29 ロイス(後編)
魔物の雄叫びが、暗い虚空に響いた。
僕は、聖剣を振り上げていた。
その状態で意識が覚醒する。
自分が、『剣を振って糸を壊した』ことを―――直後になってから、理解した。暗い視界が、鮮明になった。
それは、魔物の腹を―――僕を呑み込んだ、《女王蜘蛛》の腹の中を、外側に向かって《聖剣》が切り裂いていたのだ。月の光が注ぎ込んでくる。
「ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――――ッッッッ!!!」
凄まじい悲鳴が、闇夜に轟いていた。
女王蜘蛛が暴れ、苦しんでいるのだ。大地が振動する、巨大な揺れを感じた。
『ま、マスター!』
「ミスズ。大丈夫なのか!?」
僕が握った『ボウッ』と輝く聖剣から、耳に馴染んだ懐かしい『声』が聞こえてくる。
『……は、はい! えっと、あの……っ。お怪我はありませんか!? ミスズ。マスターがずっと気を失われてから、死んだんじゃないかって……。心配で心配で。……でも、そう思っても何も出来なくて。……う、うう。怖かったです……』
僕の体がやけに温かく、なにかに〝守護〟されているように、魔物の体内の液体の干渉を受けつけていなかった。
『でも、助かってほしくて、《聖剣》の力を全力で使って、魔物さんの消化液から必死に守ることにしたんです……!』
「……そうか、それでか」
……もし、ミスズが守ってくれていなかったら、今ごろ溶かされていたかもしれない。
僕は今の自分の手足を見て、無事だったことを心から感謝する。
「……助かった。ありがとな」
『と、とんでもないです! ミスズは、マスターを守るだけです! ミスズはグズです。役立たずです。でも、それでもミスズは……』
「役立たずなんかじゃ、ないよ」
『……ふえ?』と。この闇夜の一瞬の空白の中で、僕が言った言葉に、ミスズがそんな反応を返してきた。
「役立たずなんかじゃない。ミスズ。君は僕の『契約精霊』じゃないか。
ずっと一緒にやってきた。僕と君で、冒険をしてきたんだ。僕一人ではダメだったかもしれない。越えられない壁も多かった。でも、ミスズがいたから――― 一緒に戦ってきた、君がいたから、僕はここまで進むことができたんだ」
『………!』
「さっきもそうだ。見捨てなかった。ずっと僕を守ってくれていただろう。どれだけ、それで僕が救われたか」
思った。
―――剣士と、精霊は、一心同体。
昔からそうだったじゃないか。何も変わらない。しかし、今はその絆の強さが、熱く、固くなったように思う。聖剣を握りしめる僕の手からも、その〝繋がり〟が伝わってくる。
―――僕らは。
さらに、強くなった。
力も。絆も。
「……頼むから、もう役立たずなんて言わないでくれ。僕にとって、君は―――〝契約者〟なんだ。大事な」
『……!』
「勝とう。この戦いを――ここで、終結に導こう。僕らなら、やれる」
ここに来て、気持ちを引き締め治した。
自分が油断していた。そのことに、周りを巻き込んでしまった思いに。
―――決戦だ。
魔女のような。そんな不気味で、甲高い音を立てる《魔物》―――今まで、数多くの冒険者たちを葬ってきた、《女王蜘蛛》を倒すために。
「――――行くぞ」
『は、はいっ』
二人の主従は、月の下に飛び出した。
***
月夜の下で、その剣舞が躍っていた。
今までよりも確かに、そして力強く―――。光が風を生み、聖剣の周囲を旋回しながら―――僕らの《聖剣》は、押し寄せてくる魔物を打ち倒していた。
「……うおおらあ、ああああああああああああああああ―――っっ!!」
全力疾走する。
僕のステータスの《敏捷》が―――一つの次元を越えていた。
魔物の足を弾き、その身体の下へと潜り込んで回転斬りを加える。凄まじい手応えの後に魔物が吹き飛び、さらにその向こう側から襲いかかってきた《鎧蜘蛛》を刺し貫いていた。―――〝二匹討伐〟。
しかし、油断せずに前進しながら、魔物三匹を相手に突撃していた。八本の足が襲いかかってくる。聖剣で防御をして、三匹相手に押し切った。
***
《 ステータス → 変動 》
―――契約の御子・ミスズ
分類:聖剣/ → 固有技能《 限界突破 》S+
ステータス《契約属性:なし》
レベル:47
生命力:165
持久力:120
敏捷:233
技量:118
耐久力:96
運:_ex
***
ほぼ一瞬で、魔物の集まるエリアを突き破っていく。
《鎧蜘蛛》を三匹討伐―――返す刀で、聖剣の勢いごと押し出すように二匹を転がす。《女王蜘蛛》の巨大な足が振り下ろされてきた。回避して、くぐり抜けながら《本体》を狙う。
―――あの、《鎧蜘蛛》の群れの中を移動する、小高い山のように動くシルエットが――女王蜘蛛の本体だった。周囲に見える細い架け橋のようなものは、すべて、八本の足である。途方もない大きさだった。
と、
「《雷炎の》―――って、えええええええええ―――!? く、クレイト!?」
輝きを放つ《聖剣図書》を手にして、もう片方の手をかざしていた―――(心なしか、どこか疲れた顔色に見える)――メメアが、僕を見て大きな瞳を丸くする。
