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30 終末の冒険歌




 その冒険の裏側で、谷底に落ちる冒険者がいた。


 ―――《獣人ライデル》と、その男は言った。


 ……いや。〝だった、〟というのか。


 その男を知る冒険者なら、今の彼を見てもとてもかつての『冒険者』だった頃のことが思い出せない。そんな顔だった。あれだけ外の王国から持ち込んだ王国硬貨を使い、《剣島都市サルヴァス》で遊蕩三昧、他の冒険者の取り巻きに囲まれ、豪奢なカーペットに腰を下ろしていた彼は――。今は



「…………うぎゃああああああっっっ、い、いやだあ。死にたくねえ。死にたくねええええよおお誰か俺様を助けろぉぉぉ……ぉぉ……」


 瞳を歪め。

 ボロボロと情けない涙を流し。


 口の間からは無残なくらい涎を流し、鼻からは鼻水を流しながら崖にすがりついていた。かつて、彼が『〝レベル1〟の冒険者』を落とした橋の近くで、下には川はない、そんな暗い谷底へと向かって体を浮かせている。


 ――ブチ、ブチ―――と、冒険者を支えていた、蔦が不吉な音を鳴らしている。


 縋りついていた。数日前までは、豪遊三昧、《剣島都市サルヴァス》で女を何度も変え、一度使った器すら捨てて、割っていた彼が―――たった一本の〝草〟、蔦にすら、全身全霊を込めて『切れるな』と哀願をかけていた。


 ――もう、他の〝仲間〟たちはいない。


 いや。それも、仲間ではなかったのか。

 故郷から連れてきた、黒い鎧の軍団はすでに彼を置いて逃げ散っていた。あれだけ可愛がり、《剣島都市サルヴァス》で遊ぶのに困らない金を渡して、囲っておいたはずなのに――その恩も忘れて、彼の言う《騎士道》に背きながら、逃げ散ってしまった。


 そもそも。彼は気づいていたのか。

 それは、騎士道ですらないことに。騎士の家に生まれ、一度も〝敗北〟をしたくない、と恐怖観念にとらわれていた彼の道は、いつの間にか堕落し、傭兵稼業が金と金で仲間を奪い合い、騙し合う……醜い世界へと、落ちていっていたことに。


 仲間は《騎士》ではなかったのだ。

 傭兵だ。金で雇われ、彼への忠誠もすべて泡のように消えて無くしてしまった、ただの集団。そんな男たちに囲まれた獣人も―――もう、《騎士》ではなかった。


「…………ぐああああああああっっっ、ら、ラッドぉぉぉぉ……こ、殺してやる…………ころっしてやるがあああああ……」


 ブチブチ、と蔦が千切れていく中で。

 獣人ライデルは、かつて『一の子分』と可愛がり、忠誠を確信していた配下の小男のことを呪っていた。


 故郷を出て、拾って連れてきたはずだ。

 物乞いだった。ある都市を通りかかっていたとき、その路地で、醜いあまり頭巾をかぶらされている亜人種の男を見つけた。体も異物感があり、ひときわ小さく、アレで獣人ライデルよりも遙かに年上だという。


 その男に、金を与え、『飼って』みると実に愉快だった。

 意のままに踊り、言葉を吐き、一にも二にも、『ライデル様』『ライデル様』。――ご恩があります。――忠誠を誓います。こんなところにも《騎士道》が落ちていたのか、とライデルは思い、暇があれば小突き、尻を蹴りって回すことで、周囲の獣人たちと笑い、その小男も『輪の中』で喜んでいたはずだ。


 なのに。

 ―――あの男は、裏切った。


 教師ゲドウィーズに敗北し、その《双剣》を前に、周囲の獣人たちが次々と降伏していく中で……あの小男は、新たな主人が出来たように媚び、獣人ライデルが重ねてきた今までの『数々の罪』を白状してしまった。


 ベラベラと。

『―――あの男』と、かつての主人のことを、蔑むように指さしながら。


 それによって、獣人ライデルがこれまでの冒険で重ねてきた『騙し』や、昇格試験での不正。そして―――他の冒険者たちのことを陥れ、魔物の群れの中に落として―――『冒険者殺し』まがいのことまで、知られてしまった。



(…………ッッッ、クソが、クソが!! クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが!!!)



