第11話「偽る彼女の不器用な涙 その1」
芸術は爆発だっ!
どこかの忍者のような理論をかます式部さん。でもなんとなく言いたいことは分かる。
私の漫画、専門学校に行ってたせいか技術はある。だが、そこに感情がないそうだ。正直、感情が左右するなんて、今どきの人たちが聞いたら半狂乱になってATフィールドを発動しますよ、式部さん。
でも、作家は口で語るより、作品で語るべきなのは確かかも。平安時代で人間の機微を和歌にしてしたためたように。素の感情を丸出しにするなんて、品性の欠片も無いってやつか。
でも、私の感情ってぶっちゃけ、今年30になっても、正直何なのか分からない。
いや、多分風化してしまったというのが、正しいか。
「はぁ……よし」
我が城・ワンルームマンションの洗面台の鏡で、どうしようもない三十路の顔と対面する私。いや、まぁ、私の顔何ですけどね。
しかし今日だけは、普段よりも小奇麗にしていかなければならない。普段なら30分程度で済ませている化粧という名の改修作業。だが今日は、最終プレゼン攻略作戦なので、いつもりも重装備にしていかなければならない。
女性が肌の色を整えるのには5工程くらいある。もはや錬金術。
日焼け止めから始まり、プライマーで毛穴とか埋めて更地にする。プラモデルで例えるなら、サーフェイサーと言えば分かるかな。
そこまでやってやっとファンデーションだ。肌全体を均一の色にする。プラモデルでいう本塗装。エアブラシですね。
そこからコンシーラーっていうまだ隠し切れないシミとかクマとかを押さえていく。私はストレスで不眠症だからクマは天敵。猫の手で掴んでいて、塗り切れなかった部分を筆塗りする感じ。
最後にフェイスパウダー。テカリを押さえて、質感を出します。言ってしまえば、艶消し。これやるとやらないで、だいぶ変わる。
これだけで大体1時間程度。デートとかじゃないから、チークとかはなし。ビジネスだから、主張はせず、それでいて印象のよい化粧がいい。
特に営業はなおさらね。顔がかなり大事だから。悲しいけどこれ顔面戦争なのよね。
明るくマットな仕上がりとなった肌。アイラインも強調して、私の死にかけの釣り目も今日だけはパッチリに。―――化粧をするともう誰が誰か分かんねぇな、これ。
ここまで普段と違う風になった自分を見ると、感情もへったくれもない。もはや他人なので、どんな状況でも俯瞰して見れるはず。
綺麗にした私の顔は慣れない。自分ではない誰かを鏡越しに眺めながら、唇に紅を引いていると、鏡の中で式部さんが品定めをしているように見つめている。
今日のTシャツは『美人は3日で飽きる。ブスは3日で慣れる。』
「あれを見たな?」と言いたくなるほどの真理が書かれたダボシャツを着ながら、指を顎に添えていた。
「肌の色は強めじゃなくて、ワントーン落とした肌色。マットな仕上がりがナチュラルなイメージを生み出している。それでいて目元はしっかりと主張する。葵! なかなか化粧すればイケるじゃん! これで結婚できないとは、現代は非情ね」
人の心は浜で死んだのかと思う式部さんの発言に、思わず口紅を落とす私。
はっきり言うな。気に入らない。大丈夫だ。今の私は私じゃない。効かないぞ。
「これくらいの努力で結婚出来れば、苦労しないですよ」
「正直、この化粧の仕方でも対比を生み出しつつ、黒を取り入れるところセンスの塊だわ。……ところでお歯黒はしないの?」
「いや、しないでしょ。あんなダサいの」
口をすぼめて、紅の糊具合を確かめる。お歯黒はもう時代遅れてか、今じゃ異常者よ。
だが、鏡の向こうの式部さんは少女漫画の如く白目を剥いて絶句していた。
まるで、葵……! おそろしい子!と言わんばかりの。背景に集中線見えてるよ。
「そんな、お歯黒しないだなんて……ッ! 嘘よっ! 信じないッ! みんな、あんなにしていたのに!」
「……えっ? そこまで? 笑ったら歯が真っ黒でしたってアレでしょ? いや、しないしない。今やったら完全に頭イッてる人扱いよ?」
「あっ……あぁぁぁぁぁ。だ、ダサい? か、かたはらいたし? 嘘でしょ……いやでも、そうよね……あの時の私は間違ってなかった……いくら対比を生み出すために、歯を黒くする発想は可笑しいよね。ぐっ、ぐう~」
