第3音【愛のささやき】
「課長。スマホの壁紙、可愛いですね」
「おぉ、ありがとう。うちの柴犬で、ランって言うんだよ」
「へー可愛い! まん丸で触ってみたいなぁ」
会社の昼休み、課長のスマホがふと目に入ったので声を掛けた。
とても可愛い。彼女も犬好きだし、一緒に飼うのもいいかもしれない。
「今度、彼女と一緒に家に遊びにきたらいいよ。彼女が犬苦手じゃなければな」
「ほんとですか? 彼女、猫アレルギーだけど、犬は好きなので、喜ぶと思います」
「そうか! それなら、ぜひ彼女を連れて遊びにきたら、妻が手料理を用意して待ってるよ」
「ありがとうございます! 彼女にも話してみます」
そんなことを話していると、彼女からスマホに連絡が入った。
『今日、仕事終わるの遅いから、明日の午前中に自宅に行きます』
彼女は今日忙しいようで、家に遊びに来られないようだ。
いま、彼女とは同棲をするための物件探しをしているところだ。ゆくゆくは結婚も考えている。
(ペット可物件も探す条件にしてみようかなぁ)
◇
翌朝、自宅のチャイムが鳴り、彼女が合鍵を使ってやってきた。
「おはよう」
「・の・おん・・れ・・で・・・・!」
「えっ?」
「さい・・。いま・・・う・き・・・のしっ・・るか・!」
彼女が言っていることが、雑音が混ざっているように聞こえない。
「ごめん! 耳がおかしいのかな?! 良く聞こえない」
「きこ・・い・・しな・・・」
周波数が合わないラジオのように、途切れ途切れにしか聞こえない。
突然どうしたんだ……。
「ちょっとやばいよ! 本当に耳がおかしい! 病院に行かなきゃ!」
彼女は怪訝そうな顔をしている。
しかし、僕のパニックぶりを見て、ようやく僕が本当に聞こえていないのが分かったようで、戸惑った顔をしつつもスマホで病院を調べてくれた。
◇
「うーん……ちょっと原因不明ですね」
「そうですか」
「だって、私の声は聞こえているんですよね?」
「はい……」
「聴音検査でも異常はなさそうです」
土曜日でもやっている耳鼻科に駆け込んだものの、結果は異常なしであった。
それはそうだ。だって、普通に音が聞こえているからだ――彼女の声を除いては。
「心因性のものかもしれませんねぇ。もう少し様子を見るしかなさそうですね」
「……わかりました」
なぜ彼女の声だけ聞こえないのか分からなかった。
けど……
(とりあえず、仕事や生活の支障はなさそうで助かったー)
僕は安堵して、彼女と一緒に自宅へと戻った。
その後、彼女は献身的に僕の看病をしてくれた。
といっても、彼女の声が聞こえない以外に何も問題はなかったが。
彼女はスマホを使って筆談してくれる。
彼女はニコニコしながら僕に何かを話しかける。
「し・・い・・・」
僕が、ん?と言うと、スマホで打ってくれる。
『心配だねぇ』
「ありがとう。早く良くなるといいな」
「く・・とこ。・ね」
「ん?」
『くすりどこ?』と彼女がスマホを打つ。
「あっ大丈夫。ちゃんと忘れないようにここに置いてあるよ。ありがとう」
◇
そんな日々を約2週間送っていた。
今日も一緒に夕飯を食べた後、自宅で物件情報を探していた。
「裏切ってたくせに、よく一緒に住めると思ってるよね」
「……え?」
僕はスマホから顔を上げて、彼女を見た。
彼女は、小首をかしげて、微笑みながら、スマホを打つ。
『どうしたの?』
空耳だろうか……。
彼女の声が聞こえないだけじゃなく、幻聴まで聞こえるようになってきたのだろうか。
僕は、エヘンと咳払いをしてから、再びスマホの物件サイトを探し始めた。
「浮気してたのに同棲とかって図々しい」
僕は、パッと顔を上げた。これは……空耳ではない?
彼女は、また微笑みながら、スマホを打つ。
『これなんて、良い物件じゃない?』
そう言って、一つの物件サイトを見せてきた。
「え……あ、あぁ……確かにいいかもね……」
僕は冷や汗がじわりと出てきた。
浮気……? もしかして……
「猫好きの彼女と同棲すれば?」
顔を俯かせたまま、僕は喉をゴクリと鳴らす。
「猫の毛が服につきまくってるっつうの。クシャミ止まらないし死にそうだったのに」
スマホから顔を上げることが出来ない。
「許さない」
僕は……彼女の声は聞こえていないふりを続けた。
チラリと彼女を見ると、僕の顔を見て、ニコリと笑う。いつもの彼女の優しい笑顔だった。
その笑顔とは裏腹に、彼女の口から出る言葉は僕への恨み辛みだった。
「大嫌い。消えろよ」
彼女はそう言いながら、僕に笑いかける。
短編集、お読みいただきありがとうございます。
少しでもゾクリとして涼しくなっていただけたら幸いです!
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