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第38話 来たくて来たわけじゃない!


 ──痛ッて!


 揺れる、薄暗い船底。

 そのある一室の少し開けたドアの隙間から、身を潜めるようにして通路を覗き込んでいた船員──水兵服の俺は、いきなり手の甲に走った鋭い痛みに顔を歪めて短い声を発した。

 痛む手を激しく上下にぶんぶんと振る。


『どうした? 急に』


 頭上でミニチュア・ジュゴン──おっちゃんが、不思議そうに尋ねてきた。

 しかし俺は、痛み残る手を軽く振りつつ首を傾げながら答える。


 いや、わかんない。なんか急に誰かから手の甲を思いっきり抓られたような……そんな気がしたんだ。


『誰かって、いったい誰にだ? 今ここには俺とお前以外に居ないはずだが?』


 知らね。なんかそんな気がしたんだ。


『お前よくこの状況下でそんな恐ろしいギャグが言えるな』


 別に俺面白いことなんて一言も言ってないだろ。

 ただ“誰かに抓られた気がした”としか──


『冗談はここまでだ』


 いや、だから俺、冗談とか一言も


『ところでお前、なんで勝手にこっちの世界へ来た?』


 え?


『いったい何しに来た? 来るのが早い。便秘で長時間便器に座ってクソひねり出したことないだろ?』


 クソ全く関係ないだろ。

 なんだよ。──ってか、俺だって何がなんだか分からないんだ。気付いたらいつの間にかこっちの世界に来てたんだよ。別に好き好んでこの世界に来たわけじゃない。


『嘘つけ。本当はここに来たくてうずうずしていたくせに』


 誰が! 今すぐ俺をログアウトさせてくれ。まだ俺、朝ご飯を食べてないし、それに薬も


『薬? 薬飲んでるのか?』


 そうだよ。俺、向こうの世界で病気を緩和する薬を飲んでるんだよ。それ飲まないと大変なことになる。昨日の昼も飲み忘れたし


『そうか』


 だからログアウトさせてくれ。


『いつまでも俺をアテにするな。選択肢は二つ。自力で頑張るか、諦めろ』


 究極の二択かよ。


『まぁいい、せっかく来たんだ。歓迎する。

 実はお前が居ない間に、ちょいとばかし面倒なことがあってな』


 それってもしかして、この船内の薄暗さとここら辺に漂っている血生臭い変な匂いと関係があるのか?


『大当たりだ。お前、クトゥルクの力を使っただろう?』


 ……うん、ごめん。それは謝る。

 でも聞いてくれ。俺だって使いたくて使ったわけじゃないんだ。なんか無意識っていうか、勝手に──


『そのクトゥルクの力に誘われて、変な“魚の魔物”が現れた』


 変な……魚の、魔物?


『そうだ』


 変って、どう変なんだ? 人の姿をした魚なのか? それとも魚の姿をした人なのか?


『両方そうだ』


 いや、どっちなんだよ?


『どっちも外れでどっちも正解。とにかく恐ろしい魔物だ。まさに(ぬし)だよ、主。レア物級の【砂海の主】だ。

 まさかアイツがわざわざここまで出向いてくれるとは思わなんだ。フィーバーだ、フィーバー。ガチャレア級の大当たりだ』


 ふぃーばーって、何?


『そこでお前に頼みがある』


 は? やだよ。嫌に決まってんだろ。


『本当はお前をトラウマにさせたくなくてお前を呼び出さずに向こうが帰ってくれるまで待ってたんだが、どうやら向こうはお前に会うまで長居するつもりらしい』


 向こうって?


『魚の魔物だ。そこで、だ。

 お前の方からソイツに会いに行って、そのまま仲間にしろ』


 ……。


 理解するのに数秒を要した。


 はぁ!? なんで俺が!? おっちゃんがやれよ。


『これはクトゥルクを持ってる奴にしか出来ないことだ。

 ──と、いうより。アイツはクトゥルク以外に興味を示さない』


 もしかして、【砂海の主】って│白狼竜フェンリルのことなのか?


『魚の魔物っつっただろうが。誰が白狼竜と言った?』


 いや、だけどクトゥルク以外に興味がないんだろ?


『白狼竜は神の聖獣だ。魔物と一緒にするな。そんなことを口にすると白狼竜から怒られるぞ、お前』


 会わないからどうでもいいし。それよりなんで俺が? 何の為にその魚の魔物を仲間にするんだ?


『ソイツにお前の用心棒をしてもらう。俺もこの体じゃ、【オリロアン】に着いてもお前を守れない。銃もこのヒレじゃ持てないしな』


 おっちゃんの今の必殺技って何?


『癒やしのパワーだ。見ているだけで心が癒されてくるだろうが』


 使えねぇー。


『とにかくだ。アイツはお前にしか相手出来ない。性格が普通じゃないからな』


 普通じゃない? 普通じゃないってどういうことなんだ?


