第十五話 追憶の部屋
まるで王宮の屋根のように美しい、青い瞳。
その輝きは、不思議なほどあの頃のまま。
青みがかった黒い髪は、記憶よりも少し長くなった。
左目の眼帯はどうして付けているのだろう。昔よりも目つきが厳しくなって、まるで人相が違う。
けれど間違いなく、オスカーが目の前に居る。
「お前……」
眉間に皺を寄せ、オスカーが低い声で囁いた。
あまりにもじろじろと顔を見過ぎただろうかと、慌てて視線を足下に落とす。
「どこかで会ったことがないか?」
続けたオスカーの言葉に、私は思わず心臓が跳ね上がりそうなほど驚いた。
まさか、私がパトリツィアだと気付いたのだろうか。
「い、いえ! そんなことある訳がありません! 私は今日、初めて王宮に足を踏み入れたばかりです!」
「ああ君か。陛下、後ほど紹介しようと思っていたところです。彼女がレベッカ・ユーバーヴィンデン。陛下が呼び寄せられた新しい侍女ですよ」
オスカーに集中していて気付かなかったが、隣にいたニクラスが笑顔で私を紹介してくれる。
私は慌てて腰を折り、深いお辞儀と共に目を瞑って声を張った。
「ユーバーヴィンデン男爵家から参りました! レベッカ・ユーバーヴィンデンと申します! 陛下のお役に立てるよう、これから精一杯努めさせていただきます!」
「ああ、君があの……」
オスカーが眉間の皺を緩めて、心持ち優しげな声色で呟く。
ゆるゆると顔を上げれば、何故かじっと私を見つめたままのオスカーと視線がかち合った。
「長らく病床に臥し、奇跡の復活を遂げたそうだな。本当にもう健康なのか?」
「は、はい……。持病も全て、綺麗さっぱりなくなりまして」
「ふむ……それは不思議だな……」
やけに真剣な表情で見詰められて、居心地が悪い。
まるで鋭い剣先を喉元に突きつけられているような、そんな気分になる。
彼が、私の家族に対してやったように。
途端、懐かしさと緊張感で鳴りを顰めていた憎悪が一気に胸を支配する。
今この場で掴み掛かりそうになる衝動を、理性で必死に抑える。
「何はともあれ、これからの働きに期待する」
それだけ言い捨てて、こちらの反応も気にせず、オスカーはニクラスを伴って去って行った。
曲がり角にオスカーの背中が消えて初めて、お仕着せのスカートを力一杯握りしめていたことに気付く。
ゆっくりと力を抜いて、ふうと息を吐き出した。
「……ああ、びっくりした」
「でもすごいわレベッカ! あの陛下に物怖じしないなんて!」
「そんなことないわ。……陛下って、とても怖そうな方ね」
昔と違って。
その言葉を飲み込んで呟いてみれば、困ったように笑うラウラの瞳とかち合った。
「そう見えるわよね。私もいまだに緊張してしまうもの。でも覚えておいて。陛下はとても優しい方よ」
昔だったなら、その言葉に頷いたかもしれない。
確かにオスカーは優しかった。いつも私のことを第一に考えてくれて、怒鳴ったり感情を荒立てている所を見たことがない。
けれど、彼は非情にも私の家族をその手に掛けた。一遍の躊躇も見せずに。
あの姿を見たら、決してその言葉に同意は出来なかった。
「その……陛下の左目はどうされたの?」
話題を変えるように、気になっていたことを口にする。
クーデターの時には既に眼帯を着けていたから、戦闘によるものという訳ではないのだろう。
「そうね……これは秘密という訳ではないから、伝えておくわ。陛下はあの流行病に罹ったのよ。その後遺症で、左目の視力を失われたの」
「本当に……⁉︎」
まさかあの病でそんなことになっていたとは、夢にも思わなかった。
あの病には後遺症が色々とあるとは聞いたけれど、視力を失うこともあるとは。
何の後遺症もなく回復した私は、どうやら運が良かったらしい。
「あの流行病って、そんなに恐ろしいものだったのね」
「ああ、レベッカってずっとフリーデンに居たのよね。それは本当に幸運だったわ。うちの領地は、西の方だから」
「じゃあ、ラウラも……?」
「いいえ、私は当時も王都に居たから無事だったけど、領主として対応してたお父様や兄は大変そうだったわ。本当にたくさんの人が亡くなったし……」
昔のことを思い出すように、ラウラはぽつりぽつりと語った。
正直あの頃は自分のこととオスカーのことで頭が一杯で、他のことは考えられなかった。
しかしあれほどの病が、国民に害を与えていない訳がないのだ。