 奥歯を噛みしめ、獣人は恐怖で泣きわめいていた。

 もう、他に人などいない。


 ……いて、たまるか。こんな場所に。

 獣人ライデルに与えられたのは《最後の冒険》だった。あの危険地帯の崖の下へと落ち、そして《鎧蜘蛛ヨロイグモ》―――彼が他の冒険者たちに押しつけ、命を落とさせた、その群れが生息する地帯へと……落とされた。


 だが、幸運だった。

 蔦があった。途中で掴めた。


 このまま登れる。上の世界へと帰れる……と、そう思ったとき、蔦が獣人ライデルの重すぎる自重に絶えきれず、『ブチブチ』と音を鳴らして崩壊した。今では、落ちないように崖を掴みながら、掴まっているのがやっとだった。

 聖剣は――。

 精霊の御子は、もういない。


 かつての散々だった冒険と、《剣島都市サルヴァス》での境遇。――『お前は、道具だ』という名乗りから、今までずっと〝言葉を禁じる〟という規則を押しつけてきた以上――ゲドウィーズが同行するか、と聞いてきた問いかけに、首を横に振るのは。明白だった。


 …………一人になった。


 …………ただ、抜け殻だけの、《聖剣》が残った。



「…………うぐううああああああっっっ、い、いやだあ。死にたくねえ。死にたくねえ。お、俺様は……最強のぉぉ……最強の獣人ライデル様なんだああああ……あが。ああ……」



 しかし、果たして、この状況がこの獣人にとって〝幸運〟となったのか。

 永遠にも思える苦しみの中で、足の裏に感じるのは恐怖だった。ガサゴソと、岩に金属が触れるような音が聞こえてくる。数十―――いや、数百―――背筋に寒気が走っていた。振り返る。そこには、



 ―――闇に蠢く、《鎧蜘蛛ヨロイグモ》の集団の赤い目が―――あった。



「―――う、うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ――――嫌だ死にたくねえ!! 嫌だああああああ!!!」


 全身をばたつかせて、その死者たちが手を伸ばして掴んでくるような―――その光景に抗おうとした。

 しかし、暴れれば暴れるほど、『ブチブチ』と蔦が音を立てて切れていく。死へのカウントダウンが近づいてくる。しかし、もう理性が吹っ飛んだ獣人には、その判断すら出来なかった。〝怖い〟〝怖い〟〝怖い〟〝怖い〟〝怖い〟―――。死にたくない、という死の恐怖だけが、全身を包み込んでいた。


 と、そんな時。

 頭上に、手をさしのべてくる者がいた。


「……っ!」

「だんな様。落ち着いてください。ラッドです。ラッドでございますよ。ライデル様――ご無事でしたでしょうか」


 落ち着いていて、慇懃な声の従者。


 先ほど、ライデルを裏切ったはずの小男が、頭巾ごしに崖の上から頭を覗かせ、そう声をかけてくるのだった。手を差し出してくる。


「…………っ、ラッド!!!」

「ああ。ああ、おいたわしや。……おかわいそうに。今まで、ずいぶんと怖い目に遭ったのでしょうね。そんなに、涙と、土の汚れに埋もれて。かつての、美々しく着飾っていた《冒険者》ライデル様が、見る影もございませんよ」


「……っ、」

「でも、安心してください。このラッドだけはお味方ですとも」



 同じく、亜人種だという〝ラッド〟は、心に染みこむ声で言う。

 それは、助けに来たのだと。


 あの教師ゲドウィーズの追跡を振り切って、目を盗んで、この場所まで来た。他の獣人には出来ない、忠誠心で。闇の中、山を越えてくるのは果てしなく労力を使った。足もくたくただ。でも、彼は、その強い信念で、それをやり遂げた。執念か。


「……そ、そっか」

「ほら、お掴まりください。ラッドが用意した、ライデル様のための救出の枝ですよ。……こんな物しか用意できませんでしたが、でも、抜け出すには十分です」


「ラッド」


 感極まった声で、ライデルが言った。

 今まで、見誤っていた。


 この男が、主人を売ったのではない。あくまで『演技』だったのだ。あの教師ゲドウィーズを前にしたら、どのみち、獣人ライデルは助からなかった。だから、あえてあそこまで主人を悪く言うことで、油断させ。それから監視の目が緩んだときに、走って助けに来てくれたのだ。