 すると、ヒヤリと。

 俺の背後──室内の方から冷気のようなものを感じた。

 同時に怪しげな声がすぐ後ろから聞こえてくる。


「あら。まだこんなところに人間が生き残っていたなんて」


 ……。


 俺もおっちゃんも生唾をごくりと飲み込んだ。


『来たな、奴だ。コイツを仲間にしろ』


 仲間にしろと言われたって、急にそんなこと──


 背後をとられてしまった。

 凄まじいまでの狂気がゾクリと俺の背を一瞬で駆け上がってくる。

 ただならぬ殺気。

 今までに感じたことない殺戮の前兆。

 それだけじゃない。

 明らかに。

 そう、明らかに何かが変だ。

 声が……。

 なんというか、アレだ。

 その……えっと……なんというか。

 声は男なんだけども、口調がお姉(あっち)系だ。

 逃げたいけど逃げられない。

 そんな殺気が伝わってくる。


 ……。


 俺がその場から動けずに居ると、ソイツは背後から俺に近付いてきた。

 ゆっくりと。

 振り向けない俺の背に、軽くトンと当ててくる。

 恐らく人差し指的な何か。

 それをツツツと撫でるように下へ落としていく。


「私ねぇ、人間ってのが一番キライなの。だってすごく脆くて弱いんだもの。あなたも人間なんでしょ? 今すぐその身をギタギタに引き裂いてやりたいところなんだけど。んんン、なぜかしら。すごく迷うわ」


『いいか、そのまま動くなよ』


 動くなって──!? 色々な意味でヤバいだろ!


 俺は内心で喚いた。


『焦るな、落ち着け。いいか、落ち着いて俺の話をよく聞け。

 よく言うだろ? 熊と会ったら絶対に背中を見せてすぐ逃げるな、と』


 熊かよ! 魚の魔物じゃないのかよ!


『魚だ。熊よりもっと恐ろしい魚だ。

 いいか、よく聞け。絶対にそこを動くな。動けば瞬殺は覚悟しろ』


 どうすればいい?


『このまま待て。まだ振り向くな。相手から“振り向け”と言われてから振り向くんだ』


 ……。


 おっちゃんの声がいつになく張り詰めていた。

 その緊張感が俺にも伝わってくる。

 相手が相手なだけにミスは許されない。

 すると、スッと──。

 背中に触れていた指が俺から離れていく。

 魔物は俺に言った。


「さぁ、まずは切り刻む前にあなたのお顔を見せてちょうだい。イケメンなら優しく、ブサメンならギッタギタに斬り刻んであげるから」


 ……なぁ、おっちゃん。


 俺は内心で声を震わせ、おっちゃんに尋ねる。


『なんだ?』


 さっきから別の意味で鳥肌が止まらない。


『言うな。俺も同じだ。気持ちで負けるな、気合いを入れろ』


 コイツを仲間にしろとか何かの冗談だよな?


『いや、本気だ』


 だってコイツ絶対──!!


 トトンと、人差し指が俺の肩を突いて急かしてくる。


「さぁ早く。あなたのお顔を見せて。こっちを振り向いてご覧なさい」


 俺は内心で泣き喚いた。


 コイツ絶対、ニューハーフ系だぁぁぁァァッ!!!


『いいから早く振り向け! 奴の機嫌を損ねたら殺されるんだぞ! 巻き添えくった俺がな!』


 おっちゃんがかよ!?


 トトトン、と。

 急かすように苛立たしく、人差し指が俺の肩を突いてくる。


「ほら、早く振り向いて」


 振り向きたくない。振り向いても殺される。振り向かなくても殺される。けど、振り向きたくない。


 俺は恐怖心にかられてパニックし、内心で意味不明な呪詛を唱え始めた。


『大丈夫だ。お前にはクトゥルクの力がある。絶対死ぬことはない』


 ……本当か?


『本当だ。俺を信じろ』


 ……。


 おっちゃんの言葉を信じて。

 俺は恐る恐るゆっくりと振り向いていった。


 ぼんやりと薄暗い室内に。

 ソイツはおぞましい姿をして立っていた。

 青白い顎あごひげラインと真っ赤に塗られた唇。

 ピラニアのように鋭い歯をギラリと浮かばせて微笑んでいる。

 無駄に濃いメイク、そして頭上にそそり立つ金髪のカッターモヒカン、極めつけに黒い網タイツに女用スクール水着みたいな服を筋骨隆々の二メートルほどの長身ピチピチに着こなして。

 たしかに魔物だ。

 魚はさておき、恐ろしいほどに魔物だった。

 ほんの少しだけ魚っぽいその中年男が、俺のことをじっと見つめている。

 青白い顎ひげラインを伸ばすようにニヤリと笑って、その男はみるみる頬を赤らめていった。

 パチッと片目を閉じてくる。


「あら、私好みの可愛らしい超イケメン」


 ぎゃあぁぁぁぁァァァッ!!!!


 俺はその場で両手を戦慄かせて全力で悲鳴を上げた。


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