第四話 美少女交流
五月六日。俺は目を丸くして驚いていた。
UFOが再び出現したからではない。出現したのは転校生である。しかも漫画みたいな美少女なのである。日本中に転校生は数多いて、そのなかで美少女と形容されるにふさわしい人間がどれほどいるだろうか。転校生でかつ、美少女。その確率は天文学的数字に違いない。
その天文学的数字の美少女は名を、笹見るい(ささみ・るい)といった。完璧な左右対称の輪郭。ショートボブに切り揃えられた黒髪と青磁のような白く長いうなじのコントラストは眩しいくらいだ。形の良い焦げ茶色の瞳と淡い赤色の唇は実に鮮やかで美しい。そして、細身の体には不釣合いな胸元の大きな双丘。谷山の荒涼たる大地とは全く違う。彼女を見た瞬間、男子の反応は歓喜。女子の反応は溜息であった。
「はじめまして、笹見るい、といいます。なれない事が多く、皆さんにご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうか宜しくお願い致します」
柔らかな声で挨拶した彼女はペコリと、頭を下げた。彼女の登場によって、昨夜から下降していた俺の気分は一気に成層圏にまで達した。
「康介。鼻のした伸びてるわよ」
俺の隣の席に座っていた谷山かなえ(たにやま・かなえ)はぶっきらぼうにそう言うと、プイと顔を窓の外に向けた。ガラスに写った彼女の表情は憮然という言葉がふさわしいものだった。なにに怒っているのか分からないが、同じ学び舎に新しい仲間が増えたことを喜べないのか。怒っている谷山はともかく、ホームルームが終われば挨拶に行かなければならない。そう、挨拶は大切だ。そのことは谷山との会話で身にしみているのだ。
ホームルームが始まる少し前、俺の心は、どこかに浮遊しているような落ち着かなさを感じていた。それは、長いようで短かった大型連休を終ったこともあったが、昨夜の出来事がどうしても頭から離れなかったからだ。
屋上から発射した電磁投射砲は、四乃山の上空でUFOに衝突して四散した。
谷山は見間違いだと言うだろうが、それは間違いなく鳥などの飛行生物ではなかった。もっと巨大なで人工的な物体だった。しかし、それが見えたのは一瞬のことで、次の瞬間には消えてしまった。今のところ、四乃山に何かが墜落したというニュースはない。
だがそれだけに、心が落ち着かない。理解できない、と言うのはどうにも座りが悪いのだ。
「なぁに、深刻な顔してるのよ。康介」
朝からデリカシーのない顔が俺を覗き込んでいた。谷山である。昨夜、彼女は電磁投射砲を操作するためドームのなかにいたため、あの光景を見ていない。知らない、ということがここまで心を軽くするというのなら、無知というのもいいものだ。
「谷山を羨ましく思ってたんだ」
「私を?」
眉間にしわを寄せて谷山が露骨に怪訝な表情をした。黒髪を腰まで伸ばした谷山は、一見すると清楚な女子高生に見える。それにこう言う顔をされると、ひどく嫌悪されている気持ちになるが、本人にはその意図はない。
「ああ、そうだ。谷山のようになれれば俺ももっと楽に生きられたと思ってな」
「すごく馬鹿にされている、と思っていいよね。朝から心配してやったのになんて挨拶なのよ」
もう十六年の付き合いだ。どんな挨拶でもなれていて然るべきではないか。とはいえ、親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあることを踏まえれば、どんな挨拶というのは傲慢だったかもしれない。
「すまない。すこし考え事をしていたんだ」
素直に謝罪を述べると、谷山は驚いたとばかりに瞳を大きくした。そんなに俺が謝ることが珍しいか。斜に構えているとはよく言われるが、自分の非を認めないほど歪んでいる覚えはない。こんなことなら謝るんじゃなかった。
「康介でも、考え事なんてするのね?」
少なくともお前よりは悩みと思索の多い人生を歩んでいる、という言葉が喉まで出てくるが、先ほどの二の舞になりかねないので、そっと飲み込む。ここで谷山と不毛な口論を行っていても俺の心は晴れないのだ。
「なぁ、谷山。初対面の人にいきなり殴られたらどう思う?」
「問答無用で殴り返すわ。三倍で。それがそいつの挨拶だって言うなら五倍にするけど」
旧知の仲でも礼儀のない挨拶をすれば怒気に触れる。それが初対面ともなればなおさらだろう。
「悪意がなくても?」
「なくても。当然じゃない。悪意があるかないかなんて関係ないじゃない? 例えば、殴ることが挨拶だという文化があったとして、その文化がほかの文化圏でも有効だと考えるのは浅慮と言えるわ」
「だよなぁ」
