(9)驚愕
気持ちよく晴れ上がったある日。ソニアは買い物のために、飼っている年老いたロバに乗って遠出した。食料品や日用品は森周辺の集落で調達はできるものの、精度の高い道具や手の込んだ工芸品などは、それなりの規模の町に行かなければ調達できないからである。
その場合は周囲に怪しまれないよう、老魔女の扮装ではなく本来の姿で出向くのが常であり、その日の彼女の出で立ちは普通の平民が身につけるようなブラウスとスカートだった。銀糸のような長い髪は編み込んで後頭部で纏め、足取りも軽く順調に用事を済ませていく。
「さて、取りあえず、買いたい物は揃ったわね。久しぶりにここまで出て来たし、お昼も食べていこうかしら?」
たすき掛けにしたバッグを覗き込んで成果を確認した彼女は、まだ日が高い空を見上げて今後の予定を決めた。そこで手近な店に入り、簡単な料理を頼む。
「そういえば……、殿下達が来て軽く一ヶ月経過したし、問題の害獣は無事に追い払うことができたかしら? 順調だったら、またそろそろ押しかけてくる頃かしらね?」
食べながら、何となくそんなことを考えたソニアだったが、まさかそれが現実になるなど予想だにしていなかった。そして気分良く食べ終えたソニアは店を出て、ロバを待たせている町外れに向かって歩き出す。
「それじゃあ待たせてしまったし、急いでカインの所に」
「サーフィア姫!!」
「っ!?」
独り言を口にしながら上機嫌で歩いていたソニアの腕を、いきなり横から掴んだ者がいた。更にかつての名前を大声で呼びかけられた彼女は、反射的に視線を向けた先にエリアスがいたことで、咄嗟に声が出せないくらい驚愕した。
(大公殿下!? どうしてこんな所に!? よりにもよって本来の姿の時に!! いえ、それよりも何よりも、どうしてその名前を!? 私、この姿の時に会ったことはありませんよね!?)
ソニアは紫色の目を限界まで見開きながら、必死に考えを巡らせた。そして瞬時に行動に出る。
「姫、私をお忘、ぐあっ!!」
(ここはとにかく、強行突破あるのみ!! 身体強化魔法を発動!)
右腕を掴まれた状態のソニアは、無言のまま力任せに右足でエリアスの左脛を蹴りつけた。その衝撃でさすがに彼が怯み、ソニアの腕から手を放す。
「あ、あのっ! 私は怪しいも、ごふぅっ!!」
(大公のくせに、護衛の一人も連れていないの? それはそれで助かったけど!)
腕を放されるやいなや、ソニアは体当たりする勢いで彼の腹に左肘を打ち込んだ。その攻撃で、エリアスが反射的に前屈みになる。
「落ち着いて話、がはぁっ!!」
何とか冷静に話をしようと訴えたエリアスだったが、彼が顔を上げたのと同時に、その左頬にソニアの拳が入った。まともにそれを受けたエリアスは、その衝撃を耐えきれずに勢いよく道に倒れ込む。すると少し離れた所から、憤慨した叫びが上がった。
「エリアス様!? 貴様、何をしている!?」
(あ、やっぱりアレクシス様はいたのね。そうと分かれば、これ以上の長居は無用だわ)
倒れた主君目がけて血相を変えて駆け寄ってくるアレクシスを見て、ソニアは脇目も振らずに駆け出した。
「殿下!! 大丈夫ですか!?」
背後でアレクシスの叫びを聞きながら全速力で町を駆け抜け、町外れの木々がまばらに立っている場所に出る。
「カイン、ごめん! 大急ぎで戻るわよ! 全速力でお願い!」
「ゥオヒィー!」
万が一にも盗まれたりしないように、魔法で姿を消しておいた年老いたロバは、慌てて戻った主を機嫌良く出迎えた。姿が見えなくてもどこに立っているかなど把握できるソニアは、全く躊躇わずにスカートのまま彼に跨がる。それと同時に彼女も周囲から見えなくなり、その場から軽い土埃と蹄の音と共に一人と一頭は一目散に森に駆け戻っていった。
よぼよぼの外見とは裏腹に軍馬並のスピードで駆け抜けたカインは、あっという間に森に到達した。途中、背後に追ってくる気配がないか確認しながら走らせていたソニアは、安堵の溜め息を漏らす。
「ごめんね。身体強化させても疲れたわよね。すぐにお水と干し草を準備するから、ゆっくり休んでて」
「オキー」
家をぐるりと回り込んで裏に回ったカインは、ソニアが魔法で準備した水桶と干し草の山に向かい、満足そうに口を突っ込む。それを確認したソニアは家に入り、テーブルに突っ伏して呻いた。
「はぁ……、疲れた。まさか、あそこで殿下と出くわすなんて……。それにしても、どうしてあの名前を知っているのよ?」
訳が分からない事態にソニアが困惑していると、来訪者を知らせる通知音が鳴った。
「……え? ちょっとまさか!?」
激しく嫌な予感を覚えながら、ソニアは勢いよく身体を起こした。そのまま壁際に駆け寄り、鏡を覗き込む。そこに顔の左側を盛大に腫らしたエリアスと、相当腹を立てているらしいアレクシスの姿を認めたソニアは、悲鳴じみた声を上げた。
「嘘でしょ!? まさか、あのまま来たの!? 着替え! 髪も直さないと!」
狼狽しながらもソニアは勢いよく服を脱ぎ捨ててローブを身につけ、髪を解いて後ろで一つに束ねる。そして魔法で外見を総白髪と老婆のそれに変えたところで、ノックに続けてドアが開けられた。
「魔女殿。失礼する」
「お邪魔します」
ギリギリのタイミングで外見を整えたソニアだったが、二人が現れた時点で腹を括っていた。先程の遭遇など微塵も感じさせない様子で、心底驚いたようにエリアスに声をかける。
「殿下、そのお顔はどうなさいました? まさか、こちらに来る途中で、暴漢に襲われたりしたのですか?」
その問いかけに、エリアスが痛みからか、僅かに顔を歪めながら問い返す。
「そんなに酷いですか?」
「鏡で確認しておられないのですか? 酷く腫れておられますよ? アレクシス様、一体どういう事ですか?」
若干責めるようにソニアが尋ねると、アレクシスは困惑気味に言葉を返した。
「その……、私も一部始終を目にしてはいないのですが、若い娘に殴り倒されたようで……」
「はぁ? 殿下が、若い娘に後れを取ったと?」
「後れを取ったというか……」
「放置しておくと回復まで長引きそうですし、取りあえず腫れを引かせましょう。失礼します」
さすがに罪悪感があったソニアは、エリアスの左頬に右の掌を当てた。そのまま少しの間治癒魔法を行使してから、ゆっくり手を離す。
「殿下、どうですか? 取りあえず痛みを抑えてみました。患部を冷やしておきましたし、これ以上悪化する事はないはずです。お城に戻ったら、きちんと医師の治療を受けてください」
「確かに痛みは消えた。ソニア殿、助かった」
「それでは、お二人は椅子に座っていてください。患部の回復を助けるお茶を淹れますから。こちらに出向かれた理由は、お茶を飲みながら伺いましょう」
「すまない。ご馳走になろう」
二人をテーブルで待たせたソニアは、そのまま台所に移動してお湯を沸かし始める。
(取りあえず、あの姿の私とこの私が、同一人物とは思っていないのよね? 何がどうなっているのか皆目見当がつかないけど、油断せずに注意していかないと)
お茶を淹れながら気を引き締めたソニアは、何食わぬ顔でお茶が入ったカップをトレーに載せてテーブルに戻った。




