二人の少年
加藤君は下校時、門柱に寄りかかり、腕を組んで僕を待っていた。
「早く神社に帰らなきゃだめだから」
と嘘をつくと、自分ちとは反対の、神社の方向に歩き出す。
「それで? そいつらまだおまえには敵わないってわかってないの?」
「え?」
「普通は弱い者イジメだろう? 弱っちく見せ過ぎなんじゃない? うん、あと、クライ」
加藤君の事情チャーシューは、こっちが文句を言われることらしい。
「じっちゃんには言わないでくれる?」
「心配するから?」
僕はぶっと笑ってしまう。あのひとが僕の心配……は、しないだろう。
「神社の忍者は自分で解決しなきゃだめだから」
「三年でイジメそうなヤツと言ったら、高木? 杉田? 有田?」
首謀者の名前が中にあった。
「僕がやっつけようか?」
「だめだよ、子供のケンカに親が口出しちゃ」
加藤君はウヒャヒャと笑う。
「僕、おまえの親?」
「上級生」
「あきふみは敵に廻すより仲間につけたほうがずっと役に立つのに」
僕と加藤信也の繋がりはいったい何だろうと頭が勝手に悩み始めた。
かけ離れた性格。僕はぼっちでクライ、のだろう、今のところ。
校内に信也を知らない者はいなさそうだ。女子といるところは余りみかけないけれど、いつも男子に囲まれてじゃれている。どの学年の先生ともおしゃべりする。
生き生き、わさわさしている、と思う。
活発だけどドタバタじゃない。滑らかだからざわざわでもない。さわさわよりは存在感があるから、僕の言語脳は「わさわさ」という音を当てた。
愛嬌があって、可愛い顔をしている。目が丸いから。
僕は高貴な顔とか公家顔とか言われる。顎が細いからしもぶくれではないけれど、引き目かぎ鼻っぽい。「切れ長の目に鼻筋が通って」と言われるときは、オブラート対応なのだと思うことにしている。
境遇は全くかけ離れている。宗教を理由にお母さんから引き離された僕と、毎日でも一緒にピアノを弾ける信也。
僕の父は恐山にいて、月に一度「訓示」として手紙をくれる。引っ越す前は、歌も楽器も泳ぎも一緒にしてくれた、厳しいけど明るい人。
信也のお父さんは誰なのかもわからない。
神官になりたいわけでもないのに修業させられている僕。好きな音楽、好きな柔道を好きなだけ習える信也。
共通点と言えば、歌好きなところだろうか。
信也の言葉に思考が途切れた。
「もしかしてそいつさ、おまえに頼られたいんじゃない? 転校生のくせにおまえが何でもできて、言葉も訛ってなくて、可愛げがないんだよ」
「そりゃ僕は、いつだって可愛げがないって言われて育ったけど……」
「だろ、だろ? よし、それなら、だ。入れ替えっこしてみよう。そいつに、『四年の加藤信也にいじめられてるから助けて』って言ってみて」
信也は名案だろうと目を輝かせている。
「体操服借りたのに?」
「無理矢理着せられた、見学しようと思ったのに。何か付きまとわれて怖いって」
「ハハハ」僕のほうが声を立てて笑ってしまった。
「付きまとってるのはほんとだね」
「そうだろ? しんぴょーせいがある」
僕を構っている自覚はあるらしい。それが可笑しく嬉しかった。
「ほんとに困ったら、言ってみるよ」
信也は僕の笑顔を見て安心したみたいだ。
「今日はピアノ? 柔道?」
「ピアノに行っても行かなくてもいい日。神社って近い?」
「うん、もうすぐだけど」
「でも何か企まれてるんだよなあ」
「何を?」
「神社にはお邪魔しないって約束させられた気がするんだ」
「じっちゃんと?」
「お母さんとかな。じっちゃんちに行く時はお母さんと一緒。おうちには行っても神社には行かない。それってヘンじゃない?」
「まあ、ヘンかな。神社って誰でも来ていいはずだし」
「そうだよねぇ。あきふみは? 神社行って何するの?」
あ、ヤバイ。じっちゃん、何か隠してるかもしれない。
本職のピアニストの加藤さんなら、音楽の神さまを祀るうちの神社にお参りしてもおかしくない。敢えて避けているなら、他の宗教、キリスト教とかの信者さんかもしれない。
信也にも近づいて欲しくない?
「掃除かな。境内を掃いたり、雑巾がけとか」
「うっそ〜」お腹を押さえて笑っている。
「それ一休さんみたいじゃん。袴はく?」
「うん、はくときもある」
「神社忍者のとんちの一休、あきふみスゴイ!」
また何か節をつけて唱えてから立ち止まった。
「やっぱり僕帰る。お母さんの嫌がることしたくない」
「そうだね。また第三土曜日来るんでしょ?」
「うん、そのはず」
「じゃ、また学校で」
「バイバーイ」
何かある。僕の心の中に溜まっていく疑問。
じっちゃんは偉いひとではあるけれど、底が知れない。
父さんは厳しいけど裏表はない。表ばかり。
じっちゃんは表より裏のほうがたくさんある気がする。その分、怖い。
僕を含めて直系三代、血筋なんて信じたい人が信じればいいだけだけど、僕たちが神社一族なのは、言葉を音楽に乗せて人を操る術を受け継いでいるからだ。
普段は自分から他人の人生に首を突っ込んだりはしないけれど、本当に困ってお社に来る人がいれば、神官として慰めたり相談に乗ったり、どうしようもないときは、敵を懲らしめてきた伝統がある。