俺は盛大なため息を漏らしながら谷山の意見に同意した。殴った側の言い分など殴られた方には関係ない。殴られた、という事実と正当な理由もない暴力を受けたという理不尽さが残るばかりだ。これで怒らない奴がいるとしたら、相当な変わり者かロボットのような人間に違いない。
「そもそも、なんの話ししてるの? どうせ、どうでもいいくだらないこと考えてるんでしょ?」
人の悩みをどうでもいいと切り捨てるか、普通。だが、妄想的にUFOのことで悩んでいるよりいいかもしれない。少なくともいまのところ何も起こっていない。ならばそれでいい、と割り切ってしまう方が健全だ。UFOが存在しても銀河宇宙規模で心が広いのだ。あるいは、俺たちが作った電磁投射砲の威力なんて当たったことさえ分からない。その程度のものなのだ。
そう思うと気が楽になってきた。
「そうだな……。谷山、お前のザックリとした言いようで少し楽になった」
「何よ。それ褒めてるの、貶してるの。まぁ、いいわ。気が楽なったなら。うちの副部長が落ち込んでいると部活動全体の覇気がなくなるもの」
うちの部活動に果たして覇気などあったのだろうか。まぁ、部員は二人しかいないので俺に元気がないと部活全体に影響する、と言うのは分かる。いくら、空気を読まない谷山とは言え、俺が露骨に落ち込んだり、考え込んだりしていれば気にはなるのだろう。
「心配をかけて悪かったな」
俺が珍しく頭を下げると、谷山は妙に照れくさそうに、「別にいいわよ」、と言った。
そんなこんなで俺は挨拶の大切さ、を学んだ。だからこそ、ちゃんと挨拶しなければならない。美少女なんていう異文化がやってきたのだ。異文化交流のためにはお互いがきちんと意思を通じ合わせなければならないのだ。
と、気合を入れた俺だったのだが、その機会はなかなか現れなかった。
まず、第一に休み時間になるたびに笹見さんの周囲はクラスメイトで埋め尽くされる。それは時間が経つほどに多くなるようで、昼休みが終わる頃には他のクラスからも人がやってきていた。ここまで人が多いとなかなか声をかけられるものではない。
第二に、谷山からの妨害である。俺がそわそわ、と声をかけるタイミングを探っていると必ずと言っていいほどに谷山が話しかけてくる。
「来月以降の部活のスケジュールを決めましょう」
「数学の宿題ちゃんとやってるの? やってないなら写す?」
「ねぇ、今日は学食で昼ごはんにしましょう」
おかげで俺は完全に機会を逸していた。振り上げた拳は落としどころが見つからず、気づけば放課後になっていた。ああ、何もいいことがない一日だった。せっかく美少女と同じクラスになったというのに挨拶さえできなかった。これでは、挨拶さえできない礼儀知らず、と思われるかもしれない。
俺が心の中でぼやいていると、谷山がにこやかに俺に言った。
「私、掃除当番だから先に部室に行っていてね。今日は昨日の失敗の反省会よ。あと、学校にはちゃんと天体観測をしたって報告書を書かないといけないから、適当に報告書も書きましょう」
「なんか気乗りしないな……」
「面倒だからってサボったら、康介の家まで行ってでもやるわよ」
ボスにここまで言われては副部長の俺には拒否権がない。非常任理事国の悲しさというやつである。権限がないのに祭り上げられて、何を成せというのか。どうも尻すぼみの一日だった、と俺はトボトボと階段を上り、屋上に出る。
空は俺の心を写したかのような五月雲。五月晴れ(さつきばれ)が清々しい晴れのことをいうのに対して、五月雲は空が暗くなるような分厚い雲のことを言う。同じ五月だというのにどうにも両極端なものである。
「五月晴れなら良かったのに」
俺が空に対してぼやくと「それは違います。五月晴れは、六月の梅雨――五月雨の合間の晴れ間のことです」と、返事がきた。柔らかな女性の声だが、谷山の声ではない。何より彼女なら「康介の高校生活はずっと五月雲なんだから晴れなくてもいいでしょ」くらいは言う。このような正しい日本語講座はしてくれない。俺が声の主を求めて視線をさまよわせていると背後から申し訳なさそうな声がした。
「すいません。驚かせてしまいましたか?」
「いや、そんなことはない」、と言って振り返った俺は驚いた。俺のすぐ背後に美少女もとい笹見るいがいたからである。どうして、こんな場所に笹見さんがいるのか。この屋上には天文学部の部室であるドーム以外なにもない。迷い込んだのなら早く帰ったほうがいい。ここには何もないのだから。
「同じクラスの栗柄康介さんですよね。教室ではあまりご挨拶もできず、すいませんでした。どうか仲良くしていただけると嬉しいです」
華があるというのはこういう事か、と万民が納得する玲瓏で完璧な微笑みだった。これ一つで彼女の価値は百万ドルだ、と言われても俺はそれを否定しない。掛け値なしでその価値がある微笑みだった。