「メメア! 無事だったか! ――っていうか、あの爆発みたいに、炎の玉をポイポイ《女王蜘蛛》の本体に撃ちかけていたのって、メメアたちだったのか!?」
「ぶ、『無事か』――――ってのは、こっちのセリフよ! クレイト! あなた、魔物に食べられたんじゃないの!? 糸を体に巻き付けられて、蚕みたいになって――魔物の体液の中に、呑み込まれたんじゃないの!?」
「まあ、紆余曲折があって。無事に出てきた」
「―――無事って何よ!!」
『もーーー!!』とメメアは両手をジタバタとさせ、僕を叩いてきた。魔物は相変わらず襲いかかってきたが、僕は背中を向けて聖剣で防ぎ、メメアは片手で『《雷炎の閃光》』を使いながら、お互いにかばい合っての中である。
「……馬鹿ぁ! 本当に、クレイトの大馬鹿ぁ!!」
「…………は、はい……すんません」
「もう知らない! あなたなんか、例え何がどうあってピンチになっても、もう助けてあげない! 言ったからね! もう決めちゃったからね! 今後一生、そばで冒険しても、心配なんかしてあげない!」
「……う、うむ」
『クレイトさん、雰囲気変わりました?』
と。
怒って頬を膨らませ、ここが敵陣地のまっただ中だと忘れているように背中を向けるメメア(……おそらく、本人的には、それどころじゃないんだろうが。たぶん)に対して。冷静に、そして主人なんかどうでも良さそうに―――聖剣図書の本の中から、こちらを伺っていた精霊のアイビーは言った。問いかけてくる。
言われて、ミスズも気づいたようになる。
『……そういえば、何か変わった気がします……マスター』
『雰囲気でしょうかね。なんというか、妙に落ち着いたっていうか。――どうして――こんな見渡す限り、どこもかしこも《鎧蜘蛛》の群れに囲まれている状況で、そんな堂々と余裕そうな顔ができるんです? 何か秘策でも?』
「……ん? いゃ、ないけど」
僕は、ポリポリと頭を掻く。
……変わった自覚なんて、ない。
ただ、負けられなくなった。負けてやるものか、ってそう思い直しただけだ。勝負はいつも死と隣り合わせである。今まで怖かった。怯えていた。
でも、負けられない理由が――増えた気がした。
その〝少しばかり〟増えた理由は、僕の肩へとずしりと重くのしかかり、そして周囲を見る瞳を落ち着かせてくれた。
「―――まぁ、ジタバタしていてもどうこうならない。負けるときは負けるし、勝つときは勝つ! って分かった気がした、それだけだ。長い夢の中でな。……あれ? なんかボンヤリしているな。本当に夢だったのかな?」
「し、しっかりしてよね。まだまだ《戦場》なんだから!」
メメアは言ってくる。
でも、僕の言ったことは本当だ。本当に、『死』という、ただそれだけのものを恐れなくなった。
何か、多くの景色を見てきたような気がする。夢の中で。でも、思い出せるのが少ない。思い出せる気がしない。
しかし、その内容は、確実に僕の胸の中に残った。強さという、灯火を点け、《守りたいもの》を守れるように、前進しようと決意を固めさせた。
僕は、見る。
目の前の『三名』を――。それぞれが、僕へと向いてくる。そんな一人一人の存在を、今ここで手放さない。守る。そう思うのだ。
「……ま、まあ。たくましくなって帰ってきたのは歓迎だけど―――。どうするの? クレイト。《女王蜘蛛》は、私たちを逃がさないつもりよ?」
「………こっちも、逃げる気はないよ。倒す」
僕は言った。
『倒す』と。なんの気負うこともなく、普通に呟いた言葉に、メメアは驚いたように瞳を丸くする。
今まで、その魔物と遭遇して、そう呟いた冒険者などいなかっただろう。その視界の奥には――動く山のような、遠く動く巨大なシルエットがある。僕は睨みつけていた。
―――倒す。
――今、ここで。この因縁の決着を、終わらせる。
そのために、ここまでの道のりを歩んできたのだ。
逃げない。
逃げるという、選択肢は、もうない。
僕の中でその魔物との決着はもう終わりへと向かっていた。数多の冒険者の犠牲を見てきた。屍を見てきた。それらの屍を乗り越えて、前へ――。もう、誰も悲しむ冒険者がいないよう。
僕らが、今日ここであいつを倒すのだ。
今夜、この争いを終わらせる。
「………協力してくれるか? ミスズ。メメア。アイビー」
「ふ、ふふ。〝百討伐〟で……このクラスの大物を討伐したって言ったら、《剣島都市》の生徒たち、どんな顔をするかしら? 楽しみだわ」
『…………きっと、百討伐どころではないと思いますけどねー。マスター。あ、僕はもちろん参加しますよ。クレイトさん。こんなめったにない機会―――王国硬貨、30000センズ分の価値だ。商人見習いだったら、乗るっきゃない』
『ミスズも、ですよっ。マスター。どこまでも、世界の果てまでもお供します!』
メメアが武者震いをするように震え、そして、そんな軽口を叩きながらアイビーが応じる。ミスズは、聖剣の光の中で、嬉しそうに輝くのが分かった。
僕ら全員は、その動く巨大な標的を見つめる。
…………〝討伐する〟と。
そう、目標を確認して。