 これを無償の忠誠と呼ばないなら、何を忠誠と呼ぶだろう。


「…………ありがと、な。ラッド……! 俺は、俺様だけは、お前を信じていたぜ。やっぱり、お前は俺様の『一の子分』だ。俺様が目をかけてやったのを、忘れちゃいねえ」

「…………」


 そして。

 闇夜の中、縋りつくように、その枝に手を伸ばして―――蔦から、手を放した瞬間だった。



「―――だァれが、お前みたいな虫以下の〝クズ〟に、情けをかけるかよォ」


 と。

 獣人は、『……へ』と、あまりにも間抜けな目を向けていた。

 まるで、母親から見放された、赤子のように。一瞬、何が起こったか分からなかった。誰が喋ったのかも。


 しかし、彼が掴んでいた木の枝が、音を立てて―――二つに折れるのが見えた。


「お前さぁ? 何か勘違いをしてねえかなあ。…………『わし』が。なんでわざわざ、お前みたいな虫けら以下のために、こんな山奥の危険な崖まで戻ってきたと思ってんだよォ。…………ウヒャヒャ、トドメを刺すために、決まってンだろぉ?」


「…………な、」


 目の前の男が、豹変していた。

 ……いや。


 その頭巾の下を。見せていた。そこには歪な相が浮かび上がっていた。トカゲと、ネズミを混ぜたような醜悪な顔に、火傷をしたような痣が広がっている。―――獣人ライデルですら、あまり見たことのない。一度見せたとき、醜い、醜い、と仲間たちと輪になって、ラッドを囲んで笑ってやった。

 ……その異相が、目の前で、歪みながら笑っている。


「お前、本当に幸せな脳みそしてんのな。――腐ってンのか? 終わってンのか? 誰も助けに来るわけねえじゃねえか。騎士の大きな家に生まれて、太平楽な思考に染まってるのは、あのお嬢ちゃんじゃねえよ。―――『お前』だ」


「…………な、に、を」


「お前に拾われて以来、『儂』の苦痛と悲しみが分かるか? 『王国硬貨』と『力』ってモンがないと、こんなにも悲しい。こんなにも苦しい。…………いつも、お前たちに会った後、心の苦痛で便所に向かって吐いていたよ。毎日、毎日―――!!」


「……っ、」


「それを、『慕ってる』って勘違いしているンだからなぁ。幸せっつーか、世間知らず、っつーか。よかったな、ゲドウィーズ様に裁かれて。このままじゃ、お前、もっと苦痛な死に方をさせられる相手に、泣きわめきながら処刑されていたよ。将来」


「…………っひ、う……」


「でも、恩義はあるな。一応、あのままじゃ外の王国で、飢えと寒さにやられて死んでいた『儂』を――お前は拾って、飯だけは与えてくれたからな。汚え、食べ残しの飯だったけどな。だが、そのおかげで『儂』は生命を繋いでいる。

 ……だから、その生命が、せめてもの義理で、恩返しに来てやったぜ。トドメを刺しにきた。このままじゃ、あまりにも《騎士》として誇りがないからな。苦しむ時間は――短いほうが、いいだろう」


「……め……ろ。や、ぁめろおおお……。切るな! 俺様の蔦を、切るんじゃねえええええええ……っ」


「この蔦、アンタに握られて、気持ち悪いってよ」



 それが、最後の言葉だった。

 獣人ライデルの掴んでいた、もう片方の手の蔦を―――小男が握っていた『短剣』が切断する。それだけだった。『プチッ』というあまりにも軽い音は、この男の生命を終わらせる方向へと押しやった。


 獣人の体が、宙を舞う。

 暗く、果てしなく―――底の見えないような、そんな深淵の中へと呑み込まれ。やがて、無数の足によって包まれる。


 大絶叫が、崖の下に響いた。


 蠢く蜘蛛たちに包み込まれ、その大群が、体の上から、上からと―――被さってくる。包み込む。貪り尽くす。



 誰も、注意を払わない。

 ―――そんな、寂しい最後だった。






日刊一位を(アクション)頂きました。

これも皆様のおかげ……! 感謝が尽きません。これからも何卒よろしくお願いいたします。

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