「あ……いや、よ、よろしくお願いします」
俺はしどろもどろになりながらも言葉を返した。美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる、というがそれは嘘だ。この微笑みを三日で飽きるのは難しい。毎日でも鑑賞していたいくらいである。
「栗柄君は天文部なのですよね。私、星を観察するのが好きで……。よければ部活を見学させてくれませんか?」
「もちろん! よろこんで」
「バカじゃないの、康介。副部長にそんな権限はないわ。あるのは部長である私だけよ」
冷水の塊というべき、無粋な声が屋上に響く。なぜか勝ち誇ったようにない胸を反らせ、両腕を組んだ谷山が階段をゆっくりと上がってきた。部長というよりも主将という風格である。いつからうちは運動部になったのか。
「谷山さん、すいません。そうとは知らず……」
谷山に驚いたのか目を潤ませながら謝る笹見さんに対して、谷山は右手でブイサインを作り言った。
「笹見さん。あなたは二つの大きな過ちを犯しているわ。一つ、我が部は天文部ではなく『天文学部』よ。見学しようという部活の名前を間違えるなんて失礼千万よ。二つ、天文学部は少数精鋭主義なの単に好きとか軽い気持ちでは困るわ」
百歩。いや、千歩譲って一番目は妥当と認めよう。だが、二番目はなんだ。そんな話聞いたことがない。なんの精鋭だ。お前も俺も天文学にすこぶる興味があったわけではないはずだ。お互いにこの部室を利用することに利益があったからこの部に所属しているに過ぎない。
「ごめんなさい。谷山さん、私そんな軽い気持ちじゃなくって」
真面目な笹見さんは、谷山の言葉を間に受けている。先程まで咲き誇っていた花は、谷山に萎縮している。このままでは花が枯れてしまう。それは全校的な損失といっていい。
「谷山!」
「康介、なによ」
訝しげな表情で谷山が俺を見つめる。
「転校生、相手にムキになりすぎだ」
「わかったわよ。じゃーこうしましょう。試験をしましょう。それに合格すれば見学可、ということで」
なるほど。想像していた以上にまともな妥協案である。合格できるか否かは笹見さん次第というところはあるが、さっきのような無為な糾弾に終始するよりはずっといい。笹見さんもそれで良いらしく首を縦にこくこく頷いている。
「では、簡単な問題からだすわ。これはなんでしょう?」
谷山はカバンの中から小さな電子部品を取り出すと笹見さんに手渡した。それは二本の針金の先端に半透明の砲丸状の塊が取り付けられていた。あれは見覚えがある。発光ダイオードだ。昔、化学の実験で使ったことがある。レモンに錫と銅の板を差込み。板に取り付けた動線の両端を発光ダイオードに取り付けるとレモン汁と金属間でイオン反応が生じ電気が起こるため発光ダイオードが発光する。ボルタ電池の実験だっただろうか。
確かに見たことはある。だが、それは天文学には関係ない。俺が谷山に文句を言おうとしたとき、笹見さんが言った。
「これは発光ダイオードです。一.八ボルトの」
「……正解よ。じゃーこれはどう?」
次に谷山が手渡したのは小指の先程もない銀色の円盤。一見、ボタン電池のように見えるが、継目や加工跡はない。完全な円盤である。
「これは、ネオジム磁石です。永久磁石の中ではもっとも強い磁力があります」
「笹見さん、正解よ。やるわね。ならこれが最終問題よ!」
俺にはただの丸い金属にしか見えない。何を基準にあれが磁石だとわかるのだろう。しかし、これはひょっとするかもしれない。
最後に谷山がカバンから取り出したのはガラスの筒に何らや金属の板や配線が入っている。これはこれで有名なものだが、一般的な女子高生が手にすることは、まずないに違いない。もし、あるとすれば極度のアンプマニアか何かである。
「これは、真空管です。しかもこれは四極真空管です。増幅率を高めにグリッドが細かく配置してあるのですぐに分かりました」
「……」
「……」
笹見さんの回答に俺と谷山は沈黙とともにお互いの顔を見合わせた。まさか、ここまで正解を重ねるなんてお互いに思っていなかったからだ。天文学なんて全く関係ない電子工作の材料ばかり出されて、この正解率。俺は笹見るいの見方を変える必要を感じた。これはただの美少女が答えられるものではない。もしかすると、彼女は電子工作や真空管アンプを作ったことがあるのかもしれない。
そうだとすれば、彼女は谷山と同じ穴のムジナである。そうだとすれば、谷山にとって始めて同好の士が出来ることになる。
「間違っていましたか?」
笹見さんが怖々と尋ねる。
「いいえ、正解よ。笹見さん。ようこそ、天文学部へ」