壁に項垂れる式部さん。その表情は受け入れがたい事実を前にした哀れなヒロインのように悲愴と絶望に満ちた表情だった。
まぁ、真っ白なおしろいと黒い歯。対比と言えば、対比なのは分かるものの、『異議ありっ!』と言って、黒くするのは歯なのはおかしいですよ!と抗議をしたくなる。
しかし平安はそれが普通でありステータスとされていた時代。かの式部さんはどうやら我慢してやってみたいだ。小刻みに体を震わせて血を吐いている様からそのように見える。
「朝からそんな精神的なダメージを負うなんて……」
「へへ、笑いなさいな。大人はね、それがどう見てもダサいって分かっているのに、周りの空気に合わせて、お歯黒しなければならない時があったのよ。……あの瞬間ほど、自己嫌悪に満ちた時はなかった。千年もの時が過ぎるのは、残酷な物ね。そっかぁ、なくなったかぁ。あと千年早ければ、私まだ幸せでいられたのねぇ」
心が壊れたかのように天井を見て薄ら笑いする式部さん。
お歯黒するのが本気でイケてると思って誰も迷いなくやってる世界とか想像するだけでぞっとする。一種のカルトだろうな。そしてそれを強いられた式部さんの心中察するにはあまりあるものぞ。
「なんつーか、ご愁傷様。千年経てばなくなるから……」
「千代ってきた中で一番衝撃よ。てっきり今でも通用するものだと思っていたせいで、小説のライバルキャラの色男……全員お歯黒にしてしまったのよ?」
「えっ!? あっ! ま、マジで……? そ、それは相談してほしかったかなぁ……」
式部さんに予想外のカウンターをしてしまった上に、かの平安の天才が現代にあまりにも滑稽なネットタトゥーを残していた事実を公にしてしまった。
いくら平安時代の伝説的文化人だった式部さんでも、その感性やセンスが、必ずしも現代と同じとは限らない。生活の文化も流行も、千年も過ぎれば変わるものだ。
しばらくして、式部さんはよろよろと立ち上がった。
「ありがと。葵。私もまだまだってことね。もっと、勉強しなきゃ」
「十分よくやってる。ライバルキャラ全員お歯黒は、それはそれで面白そうだけど」
「みんな、笑ったら歯が真黒なのよ? この際、みんなお歯黒にしてやればトントンかしら?」
「やめなさい」
薄ら笑いを浮かべる式部さんを軽く小突く。全員が真っ黒な歯を見せて一斉に笑う場面とか、絵面がホラーだよ。
私と式部さんが朝から意味不明な話題を嗜んでいると、携帯のアラームが鳴りだす。どうやら出陣の笛がなったようだ。
「時間だ。じゃあ行ってくるね」
ショルダーバッグと大きなビジネスバックを持って、玄関へ。手際よく、ハイヒールを履くと、式部さんは突如として口を開いた。
「花のごと 君よそほへば 遠ざかり いかなる風の 吹くかとも見ず。 誰かが化粧をするといつも思うの。綺麗にはなるけど、本当の顔は見えないなって。その化粧は現代の人々が社会で生きるための、お面なのね」
「……何の話? まぁ、そうちゃそうだけど……」
「いいえ。私の戯言よ。気にしないで。ちゃんと帰ってくるのよ」
「ははっ、大丈夫。今日で終わりみたいなもんだから、きっと今日帰ってから飲むお酒は美味しいよ」
「それもそうね。いってらっしゃい」
「行ってきます」
式部さんは小ぶりに手を振った。私も軽く手を返して、振り返す。
このタイミングで和歌? 多分情緒の話だろうけど―――私は式部さんの真意も知らぬまま、部屋の扉を閉めた。
●
4月と言えど、地球温暖化が加速して、日中は25度を超える。リクルートスーツに身を包む私の体感温度としては夏に近い。
気の早い太陽の自意識過剰な陽射しを、全面ガラスの無機質な巨大ビルが淡々と反射させている。光と光のぶつかり合い。その余波を手で遮りながら、私は名駅清水口のビルの前の花壇に座っている。
そして、クッソ眩しい上に、クッソ熱い中、ギラギラ光るビルの前で平安商事のモンスターを待ちわびている。さながら帰ってこない恋文を待つよう。
いや、恋文じゃないけど『もしかしたら遅れるかもしれません~』というラインは来てた。最後の最後までこいつは。
今日は最終プレゼン。やることとしては相手方の問題点の洗いざらいと契約締結前の確認作業。今回の取引相手一条電機とは何度か仕事を共にしていて、今回の営業担当も顔見知りだったためか、かなりスムーズに商談が進んだ。
