第3話:慈愛のラードと、病める館
パリ郊外、ジャルジェ伯爵邸。
「……何だ、これは」
ジャルジェ伯爵は、庭にうずたかく積まれた巨大な木樽の山を見上げ、引きつった声を出した。
「オーギュスト様より届きました『特製純度百パーセントラード』でございます」
娘から派遣されてきた従僕が、至って真面目な顔で頭を下げた。
「オーギュスト様は大変ご心配されておられました。『父上は低脂質による思考力の低下で“痩せろ”などという狂言を吐いておられる。娘として一刻も早く治療せねば』と」
「狂っておるのはあいつだ!!」
伯爵は手紙を地面に叩きつけた。
「私はただ! 年々巨大化し、馬車を数台潰し、宮殿の床を抜く娘を心配して……親心で『少しは控えなさい』と書いたのだ! なぜそれが病気扱いになる! そもそもこの樽の山はどうするつもりだ!?」
「伯爵閣下の全三食、および間食に投入いたします」
従僕が手帳を開いた宮廷医に合図を送ると、給仕たちが当然のような顔でラードの入った大鍋と器を運んできた。
宮廷医は淡々と伯爵の顔を検分する。
「閣下、定刻です。脳への脂質供給を開始します」
「待て! やめろ! 私は至って健康だ! 医者、貴様まで何をとち狂って――むぐっ」
「よし、そのまま。次はバターを練り込んだ高カロリー粥を二升。手際よく」
「やめっ……頼む……殺す気か……!」
「暴れないでください。脳に脂質が行き渡れば、楽になります」
邸宅には、伯爵の切実な呻き声と、静かな嚥下音だけが響いていた。
数時間後――。
腹がパンパンに膨らみ、ソファーでぐったりと横たわる伯爵のもとへ、オーギュストが訪れた。
彼女は力なく横たわる父の姿を見ると、痛痛しそうにその手を握りしめた。
「父上……」
「オ……オーギュスト……」
伯爵は掠れた声で、必死に訴えかけた。
「頼む……もうやめてくれ……。私は……痩せろと言ったのではない……ただ……食べさせるのを、やめてくれ……」
涙ながらの命乞い。
しかし、それを聞いたオーギュストは、悲痛な面持ちで深く溜息をついた。
「ああ……まだそのようなことを……」
オーギュストは静かに首を振り、控えていた宮廷医を見やった。
「先生……父上は未だに『食べるのをやめろ』とおっしゃいます」
宮廷医はカルテにペンを走らせ、事務的に告げた。
「重症ですな。『食べるな』という拒絶反応そのものが、脂質欠乏の何よりの証拠です。投与量を増やしましょう。明日からは一日十二食に切り替えます」
「父上……!」
オーギュストは悲しみに胸を痛めながら、父の手を強く握り返した。
「ご安心ください、父上。私が見捨てたりはいたしません。父上のお頭が正常になるその日まで、私が責任を持って、毎日ラードとホールケーキをお届けしますからね」
「……ひっ……」
伯爵は静かに白目を剥き、そのまま意気消沈して意識を失った。
「失神されました。脳が休息に入ったようです。順調ですね」
宮廷医の淡々とした報告を聞きながら、オーギュストは心からの安堵を覚えるのだった。




