り、ついでに続々と上がってくる報告書をさばいて机の上に並べている。
これはまだ小休憩であって、やるべきことはまだ山のように残っているのだ。
茶菓子と軽食の合間に重ねられていく書類の束を見て、ベルンハルトはマリアを腕に抱えたまま思わず大きな溜め息を吐いた。