まぁ、清水なこの件だけは何もスムーズにはいかなかったものだが。結局身内のミーティングは課長への確認だけ。最悪、フォローしまくって意地でも終わらせる。もうコリゴリよ。
しばらくして、優雅に黒い日傘を差して、余裕を浮かべた笑みを見せながら、我が平安商事のモンスターが現れた。
すごかったのは、メイクが通常時よりも控えめだった。服装も派手なものではなく、白いニットとグレーのタイトスカートに白シアージャケットだ。なんか正直羽目を外して欲しいと願ったけど、それはなかった。相手からどう見えるかをよくわかっている。
優雅に歩み寄って、私の前で日傘を畳むと、清水なこはへらへらと言い訳をした。
「ごめんなさい~。先輩。電車が遅れちゃって~出た時間は早かったんですよ?」
「……まぁ、仕方ないけど。もう少し、余裕持って」
「間に合ったからいいじゃないですか~。そこは『先輩、間に合ってよかったね!』でいいんですよぉ~。分かってませんねぇ」
「……先方待たせてるから行くよ。くれぐれも迂闊なことはしないでね」
「任せておいてください。それにもう先輩がやることやってるんですよね? なら、今日はもうほぼ決まりじゃないですか? 私が喋れば全て解決です」
「……ぐっ! どっからその自信が。そうやって……いや、いいや」
どうしてそんな能天気なの? 言いたかったが、ぐっと飲み込んだ。気の早い太陽のせいで、普段より暑さへの対応が出来ていないからか。
●
私と清水なこは一条電機のビルの中へと入る。午後2時くらいなので、人気はない。黒曜石のタイルと透明なガラスで構築された入口のフロアは、ひどく閑散としていた。
受付の所では、一条電機の営業担当である佐藤さんが待っていた。お団子ヘアーでいつも気だるそうにしているが、なかなかにしたたかで、今回の話もかなり動いてくれた。どうやら彼女も素晴らしい社畜ライフを過ごしていて、こき使われるのが日課のよう。
佐藤さんは軽く頭を下げると、挨拶をする。
「こんにちは、刑部さん。佐藤です。お疲れ様です」
「お疲れ様です。佐藤さん。平安商事の刑部です。今回は弊社のためにお時間を割いていただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ、刑部さんには大変お世話になっておりますので……電車など遅延していらしていましたか? 弊社の木原と大平もすでに会議室に。ご案内いたしますね」
「申し訳ございません……あっ、えっと、今回の件は私と彼女が担当します。平安商事の……」
私が紹介しようとした途端。
清水なこは私の体を押し出すように、自らの体を捻じ込んで名刺を佐藤さんに突き出した。
な、なんだ。この人。
「こんにちは! 担当の清水ですっ! よろしくお願いしますね~!」
お構いなしの笑顔の清水なこ。ちょっと気圧され気味の佐藤さん。唖然とする私。
人の話を遮るな。というかあなた初対面だろ。
佐藤さんは「なんかヤバいの連れてますね」と視線で私に問いかける。「まだ序の口です」と呆れ気味に返した。
「……なるほど」と言わんばかりの薄ら笑いを見せて、名刺ケースを取り出して、清水なこに差し出した。
「一条電機の佐藤です。はじめまして……」
「はぁい! 佐藤さんは! なんだか素敵ですよね! 髪もつやつや! ケアとかどうしているんですか!?」
「へっ!? いや、ふ、普通に……」
「ちょっともう! す、すみません。佐藤さん、会議室までよろしくお願いします」
清水なこを制止する私。清水なこは気に入らなさそうにちょっとガンを飛ばしてきた。
タイミングを考えろ。向こうを待たせてるんだよ。
佐藤さんも名刺を素早く手に取ると、エレベーターへと駆けていく。ここまでのなこの態度を見て、ある程度の人格を察する辺りさすがというか。
私も早歩きで佐藤さんの横に並ぶ。すると顔を寄せて佐藤さんが話しかけてくる。いつも会うとこの人、いいにおいするんだよな。
「……精が出ますね。刑部さん。道中お辛かったのでは?」
「……えぇ、まぁ。なんとかここまでは来れましたけども」
「心中お察しします……」
仕事出来人間同士の高度な会話。『やっかいなやつと組まれて大変だったんじゃない?』という話題です。こいつのせいで私は何時間残業したのか……。