「そうだったの……。私、ずっと寝込んでいたから、あまり多くのことを知らないの。健康になってからも、きちんと勉強する時間が十分じゃなくて」
「ああもう気にしなくていいのよ! あなたの事情は大体聞いてる。むしろだからこそ、二心なく働いてくれるだろうと陛下も思ったのだろうし、少しずつ覚えていけばいいわ」
ラウラは私を励ますように両の手を胸の前で握りしめる。
実際のところ、私が選ばれた理由はそうなのだろう。
好意的に接してくれるラウラに感謝しながら、再び王宮の中を見て回ったのだった。
それから、三週間の時が過ぎた。
私は家から毎日王宮に通いながら、少しずつ仕事を覚えていった。
王宮の使用人の数は確かに少ないようで、私が王女だった時代の半分もいないように思える。
だからだろうか。想像以上に仕事が忙しく、仕事を覚えてこなすだけで一日が飛ぶように過ぎていく。
なかなか復讐の取っ掛かりを見つけられないまま、私は忙しい日々を送っていた。
「レベッカ、今日はラウラと一緒に陛下の自室の掃除をしてちょうだい」
ある朝王宮に出仕すると、侍女長のマヌエラにそう言われた。
私は驚いて、思わず目を丸くしてしまう。
「えっでも陛下は信用した者しか自室に入れないのですよね? 私はまだ来たばかりなのに……」
オスカーとはあれ以来、すれ違うことはあれど、会話どころかきちんと顔を合わせることすらなかった。
だというのに、一体どういう訳だろうか。
「どうやら陛下はあなたをお気に召したみたいだわ。『あの時のあの子はどうしてる?』なんて聞かれたのは、あなたが初めてよ」
オスカーが私を気に入っている?
何故? 気に入られることなんて何もしていないのに。
もしかして……私の目的に気が付いた? まだ何も怪しまれるようなことは何もしていないけれど、気持ちが顔に出ていたのかもしれない。
わざと私を泳がせて、尻尾を掴む気なのだろうか。
嫌な予感が頭をちらついて、そわそわと落ち着かなくなる。
「レベッカ? どうしたの?」
「いいえ、ただ驚いてしまって……。あの、頑張ります!」
慎重に行こう。けれどこの好機を逃す訳にはいかない。
復讐の手がかりを見つけてみせる。
そう決意をして、その足でラウラと共に掃除道具を持ってオスカーの自室に向かう。
歩きながら、ラウラから注意事項を聞く。
「レベッカ、これは一番大事なことなんだけれど、陛下の自室の中で絶対に手を触れては行けないし、陛下の前で話題にしてはいけない場所があるの。これだけは絶対に守らないと駄目よ。前に居た侍女がね、陛下の前でその場所に触れて、その場ですぐに首になっちゃったんだから!」
「えっそれだけで? そんなに大切なものなの?」
「行けば分かるわ」
ラウラはそう言って、一つの扉の前に立つ。
(廊下を歩いてる時から変だと思ったけれど、ここって……)
私の疑問を他所に、ラウラはコンコンと扉をノックしたと思うと、数秒の間を置いて扉を開けた。
そこは間違いなく、これまで飽きるほど見てきた私の自室だった。
「……ここが陛下の自室なの?」
「そうよ。国王の寝室っぽくないって言うんでしょ? そうよね、本宮の外れの方だし。元の国王の寝室は違うところにあるんだけど、そこは使ってないの。陛下は何故か、この部屋を使ってるのよ」
「なんで……」
一歩中に入ると、一気に懐かしさが込み上げてくる。
窓から見える王都の街並みと海。真っ白な床と天井。
調度こそ変わっているものの、配置や部屋の雰囲気はそのままに、まるであの頃に戻ったような感覚を覚えた。
「不思議に思うのも分かるわ。なんだか陛下っぽくない部屋よね。ちょっと乙女っぽいというか。あ、レベッカ、こっち」
ラウラに呼ばれるまま歩いていくと、ベッドから見て斜め右側に、緋色のベルベッドのカーテンが天井から掛かっている一角があった。
こんなものは昔はなかった。一体なんだろう。
「さっき言ってた、触ってはいけない区画っていうのはここ。このカーテンの埃だけ払えば、中は一切何もしなくていいから。というかしちゃだめ。分かった?」
「中には何があるの?」
「まあ気になるわよね。じゃあこのカーテンから掃除しましょう」
そう言ってラウラは、カーテンを両手に持って開いた。
「こ、これ……」
中には、私のよく見慣れたものがあった。
私の描いた二人の肖像画と、私がいつも身に付けていた、あの翡翠のペンダントだった。