だがなこは承認欲求の化身。そんな知性は勢いでぶっ壊す。
「いや、ほんと! 電車が遅れて! 本当に焦ってたんですよぉ! ところで先程の会話なんですけどもー」
「そ、そうなんですねぇ~、あはは」
「……」
適当にはぐらかそうとする佐藤さん。静かにこぶしを握り締める私。
会話はなくても―――『こいつマジでめんどくせぇ!』という気持ちは通じ合った気がする。
●
佐藤さんの案内で、一条電機の第一会議室へ。大きな部屋に、巨大なテーブルと、プロジェクターとかが置いてある一般的な会議室だ。
部屋に入ると、そこにはもう一条電機の生産本部長専務である木島さんと、購買部長である大平さんだ。普通に先方の重役の方を待たせているのはかなりやばい。
大平さんはにこにこしているが、木島さんは腕を組んで少しご立腹だ。
「この度は……」
私が切り出そうとした。その時だった。
「ごめんなさい~! 電車が遅れちゃいましてぇ~遅れてしまいました!」
清水なこがアイドルのような満面な笑みで飛び出していく。
いやいや、それここでやる? いくらなんでもそんなアニメみたいなこと。
そううまくいくか―――。
「うん? おぉ! なんだか、元気な子が来たねぇ! あはは、いいよいいよ」
木島さんはにこにこと笑い、右手を挙げた。
「えへへ、ありがとうございます。木島専務ですね。その大きな懐に感謝します~! 初めまして、私、清水なこと申します。今回初めてなのでよろしくお願いしますね! 分からないことがあったら、頑張って答えますので、いろいろ聞いてくださいね!」
清水なこは木島専務に、名刺を差し出した。そのしぐさも、単純ではなく目を合わせて、甘えるような姿勢を見せつけていた。
正直、絶句した。インフルエンサーやべぇ。お前、なにも理解してないの答えれるのか?
「おほほ、ありがと。ゆっくり準備してくれていいからね。今日は沢山時間作っておいたから!」
「えぇ~!? 本当ですかぁ!? 嬉しいです! お心遣い感謝します! 先輩、待たせるのは良くないですよ! 早くしましょ!」
「えっ!? あっ!? はい」
私もすかさず名刺を配り、挨拶をする。だが、あの愛嬌の後だ。木島さんには白々しく流された。大平さんには一言二言いただいた。
この空気、かなり不味い。いや、不味くはないんだが、一方的に私に不利が押し付けられている。
とにかく準備だ。プロジェクターとパソコンのセッティングを開始する私。すると佐藤さんが横から口添えをする。
「刑部さん。お手伝いしますね……あの子、えげつないですね」
「あ、ありがとうございます。どうにも若いもので、勢いばかりと言いますか……」
「でしょうね。木島専務はあんな風に愛嬌を振りまいてくる人がお気に入りになることが多いのでいいのですけど……私は少し苦手です」
「すみません。ホント……」
私も苦手です。
なんといえばいいのでしょうね……この外れくじを全て押し付けられて、一等だけ持っていかれてる感覚。言葉に、できないってのはこういうことか。
-――まぁ、終わればいいか。
そう思った私はこのプレゼンで思い知ることになる。『理屈』で『感情』を『押し殺す』。いや、『押しつぶしている』人間は、どんな結末をたどるのかを。
第12話へ続く。
式部さん豆知識。
式部さんは『能ある鷹は爪を隠す』を体現していた。平安社会は文化社会のくせして、とんでもない男社会。女が男性の教養に通じているなど可愛げがないと揶揄される時代。だが紫式部はさらに追い込まれることになる。一条天皇が『源氏物語』を読んだとき、「こいつ、しれっと日本書紀読んでんな。分かってんねぇ」と褒めてしまった。これによって女性陣からの嫉妬もヒートアップ。ついた二つ名は「日本紀の御局」。その時代のヘイトを躱すために取ったのが、あの「漢字の『一』すら書きませんでした……」エピソードだった。これをやったら意外にも「あら可愛げがあるじゃない」と穏やかに過ごせたそう。だが紫式部はその時から『頭がいいのに、馬鹿な振りをして、馬鹿な奴らを調子に乗せなければならない』という辛い宮中生活を送ることに。ちなみにこの作品のお酒とかを飲む設定は、これのリバウンドによるものという作家の考えから作られました。




